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2017年08月29日

『鄭成功-南海を支配した一族』奈良修一(山川出版社)

鄭成功-南海を支配した一族 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「17世紀は、世界的に海外貿易がさかんになった時代である。ヨーロッパでは大航海時代のスペイン・ポルトガルに代わりイギリス・オランダが勢力を伸ばしてきた。東アジアにおいても日本や明の商人が活躍した。なかでも鄭芝龍・鄭成功父子は最大の勢力を誇り、この地域の貿易をリードした。とくに息子の鄭成功は、最後まで明朝に忠義をつくし、オランダ東インド会社を台湾から追い出したことで有名である。彼の死後、息子鄭経も父の意志を引き継ぎ、清朝に対して矛をおさめず、さらに台湾の開発に寄与した。本書は、この鄭氏一族の歴史を概観したものである」。

 そして、本書は、つぎのパラグラフで終わっている。「この時代の海商は、自分の利益のためならば所属を変えることは当たり前だった。父の鄭芝龍も、「海賊」から招安を受けて明の役職をえて、さらに南明政権から高位をえながらも簡単に清に降伏している。最後まで筋をとおした鄭成功、鄭経はこの時代ではめずらしい存在といえよう。さらには南京まで攻め込み、台湾のオランダ勢力を駆逐した事実は、清朝・日本・中華民国・中華人民共和国すべてで、鄭成功が英雄とたたえられるに十分なことといえよう」。

 鄭氏一族は、5頁の地図にあるように、ユーラシア大陸の東の海を舞台に活躍した人びとである。東シナ海を中心に語られ、中国の明から清への王朝交代期に大陸の覇権争いに巻き込まれ、「忠義心に篤い人物」として英雄視される。日本史でも、時代の転換期に「海賊」が活躍する。歴史は、文献を残した陸の支配者を中心に語られる。海域を主体性をもって生活圏とした人びとの歴史は、鄭氏一族のように陸に介入して文献に残った者以外はあまり語られない。だからこそ、鄭氏一族の歴史を語る意義がある。

 国境で分断された近代国民国家の時代と違い、グローバル化のなかで東シナ海という生活圏が見えてきた。鄭氏一族が活躍した時代は、東シナ海という内海を中心とした生活圏があった。近代国民国家が国境を厳格に「取り締まらない」ときも、生活圏の中心としての海が浮きあがってくる。陸と違い、重いものや壊れやすいものも、長距離を運ぶことができる。鄭氏が戦略に使った海を、グローバル化の時代にも使うことができる。台湾や沖縄はその拠点となる。鄭氏一族を「忠義」だけでなく、現代の視点で蘇らせることができる。

 本シリーズ「世界史リブレット 人」には「巻頭言」はなく、ホームページを見ても本シリーズの趣旨などはなにもない。本書も、「鄭氏一族の歴史を概観した」だけなのか。歴史、なかでも外国史が多くを占める世界史を学ぶという意味がどういうことなのか、わからない。

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2017年08月22日

『琉球列島の「密貿易」と境界線 1949-51』小池康仁(森話社)

琉球列島の「密貿易」と境界線 1949-51 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「本書では琉球列島における戦後初期の混沌状況について、国家によって引かれた境界線の再編・変動と、その境界線が引かれた地域における民衆の社会、あるいは生活世界との相克を明らかにするという視点から議論を行う。それは言いかえればモダンとポストモダンの相克という現代政治、そして政治学の最も重要な課題への関心に基づいた事例研究である」。

