« 2017年11月 | メイン | 2018年01月 »

2017年12月26日

『スポーツがつくったアジア-筋肉的キリスト教の世界的拡張と創造される近代アジア』シュテファン・ヒューブナー著、高嶋航・冨田幸祐訳(一色出版)

スポーツがつくったアジア-筋肉的キリスト教の世界的拡張と創造される近代アジア →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書のもととなった昨年2016年に出版された英語版の「結論」を読んでいるときに、日本語訳が出版されたことを知った。これほど早く翻訳されるということは、英語版が出ることを心待ちにした日本人研究者がおり、著者と翻訳者が以前から互いの研究を通して交流があったことをうかがわせる。本書の巻末「参考文献」には、訳者のひとり高嶋航の業績がいくつか載せられており、巻頭に寄せられた3つの推薦文のうち2つは日本人によるものである。

 本書の内容は、表紙見返しにつぎのように的確で簡潔にまとめられている。「文明化の使命を胸に、「国際主義、平等主義、経済発展」というプロテスタント的理想をアジアに実現すべくYMCAが主導した大衆スポーツ普及戦略と、これに応じるように、スポーツ大会開催を通して「経済発展、インフラ建設、ネイションブランディング」を目論んだアジアの国々による近代化戦略を、三種のアジア大会の変遷とともに、膨大な一次資料にもとづいて描き出したグローバルヒストリー」。

 本書の全体像は、「序章」からよくわかる。「三種のアジア大会」とは、「極東体育協会が主催した極東選手権競技大会(一九一三~一九三四年)〔以下、極東大会と略す〕、西アジア大会(一九三四年)、そしてアジア競技連盟(一九八二年にアジア・オリンピック評議会が取って代わった)が主催した初期のアジア大会(一九五一~一九七四年)である」。つづけて著者は、つぎのように本書の目的を述べている。「私はこれら三つのスポーツ大会の事例に基づき、アジアと西洋、そしてアジア内部の間での規範、価値観、イメージの転移を分析することに焦点を当てる。そうすることで私は、近代アジアは何によって定義されるか-文明、近代化、発展、地域的もしくは民族的アイデンティティ、アジア内部もしくはアジアと西洋の間での変化する権力関係の公的演出のようなテーマを含む-に関する西洋とアジアの視点に対して新しい洞察を提示するつもりである」。

 著者は、「個々のエリートが持っていたスポーツに関する近代化の目標とアジア像を論じるさい」、3つの理想、「国際主義、平等主義、経済発展」に焦点を定め、つぎのようにそれぞれ説明している。「(キリスト教的)国際主義はここでは国民国家の興隆によって生じた(極端な)ナショナリズムへの対抗モデルとして一九世紀に西洋で顕著になった理想を指す。国際主義は国際交流、平和協力、地域統合を促進した。二〇世紀の間、とりわけ二つの大戦の直後、国際主義はますます多くの国際機関(政府と非政府の両方)の創設に結びついた。ただし国民国家の概念は必ずしもその過程で放棄されるように意図されていたわけではなかった。スポーツの文脈では、一八九四年のIOCの設立をこの潮流の世俗的な事例と見ることができる」。

 「第二の理想は(キリスト教的)平等主義である。この理想は市民社会の出現を始めとする啓蒙主義以後の西洋政治思想に強いインパクトを与え、アメリカやフランスの革命の支柱となった」。スポーツの分野では、「近代スポーツを自制と人間同士の暴力の減少によって特徴づけられる「文明化の過程」の一表現と見なした。すべての人を拘束する規則を互いに受け入れ、それゆえ他者に許されているよりも多くの力を用いたり、試合の途中で規則を作り直したりするような特権を一方の人(側)に与えないようにすることは、暴力を制限し禁止することを可能にした。それゆえ、水平的に組織された大衆スポーツは主としてすべての参加者の自治を促進する」。

 「第三の理想は、経済発展(あるいは「プロテスタント的職業倫理」)で、公衆衛生を制御し最適化することに関わる生政治(バイオ・ポリティクス)の一形態と見ることができる。経済発展は、少なくとも西洋では啓蒙主義以前においてさえ、きわめて重要なテーマであった」。「スポーツは人々をより健康にするが、そのような人々はあまり病気にならないのでより生産的である」。「スポーツは飲酒、薬物、買春のような「悪習」と戦うことにも貢献できる」。

