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2017年05月16日

『日韓歴史認識問題とは何か-歴史教科書・「慰安婦」・ポピュリズム』木村幹(ミネルヴァ書房)

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 本書の序章のタイトルは、「歴史認識問題をめぐる不思議な状況」である。つまり、「不思議な状況」でなければ、問題は解決できるということである。本書は、その「不思議な状況」を理解することによって、「朝鮮半島研究をめぐる悪循環」を断ち切ろうとするものである。

 著者、木村幹は「はじめに」で、そもそも「この日韓間の歴史認識問題をめぐる状況の悪化については、これまで真剣な分析が行われてこなかった」という。「そこでは韓国における「反日教育」の存在や、日本社会の「右傾化」といった要素の重要性が漠然と指摘されるだけであり、それらが実際にどのような役割を果たしているのかについては具体的に分析されてこなかった」。

 だから、著者は「重要なのは、日韓間の歴史認識問題を理解するためには、これを冷静に分析し、今日の状況に至った原因を明らかにすることである」とし、「問題の原因が分からなければ解決方法や対処方法が見つかるはずもない。そして原因を見つけるためにはきちんとした手続きによる客観的な分析が必要だ」と、本書の目的を述べている。

 本書は、序章、全6章、終章からなる。「第一章 歴史認識問題を考えるための理論的枠組み」、「第二章 歴史認識問題の三要因」で論点を整理した後、「第三章 日韓歴史教科書問題」から時系列に日韓間の問題を「第四章 転換期としての八〇年代」「第五章 従軍慰安婦問題」「第六章 「失われた二〇年」の中の歴史認識問題」と追って、「終章 日韓歴史認識問題をどうするか」に導いている。

 終章では、3つの見出し「日韓歴史共同研究の教訓」「「共通の歴史教科書」は作れない」「日本自身の重要性を説明せよ」を設け、問題点を整理している。まず、「日韓歴史共同研究の教訓」では、つぎように成果を出せなかった理由を述べている。「まず明らかなのは、この問題が単なる植民地支配期の「過去」に関わる問題である以上に、一九四五年以降現在に至るまで七〇年近くにわたる「現代史」上の出来事だということである。既に述べたように、日本の朝鮮半島における植民地支配は、公式には一九一〇年から四五年までの三五年足らずだから、植民地支配が終了してから現在までの時間は植民地支配そのものの既に二倍近くに相当するものになっている。言い換えるなら、歴史認識問題とはこの間の我々が「過去」をどのように議論し、理解してきたかに関わる問題であり、ゆえにただ単に「過去」の事実を議論してもこの問題の解決に至らない」。「共同研究は、期待とは裏腹に、両国研究者間の歴史認識の違いを浮き彫りにしただけに終わることになった。そしてその理由の一つは簡単だった。それは共同研究に集った研究者の大半が、歴史学の専門家ではあっても、「歴史認識問題」の専門家ではなかったからである」。

 つぎに「「共通の歴史教科書」は作れない」理由を、つぎのようにまとめている。「日韓間の歴史認識問題は「過去」の事実に関わる問題である以上に、「現在」を生きる我々自身の問題だ、ということである。だからこそ、「過去」の歴史的事実に関する専門家である歴史学者を集めても、その「過去」の事実の中から、何を「現在」議論すべきかをさえ決めることはできない、ということになる」。また、「両国の教科書作成に関わる指針が異なれば、共通の教科書など作れるはずがない。そしてそれは何も歴史教科書のように両国のナショナリズムに関わる分野だけの話ではない。両国政府の求める教科書への指針が異なる以上、我々は「共通の数学教科書」すら作ることができないのである。そもそも日韓共通の歴史教科書という場合には、それが具体的に何の科目の教科書-例えば、「日本史」なのか「世界史」なのかはたまた新しい「日韓関係史」という科目なのか-かさえ不明である。「教科書」の以前に詰めなければならないことは山とある。だからこそ、「専門家」とりわけ「歴史の専門家」が集い、議論を積めば、やがては日韓共通の歴史教科書が作れる、というのは幻想でしかないのである」と結論している。

 最後に、「日本自身の重要性を説明せよ」では、日本側の問題をつぎのように指摘している。「そもそも我々日本人は、これまで韓国や中国等、周辺国に対して、自らの重要性をきちんと説明してきたのか、ということである。そのことは韓国や中国が国際社会に対して何を行っているのかを見ればすぐに明らかになる。彼らは今日においても、世界に対して自らの重要性を積極的に宣伝し、そのための様々な活動を行っている」。「対して長年「アジア唯一の経済大国」としての地位を占めてきたわが国は、長らくその地位に胡座をかき、「彼ら」に対する「我々」の重要性を積極的に説明することを怠ってきた。だが、今やこの地域における日本の影響力は、かつてとは比べものにならないほど小さくなっている。だからこそ、日本は自ら積極的に、自身の重要性を説明することが必要になっている」。

