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2017年11月14日

『平成の天皇制とは何か 制度と個人のはざまで』吉田裕・瀬畑源・河西秀哉編(岩波書店)

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 2016年8月8日、天皇は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」で退位の意思を国民に伝え、日本国憲法で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされていることから、「国民の理解を得られることを、切に願っています」と結んだ。天皇は、「憲法制定過程において明確な定義を与えられなかった「象徴」のあり方」を問いつづけ、たどりついた先が「平成流」だった。本書のキーワードは、「象徴」と「平成流」だ。

 本書は、はじめに「象徴天皇制とは何か-制度と個人のはざまで」、3部、全9章、<座談会>「「平成」の終焉と天皇制の行方」からなる。Ⅰ部「明仁天皇と美智子皇后-思想と行動」は、2章「明仁天皇論-近代君主制と「伝統」の融合」「美智子皇后論-そのイメージと思想・行動」からなる。Ⅰ部では、「皇太子・皇太子妃時代から「象徴」の内実を問い、そのあり方を自ら模索した。そして、「象徴」としての天皇像を作りあげようとする。彼らは何を思い、どのように行動した」かを述べる。

 Ⅱ部「「平成流」とは何か-新しい天皇制の模索と定着」は、4章「柔らかな「統合」の形-公的行為の拡大と弱者へのまなざし」「「皇室外交」とは何か-「象徴」と「元首」」「「平成流」平和主義の歴史的・政治的文脈」「宮中祭祀と「平成流」-「おことば」とそれに映る天皇像」からなる。「Ⅱ部の各論文では、それぞれのテーマにそって「平成流」を分析し、平成の天皇制を総体的に考える手がかりとする」ために、「即位後も明仁天皇・美智子皇后はそれまでの「象徴」としての模索を続け、それが「平成流」としてマスメディアで大きく取りあげられるようになり、人々にも印象づけられるようになった」過程を追った。そして、「天皇による「象徴」としての模索とは具体的にどのようなもの」か、「「平成流」と大枠でイメージされるものを詳細に分析」し、「それぞれのもつ意味を理解」していった。

 Ⅲ部「社会の中の天皇制 制度の中の天皇制」は、3章「メディア天皇制論-「物語」としての皇室報道」「近年の天皇論議の歪みと皇室典範の再検討」「「象徴」とは何か-憲法学の観点から」からなり、「戦後日本のなかでの象徴天皇制の意味を、マスメディアや憲法学・法律学から考える」。

 そして、本書の目的を、つぎのようにまとめている。「象徴天皇制がいかに制度として運用され現在に至っているのか、またその内実を模索し続けてきた天皇や皇后個人の思想や行動に注目し、平成の天皇制とは何かを明らかにしていく。それぞれの論文によって、象徴天皇制が現代の日本社会に持つ意味が浮かびあがるだろう」。

 そして、「はじめに」をつぎのパラグラフで終えている。「現在、明仁天皇と美智子皇后の人格と、「平成流」の天皇制が人々の支持を得ている。だからこそ、天皇の「お気持ち」表明後、退位を支持する声が大きいのだろう。しかし一方で、天皇や皇后、そして「平成流」への批判は表明しづらい空気が広がってはいないだろうか(マスメディアを見れば、むしろ称揚する雰囲気に満ちている)。それは、象徴天皇制に対して私たちが正面から向き合うことを避けていることに起因するようにも思われる。象徴天皇制を問うことについて、私たちは思考停止しているのではないだろうか。しかしそれでは、「象徴」について議論を重ねずに、退位を前提とした技術論に終始した政府の有識者会議と何ら変わりない。本書はそうした現状に対し、今後の象徴天皇制を考える手がかり、またそもそも日本社会にとっての天皇制とは何なのかを考える議論のたたき台となるような論考を収録している。それぞれの論文では見解の相違もあるが、その違いを越えて、本書をきっかけに、象徴天皇制に関する議論が進展することを期待したい」。

 天皇制を原発と似ていると言ったら、まずいだろうか。原発のいい点を述べれば、その必要性に納得するだろう。しかし、事故が起こるリスクを考えたら、すべてのいい点をいくらあげても、次元の違う話だということがわかるだろう。天皇制も、戦争を天皇の名においておこなったことを考えると、そのリスクもまた次元の違う話になる。だからこそ、戦争の後始末が天皇制の存続にとって最重要課題のひとつであるとの認識が、戦争の責任を背負って生まれた現天皇にはあるのだろう。国民は、そのリスクを感じながらも、原発事故と同様に自分が生きているあいだには起こらないことを自分自身に言い聞かせ納得させて、数々のいい点だけを享受しようとしている。天皇制や原発事故にたいするリスクは、大津波や火山の爆発のような自然災害ではなく、確実に人間の手で回避することができる。まずは、「思考停止」している原因を探り、「思考停止」から解放されなければならないだろう。