 そして、著者は論点をつぎのようにまとめている。「一言でいえば、本研究は、二〇世紀のスポーツ大会に基づくネイションの観念と「アジア」の意味に関する歴史である。その主たる論点は、初期のアジア大会とその前身の大会がどのようにしてネイションと近代アジア像の論争の場へと変わったのか、そしてそれはなぜか、である。この主たる論点は以下の副次的論点を伴っている。各大会が創設されたのはなぜか。アジアのエリートは西洋の近代スポーツとそれに附随するキリスト教の理想、規範、価値観のアジアへの転移にどのように反応したのか。脱植民地化は大会にどのような影響を及ぼしたか。さまざまな大会がどのようにしてアジアの近代化と発展のプロセスを展示するために利用されたのか。そのことが、どのようにして西洋、アジア、そして個々の参加国の間の権力関係に影響を与えることになったのか。「文明化の使命」はどのようにして終わったのか、そしてそれはなぜか」。

 さらに、つぎの3つの概念を、「ナショナリズムやアジア主義だけでなく、近代化や発展の研究にも生産的に適用することができるだろう」と依拠している。「第一の概念はジェームズ・スコットの「権威主義的高度近代主義」で、近代化と発展という大会主催者の目標と、アジアのスポーツ役員の多くがなぜ市民社会のアクターではなく政界の長老や高級官僚だったのかを説明する」。「第二の概念は、アンソニー・D・スミスのエスノ・シンボリズムである。この概念はナショナリズムとアジア主義について説明するのに役立ち、大会の演出を分析するのに利用できる。エスノ・シンボリズムはネイションを構成する特定のエスニック共同体の伝統的な文化的要素にもっぱら焦点を当てる」。「第三の概念は、ネイションのブランド化である。ネイション同士の、あるいは地域的な結合という目標に加えて、建築、ダンス、音楽のような特定の文化的要素の使用も、とりわけ近代的なスポーツ大会の文脈に統合されれば、ネイションのブランド化の目的に役立たせることができる」。

 本書は、序章、全8章、終章からなる。本文の8章は時系列で、序章のおわりに各章の要約がある。終章では、3つの主要な分野、「(一)大会の主催者、(二)ナショナリズムと汎アジア主義、(三)近代化、発展、ネイションのブランド化」における「最も重要な連続と非連続にもう一度立ち返る」。

 「大会の主催者」は、職業的スポーツ専門家と政治家・官僚であった。前者の「第一世代の多くはYMCAやYWCAの職業的ネットワークを通して、そしてとりわけアメリカ留学ゆえに、重要な地位に就いた」。後者の政治家や公務員は、「きわめて異質な社会的背景」をもち、「彼らの一部は貴族階級に属すか、貴族階級や国王と密接な繋がりを持ち、伝統的エリートと呼ぶことができた」。

 「汎アジア主義とナショナリズム」では、まず「当初から、各大会の上流・中流階級の主催者は、地域主義的汎運動、すなわち個々のアジア諸国間の平等主義に基づくアジアの概念を支持するために大会を利用することに賛成した」という説明ではじまり、つぎのように結んでいる。「一目瞭然だが、それぞれのエリートによる国家ナショナリズムの構想は、特定の要素や組織をネイションの構成物として推進することに限られなかった。国家ナショナリズム、そしてある程度までアジアの概念は、エリートによる近代化と発展計画をも取り上げた。したがって、国家ナショナリズムはエリートが自分たちのネイションとアジアの過去および未来に対して抱いていたイメージを伝えもしたのである」。

 最後の「近代化、発展、ネイションのブランド化」には、マスメディアの発展があった。「アメリカYMCAは大会に関する映画を何本か製作し、それはいまだ大会と関わりを持たない中国の各地域での教育のために利用された。さらに、その後の大会では、ラジオ放送が重要になった。とはいえ、放送を受信することができる人口の比率は国によって大きな違いがあった。本研究の力点は新聞記事やラジオ放送の詳細な分析を提供することにあるのではないが、東アジアにおける情報インフラの発展が大会の宣伝に役立ったことは確信を持って言うことができる。しかしながら、ジャーナリストは主催者の教育的目標を支持しただけでなく、商業化をも推進した」。「(半)権威主義的国家で開催されたアジア大会は、表向き急速に成功を収めつつある大規模な近代化と発展のプロセスを示すことでネイションをブランド化することを大いに重視した」。

 本書の最大の功績は、西洋的価値観による近代化を、アジアはそのまま受け入れたわけではなく、アジアの近代化に利用し、独自の発展を模索したことを明らかにしたことであろう。その模索が、成功したものもあれば、失敗したものもある。一時的なものもあれば、今日までその影響がつづくものもある。アジアのそれぞれの国家、地域に、スポーツが与えたさまざまな影響が、本書によって明らかになった。だが、それはほんの一部に過ぎない。本書を出発点として、さまざまな社会や人びとの視点でスポーツを通して、アジアの近代を考察することができるだろう。たとえば、いろいろな地域を単位としてスポーツ競技大会がおこなわれているなかで、日本ではほとんど注目されていないが、1959年以来2年おきに開催されている東南アジア競技大会は、アセアンとも重なり、地域にとって重要な意味をもっていることが、今後の研究によって明らかになるだろう。