 問題は、どこにでも無限大にある。解決できればいいが、解決できない問題も無限大にある。だが、そのなかで紛争化するものは限られている。本書では、問題が解決できない理由、紛争化した理由を明らかにしている。では、解決するには、すくなくとも紛争化させないためには、どうすればいいのか。問題の基層を流れるもののひとつの愛国主義の「愛」の反対は、「憎悪」ではなく「無関心」である。韓国人側の問題として日本にたいする「憎悪」にどう対処するかがあるとすれば、日本人側の問題は「無関心」にどう対処するかにある。

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2017年05月09日

『靖国神社と歴史教育-靖国・遊就館フィールドノート』東アジア教育文化学会企画、又吉盛清・君塚仁彦・黒尾和久・大森直樹編(明石書店)

靖国神社と歴史教育-靖国・遊就館フィールドノート →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、「靖国神社が歴史のなかで果たしてきた役割と、人間が人間の命を大切に生きていくこと。両者の間には、どのような関係があったのか」という課題について、2005年から13年に「東アジア教育文化学会の活動としてとりくんできた内容を、三本の柱でまとめたものである」。

 本書は3部からなる。「Ⅰ 東京の戦争遺跡の検証-巣鴨プリズン跡・北の丸公園・靖国神社-」は、「本学会が又吉盛清を案内人として二〇〇六年一〇月七日におこなったフィールドワーク「東京の戦争遺跡」について、その詳細な記録を黒尾和久と君塚仁彦による追加調査を得てまとめたものだ」。

 「Ⅱ 靖国教育の検証」は、「二〇〇八年に、一部の国会議員と政府と教育委員会の連携によって、靖国神社を利用した教育(靖国教育)を復活させる動きが着手されている事実について(本書一〇三~一〇五頁)、その認識を深めるために三本の論考をまとめたものだ」。

 「Ⅲ 東アジアの靖国問題」は、靖国問題を東アジアにおける各地の視点から検証するために四本の論考を収録したものだ」。まず、「又吉盛清は「琉球・沖縄から見た「靖国問題」」は、日本の侵略戦争と植民地支配に動員された沖縄人が、命を失い、靖国神社に合祀され、次の戦争を準備するために利用されてきた歴史事実を、「沖縄人の「靖国化」」という概念によって分析している」。

 つぎに、「朴晋雨(パクジンウ)「韓国から見た靖国問題」は、A級戦犯の合祀後も沈黙していた韓国が、なぜ、一九八五年から靖国神社を批判するようになったか。その政治的な背景を整理することを通じて、歴史的な事実をふまえて靖国問題を解決する必要について論じている」。

 3つめの「王智新(ワンツーシン)「中国から見た靖国問題」は、二〇〇一年以降の小泉首相の靖国参拝に焦点を当てて、その行為と論理の分析を行ったものだが、そのことと併せて、中国人が、靖国神社の本質を、一九〇四~〇五年の日露戦争直後から見抜いていた事実についても論じている」。

 最後に、「君塚仁彦「近代日本の戦争・植民地記憶をめぐる管理と再編制」が、侵略戦争と植民地支配に関する歴史認識の問題点を、東京にある一六に及ぶ戦争博物館・施設から論じている」。

 「靖国問題」とは、「韓国から見た靖国神社」の冒頭で、つぎのように述べられていることにつきる。「靖国神社の問題は、日本の国内的な問題だけでなく、韓国と台湾のように植民地支配を受けた国や中国のように侵略を受けた国との歴史認識をめぐる問題が複雑に絡んでいる。このように複雑な靖国問題の根源的な要因は、近代日本において国家(天皇)に対する忠誠や犠牲を強要し、侵略戦争に動員された戦没者を顕彰する役割を果たしていた靖国神社が、敗戦後にも廃止されずに存続した事実にあるといえる」。

 本書を通じて「靖国問題」も「歴史認識問題」も、原因と解決できない理由をわかっていることがわかる。つまり、すでに表面化してから30年以上にわたって知恵を出しあっても、解決できなかったということは、近い将来の解決は望めないということだ。ならば、解決できないことを前提に、どう紛争化しないようにすればいいのかを考えるしかない。これまでとは、少し違った発想が必要だ。

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2017年05月02日

『フィリピン-急成長する若き「大国」』井出穣治(中公新書)

フィリピン-急成長する若き「大国」 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「フィリピンは高度成長国に変貌を遂げた。2050年を展望した場合、フィリピンはアジアで最も将来性がある希望の星だ」。本書は、著者井出穣治が、「財務大臣や中央銀行総裁といったフィリピンの政策当局者から何度も聞いた」このフレーズではじまる。

 本書のタイトルやこのフレーズを見て、いまだ「治安が悪くて貧しい国」という漠然としたイメージをもっている日本人は、意外に思うことだろう。著者の執筆意図は、「「アジアの病人」と呼ばれていたフィリピンに対する負のイメージを捨て、新しい視点でフィリピンを見直さなければならない」という点にあり、「「アジアの希望の星」とまで呼ばれるようになったフィリピンの真の姿を知って欲しい、フィリピンが大きな潜在力を持っていることを知って欲しい」という思いから本書を構想した。