 具体的には、「第二次大戦終戦直後の占領下の時代」を扱う。「この時代の先島諸島では米軍の軍政が殆ど行きとどかず、また戦後の物資欠乏に直面した地元住民は経済的、政治的に自存自衛するしかなかった。このような中で展開されたのが」、「一九四五年から一九五二年まで興隆したことが指摘された、いわゆる「大密貿易」の時代である」。「この「密貿易」は当時の警察や占領軍の監視をかいくぐって漁船の往来を通じた、民衆による貿易が展開されたことからその名が付されていると考えられる。しかし、実際には米軍の領域管理は共産主義者への監視を除いてさほど厳しくはなかった。また地元の警察や自治体も「密貿易」を黙認していた。さらに占領当初は米国の沖縄統治方針自体が定まっていなかったことも管理の甘さに繋がっていた」。「このような中で展開された「密貿易」は与那国島の久部良(くぶら)港を中心に台湾、八重山、宮古、沖縄本島、日本本土、香港、マカオなどを物流と人的移動のネットワークによって結び付けることになった」。「また一方で、与那国島や石垣島では地元住民によって自立性の高い自治が模索された。これらの地域では沖縄戦によって県庁機能が喪失したことにより、一九四五年の一二月に米軍が同地方に上陸するまでは全く上位権力のない状態になり、そのため終戦直後から地元自治体職員や住民有志等によって治安維持や復興が模索された」。

 本書は、序章「琉球列島における共同体の連携」、全4章、終章「私貿易時代の終焉とそのネットワークの形態について」からなる。「本書では与那国島を事例に私貿易ネットワークのモデルをつくり、そのモデルに対応させながら当時の琉球列島における私貿易の状況を、与那国島と同様に私貿易取引の拠点港が存在した地域の事例を対象に検討していく。そのように対象地域を設定した場合、当時の「密貿易」の広がりから考えると、恐らく取引規模の大小を問わなければ琉球列島においてほとんどの漁港が対象になると考えられる」。

 まず第一章「与那国島私貿易ネットワークモデル」では、「与那国島を中心に台湾、香港、そして八重山などとの間を往来する私貿易に対する軍政府の逮捕記録から当時の私貿易の状況を描き出し、また当時石垣島と与那国島で発行されていた新聞から私貿易や八重山、与那国を取り巻く当時の国際情勢が島の中でどのように報じられていたのかについて記述し、さらに実際に従事した人々からの聞き取り資料を使用して、与那国島を中心にした私貿易ネットワークのモデル化を行う」。  第二章「宮古島の私貿易」では、宮古諸島の主に伊良部島佐良浜の漁民達について、文献資料及び聞き取り資料から彼らが私貿易を行うまでの経緯と、その私貿易の様相について記述する。さらに、主に宮古本島を拠点に物資を取引した、漁民ではなく「ブローカー」と呼ばれた人々が行った取引の様相について、聞き取り資料を交えて記述する。その上でこれらの記述を材料に、第一章で提示した私貿易モデルを適用し、その異同を検討する」。

 第三章「沖縄本島の私貿易」では、「沖縄本島の主に糸満を中心とした私貿易について、沖縄本島での裁判資料を用いてその概要を描き出し、さらに「密航」を通じて商取引を行った経験者からの聞き取り資料をもとに、糸満における与那国島私貿易ネットワークモデルとの異同を検討する。そこでは裁判資料から、クリ舟とバーターで山羊や豚などが交換され、取引そのものが前近代の方法を再現していた事例や、沖縄本島南部の馬天港を中心に喜界島との間で杉と陶器の取引、南大東島との間では非鉄金属の取引が行われていたことなど、先行研究では触れられていない事実が明らかになる」。

 第四章「口永良部島の私貿易」では、「日本本土出身者が琉球との貿易拠点にしたという口永良部島を取り上げる。そこでは主に奄美大島-本土間の私貿易に対する逮捕記録から、当時の取引の様相、およびその地理的広がりについて検討し、さらに口永良部島については上述の逮捕記録、及び聞き取り調査から、前近代からの島の歴史、戦後の鹿児島からの引き揚げの様子、そして私貿易取引と当時の島の様子について概説した上で、与那国島私貿易モデルとの異同について検討する」。

 以上の考察を経て、著者はつぎのような結論を得た。「各章でみてきたネットワークの構造において、ネットワークセンターとなる有力者の資源は、どれだけ多くの良質なネットワークを保持しているかであり、それは土地や財産、行政府における地位、あるいは軍事力のような、いわゆる人々に対する垂直的支配を可能にする固定的な強制力とは異質のものであった」。「こうしたブローカーの資源としてのネットワークは常に可変的で、その人物の資質によって左右される場合も多く、それゆえ世代を越えて相続することは難しい。さらに各章でみてきた通り、この与那国島私貿易ネットワークモデルはそれぞれの島における環境的、社会的条件の違いを越えて、少なくとも琉球列島全域から台湾にまでその広がりをみせていた。さらに香港、そして日本本土の九州沿岸から瀬戸内海、そして東京湾に至る太平洋岸にまで同様の方法による貿易取引が広がっていたため、さらなる検証を必要とするものの、そうした取引もこのモデルによって説明できると考えられる。即ち、こうした地理的規模から考えて、このネットワークモデルは琉球列島を越えて台湾、中国華南の沿岸地域、そして主に西日本の東シナ海側、瀬戸内海、太平洋側各沿岸において普遍性が存在するという仮説を提起したい」。

