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2017年05月30日

『アジアの思想史脈-空間思想学の試み』山室信一(人文書院)

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 本書は、「法政思想連鎖史」を専攻とする著者、山室信一のシリーズ「近現代アジアをめぐる思想連鎖」の2冊同時刊行のうちの1冊である。著者が、講演記録などで活字になっていたものを、大幅に加筆修正し、4部12章にまとめている。

 帯に、「交響するアジアの思想」「ここに伝えてほしい思想がある・・・・・・」「アジアにおける思想空間と人びとの旅路」と読者を誘う魅力的なことばが並んでいる。だが、シリーズ名、主題、副題の3つにそれぞれある「思想」(思想史脈、空間思想学、思想連鎖)を、著者が本書で描き出す「グローバルな視点のなかにアジアの思想と空間を問い直し、境界と想像を越えた思想のつながり」のなかで理解することはたやすいことではない。

 まずは、キーワードのひとつである「思想連鎖」について理解しなければならない。「Ⅰ 思想連鎖への道」「第一章 史料に導かれて-連鎖視点への歩み」のなかで、著者はつぎのように説明している。「欧米から東京へ、東京から日本各地へ、欧米留学生や官僚から大学や大衆演芸を通して国民各層へ、という思想連鎖が、実はもっと違った回路を通じて東アジア各地へと連鎖していくことに気づく機会が訪れました。つまり自発的結社や大学などで刊行された著作や論説が、さらに今度は中国や韓国やベトナムなどからやってきた留学生が自分たちの言葉で翻訳するのです。そして中国や韓国における国家形成、あるいは国民形成のために使われていくことになります。つまり、私の言う「思想連鎖」とは、欧米から継受したものが日本で普及し、さらに、日本を中心として中国、朝鮮、ベトナム、タイ、ビルマなどにも広がって行く思想の流れを指すことになります」。

 また、「Ⅲ 平和思想の史脈」「第八章 安重根・未完の「東洋平和論」-その思想史脈と可能性について」では、つぎのような例をあげている。「思想連鎖とは、直接的な継受関係がないにも拘わらず、そこに相通じる思想なり志向なりが存在することに着目する方法的視座を意味するものである。その意味で、安重根の文明批判が「殺人機械の廃絶」にあった以上、それは軍備撤廃への要請と繋がることは当然の理であろう。また、その文明論の前提には、日本の自由民権運動に学んだ梁啓超とそしてそれを受け取りつつ愛国啓蒙運動を展開した安昌浩らの唱道する天賦人権論の思想水脈を受け継いだ個人の自由・平等の思想があった。そうであるとすれば、それが更に国家を越えた「市民」というトランスナショナルなシチズンシップへと広がっていく志向性を看取することも不可能ではないはずである。これらの思想水脈が日本においては憲法9条として結実したと私は考えているが、もちろんそれが内実を伴ったものとなるためには、なお多くの時日を要するであろう」。

 このような国境を越える学知が、日本の国民国家形成過程で国学知として整えられ、「その後、留学生などを通じて東アジア各地のそれぞれの国学知の形成に大きな影響を与え」た。「Ⅳ 学知と外政-井上毅の日本とアジア」「第一〇章 日本の国民国家形成と国学知の思想史脈」では、まず国学知とはなにか、ついで国学知が広がり「空間学知」になっていくことを、つぎのように説明している。国学を「ここではあえて国学知といいますが、国学は決して宗教的な祝詞を読んだり、神典といいますか、日本の古典を読むだけの学問ではありません。当然それは祭祀つまりお祭りをすることにも係わりますが、そのお祭りは農業にかかわっていますから、農業技術を教えることなども含んでいました。平田派が全国に普及していったのは、当然そういう実学的な側面があったからです。単に知識だけではなくて、生産における技術知といいますか、生活における生活知といいますか、そういう生活や地域に根ざした知識や技術を伝えたわけです。だからこそ人々をとらえる力をもったはずです」。「そういう意味で広く国学知という言葉を使いますと、その中には古文献の読解による各地の歴史ですとか、山陵志などの地誌といった領域もカバーしていました。現在の言葉でいえば、それは地域生活に根ざしたフィールドワークに当たるものです。現場に行って対象を計測したり、あるいは絵図に書いたりすることによって確認していたわけですから、空間に対する知識であります」。

