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2017年08月22日

『琉球列島の「密貿易」と境界線 1949-51』小池康仁(森話社)

琉球列島の「密貿易」と境界線 1949-51 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「本書では琉球列島における戦後初期の混沌状況について、国家によって引かれた境界線の再編・変動と、その境界線が引かれた地域における民衆の社会、あるいは生活世界との相克を明らかにするという視点から議論を行う。それは言いかえればモダンとポストモダンの相克という現代政治、そして政治学の最も重要な課題への関心に基づいた事例研究である」。

 具体的には、「第二次大戦終戦直後の占領下の時代」を扱う。「この時代の先島諸島では米軍の軍政が殆ど行きとどかず、また戦後の物資欠乏に直面した地元住民は経済的、政治的に自存自衛するしかなかった。このような中で展開されたのが」、「一九四五年から一九五二年まで興隆したことが指摘された、いわゆる「大密貿易」の時代である」。「この「密貿易」は当時の警察や占領軍の監視をかいくぐって漁船の往来を通じた、民衆による貿易が展開されたことからその名が付されていると考えられる。しかし、実際には米軍の領域管理は共産主義者への監視を除いてさほど厳しくはなかった。また地元の警察や自治体も「密貿易」を黙認していた。さらに占領当初は米国の沖縄統治方針自体が定まっていなかったことも管理の甘さに繋がっていた」。「このような中で展開された「密貿易」は与那国島の久部良(くぶら)港を中心に台湾、八重山、宮古、沖縄本島、日本本土、香港、マカオなどを物流と人的移動のネットワークによって結び付けることになった」。「また一方で、与那国島や石垣島では地元住民によって自立性の高い自治が模索された。これらの地域では沖縄戦によって県庁機能が喪失したことにより、一九四五年の一二月に米軍が同地方に上陸するまでは全く上位権力のない状態になり、そのため終戦直後から地元自治体職員や住民有志等によって治安維持や復興が模索された」。

 本書は、序章「琉球列島における共同体の連携」、全4章、終章「私貿易時代の終焉とそのネットワークの形態について」からなる。「本書では与那国島を事例に私貿易ネットワークのモデルをつくり、そのモデルに対応させながら当時の琉球列島における私貿易の状況を、与那国島と同様に私貿易取引の拠点港が存在した地域の事例を対象に検討していく。そのように対象地域を設定した場合、当時の「密貿易」の広がりから考えると、恐らく取引規模の大小を問わなければ琉球列島においてほとんどの漁港が対象になると考えられる」。

 まず第一章「与那国島私貿易ネットワークモデル」では、「与那国島を中心に台湾、香港、そして八重山などとの間を往来する私貿易に対する軍政府の逮捕記録から当時の私貿易の状況を描き出し、また当時石垣島と与那国島で発行されていた新聞から私貿易や八重山、与那国を取り巻く当時の国際情勢が島の中でどのように報じられていたのかについて記述し、さらに実際に従事した人々からの聞き取り資料を使用して、与那国島を中心にした私貿易ネットワークのモデル化を行う」。  第二章「宮古島の私貿易」では、宮古諸島の主に伊良部島佐良浜の漁民達について、文献資料及び聞き取り資料から彼らが私貿易を行うまでの経緯と、その私貿易の様相について記述する。さらに、主に宮古本島を拠点に物資を取引した、漁民ではなく「ブローカー」と呼ばれた人々が行った取引の様相について、聞き取り資料を交えて記述する。その上でこれらの記述を材料に、第一章で提示した私貿易モデルを適用し、その異同を検討する」。

 第三章「沖縄本島の私貿易」では、「沖縄本島の主に糸満を中心とした私貿易について、沖縄本島での裁判資料を用いてその概要を描き出し、さらに「密航」を通じて商取引を行った経験者からの聞き取り資料をもとに、糸満における与那国島私貿易ネットワークモデルとの異同を検討する。そこでは裁判資料から、クリ舟とバーターで山羊や豚などが交換され、取引そのものが前近代の方法を再現していた事例や、沖縄本島南部の馬天港を中心に喜界島との間で杉と陶器の取引、南大東島との間では非鉄金属の取引が行われていたことなど、先行研究では触れられていない事実が明らかになる」。