 そして、最後につぎのように今後の課題をあげて、終章を結んでいる。「まずモデルの検証作業である。本書で構築したモデルを琉球史における既存の歴史研究や民族学的研究に照らし合わせて検証する作業が不十分であった。さらに、資料的には特に台湾や中国側からの視点を示す同時代的資料が相対的に乏しいため、これらの資料の補足によるモデルの検証も今後の課題である」。  「次に、本書では琉球列島の経済社会における共同体同士の連携構造の分析を対象としたため、経済社会の上部構造である政治社会への分析に至らなかった。そのため、私貿易ネットワークモデルが政治社会においてどのような位相にあるのか、今後精査する必要がある」。

 最後に、「このモデルを基に境界線をめぐる政治学の文脈において理論化を目指すためには、まず予備的考察として、本研究の事例と、境界線の問題を抱える他の地域との比較研究を行う必要がある。即ち近代化における共同体の一次的アイデンティティと市民的アイデンティティとの軋轢や、それに起因する紛争を抱える地域の経済社会との比較研究である。特に地域主義的共同体意識の強い共同体間の提携関係を対象とした比較研究を行うことにより、本モデルの有効性を検証する必要があると考えられる」。

 国境がなくなると「辺境」がなくなり、必要とされるものが無関税で取り引きされる。今日グローバル化のなかでFTA(自由貿易協定)を締結して合法的におこなっていることが、本書で語られる「密貿易」である。著者は、「序章」の最後のほうで、つぎのように説明している。「先行研究において当時の民衆による貿易を指して密航や密貿易という呼称が用いられていたことと、そうであるにもかかわらず、当時の密航や密貿易が一般的な意味での犯罪行為とは区別されて論じられていたことを受け、そうした犯罪行為ではないという意味を強調するために鍵[鉤]括弧を付して「密貿易」と呼称している」。

 「辺境」は「中央」にたいして使われるが、「辺境」にとって国境は迷惑な存在であることがわかる。とくに、生活圏をともにしてきた人びとにとって、国境が引かれても生活のためには引かれた国境を無視することは当然であったことが、本書からわかる。だが、やがて国境管理が厳しくなってヒトもモノも自由に往来できなくなり、「中央」が「辺境」の生活にも目配りして物資の不足などが起こらないようにすると、「密貿易」の必要はなくなる。それが、「グローバル化の状況において民衆の生活領域と国民国家の境界との相克をどう理解するかという問題」がでてきて、著者は「第二次大戦後の混沌とした社会における民衆の行動が一つの有効な視座を提供できる」と考えた。

 「辺境」ではなくなるためには、沖縄はどう考え、どうすればいいのか、自分たちの生活圏を考えるときにきていることを、本書は教えてくれる。

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2017年08月15日

『戦争と難民-メコンデルタ多民族社会のオーラル・ヒストリー』下條尚志(風響社)

戦争と難民-メコンデルタ多民族社会のオーラル・ヒストリー →紀伊國屋ウェブストアで購入

 文献資料にもとづく学問は、文献からなにがいえるかという学問であって、文献が間違っていれば、当然正しい結果は得られない。それは、役に立たない無駄な学問であるのか。著者下條尚志は、聞き取り調査を通じて、文献資料の明らかな誤りに気づいた。では、口述資料は信頼できるのか。本書は、著者が、自分自身に問いかけたさまざまな疑問にたいして答えたものでもある。