→紀伊國屋ウェブストアで購入

2017年12月24日

『あのころのパラオをさがして-日本統治下の南洋を生きた人々』寺尾紗穂(集英社)

あのころのパラオをさがして-日本統治下の南洋を生きた人々 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 更新に失敗したと思っていたら、できていた。よくわからないがつづけます。


 「文学と音楽を区別しない」著者、寺尾紗穂は本書執筆の動機のひとつを、「あとがき」でつぎのように述べている。「パラオやサイパンのように、教育と近代化が同時に日本によって行われた南洋群島の場合(台湾もそのような傾向があると言われるが)、人々の統治はたやすく、対日意識も好意的なものが多い。だから、「現地の人の生の声」を集めようと思えば、「日本時代はよかった」という話がいくつも集められる(荒井利子『日本を愛した植民地 南洋パラオの真実』<新潮新書>[2015年]に列挙された証言など)。こんなに日本と日本の統治は愛されていました、という事実に私もいちいち異議を唱えるものではない。しかし、そうやって全体論を引き出すことは、あまりにも問題が多いことを、取材の過程でひしひしと感じた。一人の人間が、何かを愛するがゆえに、何かを言わないかもしれないということ。とるに足らないような小さな事実でも直接触れなければ、こうだったんだよと教えてもらえなければ、なかなか想像できないこと」。

 本文で、著者はつぎのような具体例をあげている。戦争中、パラオ人虐殺計画があったことについて、案内人の「ケルヴィンもやっぱり知っていた。パラオのお年寄りでもこのことを知らない人もいる。知っている人も減ってきているはずだ。何しろ未遂である上、一瞬日本軍将校の口から出たかもしれない、という「事実」である。しかし、それは当時パラオ人の胸に不安の影を落とし、戦後もそれは秘められたにせよ、しこりのように彼らの心に残っていただろう。謝罪する、というのはもちろん不自然だ。けれど、未遂計画や実際に日本軍の起こしたことや経緯を知らないまま、「未来」を呼びかけるケルヴィンのようなパラオ人に「全く、戦争は過ぎたことです、重要なのは未来です」と日本人が同調して答えるとしたら、やはりそれは恥ずかしいことのように思う。パラオ人が彼らにとっては重みのある「事実」を隠してなお、「未来」を語ろうとしてくれる、その気持ちを改めてみつめなおすことくらい、してしかるべきではないか。少なくとも、美しい島の上で日本がアメリカと起こした戦争がもたらしたことを知らぬまま、日本人とパラオ人は仲良くすばらしい町を一緒に作っていました、と胸を張るようなことは、戦後半世紀近くたって生まれた私にはできない」。

 そして、著者は、2014年8月15日に放送された「終戦記念スペシャルドラマ『命ある限り戦え、そして生き抜くんだ』(フジテレビ)」にも疑問を投げかける。ドラマは、「パラオが舞台であり、ペリリュー島の戦いが扱われていたが、この島民を移住させるシーンはやはり美談に沿って感動的な形で描かれていた。主役はもちろん日本の軍人であり、彼らが島民をいたぶったり、銃を向けたり、畑を奪うようなシーンは当然出てこない。パラオ人と日本人の友情だけが強調されていた」。

 著者は、つぎのようにつづけて述べている。「しかし、実際はパラオにおいてもそう単純なものではなかったことは澤地久枝の著作[『ベラウの生と死』講談社、1990年]を読むだけでもよくわかる」。「食うや食わずの森での生活が続く中、ニーナさんが心を痛めたのは、朝鮮人など南洋群島に築かれたヒエラルキーの底辺にいる人々の姿だった。骨と皮だけになって木の下で餓死する者もいた。」「「一番かわいそうだったのは、コリアン朝鮮の人。朝鮮、朝鮮、あれたちは(日本人が)いじめてやった。沖縄の人もかわいそうだった。日本人がいじめた。コリアの人はとってもかわいそうだった。日本語わからないから。インドネシアの人もいた。苦しかった」」。

 このような露骨な差別は、結婚した相手によってもおこなれた。「南洋アルミニウム鉱業株式会社(南洋アルミ)では、配偶者が日本女性の者しか正社員になれなかった。島民女性はもちろん、沖縄の女性でさえ認められなかったのだ」。その差別を、戦争中家族を失うなど辛い体験をして日本に引き揚げた者も体験することになった。「軍馬の兵舎のような所に二ケ月位いた。それから荷物を何日もかかって環野[宮崎県小林市]へ運びながら、笹に屋根、笹の壁の掘っ立て小屋を作った。皆と同じように、あらゆるものを食べながら、鍬一つで開墾をし甘薯、菜種、陸稲などを作るようになった」引揚者は、「引き揚げ前から住む周囲の人々の冷淡さ」にあった。「金がなく、分けてくれというのを断るならまだしも、金を出すのに売らないという」こともあった。「親しい間柄になりたくない、という意思表示とも言える」。