 それを今日のグローバルな時代にあてはめると、つぎのようになる。「今、私たちはグローバリゼーションの荒波を受けて、瞬時にして地球の裏側にもメールが届くような社会に住んでいます。そしてそこでは人と人のつながり方も、国境を越えて大きく変わってきております。そうであればこそ、グローバルリズムの時代において、固有の文化や生活様式とは何であるのかが、同時に問題となるはずです。スローライフや地産地消といった運動が起こり、グローカリゼーションという言葉にも注意が向けられています。グローバリゼーションと表裏一体となってローカリゼーション、それぞれの土地や空間の持っている固有性の探求が必要になってきているのです。そして私はさらにローカルなものの連環としてのリージョンを考えるリーローカリゼーションを追求するリーローカロジイ(環地方学)という学知を追求する必要性を痛感しています」。「それぞれの地域が、それぞれの個性を維持し、発信していくべきでしょう」。

 そして、この章は、つぎの文章で締めくくられている。「それはナショナルな学としての国学知から、ローカルとリージョナル、ローカルとグローバル、リージョナルとグローバルといった多層的な空間関係の中における個人と社会のあり方を考える空間学知として構想されることになるのではないでしょうか」。

 これらの議論を経て、著者は最終章の「第一二章 後ろを見る眼-歴史を学ぶということ」で、本書の主題である「思想史脈」をつぎのようにまとめている。「小さな断片や部分を繋ぎ合わせることによって、いままで孤絶していると思われていた出来事や現象が異なる歴史的文脈の中で捉えられ、それまでは見えていなかった全体像が見えてくるように思われます。「真実は細部に宿る」というのは、否定できないようです。そして、このように出来事や現象の「繋がり」に着目して歴史を捉える視点を、私は「連鎖視点」と呼んでいます。その「連鎖視点」によって思想の水脈をたどる歴史記述が「思想史脈」ということになります」。

 それを主題のもうひとつのことばである「アジア」と結びつけると、つぎのようになる。「これまで一般的には、アジアの近代化は、欧米の思想や制度が直接、欧米からアジア諸国にもたらされたという、単線的な文脈の中で捉えられていました。欧米のチャレンジに対する、それぞれの国や民族のレスポンスがアジアの近代を生んだという見方です。また、明治日本の近代化についても、欧米の思想や制度がいかに日本に影響を与えたかという点に関心が向けられていました。しかし、実際にはその流れだけではなく、欧米から中国へ、そして中国から日本という流れが欧米から日本への流れと合流し、そして、今度は日本から中国をはじめとするアジア諸国へと繋がる、いわば日本を知の結節環とするもう一つの思想史脈があったことが見えてきます」。

 そして最後の節「四 歴史を受け継ぎ、伝え、応答する責任」は、つぎのことばで終えている。「政治を動かすとか、社会を変えるとかといった大袈裟なことを指すのではなく、先ずは自分が伝えることのできる範囲の中で、自分が生きた体験を何らかの形で伝えていく。その責務を果たすための一つの方法として歴史を学ぶということがあるのではないでしょうか」。「「伝えなければ、伝わらない」はずなのです」。

 「日本を結節点として」、「相互に規定しあいながら近代化をすすめた」アジアで、さまざまな人びとの知的交流のなかで、それぞれの国民国家を形成していくことになったかが、本書から想像できる。だが、本書で描き出されたのは、実際の連鎖のほんの一部にしかすぎない。日本だけでなく、たとえばヨーロッパ各地に集ったアジアの人びとは、そこでも直接、間接に「アジア」を体験した。「日本を結節点として」だけではない連鎖があった。国旗の下に考え行動した者もいれば、束縛されることなく自由に考え行動したアナーキーな人びともいた。境界と想像を越えて連鎖していく力が、時代、社会を動かした。境界を越えることがたやすくなったグローバル社会のなかで、どういうアジアが見えてくるのか、著者とともに考えていきたい。

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