 本書の目的は、「今や過去のものとなりつつあるインドシナ問題に再び脚光を当て、そこで議論の焦点となっていた民族や国民国家という概念を地域社会レベルで検討し、戦争と難民という現代にも通じるテーマに一石を投じること」である。そのため、「本書は、二〇世紀に長期にわたり政治的動乱を経験した」「ベトナム南部メコンデルタにおける多民族社会の人々の移動をめぐる語りについて、考察するものである」。

 本書は、はじめに、全4節、おわりにからなり、「おわりに」の最初につぎのように節毎の要約がある。「これまで一九世紀末から現代にかけ、ベトナム南部メコンデルタで生じてきた人の移動と、それに伴う地域社会の再編について、フータン社という一地域社会に焦点を当てて述べてきた。まず第一節[混淆的な多民族社会]では、フータン社の地域的特徴を説明した。クメール人、華人、ベト人の混住が顕著に進んできた同社では、民族的な混淆を意味する「混血」という概念が存在し、日常レベルでは、民族の可変性や曖昧性、重層性が許容されていた。続く第二節[弱者を受け入れてきた地域社会]では、このような地域社会を生成した、経済移民、難民の受け入れの歴史をたどった。植民地時代の輸出米生産の拡大を背景に、国境を越えて移住してきた貧しき華人と在来のクメール人の通婚が進んでいたこと、その後に勃発したインドシナ戦争で、クメール人とベト人の対立が顕在化し、紛争地から避難民が流入してきたことを述べた。第三節[インドシナ難民]では、インドシナ難民の問題を、フータン社で生じていた人口の流出入という観点から考察した。一九七〇年代後半のベトナムとカンボジア、中国の紛争と、社会主義政策の混乱を背景に、華人とクメール人への迫害、警戒が強まり、華人精米業者らが国外へ脱出していったこと、紛争下のベトナム-カンボジア国境にいたクメール人住民のフータン社への疎開が政府によって進められていたことを指摘した。そして第四節[出入り可能な社会]では、ベトナム-カンボジア国境の人、モノ、情報の越境の現状について述べた。一九七〇年代後半以降の経済的困窮などによってカンボジアへ移住したものの、近年では時折帰郷する人々の来歴や、日常的にカンボジアから流入するモノやメディアを受容してきた住民と、それを制御しようとする政府との間で生じている駆け引きについて具体的に紹介した」。

 以上の考察を経て、著者は「あとがき」で、つぎのような感想を述べている。「人々の経験に関する語りを通じて、20世紀ベトナム、さらには東南アジアの社会史、政治史をどのように描き直すことができるのか。人々の語りが史料として信頼できるかどうか、とりわけ歴史学において否定的な見解が多数あることを承知しつつ、それでもこの問いを模索し続けてきた。というのも、実際に長期のフィールドワークにおいて150世帯以上を対象に得られた語りから、文献史料の記述を問い直しうる無数の歴史が存在していることを確信するに至ったからである。本書は、そのことを示すためのささやかな試みであり、極力、人々の語りを叙述の中心に据えることを心掛けた」。

 ここには、基礎研究と臨床(応用)研究との問題が潜んでいる。基礎研究はものごとを考える原理や理論などを示すことによって、議論を整理し理解しやすくする。基礎研究が日々起こっている問題にたいしてすぐに解決する術を与えてくれるわけではないが、基礎研究なくして現実に起こっている問題を解決するための研究をスタートさせることはできない。制度化が進んだ社会ではまずは基礎研究を基本に考えることができるが、制度化が進んでいない社会ではそう簡単ではない。また、近代国民国家は首都を中心に制度化が進み一見考察しやすいが、ヒトもモノも合法、非合法を問わず頻繁に行き交う国境では制度を超えた複雑な状況が現実に存在し、なにから手をつけていいかすぐにはわからない。本書で考察の対象とした社会で、「文献史料の記述を問い直しうる無数の歴史が存在している」のも不思議ではない。だからといって、文献史料にもとづく考察が無駄であったわけではない。文献史料にもとづく整理と考察をしたからこそ、「問い直しうる無数の歴史」がうかびあがってきたのである。

