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2017年10月17日

『トラクターの世界史-人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』藤原辰史(中公新書)

トラクターの世界史-人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「数千年不変のパターンが崩れ、農作業の風景が劇的に変わったのは、ようやくここ一〇〇年のことにすぎない」。「この変革の担い手こそ、トラクターである」。

 「トラクターとは何か」、著者、藤原辰史は第1章「誕生-革新主義時代のなかで」の冒頭で、つぎの4つの特徴をあげている。「物を牽引する車のことである」トラクターは、「第一に、土壌と接する部分に車輪もしくは履帯[キャタピラー]を用いること」「第二に、トラクターは、乗用型、歩行型、無人型の三種類に分類されること」「第三に、動力源をさまざまな作業に容易に接続できること」「第四に、動力源が筋肉ではなく、あるいは風力や水力や蒸気機関でもなく、内燃機関である、ということ」。「以上四点を総合すると、トラクターは、車輪か履帯のついた、内燃機関の力で物を牽引したり、別の農作業の動力源になったりする、乗車型、歩行型、または無人型の機械と言うことができ」、「生きものではない」ということである。

 その「生きものではない」ということ、「家畜と何が違うのか」について、著者はつぎの5点にまとめている。「第一に、トラクターは疲れないが故障をする」「第二に、飼料を与える必要がないが燃料を補給する必要がある」「第三に、排泄物は排気ガスだけであり、それを肥料として用いることができない」「第四に、重いゆえに土壌圧縮をもたらす」「圧縮は土壌を劣化させる」「第五に、乗ることができる、ただし、怪我をしやすく健康に及ぼす危険も少なくない」。これらの特徴をまとめると、「自動車や携帯電話などと同様に、手放したくない便利さを存分にもたらしてくれる一方で、使い手に不利益をもたらす面もある」ということになる。

 本書は、全5章と終章からなる。第2章「トラクター王国アメリカ-量産体制の確立」第3章「革命と戦争の牽引-ソ独英での展開」第4章「冷戦時代の飛躍と限界-各国の諸相」で、発明し民間主導で普及したアメリカ、国家主導で普及させたソ連、ナチス・ドイツ、中国、そして世界各地に普及したことを説明し、日本も例外ではないことを第5章「日本のトラクター-後進国から先進国へ」で語って、「トラクターがそれぞれの地域にもたらした政治的、文化的、経済的、生態的側面について考察し、二〇世紀という時代の一側面を、ただし、けっして見逃すことができない重要な側面を追っていく」。

 そして、著者はトラクターの歴史を語ることの今日的意義を、つぎのように「まえがき」の最後で強調している。「無人型トラクターの研究が進み、農業の自動化、「スマート化」が叫ばれる二一世紀のいま、人間が機械を通じて自然界や人間界とどうつきあっていくかを考える不可欠の作業なのである」。  著者は、終章「機械が変えた歴史の土壌」で、つぎの4つの問題について考えている。「第一に、トラクターは、その蒸気機関の誕生以来の夢、すなわち、二〇世紀の農民を辛い労働から解放することができたのか。トラクターは人間を自由にしたと言えるのか」「第二に、トラクターは、二〇世紀の政治にどうかかわったのか」「第三に、トラクターの開発、使用のために費やされたコストは、農業の発展によって十分に支払われたのか否か」「第四に、トラクターは今後、どのような展開を遂げるのか」。

 第一の問い「人間を自由にしたか」にたいして、著者は「いろいろな自由を人間にもたらした」ことは否定しようがない、としたうえで、「それだけではない。農民たちに新たな縛りを与え」たと結論した。「人間がトラクターを支配するだけでなく、トラクターに支配された面」があることを3点あげている。「第一に、女性に自由を与えることができたのか」という問いにたいして、「トラクターはやはり男のものでありつづけた」と答えている。第二に、「農家の人たちの生活や心にもゆとりが生まれ」たかという問いにたいしては、「「機械化貧乏」という日本で用いられた言葉が示しているように、借金から逃れられなく」なり、余暇が消えてしまった場合があると答えている。第三に、「「ダストボウル」などのアメリカの土壌浸食や土壌劣化を生み出したトラクターと化学肥料のパッケージは、そのまま戦後はアフリカに輸出され」、「根本的な解決にはいたらない」と述べている。

