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2018年04月14日

『紛争化させられる過去-アジアとヨーロッパにおける歴史の政治化』橋本伸也編(岩波書店)

紛争化させられる過去-アジアとヨーロッパにおける歴史の政治化 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、「現代の国際関係と政治の焦点としての過去の取り扱いのはらむ問題性を、記憶と歴史の政治化と紛争化という視点から多角的に論じようとするものである」。その背景にある時代を、編者の橋本伸也は、つぎのように帯の裏で説明している。「近年のグローバルな政治の場を彩るのは、世界の各所で過去が政治化され紛争化させられる実にさまざまな局面である。・・・・・・もちろん、大量殺戮や人権侵害を生んだ過去に正面から向き合おうとする真摯な努力も多くの国や地域に存在した。そして、先に述べた〔オバマ大統領と安倍首相の広島・真珠湾相互訪問と「慰安婦」をめぐる日韓合意という〕二つの事例はともに、和解と紛争という一見相反する事態が、実は同一次元上にあって複雑に絡み合っていることを、はしなくも明るみに出している。現代は、過去が政治化され紛争化させられる時代なのである」。

 本書のもとになったのは、国際共同研究「東中欧・ロシアにおける歴史と記憶の政治とその紛争」が主催した国際会議「記憶と歴史の政治とその紛争-東西ユーラシアの比較と対話」である。「この会議は、東中欧諸国とロシアを対象に取り組んできた「歴史と記憶の政治とその紛争」という主題をより広域的な文脈のうえに据え直して、東アジアにおける歴史認識をめぐる紛争と、ヨーロッパ東部におけるそれとの対比的、相互連関的に考察することを試みたもので、韓国・ロシア・エストニア・ポーランド・アメリカから招聘した六人の外国人共同研究者と日本の研究者とが二日間にわたって報告と討論を行った」。

 このような政治化・紛争化にたいして、編者はつぎのように歴史研究者の役割を強調する。「かかる状況を眼前にした歴史研究者の役割について思索を重ねることにも力を注いでいる。過去の紛争化はもっぱらポピュリズム政治の領分であって、高度に熟達した専門職者としての歴史研究者間では、専門職倫理に基づく資料に対する誠実な態度が維持されている限りは、そのような不毛な事態に無縁だとの立場もありうるだろう。だが、かりにそうだとしても、みずからの職業的な守備範囲が政治的な抗争の場とされて乱暴に踏み荒らされることは座視できないだろうし、そのこと自体が歴史的な解明を要する同時代史的なできごとでもある。過去との対峙をつうじて現在を批判する視座を獲得し未来を展望する仕事はすぐれて歴史学的なものであるが、過去が紛争化させられる現代世界のあり方は、歴史学の存立基盤とそれに期待される役割についても反省的思考を強く求めるものであろう。いったい歴史学は人びとの歴史意識や記憶のあり方にどのように関与し、いかなる責任を負うのかという問題である」。

 本書は、編者による「はじめに-紛争化させられる過去」、序章、全3部10章と終章からなる。「終章 歴史・記憶紛争の歴史化のために-東アジアとヨーロッパ」は、目次では第Ⅲ部に属しているが、全体のまとめとして捉えることができるだろう。編者同様、終章の執筆者、塩川伸明も、歴史家の役割を重視して、終章をつぎのように結んでいる。「本稿はあまりにも深刻かつ複雑な問題に取り組んでしまったため、明快な結論を出すことはできない。一つだけ言えそうなのは、過去の悲劇的出来事に関する記憶は強烈な感情的リアクションを伴うため、しばしば政治論争の性格を帯びやすいことである。そのこと自体はある意味で不可避なことだが、それが特定の思惑によって動員されるとき、往々にしてナショナリスティックな対抗構図に巻き込まれがちであることには注意を要する。あるネイションまるごと「加害者」だったり「被害者」だったりすることは本来ないはずだが、あたかもそうであるかの如き構図が描かれ、対抗図式が硬直したものになるという事情は、東アジアでも、ヨーロッパ-とりわけロシアとその諸隣国の間-でも共通している。現に悲劇的な過去があった以上、それを忘れ去るべきではないし、できる限り正確に近い像-もちろん完全な「客観的真実」などというものはありえないが、少しでもそれに近づこうと試みるという趣旨である-を復元し、記録していくことは歴史家の重要な課題である。そのような歴史家の作業自体が現実政治の磁場に引きずり込まれる度合いが高まっている今日、どのようにすれば歴史家の任務を果たすことができるのか-これは、この種の問題に関心を寄せるすべての人に共通の難問ではないだろうか」。

 「政治化」ということは、そこに政治家が登場することを意味し、本書はオバマ大統領の広島訪問からはじまる。「第10章 歴史戦争と歴史和解の間で-戦士と調停者の二重性をめぐって」では、執筆者の山室信一はつぎのように述べている。日中・日韓歴史問題のはじまりとされる1980年代に、「約一〇〇人の自民党国会議員による「教科書問題を考える議員連盟」が結成され、「左翼的自虐史観」を克服する教科書編纂運動を政権が支えるという構図が」生まれた。そして、「「元号法制化実現国民会議」を引き継いで一九八一年一〇月に発足した」「日本を守る国民会議」が、「一九九七年五月に神社本庁などの宗教団体が組織していた「日本を守る会」と統合する形で「日本会議」を発足させることになった。「日本会議」は以後、草の根の政治運動を展開して政権政党に浸透し」、「「教科書法」制定問題にも影響を与えている」。

 また、終章では、「責任論」の見出しのもと、つぎのように政治家の責任について追求している。「日本政府は朝鮮半島への植民地支配および関連する非道な行為について何度か遺憾の念を表明してきたが、その言葉があまり信頼されるものとなっていないのは、少なからぬ保守政治家たちがインフォーマルな発言で「あんな謝罪はする必要がなかった。外国からの圧力で不当にさせられたのだ」という「本音」を洩らしてきたからである。一部の政治家たちが繰り返し発してきたこの種の「本音」発言こそは、日韓関係改善の最大の障害となっている。日本の若い世代には、「自分たちが生まれるよりも前のことについて、しかも既に何度も謝罪してきたのに、どうしていつまでも謝罪を要求されるのか」という不満が広がっているが、そのことの最大の責任は、「本音」発言によって表向きの謝罪を台無しにしてきた保守政治家たちにあるというべきだろう」。

 ではなぜ、「洋の東西で、過去の被害の記憶が呼び起こされ、新たな紛争の火種になっている」のか。その答えは、容易に見いだせない。だが、編者の「本書が、現代世界の危機の様相を前にした反省的で批判的な思考を喚起するための一助となることを心から願っている」という思いは、編者が専門とするヨーロッパとは違う見方のできるアジアの「政治化・紛争化」を知ることによって、さらに一歩進めることができるだろう。

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