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2017年04月11日

『インドネシア国家と西カリマンタン華人-「辺境」からのナショナリズム形成』松村智雄(慶應義塾大学出版会)

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 表紙の写真を見るだけで、時代の変化を感じさせる。かつて、インドネシアのチャイナタウンで漢字を見ることはなかったし、このようなカラフルな情景は想像だにできなかった。国家と「辺境」が対等に向き合うことも考えられず、本書のようなタイトルも思い浮かばなかった。

 「はじめに」によると、本書の主題のひとつは「辺境」である西カリマンタンが、「インドネシア国家とどのような関わりも持ってきたのか」、「一九五〇年代から現代までの歴史を辿ることで追究」することであり、もうひとつの主題は「中国系住民(華人)への着目である」。

 長い47頁にもおよぶ「序章」を締めくくる「7 本書の構成」の冒頭で、著者は「本書執筆の目的」をつぎのようにまとめている。「一九五〇年代には「インドネシアの外部」に位置していた西カリマンタン華人が、インドネシアという国家に組み込まれていく過程を分析することである。彼らは受動的に組み込まれていったように見えるものの、彼らがたどったのは、国家勢力との絶え間ない交渉の中で、彼らなりの落としどころを探る過程であった。この過程を明らかにし、スハルト体制崩壊後に華人の国家政治への直接参与を生み出すまでに至った原因を歴史的に分析することを主眼とする」。

 本書は、1950年代から現代まで、時系列に4つの章で議論を展開している。第Ⅰ章「インドネシア国家との弱いつながり」では、「一九五〇年代の西カリマンタン華人社会を検討する。当時の華人社会の性質、その帰属意識が表れるメディアの状況および、華人の文化継承と思想形成に影響を与えた学校教育の諸相を分析する。しかしながら一方で、インドネシア国家との関わりは限定的であったとはいえ、西カリマンタン華人は、一九五〇年代末に生じた華人の国籍問題を経験することによって彼らの日常生活に忍び寄る国民国家の存在をかすかに感じ取るようになった」。

 第Ⅱ章「西カリマンタンの軍事化と華人」では、「西カリマンタン華人に大きな衝撃を与えた一九六七年華人追放事件に焦点を当て、当該事件の原因、経過、帰結を分析する。この事件はインドネシア国家の存在感が前面に登場した画期であった。この時代、西カリマンタン華人は、国家にとっての脅威と見なされ、国軍による監視の対象となった」。

 第Ⅲ章「スハルト体制期の華人同化政策と西カリマンタン華人」では、「スハルト体制期に発動された華人同化政策に対し、西カリマンタン華人がどのように対応したのかを考察する。当時、確かに中国起源の文化の公的な場での表出は制限を受けていた。しかし彼らはその制限があることを受け入れたうえで、国家勢力と交渉していた。これは、一九五〇年代には西カリマンタン華人がそれほど意識していなかったインドネシア国家の存在が彼らにとって前景化していく過程でもあった」。

 第Ⅳ章「「改革の時代」の西カリマンタン華人」では、「ポストスハルト期(一九九八-)に西カリマンタン華人の間、また西カリマンタンの華人とその他の民族との間で起きた変化について考える。内容は多岐に渡るが、スハルト体制期に課せられた華人に対する諸制度が撤廃されたことにより、華人の政治参加が加速したこと、またそれに伴い、その動きに不満を覚える勢力が登場し、民族間の関係が悪化したこと、さらに、華人の文化表象が西カリマンタンにおいてどのように展開したのか、についても検討する。それは、一つには、ハサン市政で登場した市政を挙げての文化表象であり、もう一つは二〇〇〇年代になって盛んに撮影されるようになったシンカワンを舞台にした映画表象である」。

 そして、「終章では、本論における議論の整理を今いちど行い、「辺境」に暮らす華人とインドネシア国家の関係の歴史からどのような知見が導き出せるのかについて考察する」。

 その終章では、「1 各章の要点整理」の後、「2「辺境」について」をつぎのようにまとめた。「西カリマンタンはインドネシアに編入された後、「辺境」の(「行き止まり」としての)役割を負わされ、一九八〇年代までの国民統合の時代にはその役割に徹することが求められた。これはちょうど、国民国家単位で東西どちらかの陣営に属することが意識化された冷戦の時期と重なる。それが終わった一九九〇年代以降、地方が注目を浴びるようになった。そのような地方分権化の時代において、グローバルにネットワークを築いていった例としても西カリマンタンは注目される。それによって、地元の発展を自分の力で達成しようというのである。「辺境」から国民国家を見渡すことで、「辺境」が国民国家によって「行き止まり」としての役割を担わされていたこと、そして辺境はまた、多くの地域がつながるゲートウェイにもなりうるという点が看取できるのである」。

 最後の節「3 同化政策と西カリマンタン華人」では、つぎのように結んで本書の結論としている。「これまで、国民史中心の歴史記述の中で、華人という存在はその両義性から、「どちらかにつくのか」が疑問視され、政治的側面、文化的側面すべてが政治問題と化し、中国あるいは居住国いずれかの国家に関係がある部分だけクローズアップされて取り上げられてきたことを序章で述べた。そのような方法では汲み取れない彼らの生活世界の歴史について理解を深めることは、華人のみならず、国民史の中で忘れ去られた人々、国民史において都合のよいように語られる一方である人々の声に耳を傾けることにつながる。これは、異なる背景を持つ人々の交流がますます盛んになり、それらの人々の間の相互理解が課題となっている現在、そして未来においても、共生の知恵を生み出す源泉となると考える」。

 著者が述べるように、「辺境」は「行き止まり」ではなく、「ゲートウェイ」にもなりうる。「ゲートウェイ」になるかならないかは、国家の「辺境」になる前の関係が影響するのだろうか。「ゲートウェイ」は国家主導のものなのか、国境を跨いだ地域社会の「継続」あるいは新たな創造なのだろうか。いまグローバル化のなかで、ナショナル・アイデンティティとコスモポリタニズムの問題がグローズアップされている。そのなかで著者は、東南アジアを特徴づけるもののひとつとして、華人に注目した。ロジャース・ブルーベーカーが『グローバル化する世界と「帰属の政治」』(明石書店、2016年)のなかで展開するネーション中心のアプローチとは違うものが、西カリマンタンでは議論できるのか。本書を出発点として、今日直面しているさまざまな課題に向きあうことができる。

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