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2017年11月07日

『知られざる皇室外交』西川恵(角川新書)

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 2017年10月30日の「朝日新聞」朝刊1面に、数年前に天皇は1992年の中国訪問を「よかった」と振り返っていたことを明らかにした記事が掲載された。禁じられているはずの天皇の政治的利用のもっとも悪しき例として批判されることもあることを、天皇自身が「よかった」という感想をもっていたのである。

 本書で著者が何度も繰り返して述べてきたことを、「おわりに」の冒頭でつぎのように念押ししている。「皇室外交という言葉に、宮内庁は「皇室には外交はありません」と言うだろう。確かに天皇は政治には関わらない。しかし本文でも触れたが、日本の国益や、政治、外交の脈略からまったく遊離した両陛下の外国訪問はあり得ないし、外国の賓客を日本に迎えた場合も、皇室と政府は巧みな補完関係と役割分担でもって賓客をもてなす」。

 「はじめに」で、著者、西川恵は日本と外国の報道の違いを、つぎのように説明している。「日本では、天皇、皇后の外国訪問は政治や外交とは無関係の国際親善であると説明される。日本のメディアも、両陛下の誠実なお人柄がいかに訪問国の人びとを魅了したか、感銘を与えたか、という〝お人柄報道〟に多くを割く」。「日本では両陛下の外国訪問や、外国の賓客を迎えた宮中晩餐会の話は、新聞の社会面に掲載される。しかし外国では政治面で扱われる。この一事に、皇室外交をどういう文脈で見ているか、日本と外国の違いが如実に表れている」。

 本書の目的は、つぎのようにまとめられている。「断片的にしか伝えられない皇室外交だが、足を踏み入れるとそこには人間味溢れる感情の交流とやり取りがあり、彩り豊かな人間模様が広がっている。またそういうものが国と国の関係や、国際社会を動かしているのも、これまた事実なのである」。「皇室外交とは何なのか、またそれが果たしてきた役割を知ってもらうために、これからその深層に分け入って行きたいと思う」。

 本書は、はじめに、全7章、おわりに、からなる。第1章「宮中晩餐会では「だれに対しても最高のものを」がルール」で、「フランス料理にフランスワインを正餐と位置づける宮内庁」の「ルール」が語られた後、第2~5章でヨーロッパでの「国際親善」の逸話が語られている。第2章「昭和と平成、皇室2代にわたるミッテランとの友好」、第4章「美智子妃とヴァレリーさんの頬ずり フランス3代の大統領と皇室」でフランス大統領との「お人柄」交流が語られているが、第3章と第5章は第6章へと続く内容になっている。

 第3章「皇室外交の要としてのおことば オランダの反日感情を融和した両陛下」、第5章「英王室と皇室の長く深い縁 戦中、戦後の怨讐を超えて」で、戦後「皇室外交」の目的のひとつが、戦争で敵国となった国ぐにの反日感情を和らげることにあることがわかる。その延長線上として、第6章「終わりなき「慰霊の旅」 サイパン、パラオ、フィリピン」があると考えることができる。著者は、第6章の最後の見出し「慰霊の旅はなぜ続くのか」にたいして、つぎのように答えている。「天皇、皇后の慰霊が、往々にして政治や外交的な儀礼を超えた哲学や宗教の次元にあるように思えるのは、自らもその責めを生涯引き受けるというその姿勢からではないか」。また、別のところで、つぎのように説明している。「天皇は父・昭和天皇の名前で始められた戦争の責任の重荷を生まれながらに背負い、戦争によってこじれた関係を生涯かけて立て直そうと献身しておられる」。

 最後の章、第7章「国際政治に寄せる両陛下の関心 歌に込められたその思い」では、「なぜ国際政治への関心が高い?」にたいして、「そこには日本の国益への考慮、政治・外交的計算が入っている」からであると、著者は答えている。ということは、われわれ国民は、「お人柄報道」に惑わされることなく、皇室の言動に注意を払い、「国益」との関係を考えなければならないということになる。

 そして、「おわりに」には、つぎのような特徴があると述べている。「大統領や首相らの首脳外交はもちろん、欧州各国の王室が繰り広げる王室外交とも違う。パフォーマンスもハッタリもなく、あるのは天皇、皇后の人間力とでも言うべきものだが、その静かで、ジワリと影響力を浸透させる皇室外交に、日本では語られない新しい側面を見出した」。「パフォーマンスもハッタリもなく」と書かれているが、本書で充分天皇の「パフォーマンス」を楽しむことができたような気がした。

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