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2018年01月03日

『共生への道と核心現場-実践課題としての東アジア』白永瑞著、趙慶喜監訳、中島隆博解説(法政大学出版局)

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 本書は、著者が「常に韓国語・日本語・中国語を話す読者を同時に意識して」発表し、書いたものから13を選んだ論文集である。おもに韓国で刊行された2冊の本から選び、中国語で刊行したものと部分的に重なる。「すべての文章は、東アジアに関するさまざまな会議で発表したり、雑誌の依頼に応じて書かれたものである。つまり、歴史研究者である著者が韓国内外の社会的要求に応じて執筆したものである」。

 本書は、「プロローグ 核心現場から問い直す「新しい普遍」-東アジア分断構造克服への道」、3部(「東アジア論」「中国-韓国-台湾」「社会人文学と批判的学問」)全12章、「解説と対話 白永瑞-同時代の証言者」からなる。各章の要約は「解説」で要領よくまとめられており、さらにわかりやすくするために「対話」で著者自らかみ砕いて説明してくれている。それでも、本書を読むためには、著者自ら創りだしたものを含め、いくつかのキーワードを理解しなければならない。

 まず、本書のタイトルにもなっている「核心現場」とはなにか。帯に、つぎのような説明がある。「「核心現場」とは、沖縄、朝鮮半島、台湾のように歴史的矛盾が凝縮された「分断」の場所であるとともに差別において苦しみのあるすべての現場を指す。分断構造と構造的差別を解体し、既存の学術制度を超える「共感と批評としての歴史学」と「社会人文学」を提唱。そこに生きる人々の苦しみを受けとめ、現実に触発された実践的な共生への道を提示する」。

 プロローグには、タイトルにある「新しい普遍」だけでなく、見出しに「新天下主義」と「複合国家論」がある。「新しい普遍」を構想する必要性を、著者はつぎのように説明している。「まず取り上げたいのは、西洋近代が体現してきた普遍主義の克服という、(すでに繰り返し論じられてきたが、いまだまともに解決されていない)古い課題を新たに遂行しようとする中国での意欲的な試みについてである。最近の中国の論壇は、欧米中心の普遍主義に対する代案として、もう一つの普遍を模索することに躍起になっている。それが「北京コンセンサス」を超えた中国モデルを構築しようとする議論であるが、その目標がまさに普遍的価値なのである。この中国発の普遍に対して、中国の外にいる人々がどのような立場をとるべきかは、近隣の東アジア知識人の課題であるだけでなく、世界的規模の課題でもある」。「また同時に、最近の東アジア諸国のあいだで生じている相互嫌悪感情の沸騰と、それに連動して各国内部で深まりつつある対立もまた、「新しい普遍」への探求を求めている。交流と協力の積み重ねによる相互理解の増進だけでは解決は難しい。より根本的な構造の変化とそれを説明しうる認識の枠組みが必要とされているのだ」。

 「「新天下主義」は、中国で自由主義派の知識人または「公共知識人」と呼ばれる許紀霖が近年力説している言説である」。天下主義を「「脱中心と脱ヒエラルキー化」するとともに、「新しい普遍性」を創造することで」新たな天下主義に生まれかわり、「その新天下主義が今日の中国内外の状況に適用されると、次のような五つの圏域において重層的に現れることとなる。第一に、中国大陸の核心区域では「一つの制度、互いに異なるモデル」を施行し、第二に、辺境区域では「一つの国家、互いに異なる文化」を実現し、第三に、香港・アモイ・台湾地域では「一つの文明、互いに異なる制度」を実験し、第四に、東アジアにおいては「一つの地域、互いに異なる利益」を認め、第五に、国際社会では「一つの世界、対外に異なる文明」を適用する。一言でいうと、複合型ネットワーク、すなわち民族国家の同一性の原理に中華帝国(特に清帝国)の弾力性と多様性を尊重する多重体制の経験を補完した秩序である。この秩序は国際社会において「共有する普遍性」を具現したものである。彼はそれが「各種の文明や文化に対する重なり合うコンセンサス(重疊共識)」という特性を持つと説明する。韓国と日本で用いられる言葉に置き換えるならば「多文化共生」に該当するだろう」。

 「複合国家論」については、つぎのように説明している。「複合国家はあらゆる種類の国家形態を包容する、いわば傘のような包括的構想である。さらにいえば、国家間の結合様式であると同時に、国民国家の自己転換様式を兼ねた、新たな国家機構を創設する作業を指す。具体的には南北朝鮮が平和的合意によって創意的な統一国家形態を具現する過程で提起された方案であり、その過程は東アジアで起きている様々な自治権運動を促進できると思われる」。「国家主権や国民主権ではなく、人民主権の概念を導入する」。「柔らかい主権をめざした複合国家構想」は、香港やマカオだけでなく、沖縄や台湾、さらに東南アジアにも適用可能である。

 著者は、「人民主権の概念を導入する」ことによって、新たな可能性をつぎのように述べている。「政治的に完全に平等な人民が、自ら主権者として統治主体となる人民主権に基づくかぎり、統治主体は複数になりうる。そこでは州と連邦(聯邦)のように国家主権を分割することも、さらに規模の小さい地域主権を構想することができ、国家を越えた連帯も可能となる」。

 著者は、本書で何度か、東アジアに東南アジアを含めて議論をすすめている。だが、東南アジアについて具体的になにも語っていない。著者の考えは、つぎのように台湾までしかいっていない。「東アジア言説を東北アジア中心主義に傾かせないためにも、東南アジアを受け止めることが重要となるが、その際、南島文化と漢族文化が交差する台湾の役割はきわめて重要である」。流動性の激しい海域社会の共生の知恵である、非公式対話を重視し全会一致を原則とするアセアンウェイという概念は、まったく考察の対象になっていない。流動性が激しいグローバル化社会にあって、「共有する普遍性」のモデルは海域東南アジアにあると思われる。東南アジアを「社会人文学」で考察する必要があろう。沖縄、朝鮮半島、台湾、香港などを中国語、韓国語、日本語を話す東アジアの「核心現場」とみなすことによって解決を模索するなら、東南アジアを加えた東アジアという枠組みを設定することによって、日中韓を「核心現場」として日中・日韓の歴史問題などを解決する場をつくることができるかもしれない。

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