« 『アジアの思想史脈-空間思想学の試み』山室信一(人文書院) | メイン | 『歴史認識共有の地平-独仏共通教科書と日中韓の試み』剣持久木・小菅信子・リオネル バビッチ編著(明石書店) »

2017年06月06日

『アジアびとの風姿-環地方学の試み』山室信一(人文書院)

アジアびとの風姿-環地方学の試み →紀伊國屋ウェブストアで購入

 シリーズ「近現代アジアをめぐる思想連鎖」の2冊同時刊行の1冊である本書のキーワードは、「アジアびと」と「熊本びと」である。帯には、「人びとの夢のありかは、アジアだった!」「ここに知ってほしい人びとがいる・・・・・・」「アジアにおける思想空間と人びとの旅路」とある。本書はいささかバランスを欠いた2章、60頁弱の「第一章 アジアびとの風声-司馬遼太郎の足音」とその数倍の頁数の「第二章 熊本びとのアジア-ひとつの「環地方学(リーローカロジイ)」の試み」からなる。

 「アジア人」は、「アジア各地を旅され、アジアに友人や知人」が多く、「僕はアジア屋だからな」と言っていた司馬遼太郎が使っていた「アジア人」の「人」を、著者が「びと」と読んだものである。

 第1章で、著者はアジアの特質をつぎのように説明し、最後に「アジアびと」についてまとめている。「江戸時代の多様性は、二六〇近くあった藩の存在が生みだしたものです。そうした多様性をもちつつも、日本としては一つのまとまりを保っていました。私は、アジアの特質として、多様性と一体性とがバランスをもっていること、すなわち「多にして一」というあり方が、理念型としてではあれ、重要な意味をもってきたと考えています。そうであるとすれば、江戸時代にあったアジア的感性を、一極集中としての中央集権主義による一元化によって喪ってきたのが近現代日本の歩みであったと言えるのでしょう」。

 「アジアびと」は、「大きく括りますと、自民族中心主義に陥ることなく、周縁としての視線をもって、相手の側に身を置くことができる、しなやかで柔らかな振る舞いが自然とできる「ひと」であろうかと思います」。

 そういう「アジアびと」として、「熊本びと」をあげるのは、著者の出身というだけでなく、「環地方学」の事例として充分な人材が、数においても質においても存在したからであろう。「環地方学」の必要性について、つぎのように説明している。「何よりも東京や日本を介してしか構成されていない近現代史をアジアという地域空間(リージヨン)から逆照射するためには、「地方」がアジアというリージョンの一部として存在しているという厳然たる事実を、もっと明確に認識し、それに基づいた歴史像の創出が二二世紀の世界で生きていくためには必要ではないかと思料されるからです」。

 その前に、著者は「空間の捉え方を問い直しつつ、歴史を再構成する方途を考えるとき、二つの「期待の地平」が開かれてくる」とつぎのように説明している。「一つめは、グローバル空間とローカル空間とを直結して捉える「全地学(全球地方学)」という方向性でグローカロジイ(Glocalogy)とでも呼ばれるものです」。「二つめは、グローバル空間とローカル空間とを直結させるのではなく、ローカル空間とリージョナル空間の結びつきからグローバル空間との関係を考えようとするもので、「世界(環球=地球)と連環する地方学」であり、リージョナルなローカリズムとしてのリーローカリズム(relocalism)の学として構成するものです。私はこれを「環地方学(リーローカロジイ(Relocalogy))」と名付けたいと思います。ローカルがなければ、ナショナルもリージョナルもグローバルもありえません。また、ローカルという周縁こそ、もろもろのローカルに対する最前線(フロンティア)であり、連環のための結節環となるからです。そのため、ここでいうローカリズムというのは、地方偏重主義や地方的偏狭さを意味するものではありません。そうではなく、国境という壁を突き抜けて直接にリージョナルやグローバルな空間に向けて開かれているのが、ローカルな空間だという含意をもつものです」。

 そして、そのローカルな空間で生まれ育った著者自身を検証しなければならなくなった。「私個人がいかなる「精神風土」の中に生まれ育って、現在のようなアイデンティティをもつに至ったかを確認しておく必要があるはずです。その意味では本当に「私的な、あまりにも私的な」作業でしかなかったかと思っています。ただ、だからこそ、一度は自分の足下にあるものを確かめておかなければ、「次の新たな一歩」を踏み出せないように思えたのです。「熊本びとのアジア」を書きながら、自分が見知った場所で、それぞれの人が生い育っていったことを知り、その存在感や「たたずまい」そして息遣いといったものを、皮膚感覚として感じ取るような錯覚に陥ることが一切ならずありました。もちろん「精神風土」を同じくしたとしても個人の立ち位置は、当然に多様性を示します。私自身、ここに挙げた熊本びとに共感できる部分もあれば、強烈な違和感を禁じえない部分もありました。そして、自分の中にある、嫌な部分が暴きたてられるような思いをしながら読んだ史料も少なくはありません」。

 熊本とアジアとを結ぶ「環地方学」の試みは、国家の束縛から解きほぐされる一面のある時代、社会だからこそ、可能になったのだろう。それも、熊本だから可能になったのであろう。では、ほかの地方ではどうだろうか。「多にして一」の幕藩体制から明治になって、「肥後びと」はいつどのようにして「熊本びと」になったのか。あるいはここでいう「熊本」は県ではなく、藩のままなのか、それとも別の空間なのか。旧藩人から県人になかなかなれなかった地方、人びともいる。近代国民国家は制度によって創られる。では、ローカルやリージョナルな空間は、どのようにして創られるのか。国家と国家の集合体の国際社会を考える時代から、ローカルやリージョンも考えなければならなくなった。やっかいになったと考えるのか、それとも国家から自由になることを喜ぶべきなのか、著者が検証したように自分自身が「○○びと」なのかを考えなければならないようだ。

→紀伊國屋ウェブストアで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/5902