 もうひとつ、著者が構想した理由は、「現在の地域研究のあり方に対する」問題提起からで、「わが国の地域研究では、経済、政治、歴史と分野が専門分化する色彩が強まっており、結果として、特定の国や地域を大局的な観点で語った書籍が少なく」、「個々の領域を統合し、ひとつの物語を作る努力を続ける必要があるのではないか」、「フィリピンの真の姿をしっかりと伝え」たいとの思いからである。

 「先進国、中国をはじめとする主要な新興国の経済成長のペースが鈍化するなど、外部環境が悪くなっている中で」、フィリピンは2010年以降、平均6%を上まわる経済成長を遂げ、「国の経済規模を示す名目GDPは、2000年時点の810億ドルから、2016年時点では3117億ドル(IMF予測値)と約4倍になり、急速にキャッチアップしている。1人当たりGDPについても、同時期に1055ドルから2991ドル(同予測値)と約3倍になっている」。

 フィリピンの「高度成長の源泉」は「常識とは異なる新しい経済成長のモデル」で、「サービス業と消費が主導」していることを、第2章でつぎのように説明している。まず、「フィリピンの経済成長は、製造業が主導する形で「東アジアの奇跡」を実現した東アジアの大半の国とは様相が異なる(略)。一国の経済発展のプロセスをみると、一般的には、「農林水産業→製造業→サービス業」の順に成長の牽引役が変わっていくことが多いが、フィリピンの場合は、製造業が発展するステップを踏まずに、サービス業が主導する形で高度成長を実現しており、ユニークな存在と言える」。

 つぎに、「GDPを需要項目別に分類し、経済活動が、消費、投資、輸出といった支出項目のうち何に支えられているのかを確認すると」、「フィリピン経済は、個人消費がGDP全体に占めるウエイトが70%程度と非常に高く、逆に投資のウエイトは20%程度と必ずしも高くない」ことがわかる。「近年の経済成長に関しても、6%程度の成長率に対して、個人消費の寄与度は4%程度となっており、個人消費が成長を牽引している。ただし、近年は民間の設備投資や建設投資も増加しており、以前に比べると、投資も成長を支える柱になっている」。

 本書は、楽観的に「フィリピンが高度成長国として離陸し、アジアの「希望の星」として着実に歩みを進めている」ことを述べているだけでなく、つぎの「フィリピンが直面している課題にも目を向け」ている。「①超高層ビルとスラム街のコントラストに代表される、この国の貧富の差の問題、②マニラ首都圏の深刻な交通渋滞に代表される、この国のインフラ不足の問題など、フィリピン経済は多くの構造的な問題を抱えている。実は、これらの構造的な問題の根源には、20世紀半ばまで続いた約400年間の植民地時代に作られた制度が大きく影響している。本書では、これらの負の遺産についても検証する」。

 そして、「歴史的な洞察に加えて、フィリピンの現在の立ち位置を知り、将来を展望する」ために、「①この国の民主主義をどう考えるのか、②この国を取り巻く地政学の問題をどう考えるのか」を、つぎのように論じている。「フィリピンの政治というと、古くは、マルコス独裁政権の印象が強いかもしれない。また、最近では、2016年6月に就任したドゥテルテ大統領のもとで、麻薬犯罪者の超法規的殺人が行われている国とのイメージが強く、強権的な政治を連想するかもしれない。しかし、歴史を紐解くと、実はフィリピンは、アジアの中では非常に早い段階で、民主主義が制度として定着した国である。その意味で、フィリピンの民主主義には先進的な面があるとも言える」。

 さらに、「地政学に関して言えば、フィリピンは1946年の独立後、同盟国として米国のアジア外交の要衝に位置付けられてきたが、近年は、中国の台頭が著しい中で、外交上のバランスの取り方に腐心している。南シナ海を巡る中国との領有権問題はその最たる例であり、今後も米国と中国の狭間でどう立ち回っていくのか、という問題に直面し続ける可能性が高い」。「こうした民主主義や地政学の問題についても、第二次世界大戦後の歴史を振り返った上で、先行きを展望」している。

 最後に、「日本にとってフィリピンは極めて重要な存在であり、同国との関係を重視する意義は大きい」ことから、「本書の締め括りとして、日本とフィリピンの関係を考え」、「片務的な関係から互恵的な関係へ」なることを期待して本書を閉じている。

 日本とフィリピンとの関係は、この「片務的な関係から互恵的な関係へ」が長年の課題で、ヒトもモノも交流があるのに、互いが尊敬しあう実りある関係が蓄積しないことに関係者は悩んできた。著者のような「フィリピンの真の姿をしっかり伝え」たいという思いが、本書を通じていまだ「治安が悪くて貧しい国」というイメージをもっている日本人に伝わることを願っている。

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