 第二の問い「二〇世紀の政治との関係」では、「トラクター自体が政治を動かしたというよりも、トラクターが提示する大規模農業への夢が政治を動かした、というほうがより正しい説明の仕方であろう」と答えている。

 第三の問い「トラクターの社会的費用」は、「環境破壊、石油の採掘、事故の多発、運転手への健康の影響などを考えると」、「相当大きいといわざるを得ない」と結論し、さらにつぎのように説明している。「トラクターは戦車にもなる。この技術転用は誰にも止められない。止められない以上、戦争による人間と自然の徹底的な破壊もまた、トラクターの社会的費用の無視できない部分である」。

 そして、第四の問い「トラクターの今後」にたいしては、「スマート農業」で「トラクターがロボット」になっても、「夢が本当に実現したい夢なのかどうかは、いまなお検討に値する」とし、つぎの文章で終章を終えている。「地域の自然と、地域の社会に柔らかくフィットするような生物と機械の付き合い方を探っていくと、おのずから、暮らしの共有という視点に向かうはずである」。

 わたしにとっては、トラクターより「ユンボ」(油圧ショベル)のほうが印象に残っている。ダム建設で故郷を追われ、岩がごろごろ出てくる桑畑を牧草地にかえるためには、トラクターでは間に合わなかった。耕す前に、やることはいくらでもある。いっぽう、都会のマンション暮らしになると、ベランダでの闘いに明け暮れる。ちょっと油断をすると鳩やカラスが砂浴びをする、ダニやアブラムシがびっしりついている。土の中には、立派なイモムシがいたりする。著者のいう「地域の自然と、地域の社会に柔らかくフィットするような生物と機械の付き合い方を探っていくと、おのずから、暮らしの共有という視点に向かうはずである」を理解するためには、まず「地域の自然と、地域の社会」とふれあう必要がある。そのふれあいを、著者が半月後に出版した『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書、2017年10月11日)で語っている。

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2017年10月10日

『皇室外交とアジア』佐藤考一(平凡社新書)

皇室外交とアジア →紀伊國屋ウェブストアで購入

 アジア太平洋戦争で戦場にされ、多くの犠牲者を出し、日常生活が破壊された国や地域の人びとにとって、天皇はその諸悪の根源と思われても仕方がないにもかかわらず、天皇や天皇制にたいして憎悪をむき出しにするような人はあまりみない。なぜなのか、その一端が本書からわかる。

 本書は、全6章からなる。第1章「宮内庁の戦略と皇室外交」第6章「皇室外交とアジア」以外の4章(第2章「明仁皇太子の東南アジア諸国訪問」第3章「昭和天皇崩御:アジアの新聞報道」第4章「明仁天皇のアジア諸国訪問」第5章「徳仁皇太子・文仁親王のアジア諸国訪問」)は、時系列に並んでいる。第1章の「戦略」によって、皇室は戦後も生き延びることになる。第1の「戦略」は、巡幸だったことを、つぎのように説明している。「戦後の巡幸は、「見える天皇」を示すという意味では目新しいものではなかったが、戦災に打ちひしがれた国民を直接励ましたいという昭和天皇自身の発案と共に、軍国主義から民主主義へという国家の体制の転換に伴う、現人神(神格者)から国民統合の象徴への天皇の地位の変化の中で、天皇制の再編とその浸透を狙う宮内庁の戦略の第一段階と位置付けることが可能であろう」。

 第二段階は、「将来の天皇である明仁皇太子に目を向ける。その一つが、一九五九年の明仁皇太子と美智子妃との結婚であった。皇太子と平民出身の美智子妃の結婚は、当初は皇太子妃は旧皇族・華族からとの考えもあり、必ずしも初めから宮内庁側が仕掛けたものとはいいがたい側面もあったようだが、明仁皇太子の強い意向もあり、結果的にミッチー・ブームを呼び、天皇制への国民の「大衆的同意」を取り付けることに成功した」。

