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2017年09月05日

『海洋ガバナンスの国際法-普遍的管轄権を手掛かりとして』瀬田真(三省堂)

海洋ガバナンスの国際法-普遍的管轄権を手掛かりとして →紀伊國屋ウェブストアで購入

 著者、瀬田真の問題意識は、「はしがき」冒頭でつぎのようにまとめられている。「海洋は、科学技術の発展に伴いその利用形態を変え、そして、それに対応する形で海洋法も発展してきた。そして、海の憲法とも呼ばれるUNCLOSが採択されてから、既に30年以上が経過した。この間、UNCLOSを補填するために、複数の条約が締結されてきたものの、これらの条約も、現行海洋法の課題、つまり、規定された実体的規則の遵守が確保できていないことを根本的に解決するに至っていない。むしろ、科学技術の発展に対応した実体的規則の増加により、それらの規則を遵守すべき旗国・沿岸国の不遵守が、一層顕著となってきている。そのような状況においては、おそらく旗国・沿岸国以外の国家(第三国)による遵守の確保を期待するほかない」。

 まず、海洋法に不案内なものにとって、UNCLOSや旗国といった用語を知っておく必要がある。UNCLOSとは、1982年に採択された「海洋法に関する国際連合条約」である。「旗国」と関連する「旗国主義」は、『広辞苑』でつぎのように説明されている。「旗国」とは「船舶の掲げる国旗の属する国。船籍国。航空機の登録国についても用いる」。「旗国主義」とは「公海・公空での船舶・航空機は、乗員・乗客も含めて、旗国の排他的管轄に服するという原則」。

 「はしがき」ではつづけて、副題にある「普遍的管轄権に焦点をあてる」理由を、つぎのように説明している。「では、第三国が遵守を確保するとして、その際の課題はなにか。この問いへの国際法の観点からの答えは極めて明確である。それは、彼らが国際法上の権限を有さない点にある。旗国・沿岸国にのみ管轄権の行使が認められるのが一般的である現行海洋法においては、第三国が管轄権を行使できる場面、換言すれば、普遍的管轄権が認められる場面はさほど多くはない。しかし、多くはないながらも、そういった場面が存在するのが現状である。そこで、この例外的な普遍的管轄権はなぜ許容されるのか、その理論的根拠を考えていけば、何かが見えてくるのではないか」。

 このような議論をしなければならないのは、「海洋の自由とそれに対する国家主義という2つの概念の相互作用に基づいて」国際海洋法があるからで、「共有性(共有的利益、共有的主張)と「排他性(排他的利益、排他的主張)という「海洋の2つの性質に関しても、前者は深海底という例外を除き、概して旗国の権限を支えるものとされ、後者は沿岸国の権限の根拠として参照される」。

 また、本書では、海洋ガバナンスを「海洋を一体のものとして統合的に管理する」視点を含む概念として用い、さらにつぎの2つに細分している。「第1に、国家、すなわち陸からの視点に基づき、海洋ガバナンスを展開する考え方である。このような考え方に立てば、海洋ガバナンスは、沿岸国の権限の拡張を正当化する根拠となる。第2に、このような視点とは逆向き、すなわち、海からの視点に基づき、海洋ガバナンスを展開する考え方である」。

 本書は、序章「海洋の自由から海洋の管理へ」、全5章、終章「海から陸を視る」からなる。第1章「国際法における管轄権の法理と普遍的管轄権」では、「一般国際法における管轄権の法理について確認する。立法・執行・司法管轄権をどのように分類するか、その適用基準をどのように考察するかを確認する」。第2章「海賊行為に対する普遍的管轄権の形成と理論的根拠」では、「海賊行為に対する普遍的管轄権について検討する。海賊行為に関しては、司法管轄権と執行管轄権の2つの文脈において普遍的管轄権が認められているため、それぞれの理論的根拠について考察を深める」。第3章「改正SUA条約における普遍的管轄権の規定と理論的根拠」では、「海賊行為には含まれない海上暴力行為について規定したSUA条約の分析を行う。具体的にはまず、同条約が規定する「引渡しか訴追か」の義務と普遍的管轄権、さらには代理主義との関係を考察する」。SUA条約とは、「海洋航行の安全に対する不法な行為の防止に関する条約」のことである。第4章「船舶起因汚染に対する普遍的管轄権の形成と理論的根拠」では、「海上暴力行為を離れ、船舶起因汚染に対する普遍的管轄権について検討を加える」。第5章「UNCLOS体制における普遍的管轄権の展開:海洋ガバナンスの視点から」では、「まず、UNCLOS体制において、普遍的司法管轄権がどのように展開するか、その可能性と限界を考察する。その上で、UNCLOSを超えた海洋ガバナンスを模索する」。  そして、「終章では、本書で分析した国家による普遍的司法管轄権の行使についてまとめると同時に、その限界を受け、これを克服するための国際機関による海洋の管理について若干の考察を行う。その上で、本書における海洋ガバナンスの国際法が、一般国際法にもたらす示唆について検討し、結びに代える」。