 もっとも重要なことは、本書のような臨床研究が、だれのためなんのために役立つのかを充分に認識することである。本書で、著者はそのことを踏まえて、つぎのようなパラグラフで「おわりに」を結んでいる。「民族や国家という枠組みを越え、多様な価値観を受け入れてきた人々は、国境線内の政治的統合を目指す国家にとっては、忠誠心が疑わしい不穏な存在である。だが、フータン社という多民族社会をめぐって展開されてきた歴史を振り返るかぎり、かれらの存在が許容されるような状況が維持されることが、結果的には紛争の発生を防ぐ最善の策なのではないだろうか」。インドシナで多くの人びとが犠牲になったことを、直接記憶している人びとがまだたくさんいる。そういう人びとがいるあいだに、「紛争の発生を防ぐ最善の策」を示そうとする本書の意義は大きい。

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2017年08月08日

『現代の<漂海民>-津波後を生きる海民モーケンの民族誌』鈴木佑記(めこん)

現代の<漂海民>-津波後を生きる海民モーケンの民族誌 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書の目的は、「2004年インド洋津波に被災した海民モーケンを事例として、被災前の彼らの社会状況も歴史的に詳しく描くことで、被災後の生活がどのように変容していったのか長期的な視点から明らかにすることである。また、アンダマン海域のモーケン社会-特にタイ・スリン諸島モーケン村落-で起きた具体的事実を丁寧に追い、特殊で個別的な事例を深く考察することで、他の被災地域を考える上で有用な知見を提供することを目指している。さらに、本書全体を通して、他の専門分野の研究者や実務者と連携する中で、人類学者/地域研究者はどのような立ち位置を築くことが可能であるのかを考えていきたい」。

 本書は、はじめに、序論、全4部、結論、おわりに、からなる。序論は2章、第1部2章、第2部3章、第3部3章、第4部3章、結論1章の全14章からなる。1章当たり平均20頁余で、なかには10頁にみたない章がある。細切れになった議論がおこなわれている部分があるため、「はじめに」にある「本書の構成」を踏まえて読むと、本書の大枠がつかめる。

 「まず序論第1章[災害の人類学]で、本書において重要なテーマである「災害」について、人類学的研究の課題を明確にし、本書の方向性を示す。そして第2章[漂海民再考]で、漂海民に関する先行研究を批判的に検討し、本書の主人公であるモーケンを「海民」としてとらえる意義について説明する」。

 第1部「モーケンの概況」では、「モーケンが暮らすアンダマン海域の諸特徴とモーケンを含む隣接集団の基礎情報を整理して紹介する」。第2部「津波被災前の生活世界」では、「2004年インド洋津波に被災する前のモーケンの生活世界について論じる」。第3部「津波をめぐる出来事」では、「2004年インド洋津波に被災した後の、モーケン村落の動態を考察する」。そして、第4部「国家との対峙」では、「国家と向き合うモーケン社会の様子を描く」。

 結論である第14章「現代を生きる海民-被災社会とのかかわりを考える」では、「現代のモーケンを取り巻く社会状況に目を配りながら、海民の生活にどのような変化が見られるのかについて総合的に考察を加える。その上で、国家に急速に包摂されつつある状況の中で、海民として生きようとするモーケンの思いについて取り上げる。そして最後に、長期的な視野のもと被災社会を描いた本書の意義を示した上で、災害研究における人類学者/地域研究者の立ち位置について考える」。  第14章は、3節からなる。第1節「変化の諸相」では、「津波後の生活の変化について論じた第3部以降を振り返り、①認識の変化、②住まいの変化、③漁撈活動の変化の3点に注目し、2012年の村落再訪時に得た情報を加えながら、これまでの考察で得られた知見をあらためて整理」した結果、つぎのような結論を得た。「2004年インド洋津波後にモーケンの国籍問題が取り上げられ、政府によって随身証が発行・配布されたことで、モーケンの生業空間は被災前よりも確実に狭まってきているように見える」。だが、「スリン諸島のモーケンは国家権力に抵抗するように、公的機関の監視の目をかいくぐるようにして移動を繰り返し、さらに深く、さらに広範囲における漁撈を、警察に捕まるリスクを冒してまで展開している」。