 では、戦争に巻き込まれた東南アジア諸国は、どうだったのだろうか。「明仁皇太子夫妻は、一九六二年(昭和三七年)一月末にパキスタン経由でインドネシアを、また同年一一月にフィリピン、一九六四年一二月にタイ、一九七〇年二月にマレーシア・シンガポールを訪問した」。そして、著者は「皇太子として明仁親王が行った皇室外交の東アジアでの第一歩は成功したといってよい」と結論し、「歓迎の要因」をつぎのようにまとめている。「全体的に見て東南アジア諸国との問題は日本とその国の間、その国の日本人にあると認識し、「できるだけ多くの人に会いたい」と努力した皇太子の飾らない態度と、美智子妃の美貌と機転、そして、通訳抜きで英語で会話しようとした夫婦の率直さは、東南アジア諸国の人々に歓迎される要因となった。軍服姿のイメージの昭和天皇と違って、戦争に手を染めていない皇太子夫妻が、彼等に戦時中の問題を想起させなかったことも受け入れられた理由の一つであろう。また、親日国タイは別として、スカルノ時代のインドネシアは、外交関係でパイプが太かった西側の先進国が日本だけだったこと、フィリピンの支配層には対日協力者(第三章で後述)も多く、さらに当時のマカパガル政権は安定しており、反日的な動きが反体制的な政治闘争と連動して表面化することがなかったこと、マレーシア・シンガポールでは政府側の日本との経済協力への期待と共に、国内のエスニックな緊張関係が逆に反日的な動きを抑制させる原因になったことなどが、相手国側の歓迎ムード作りを促進したといえよう」。

 最終章である第6章「皇室外交とアジア」では、「皇室外交の意義」をつぎの3点にまとめている。「第一に皇族、王族がいたり、国家元首と首相が分かれていたりする国に対しては、天皇が会見したり、相互に訪問することで外交儀礼上のバランスがとれる利点があるし、二国間関係で経済や安全保障をめぐる交渉が難航していて政治指導者同士が会うと懸案の問題が浮上してしまい、国際親善や友好関係を深めることが難しい場合、皇室外交にはそうした政治的懸案にとらわれないで国際親善の実が上がる効果が期待できる」。「第二に、皇室外交は天皇を中心とした皇族の国際親善を通じて、相手国の様々な文化要素を日本に伝え、また日本の文化要素を相手国に伝える文化交流の担い手としての意義がある」。「第三に、これからの皇室外交には天皇や皇族が日本人を代表して「アジアのすべての戦没者の慰霊と世界の平和のために祈る」姿勢を示す意義が出てくる可能性がある」。

 そして、最後に「アジア諸国との協調」の見出しの下、つぎのような課題が、すでに10年前にこの本が出版されたときにあったことを述べている。「昭和天皇崩御から明仁新天皇のアジア諸国訪問にかけての時期は、まだ日本の経済力に対する東アジア諸国の期待が高かった時期であったので、皇室外交のソフト・パワーも非常に大きな効果を発揮した。天皇が「大使百人分の働き」をしたと評価した所以である」。「自由貿易協定などで台頭する中国に対して、貿易・投資額などでいまだに抜かれたわけではないとはいえ、日本の経済力が低迷気味であると考える東アジア諸国の政府は多い」。

 2010年にGDPで中国に抜かれた後、あっという間に2倍から3倍になろうとしている今日、本書を結んでいるつぎのことばは、さらに気を引き締めて受けとらなければならないだろう。「日本人が、皇室外交というソフト・パワーの源泉を活かすためには、まず我々自身が奮起して自らの経済力の回復を図り、さらにアジア諸国にとってより魅力のある国になれるように努力することが必要である」。「そのためには、もっと隣人たちの価値観やものの考え方も知らねばなるまい。学校教育でも社会教育でも、すでに使い古されたように見える、国際化、異文化理解という言葉の重みは、歴史認識の問題と共に、再度強調される必要がある」。

 今日、「自らの経済力の回復を図る」より「アジア諸国にとってより魅力のある国になる」ことのほうが重要になっている。皇室外交の位置づけを決めるのは国民である、という意識をわれわれはもっともつべきだろう。

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2017年10月03日

『東南アジア地域研究入門 3政治』山本信人監修・編著(慶應義塾大学出版部)

東南アジア地域研究入門 3政治 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 東南アジア地域研究は、「アメリカで産声をあげ、70年あまりの時が経った。日本でも1960年代から、東南アジア地域研究専門の研究機関が創設され、大学での研究・教育の一環として制度化されたため、半世紀以上の歴史をもつ」。「研究領域としての市民権を獲得している」が、「東南アジア地域研究は確立された学問領域(ディシプリン)かと問われると、いささか心もとない。むしろ東南アジア地域研究の独自の理論体系は見当たらないし、東南アジア地域研究としての普遍的な理論体系は存在しない」という。本書を読めば、「東南アジア地域研究はどこからきて、どこへ行くのか」わかるというのか?

