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2017年06月13日

『歴史認識共有の地平-独仏共通教科書と日中韓の試み』剣持久木・小菅信子・リオネル バビッチ編著(明石書店)

歴史認識共有の地平-独仏共通教科書と日中韓の試み →紀伊國屋ウェブストアで購入

  2003年1月21-23日に、1963年に締結された仏独友好条約(通称エリゼ条約)40周年記念行事の一環として、仏独両国の高校生500人余りが集まった。この仏独青少年議会では、内政、財政、外交、環境など15の委員会に分かれて討議し、最終日の総会で各委員会で決議された提言が提出された。そのひとつについて、高校生の代表は、「互いの偏見をなくすために、共通の歴史教科書を導入するということについて、お二人はどうお考えですか」と尋ねた。「お二人」とは、ドイツ首相シュレーダーとフランス大統領シラクのことである。「お二人」はそれぞれ、「大変いい考えですね。ドイツでは、教育の権限は州に属していますが、各州教育相と協議して、実現のために全力を尽くしましょう」「フランスの教科書はすでに大いに改善され、他国への偏見は存在しません。しかしながら私も、(共通教科書導入に)異存ありません」と、肯定的に応えた。

 その結果、2006年に第3巻『1945年以後のヨーロッパと世界』、2008年に第2巻『ウイーン会議から1945年までのヨーロッパと世界』、2011年に第1巻『古代から1815年までのヨーロッパと世界』が出版され、第3巻と第2巻は日本語訳もそれぞれ明石書店から出版された。

 その意義を、編著者のひとり、剣持久木はつぎのように述べている。「仏独共通歴史教科書の意義ははかり知れない。これまで仏独はもちろん、ヨーロッパさらに世界各地で、国境を越えた共通の歴史教材を作るという試みは多かった。しかしながら、「教科書」となると次元が異なる。国定、検定など国によって教科書の位置づけはさまざまであるが、そもそも同一国内でもさまざまな事情で同一の教科書を使用することが困難な地域も多い。今回の仏独教科書のドイツがまさにそうである。連邦制のドイツでは16の州で共通に使える教科書は、科目を問わずこれまで存在しなかった。仏独共通教科書は、国境を越える以前に、16の州ではじめて共通に使うことが認められた教科書である」。

 本書は、「2007年10月19日および20日に、ドイツ文化センターおよび日仏会館において「仏独共同プロジェクト:共通の歴史、公的歴史:ヨーロッパと東アジアにおける現在の課題」の枠組みで行われたシンポジウムの成果」である。このようなシンポジウムがおこなわれた背景は、「あとがき」でつぎのように説明されている。「2006年秋に教育現場に導入された独仏共通歴史教科書の意義を考察するシンポジウムが、早くもその1年後に日本で実現した背景には、独仏両国の並々ならぬ意欲があったことはまちがいない。しかしながら、このシンポジウムは、単に画期的事業の意義を宣伝するためだけに開催されたわけではない。東アジアへの射程を検討することで、共通の歴史叙述を持つ意味を、時間と空間において、より大きな視野で考察することをめざしていた。つまり、独仏和解の過程、共通歴史教科書を可能にした前提、異国家間の公の共通歴史叙述、共通歴史叙述を実践するための哲学的基盤についての考察を第一の目的とし、独仏和解の過程を日韓和解・日中和解の過程に応用することが可能かどうかをめぐる議論の深化を第二の目的としていた」。

 日中、日韓の歴史問題について議論されるとき、よく「ドイツに学べ」とか「ヨーロッパに学べ」とか言われる。だが、「共通教科書は、すべてを解決する万能薬ではない」ことは、この共通教科書の使用状況を調査することで確認できた。まず、独仏共通歴史教科書の前の1992年に出版されたものについて、つぎのように評価している。「かつて『ヨーロッパの歴史』が刊行された時には、日本語版が直ちに出版され、改訂版まで日本語版が出版されている。おそらく、多くの日本人読者は「ヨーロッパ共通の歴史教科書」というそのサブタイトルを一時は信じたのではないだろうか。現実には、教科書はおろか副教材としてすら使用されることがほとんどない「参考図書」にとどまり、仏独共通教科書執筆者のル・カントレック氏などは、「理念はすばらしかったかもしれないが失敗だった」と指摘している」。  独仏共通歴史教科書の「現場の使用状況に関していえば、アビバック[フランスの高等卒業資格であるバカロレアとドイツのアビトゥーアを両方取得することをめざす学級]やヨーロッパ学級[バカロレア取得をめざすが、歴史を相手国の言語で履修する]など特殊な環境での使用に限定され、一般学級での使用は副教材としての位置にとどまっている」。「つまり現時点では、共通教科書は、その発端となった理念とはまだほど遠い形でしか現場で使用されていない。共通教科書は作成されたが、現場への浸透はまだまだ先の課題である」。

 内容的にも問題があった。「そもそも「西に偏った」ヨーロッパ史が、この構想によってさらに、東部中欧・東欧・南東欧地域の過去や記憶から離れていくことである。フランスと西ドイツをヨーロッパの中心と見なし、両国の歩みをヨーロッパ史の範例とするコンセプトの中では、東ドイツ史でさえ、歴史から姿を消した副次的なものとして扱われている」。「今後のヨーロッパ史は「端」からも語られるべきだとしている。そのような視点から歴史を語ることは「相互理解」にとって必要不可欠な要素、すなわち相手に関する知識、他者に対する思いやり、共感できる事柄に価値観を見出しつつ、それと同時に多様性と差異を受け入れること、へ視野を拡大することを可能にする」。

 東アジアの歴史問題に関心のある者は、ヨーロッパやドイツから学ぶことを期待するが、ドイツ文化センター所長のシュメルターは、つぎのように否定している。「わたしたちドイツ人が、世界のほかの場所に置き換え可能なモデルとして誰かの手本になることはできませんし、また教師のようにふるまうつもりもありません。それはわたしたちの手に余ります。そして教科書は「治療薬」でもありませんし、また人間による和解というプロセスの代替品にもなりえません。しかしこれは教育にとって、また政治的教養としての重要なステップであり、親やそのまた親の世代の犯した非人間的な過ちをくり返さないための予防措置でもあります。そして過去の過ちがこれら若い人たちのせいではないにしても、未来への責任は今後も、そしてどこまでも彼らが負ってゆくのです」。

 日本と中国、日本と韓国のそれぞれの歴史認識が問題とされるとき、よく「ドイツから学べ」とか「ヨーロッパから学べ」と言われるが、それが容易でないことが本書からわかる。わたしたち日中韓が学ぶべきことは、まずドイツもフランスも長年にわたって根気よく問題解決のために努力し、試行錯誤を重ねながら挑戦してきたことである。日中韓はまだ対話がスタートしたばかりである。これから根気よく、対話をつづけていくことがまずしなければならないことのようだ。今週、わたしはその対話のひとつのために韓国を訪問する。

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