 第2節「国籍を与えられなかった人びと、与えられた人びと」では、「国籍を与えられたモーケンと国籍を与えられなかったモーケンの語りを取り上げて、変化のただ中にある彼らの生活を論じ」、つぎのような結論を得た。「現代を生きる海民モーケンは、災害を契機として、国家や国境という上からの支配装置に組み込まれつつある。今やモーケンの一部は市民証を持つようになっており、国籍保有者数は今後さらに増えるだろう」。だが、「これからもモーケンは、海産物という恵みをもたらし、ときに津波となって襲いかかる海と寄り添って生きていくのではないか。津波後に訪れた変化の荒波の中で、たくましく生きぬいてきた彼らの姿を間近で見てきた私は、そう感じている」。

 そして、第3節「災害の人類学/地域研究へ向けて-津波から10年が過ぎて」では、「本書の意義を示した上で、災害研究における人類学者/地域研究者の立ち位置について考え」、つぎのような結論を得た。「特定の地域社会に長期的に関わることで、被災前の状況を被災後の状況と同じように知っている人類学者/地域研究者は、他の専門分野の研究者や実務者だけでなく、被災地を訪れる一般の人びとに情報を提供し、彼らを被災社会へと結びつける役割を果たせるのではないだろうか。そこに、人類学者/地域研究者の1つの立ち位置があるように思える」。

 『広辞苑 第五版』(岩波書店、1998年)によると、「民族誌」とは「特定の民族や集団の文化・社会に関する具体的かつ網羅的な記述」とある。本書は、特定の民族であるモーケンの「文化・社会に関する具体的かつ網羅的な記述」である。そして、それに「災害」という要素が加わっている。そこで、どういう「化学反応」が起こったのか起こらなかったのか、被災後10年の記録である。ただでさえ、近年海民社会は「陸民」に侵食されて、自律性を失いつつある。そんななかで災害という大きな転機が、ますますその自律性を奪い、社会そのものが存続の危機にある。こういうことは、実は調査しなくても、想像で書ける。著者が、「人類学者/地域研究者の立ち位置」にこだわるのは、想像で書けるようなことを超えて、長期的に間近で見てきて、感じたからこそ書け、かれらの未来を語ることができると確信しているからだろう。

 もうひとつ、「立ち位置」として考えなければならなくなってきているのが、「外国人研究者」の立ち位置である。すでにタイ人研究者がモーケンについて関心を示すようになってきている。さらにモーケン出身者あるいはひじょうに身近な近縁者などが、モーケンを研究対象とするようになったとき、「外国人研究者」はどういう立ち位置で、なにをすることができるのだろうか。すこし前まで考える必要のなかったことが、「人類学者/地域研究者」のあいだでおこってきている。

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2017年08月01日

『ミャンマーの歴史教育-軍政下の国定歴史教科書を読み解く-』田中義隆著・編訳(明石書店)

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 本書は、「ミャンマーの歴史教育の内容とその実践状況を一人の中学校教師[シュウマウン]の目を通して」語られている。その構成を著者、田中義隆は、つぎのように説明している。「「序章」ではその主人公たる中学校教師について、彼の生い立ちや現況について語ってもらっています。その後、本文に入ると九つの章立てになっています。基本的に年代順の構成をとっており、「第1章『先史時代』を教える」、「第2章『古代の都市国家』を教える」、「第3章『最初の統一王朝 パガン朝』を教える」、「第4章『小国分裂の時代』を教える」、「第5章『二度目の統一王朝』を教える」、「第6章『最後の統一王朝 コンバウン朝』を教える」、「第7章『イギリス植民地時代』を教える」、「第8章『独立後の時代』を教える」、「第9章『社会主義国家から軍事政権、そして民主政権へ』を教える」と進んでいきます。各章には、歴史教科書からの内容抜粋のほか、主人公が該当単元を教えていく際に、日頃から考えていること、疑問に思っていること、さらには悩んでいることなどが述べられています。この主人公については「序章」にて経歴などを紹介していますが、彼は、教師歴も長く、留学経験もあり、一般のミャンマーの教師に比べてかなり幅広い視点をもち、異なった歴史観をも理解できる柔軟な姿勢をもった人物だと言えます。したがって、彼の現行歴史教育に対する心情は、読者みなさんが同国の歴史教育の実態を理解する上で大きな一助となることでしょう」。