 「世界一の親日国」とか「ありがとう日本軍」のようなタイトルの本で紹介された話とは違うものが、本書にはある。著者は、このような話に「異議」を唱えるつもりはないという。このような話も事実であることは認めている。だが、著者は「一人の人間の確とした「内面」などというものは、描くことができない。本人でさえ、把握しきれないものを、他者が描くことはできない。そのことがわかっていたが、それでも、私は彼らの心の動きを知りたかった」。別のところでは、つぎのように説明している。「他者との会話の中から、その感覚を共有していくこと、思考と感覚の両輪で事実を捉えていくこと。難しいけれど、私が戦争とそこに生きた人々を描くために論文ではなくノンフィクション・エッセイのような形を選んだのは、論文では表現しにくい感覚の部分を常に自分に引き寄せておきたいからかもしれない」。

 その感覚を大事に社会をみることが必要だが、『原発労働者』(講談社現代新書、2015年)への批判のようなことが起こるかもしれない。「知らないほうがいいこともある」という論理を克服して、どう人びとに伝えていくか。ノンフィクション・エッセイストの腕の見せどころである。

→紀伊國屋ウェブストアで購入

2017年12月21日

『南洋と私』寺尾紗穂(リトルモア)

南洋と私 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 12月に入って、ブログの更新ができなくなった。公式には紀伊國屋書店「書評空間」の更新はなくなり、わたしが勝手に利用しているだけで、いままで利用できたことに感謝し、しかたがないと諦めた。自分自身のブログを新たに立ち上げようとしていたが、未練がましく、ときどき復活しているのではないかと期待してログインを試していたところ、今日(12月20日)ログインできた。いつまで利用できるかわからないが、続けようと思う。

     *     *     *

 角丸の写真が、ところどころにある。表紙は土方久功の画で、男女2人の島民が描かれ、上の2隅は角丸だ。角丸だと、なんとなく乙女チックで、のんびりした印象を受ける。「南洋は親日的」という作品だと思ったら、違っていた。

 著者、寺尾紗穂は、シンガーソングライターで、「映画、CMに楽曲を提供、ノンフィクションやエッセイなどの執筆の分野でも活躍中」。著書に「修士論文をもとにした『評伝 川島芳子』(文藝春秋新書)」、「全国の原発労働者を取材した『原発労働者』(講談社現代新書)」がある。

 著者は、本書執筆のきっかけを「あとがき」でつぎのように語っている。「この本を書こうと思った原点は「南洋は親日的」という言説に覚えた違和感にある。四人のチャモロの老人たちにとっての日本は実に様々だった。ことに深く日本人と付き合ったブランコさんの証言は、サイパンのアメリカと日本の狭間に翻弄された歴史に言及し、「大東亜共栄圏」の欺瞞をついており、今なお日本人に問いかける力を持っている。戦後日本では殆ど顧みられることのなかったことだが、サイパン戦で傷つき、愛する者を殺された島民たちの対日感情も一様でないことを忘れてはならないだろう」。

 「サイパンに生きた人たち、生きる人たち、戦争で死んだ人たち、その人たちを忘れえない人たち。様々な人の話を聞きたかった。少しでも立体的な「南洋の東京・彩帆」が見たかった」。「実際サイパンには内地人以外にも八丈人、沖縄人、朝鮮人という多様な人々が入り込んでいる場所だった。サイパンの製糖事業は八丈、沖縄という南島の人々が支えていたと言っても過言では」ない。

 本書を、著者はつぎのように位置づけている。「本書はいうなればノンフィクション・エッセイとでも言うようなものであり、学術書ではないが、シルリの言葉[「歴史家の見方を当時の人々に押し付けるのではなく、彼らに語らせることだ」]には共感する。証言者がいなくなりつつある現在、重要なのはひたすら生きた声を拾い続けること、そこから歴史的な空間をたちあげてみることだ」。

 本書は、リサーチガイドでもある。どこの図書館、博物館に行けば、どのような資料があり、展示があり、そして老人ホームに行けばインタビュー調査もでき、日本に帰れば、どのようにして関係者を捜すことができるのかがわかる。プライベートなことも、ときどき垣間見ることができる。

 ノンフィクション・エッセイを楽しむ小道具が、角丸写真だ。その角丸は、いまやコンピュータで簡単に作れる。

 本書の続編、パラオ篇『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』(集英社、2017年)も出版された。

 音楽では、どういうメッセージを発しているのか、聞きたくなった。

→紀伊國屋ウェブストアで購入