 終章では、「本書で検討した3つの事案[海賊行為・SUA条約上の犯罪・船舶起因汚染]に対する普遍的司法管轄権は、いずれも海洋ガバナンスの視点から海洋を管理していく上で有用と言える」と結論し、「その一方で、これら3つの事案によって海上でのあらゆる事案が包含されるわけではないことから、これらのみでは海洋を統合的に管理することには限界がある」とし、つぎのように説明している。「海洋ガバナンスの国際法における普遍的管轄権として、現行制度が十全なものとは言い難いのが現状である。そのため、新たな条約や参照規則といった国家の合意を通して、普遍的司法管轄権の対象となる事案をさらに拡張し、同管轄権を発展させていく必要がある。とりわけ、限られたリソースを有効活用するために海洋の管理の効率化を経済学の観点から追求するとなれば、国家の軛を離れた「人のため」の海洋ガバナンスを志向する必要があり、普遍的管轄権の発展はその中で検討されなければならない」。

 終章のタイトルになっている「海から陸を視る」ということについて、つぎのような結果をもたらす可能性を述べている。「これまでの検討してきた海からの視点が、海洋ガバナンスのような「海から海を視る」視点だけでなく、陸に対しても影響を及ぼす、「海から陸を視る」視点として意義を有するようになるのである。かつて、北海大陸棚事件において、ICJ[国際司法裁判所]は「陸は海を支配する」の原則について触れ、この原則は現在でも境界に関する紛争においては頻繁に援用されている。しかしながらエヴァンズが、自身が編著する基本書において繰り返し指摘しているように、「海は陸を支配する」ようになっていくのかもしれない」。

 そして、つぎのように結論して、本書を閉じている。「本書は、海洋国際法観と言うべき海からの視点を導入し、海洋ガバナンスの国際法についての考察を行ってきた。しかしながら、このような海からの視点が、海洋法に留まらず、陸の国際法にまで影響を及ぼす可能性がある。本書で焦点をあてた海洋法の普遍的管轄権には、陸の国際法におけるそれとは異なる性質が確認された。しかしながら、海から陸を視ることで、本書での海洋法の普遍的管轄権についての研究が、陸の国際法における普遍的管轄権の研究に資することも考えられるのである。国家として欠くべからざる要素たる大地を離れ、周縁の海に光をあてることで、異なる景色が見えるようになる。海の国際法を豊かにし、海から陸を視ることで、陸の国際法も豊かなものとなっていくことが期待される。本書がその一端を担うことを願って、結びに代えたい」。

 著者が、「海から陸を視る」といっていることは、本書冒頭で述べた「海の憲法とされるUNCLOS」に異を唱えることになる。UNCLOSなど現行海洋法は、国家の平等を原則とする国家中心主義に根差し陸から海を視ている。それにたいして、著者は人間中心主義の重要性を述べている。たとえば、EEZ(排他的経済水域)は、「先祖伝来の海(patrimonial sea)という人の活動と密接なかかわりがある水域に由来するものであり、その水域の沿岸部に住む人間の利用がその水域の沿岸国への帰属を認める理由の一端であるとも言えよう。このような人と海との結びつきに鑑みれば、もしも仮に領海・EEZに対する非沿岸国の権限を強めたところで、沿岸部に居住する者や海運の恩恵を受ける者に対しての水域の平等な利用が確保されるのであれば、そのような権限の強化は認められやすくなると考えられよう」。

 「共有性」と「排他性」、「国家中心主義」と「人間中心主義」、どの時代でもどの社会でもどちらかに偏る傾向がある。そのバランスをとるために法がある。だが、その法も時代や社会によって偏る。国家中心主義で排他性に偏ると、領有権を主張して紛争が起こる。人間中心主義で共有性に偏ると、無秩序になって共有するのものが枯渇する「コモンズの悲劇」が起こる。本書で「普遍的管轄権に焦点をあてる」意味がわかってくる。しかし、そもそも国際法は、なぜ「遵守」されないのか。法でがんじがらめになる社会がいいとは思わないが、もうすこし「遵守」されるようになると紛争も減るのではないだろうか。いらだちを感じる。

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