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2017年10月10日

『皇室外交とアジア』佐藤考一(平凡社新書)

皇室外交とアジア →紀伊國屋ウェブストアで購入

 アジア太平洋戦争で戦場にされ、多くの犠牲者を出し、日常生活が破壊された国や地域の人びとにとって、天皇はその諸悪の根源と思われても仕方がないにもかかわらず、天皇や天皇制にたいして憎悪をむき出しにするような人はあまりみない。なぜなのか、その一端が本書からわかる。

 本書は、全6章からなる。第1章「宮内庁の戦略と皇室外交」第6章「皇室外交とアジア」以外の4章(第2章「明仁皇太子の東南アジア諸国訪問」第3章「昭和天皇崩御:アジアの新聞報道」第4章「明仁天皇のアジア諸国訪問」第5章「徳仁皇太子・文仁親王のアジア諸国訪問」)は、時系列に並んでいる。第1章の「戦略」によって、皇室は戦後も生き延びることになる。第1の「戦略」は、巡幸だったことを、つぎのように説明している。「戦後の巡幸は、「見える天皇」を示すという意味では目新しいものではなかったが、戦災に打ちひしがれた国民を直接励ましたいという昭和天皇自身の発案と共に、軍国主義から民主主義へという国家の体制の転換に伴う、現人神(神格者)から国民統合の象徴への天皇の地位の変化の中で、天皇制の再編とその浸透を狙う宮内庁の戦略の第一段階と位置付けることが可能であろう」。

 第二段階は、「将来の天皇である明仁皇太子に目を向ける。その一つが、一九五九年の明仁皇太子と美智子妃との結婚であった。皇太子と平民出身の美智子妃の結婚は、当初は皇太子妃は旧皇族・華族からとの考えもあり、必ずしも初めから宮内庁側が仕掛けたものとはいいがたい側面もあったようだが、明仁皇太子の強い意向もあり、結果的にミッチー・ブームを呼び、天皇制への国民の「大衆的同意」を取り付けることに成功した」。

 では、戦争に巻き込まれた東南アジア諸国は、どうだったのだろうか。「明仁皇太子夫妻は、一九六二年(昭和三七年)一月末にパキスタン経由でインドネシアを、また同年一一月にフィリピン、一九六四年一二月にタイ、一九七〇年二月にマレーシア・シンガポールを訪問した」。そして、著者は「皇太子として明仁親王が行った皇室外交の東アジアでの第一歩は成功したといってよい」と結論し、「歓迎の要因」をつぎのようにまとめている。「全体的に見て東南アジア諸国との問題は日本とその国の間、その国の日本人にあると認識し、「できるだけ多くの人に会いたい」と努力した皇太子の飾らない態度と、美智子妃の美貌と機転、そして、通訳抜きで英語で会話しようとした夫婦の率直さは、東南アジア諸国の人々に歓迎される要因となった。軍服姿のイメージの昭和天皇と違って、戦争に手を染めていない皇太子夫妻が、彼等に戦時中の問題を想起させなかったことも受け入れられた理由の一つであろう。また、親日国タイは別として、スカルノ時代のインドネシアは、外交関係でパイプが太かった西側の先進国が日本だけだったこと、フィリピンの支配層には対日協力者(第三章で後述)も多く、さらに当時のマカパガル政権は安定しており、反日的な動きが反体制的な政治闘争と連動して表面化することがなかったこと、マレーシア・シンガポールでは政府側の日本との経済協力への期待と共に、国内のエスニックな緊張関係が逆に反日的な動きを抑制させる原因になったことなどが、相手国側の歓迎ムード作りを促進したといえよう」。

 最終章である第6章「皇室外交とアジア」では、「皇室外交の意義」をつぎの3点にまとめている。「第一に皇族、王族がいたり、国家元首と首相が分かれていたりする国に対しては、天皇が会見したり、相互に訪問することで外交儀礼上のバランスがとれる利点があるし、二国間関係で経済や安全保障をめぐる交渉が難航していて政治指導者同士が会うと懸案の問題が浮上してしまい、国際親善や友好関係を深めることが難しい場合、皇室外交にはそうした政治的懸案にとらわれないで国際親善の実が上がる効果が期待できる」。「第二に、皇室外交は天皇を中心とした皇族の国際親善を通じて、相手国の様々な文化要素を日本に伝え、また日本の文化要素を相手国に伝える文化交流の担い手としての意義がある」。「第三に、これからの皇室外交には天皇や皇族が日本人を代表して「アジアのすべての戦没者の慰霊と世界の平和のために祈る」姿勢を示す意義が出てくる可能性がある」。

 そして、最後に「アジア諸国との協調」の見出しの下、つぎのような課題が、すでに10年前にこの本が出版されたときにあったことを述べている。「昭和天皇崩御から明仁新天皇のアジア諸国訪問にかけての時期は、まだ日本の経済力に対する東アジア諸国の期待が高かった時期であったので、皇室外交のソフト・パワーも非常に大きな効果を発揮した。天皇が「大使百人分の働き」をしたと評価した所以である」。「自由貿易協定などで台頭する中国に対して、貿易・投資額などでいまだに抜かれたわけではないとはいえ、日本の経済力が低迷気味であると考える東アジア諸国の政府は多い」。

 2010年にGDPで中国に抜かれた後、あっという間に2倍から3倍になろうとしている今日、本書を結んでいるつぎのことばは、さらに気を引き締めて受けとらなければならないだろう。「日本人が、皇室外交というソフト・パワーの源泉を活かすためには、まず我々自身が奮起して自らの経済力の回復を図り、さらにアジア諸国にとってより魅力のある国になれるように努力することが必要である」。「そのためには、もっと隣人たちの価値観やものの考え方も知らねばなるまい。学校教育でも社会教育でも、すでに使い古されたように見える、国際化、異文化理解という言葉の重みは、歴史認識の問題と共に、再度強調される必要がある」。

 今日、「自らの経済力の回復を図る」より「アジア諸国にとってより魅力のある国になる」ことのほうが重要になっている。皇室外交の位置づけを決めるのは国民である、という意識をわれわれはもっともつべきだろう。

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