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2017年09月12日

『入門 東南アジア近現代史』岩崎育夫(講談社現代新書)

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 このような概説書を読むとき、まず著者の経歴をみる。概説だからといって、なんでもかんでも書いているわけではないし、紙幅の関係で書けるわけがなく、当然、著者が重要だと思うこと、関心が深いことに限定して書くことになる。学ぶ視点から著者目線で読むためには、著者自身を知ることからはじめなければならない。

 幸い、本書には著者略歴といった素っ気ないものだけでなく、著者が「あとがき」のはじめに、つぎのような自己紹介をしてくれている。「筆者のアジア研究はシンガポールからはじまり、その後、関心が東南アジアやアジアにも広がったものである。前の職場のアジア経済研究所で一九九〇年代に、先輩や同僚研究者と一緒に、東南アジア諸国やアジア諸国の政党政治、開発体制、官僚制、民主主義、市民社会、華人企業、ガバナンスなどをテーマにした研究会に参加する機会があり、東南アジアについて勉強するよい機会となった。その後も、ひきつづき自分なりに勉強したが、政治が中心だったし、断片的知識を得たにとどまり、東南アジアについて一つの全体的なイメージを持つには至らなかった」。本書の「執筆では、アジア経済研究所時代の共同研究の成果、それに、一九九九年からの新しい職場、拓殖大学の国際学部や大学院で担当した授業の一つ、東南アジア講義のために作成したレジュメを基礎にし、地域機構ASEANや東南アジアの最新の動きなどを調べて、何とか書き上げた」。

 著者は、序章「東南アジアの土着国家」で、東南アジア社会の特徴をつぎのようにまとめている。「東南アジアはいくつもの中・小規模社会に分節していることが特徴の一つであり」、「東南アジア各地で自生的、自律的に土着国家が誕生したとはいえ、外部世界の高度な思想体系を持った宗教文化や政治システムが伝わると、それを受容する受け手の地域だったのである。極端な言い方をすれば」、「ASEANを通じて東南アジアが自らの存在をアジアや世界に発信するようになるまで、これが、東南アジアと他の地域との関係の基調だったのである」。

 欧米の植民地となった東南アジアは、独立にさいしてつぎのような特徴があった。「重要なのは」、「マレーシアとミャンマーの独立指導者が、植民地化前の単一民族型社会ではなく、植民地時代にできあがった多民族型社会を現代国家の単位や領域にしたことである。これを一因に、多くの国で独立後、分離独立運動や民族紛争が発生する」。

 その東南アジア諸国が、ASEANとしてのまとまりをみせたのは、つぎのような理由があったからである。「一九七五年にアメリカがベトナムから撤退して、インドシナ三ヵ国で社会主義国が誕生すると、ASEAN加盟国、とりわけタイが安全保障が脅かされるとの危機意識を持った。しかし、ベトナムに軍事的に対抗するのではなく、経済開発を進めて経済社会を強化することが、共産主義勢力に対する最大の対抗策であると考え、五ヵ国が協力して経済開発を進めることにした」。

 しかし、政府資金にも民間資金にも欠けていた東南アジア諸国は、「先進国の政府開発援助(ODA)、世界銀行や商業銀行などからの借り入れ、それに、民間直接投資の三つを開発資金とした」。「一九六〇年代末になると、国内市場が小さく輸入代替型開発が適さないアジアの韓国、台湾、香港、シンガポールの四ヵ国・地域が、他の発展途上国に先駆けて輸出指向型に転換し、一九七〇年代末に目覚ましい経済成長を遂げた。これを受けて、それまで輸入代替型を採用していた東南アジアの自由主義国(インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン)も、一九八〇年代に輸出指向型に転換したのである」。そのようななかで、東南アジア諸国の経済開発に、大きな役割を果たしたのが日本で、「一九七〇年代にはじまった政府開発援助、一九八〇年代に本格化した民間直接投資」が増加した。

 そして、「東南アジア諸国が、アジアや世界のなかで生き残り発展するために」、つぎのことが大前提となる、と著者は述べている。「地域諸国が多様であることを認め、各国の固有性を維持しながら、結束することである。言ってみれば、東南アジアが多様性、ASEANが統一(協調)のシンボルなのである」。

 そして、最後に「東南アジアを学ぶということ」の意味を2つ指摘している。「一つは、世界の国々の政治や経済や社会が多様な有り様がわかることである。一例を挙げると、現在、世界の政治は民主主義がグローバル・スタンダードになっており」、「東南アジア諸国も民主主義体制の創出と安定化に苦闘している。しかし、民主主義と言ってもそれは、世界のすべての国で同じ内容のものとして理解されているのではなく、「タイ式民主主義」が語るように、東南アジア諸国は自国の歴史文化と整合する民主主義を唱えている。東南アジアをみると、民主主義の中味や有り様が国によって「多様」であることがわかるのである」。

 「もう一つは、世界の中規模国や小国の「こころ」がわかることである。現在、アジアを動かしている大国が中国、インド、日本であること、そして、世界を動かしている大国がアメリカやロシア、フランスやイギリスやドイツなどヨーロッパの国であることに異論はないと思われる」。しかし、「国の数でいえば、大国よりも、中規模国や小国のほうがはるかに多い。東南アジアもその一つの地域であることから、東南アジアをみることは、中規模国や小国が世界をどのようにみているのか、自国がどのようになりたいと考えているのか、その「こころ」を知るよい手掛かりを与えてくれるのである」。

 著者は、「あとがき」で、つぎのように述べている。「東南アジアが歴史文化、民族、宗教、政治や経済などの点できわめて多様な地域であることは、頭の中で理解していたつもりだったが、あらためて、東南アジアが多様な国からなる地域であることを再認識した。と同時に、このようなバラバラな地域諸国がまとまるために、地域機構ASEANを創ったこと、そして、しばしば機能不全に陥りながらも、それを大切にしていることの意味を理解できたような気がした」。

 東南アジアという地域概念が、ASEANという地域機構の活性化によって、より明確になったということができる。だが、本書でも東南アジアという枠組みだけで語るには、もはや窮屈になってきている。アジアの大国、中国、インド、日本とはもちろん、香港、台湾、韓国、モンゴルなどを加えて考えることも必要な場合があるし、あるいは太平洋諸国を加えて考えることも有効になる場合があるかもしれない。「東南アジア」と枠組みが自明となってきたいまだからこそ、「東南アジア」を考えることができるようになったことが本書からもわかったし、今後さらに考える必要に迫られることになるだろう。

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