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2017年08月15日

『戦争と難民-メコンデルタ多民族社会のオーラル・ヒストリー』下條尚志(風響社)

戦争と難民-メコンデルタ多民族社会のオーラル・ヒストリー →紀伊國屋ウェブストアで購入

 文献資料にもとづく学問は、文献からなにがいえるかという学問であって、文献が間違っていれば、当然正しい結果は得られない。それは、役に立たない無駄な学問であるのか。著者下條尚志は、聞き取り調査を通じて、文献資料の明らかな誤りに気づいた。では、口述資料は信頼できるのか。本書は、著者が、自分自身に問いかけたさまざまな疑問にたいして答えたものでもある。

 本書の目的は、「今や過去のものとなりつつあるインドシナ問題に再び脚光を当て、そこで議論の焦点となっていた民族や国民国家という概念を地域社会レベルで検討し、戦争と難民という現代にも通じるテーマに一石を投じること」である。そのため、「本書は、二〇世紀に長期にわたり政治的動乱を経験した」「ベトナム南部メコンデルタにおける多民族社会の人々の移動をめぐる語りについて、考察するものである」。

 本書は、はじめに、全4節、おわりにからなり、「おわりに」の最初につぎのように節毎の要約がある。「これまで一九世紀末から現代にかけ、ベトナム南部メコンデルタで生じてきた人の移動と、それに伴う地域社会の再編について、フータン社という一地域社会に焦点を当てて述べてきた。まず第一節[混淆的な多民族社会]では、フータン社の地域的特徴を説明した。クメール人、華人、ベト人の混住が顕著に進んできた同社では、民族的な混淆を意味する「混血」という概念が存在し、日常レベルでは、民族の可変性や曖昧性、重層性が許容されていた。続く第二節[弱者を受け入れてきた地域社会]では、このような地域社会を生成した、経済移民、難民の受け入れの歴史をたどった。植民地時代の輸出米生産の拡大を背景に、国境を越えて移住してきた貧しき華人と在来のクメール人の通婚が進んでいたこと、その後に勃発したインドシナ戦争で、クメール人とベト人の対立が顕在化し、紛争地から避難民が流入してきたことを述べた。第三節[インドシナ難民]では、インドシナ難民の問題を、フータン社で生じていた人口の流出入という観点から考察した。一九七〇年代後半のベトナムとカンボジア、中国の紛争と、社会主義政策の混乱を背景に、華人とクメール人への迫害、警戒が強まり、華人精米業者らが国外へ脱出していったこと、紛争下のベトナム-カンボジア国境にいたクメール人住民のフータン社への疎開が政府によって進められていたことを指摘した。そして第四節[出入り可能な社会]では、ベトナム-カンボジア国境の人、モノ、情報の越境の現状について述べた。一九七〇年代後半以降の経済的困窮などによってカンボジアへ移住したものの、近年では時折帰郷する人々の来歴や、日常的にカンボジアから流入するモノやメディアを受容してきた住民と、それを制御しようとする政府との間で生じている駆け引きについて具体的に紹介した」。

 以上の考察を経て、著者は「あとがき」で、つぎのような感想を述べている。「人々の経験に関する語りを通じて、20世紀ベトナム、さらには東南アジアの社会史、政治史をどのように描き直すことができるのか。人々の語りが史料として信頼できるかどうか、とりわけ歴史学において否定的な見解が多数あることを承知しつつ、それでもこの問いを模索し続けてきた。というのも、実際に長期のフィールドワークにおいて150世帯以上を対象に得られた語りから、文献史料の記述を問い直しうる無数の歴史が存在していることを確信するに至ったからである。本書は、そのことを示すためのささやかな試みであり、極力、人々の語りを叙述の中心に据えることを心掛けた」。

 ここには、基礎研究と臨床(応用)研究との問題が潜んでいる。基礎研究はものごとを考える原理や理論などを示すことによって、議論を整理し理解しやすくする。基礎研究が日々起こっている問題にたいしてすぐに解決する術を与えてくれるわけではないが、基礎研究なくして現実に起こっている問題を解決するための研究をスタートさせることはできない。制度化が進んだ社会ではまずは基礎研究を基本に考えることができるが、制度化が進んでいない社会ではそう簡単ではない。また、近代国民国家は首都を中心に制度化が進み一見考察しやすいが、ヒトもモノも合法、非合法を問わず頻繁に行き交う国境では制度を超えた複雑な状況が現実に存在し、なにから手をつけていいかすぐにはわからない。本書で考察の対象とした社会で、「文献史料の記述を問い直しうる無数の歴史が存在している」のも不思議ではない。だからといって、文献史料にもとづく考察が無駄であったわけではない。文献史料にもとづく整理と考察をしたからこそ、「問い直しうる無数の歴史」がうかびあがってきたのである。

 もっとも重要なことは、本書のような臨床研究が、だれのためなんのために役立つのかを充分に認識することである。本書で、著者はそのことを踏まえて、つぎのようなパラグラフで「おわりに」を結んでいる。「民族や国家という枠組みを越え、多様な価値観を受け入れてきた人々は、国境線内の政治的統合を目指す国家にとっては、忠誠心が疑わしい不穏な存在である。だが、フータン社という多民族社会をめぐって展開されてきた歴史を振り返るかぎり、かれらの存在が許容されるような状況が維持されることが、結果的には紛争の発生を防ぐ最善の策なのではないだろうか」。インドシナで多くの人びとが犠牲になったことを、直接記憶している人びとがまだたくさんいる。そういう人びとがいるあいだに、「紛争の発生を防ぐ最善の策」を示そうとする本書の意義は大きい。

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