 この主人公が実在の人物ではないことは、「おわりに」でつぎのように述べられている。「実は、彼は実在する人物ではありません。しかし、全くのフィクションでもありません。私がミャンマー滞在中にお会いした数多くの歴史教師のイメージを統合して私自身が創り上げた人物像です。しかし、彼が本書で語る歴史観は、私がお会いして実際にインタビューして得た膨大なデータをもとに構成していますので、ミャンマーの中学校で歴史教育を担当されている現場の先生方の本音でもあるわけです」。

 著者は、「日本政府による政府開発援助(ODA)の一環として、中国、モンゴル、タイ、ラオス、ミャンマー、ベトナム、インドネシア、フィリピン、マレーシアなどのアジア諸国、及びパプアニューギニア、ソロモン諸島などの大洋州諸国での教育開発業務に従事。また、欧米諸国やオーストラリア、ニュージーランドなど先進諸国での教育調査も行」い、ミャンマーには2013年から長期滞在した。

  著者は、本書を執筆した理由をつぎのように4つあげている。「まず一つ目として、「歴史的な遺産の保存」[ゴチは原文通り]という理由です。ミャンマーの現行中学校及び高等学校の歴史教科書は一九九九年の軍事政権時代に同国教育省によって編纂されたものです」。「しかし、二〇一一年からのテインセイン政権下での大胆な政治改革、社会改革によって、この現行教科書もあと数年もすれば、新しい教科書の登場によって消滅してしまう可能性があります」。「二つ目は、ミャンマーという国を知る「絶好のタイミング」であったという理由です」。「約五十年余りも続いた軍事政権が完全に終わり、真の民主主義国家に生まれ変わるのではないかという大きな期待が」あり、「この絶好のタイミングを機に、ぜひともミャンマーについて我が国の人々にも知っていただきたいと考えたのです」。「三つ目は、意外と知られていないのですが、ミャンマーという国は「我が国と密接な関係のある国」だということです」。「四つ目の理由として、私にとって「本書の執筆を行う条件としての環境が整っていた」ことがあげられます」。「私は、政府開発援助(ODA)の業務の一環として、独立行政法人 国際協力機構(JICA)が実施する教育プロジェクトにおいて、二〇一三年からミャンマーに長期滞在しながら業務を行う機会を得ており、この中で同国の現行教科書、特に社会科、地理、歴史などの社会科学分野の教科書に日々触れる機会があったのです」。

 また、ミャンマーの国定歴史教科書の主要な特徴を、つぎのように5つあげている。「まず一つ目の特徴は、記述内容が全体的に一つの大きな歴史物語というよりも、むしろ歴史的出来事や事象の断片的記述に留まっているということです」。「二つ目の特徴として、ビルマ族を中心とした歴史内容になっているということです」。「三つ目の特徴として、今流行の「ジェンダー」という視点から見た場合、ミャンマーの歴史教科書の記述はかなり「男性」的な視点(あるいは「強者」の視点)を中心にしていると言えます」。「四つ目の特徴として、現代史、特に一九七三年以降の記述がほとんどないということがあげられます」。「五つ目の特徴として、これは読者の皆さんにとって最も興味関心のある点かもしれませんが、ビルマ植民地時代における支配者側であったイギリスと日本に対する記述の基本的な姿勢がかなり異なっているという点です」。そして、なによりの特徴は、「教える」視点で書かれ、ともに「学ぶ」という視点ではないということだ。ということは、なにを目的に「教える」のかが重要になってくる。

 著者は、軍事政権下に編纂された弊害を、「表現の自由などをはじめとする基本的人権が著しく制限されており、国家自体が消極的な内向き政策をとっていたために、国民の思想や考え方はかなり統制されていました」と述べている。軍事政権下であるため、当然といえば当然であるが、問題としなければならないのは、そのような状況下にあって、語る必要があったものはなにで、それはどういうことを意味しているのかということである。また、軍事政権下ではなくても、教科書はどこの国でもさまざまなレベルの「統制」が加えられている。その顕著な例として本書を読み、自国やほかの国の教科書を考えることである。「国定歴史教科書を読み解く」ことによって、それぞれの「おくに」事情というものがみえてくる。

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