 3巻本の本シリーズの監修者の山本信人は、その特徴をつぎのように説明している。「東南アジア地域研究は学際的であるということもあるが、まさにそれが東南アジア地域研究の特徴であり、それの抱える課題でもある」。「研究者は特定の学問領域を習得し、その理論や方法論を駆使しながら「東南アジア地域」に対峙する。東南アジア地域研究が学問領域ではないために、東南アジア地域を題材として、そこにある特徴や課題を掘り起こして、理解し分析し解釈する。そのために東南アジア地域研究は、時代ごとにあるいは課題ごとに変容を遂げてきている。そこから東南アジア地域研究的な研究の作法や課題設定も生まれてきた」。

 その東南アジア地域研究の日本での研究は、「世界的な水準を誇っている」が、これまで刊行されたシリーズには、「決定的な共通点があった。いずれの場合も当時の日本での東南アジア研究の到達点を提示すること、あるいは執筆者の考える研究の最前線を紹介することに主眼が置かれていたために、東南アジア地域研究の研究史あるいは学説史という観点が欠如していたことである」。

 「そこで本シリーズでは、これまでとは異なる視点から東南アジア地域研究を紹介する。すなわち、東南アジア地域研究の見取り図の提示である。いかなる研究も、現実の政治・社会・経済状況やその構造、学問領域での時々の支配的なあるいは流行の理論から自由ではない。特定の時代に生まれた研究は時代的な拘束を受ける。このような当たり前の研究の奇跡を位置づけることで、現在の研究がいかに現在的であり、先進的あるいは独創的であるかもわかる」。

 本シリーズが、これまでのものと大きく違うところは、それぞれ論考の巻末の「引用・参考文献」である。基本的な日本語文献に、それをはるか上まわる英語文献が並べられている。なかには、英語文献のみのものもある。その英語文献には、日本人が書いたものも含まれている。このことは、東南アジア地域研究が社会科学を基本に英語で議論する分野になったことを示している。「日本の東南アジア地域研究は世界的水準を誇っている」が、英語で発表していないために、世界的にはあまり知られていないというこれまでのシリーズの時代とは明らかに違う。

 日本人東南アジア地域研究者は、おもな英語文献の理解のうえに、日本人研究者の「世界水準を誇っている」ものを読むことができるのだから、鬼に金棒である、と喜んでいいのかという疑問が出てくる。これまでは日本人も東南アジア出身の研究者も、アメリカやオーストラリアなどで博士号を取得した者が、東南アジア地域研究をリードしてきた。しかし、東南アジアの大学でも英語教育がさかんになってきている今日、「土着」の研究者を含むさまざまなバックグラウンドをもつ者がリードするようになるだろう。そのとき、「東南アジア地域研究は学問領域ではない」ために、変わってくるものがあるのだろうか。外国語(英語)で自分の国や社会を学び・研究することで、客観性は出てくるだろう。だが、果たして主体性は維持できるのだろうか。ASEAN社会文化共同体の成立によってASEAN学が発展し、ASEAN共通の学風が生まれ、育つのだろうか。

 これまでのシリーズは、日本人を読者として想定してきた。本シリーズは、日本人だけでなく、外国人にも通用する内容になっている。東南アジア地域研究がコスモポリタンな学問領域になり、平準化が進むと、東南アジア地域研究の特色である「東南アジア地域を題材として、そこにある特徴や課題を掘り起こして、理解し分析し解釈する」おもしろさが薄らいでくるような気がする。まさに「東南アジア地域研究はどこへ行くのか」を考えさせられる入門書になっている。

 これまでにない研究史・学説史で、頭のなかが整理できて役に立った。監修者、各巻の編集者、各執筆者にお礼を申しあげる。

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