 第四章「口永良部島の私貿易」では、「日本本土出身者が琉球との貿易拠点にしたという口永良部島を取り上げる。そこでは主に奄美大島-本土間の私貿易に対する逮捕記録から、当時の取引の様相、およびその地理的広がりについて検討し、さらに口永良部島については上述の逮捕記録、及び聞き取り調査から、前近代からの島の歴史、戦後の鹿児島からの引き揚げの様子、そして私貿易取引と当時の島の様子について概説した上で、与那国島私貿易モデルとの異同について検討する」。

 以上の考察を経て、著者はつぎのような結論を得た。「各章でみてきたネットワークの構造において、ネットワークセンターとなる有力者の資源は、どれだけ多くの良質なネットワークを保持しているかであり、それは土地や財産、行政府における地位、あるいは軍事力のような、いわゆる人々に対する垂直的支配を可能にする固定的な強制力とは異質のものであった」。「こうしたブローカーの資源としてのネットワークは常に可変的で、その人物の資質によって左右される場合も多く、それゆえ世代を越えて相続することは難しい。さらに各章でみてきた通り、この与那国島私貿易ネットワークモデルはそれぞれの島における環境的、社会的条件の違いを越えて、少なくとも琉球列島全域から台湾にまでその広がりをみせていた。さらに香港、そして日本本土の九州沿岸から瀬戸内海、そして東京湾に至る太平洋岸にまで同様の方法による貿易取引が広がっていたため、さらなる検証を必要とするものの、そうした取引もこのモデルによって説明できると考えられる。即ち、こうした地理的規模から考えて、このネットワークモデルは琉球列島を越えて台湾、中国華南の沿岸地域、そして主に西日本の東シナ海側、瀬戸内海、太平洋側各沿岸において普遍性が存在するという仮説を提起したい」。

 そして、最後につぎのように今後の課題をあげて、終章を結んでいる。「まずモデルの検証作業である。本書で構築したモデルを琉球史における既存の歴史研究や民族学的研究に照らし合わせて検証する作業が不十分であった。さらに、資料的には特に台湾や中国側からの視点を示す同時代的資料が相対的に乏しいため、これらの資料の補足によるモデルの検証も今後の課題である」。  「次に、本書では琉球列島の経済社会における共同体同士の連携構造の分析を対象としたため、経済社会の上部構造である政治社会への分析に至らなかった。そのため、私貿易ネットワークモデルが政治社会においてどのような位相にあるのか、今後精査する必要がある」。

 最後に、「このモデルを基に境界線をめぐる政治学の文脈において理論化を目指すためには、まず予備的考察として、本研究の事例と、境界線の問題を抱える他の地域との比較研究を行う必要がある。即ち近代化における共同体の一次的アイデンティティと市民的アイデンティティとの軋轢や、それに起因する紛争を抱える地域の経済社会との比較研究である。特に地域主義的共同体意識の強い共同体間の提携関係を対象とした比較研究を行うことにより、本モデルの有効性を検証する必要があると考えられる」。

 国境がなくなると「辺境」がなくなり、必要とされるものが無関税で取り引きされる。今日グローバル化のなかでFTA(自由貿易協定)を締結して合法的におこなっていることが、本書で語られる「密貿易」である。著者は、「序章」の最後のほうで、つぎのように説明している。「先行研究において当時の民衆による貿易を指して密航や密貿易という呼称が用いられていたことと、そうであるにもかかわらず、当時の密航や密貿易が一般的な意味での犯罪行為とは区別されて論じられていたことを受け、そうした犯罪行為ではないという意味を強調するために鍵[鉤]括弧を付して「密貿易」と呼称している」。

 「辺境」は「中央」にたいして使われるが、「辺境」にとって国境は迷惑な存在であることがわかる。とくに、生活圏をともにしてきた人びとにとって、国境が引かれても生活のためには引かれた国境を無視することは当然であったことが、本書からわかる。だが、やがて国境管理が厳しくなってヒトもモノも自由に往来できなくなり、「中央」が「辺境」の生活にも目配りして物資の不足などが起こらないようにすると、「密貿易」の必要はなくなる。それが、「グローバル化の状況において民衆の生活領域と国民国家の境界との相克をどう理解するかという問題」がでてきて、著者は「第二次大戦後の混沌とした社会における民衆の行動が一つの有効な視座を提供できる」と考えた。

 「辺境」ではなくなるためには、沖縄はどう考え、どうすればいいのか、自分たちの生活圏を考えるときにきていることを、本書は教えてくれる。

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