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2017年04月25日

『日英開戦への道-イギリスのシンガポール戦略と日本の南進策の真実』山本文史(中公叢書)

日英開戦への道-イギリスのシンガポール戦略と日本の南進策の真実 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「「装備に優る英米に対して装備に劣る日本軍」という「大東亜戦争」に対して戦後日本で一般的に持たれているイメージは、「マレー・シンガポール戦」には、まったく当てはまらないのだ。「装備に優る日本軍」が「装備に劣るイギリス軍」を圧倒できたのである」。これが、著者山本文史が本書で言いたかったことである。そのために、「「シンガポール海軍基地」と「シンガポール戦略」をキーワードに「日英開戦への道」を探ろう」とした。

 本書は、「はじめに」、序章「シンガポール戦略」、全9章、「あとがき」からなる。序章で本書の概略がつかめ、第一~九章では「シンガポール海軍基地」と「シンガポール戦略」の変遷が語られている。各章の終わりに「おわりに」があり、章ごとに理解しやすくなっている。だが、本書全体の「おわりに」はない。

 最終章の「第九章 シンガポール攻略に向けた準備の完成」の「おわりに」の最後頁に1行明けて、つぎのように書かれているのが本書の「結論」のようだ。「「大東亜戦争」は、あれだけの大戦争となり、「大英帝国」を消滅させ、最後には、「大日本帝国」まで消滅させたのであるが、今日の視点で見れば、何のために戦ったのか、よくわからない。少なくとも、日英の間には、あれだけの大戦争に訴えなければならないほどの利害の衝突は、なかった。それにもかかわらず、ああなってしまったのだ。結果として、あの戦争によって、アメリカが「覇権国」となり、ソヴィエトが「超大国」となったのに対して、「大日本帝国」は、「大英帝国」を道連れに、消滅してしまったのである」。「ひょっとしたら、「大東亜戦争」の最大の成果は、大国同士が戦った場合の破壊力の大きさと、大国同士が戦うことの無益さを、人類に知らしめたことかもしれない。あれ以来、今日まで、大国間の大きな戦争は、起きていない」。

 本書の副題に「真実」とあるのも、著者が日本やイギリスなどで間違ったイメージが、「広く、深く、信じられ」ているからである。その原因は、「「シンガポール戦略」に関連するイギリス側の一次資料の公開が遅れたことにより、「シンガポール戦略」や、マレー半島やシンガポールの防備についての本格的な研究が現われ始めたのが、終戦から三五年ほど経った、一九八〇年前後である」からである、と著者は言う。だが、広く流布しているイメージが、はっきりした根拠に基づかないケースはそれほど珍しいことではない。

 ヨーロッパではアジアへの関心が薄く、研究者が多くないので、原資料に基づいて語られることのほうがむしろすくないと考えたほうがいいかもしれない。ましてや、アジアのことばで原資料を読むことにできるヨーロッパの研究者は限られている。さかんに語られているのは、イギリス人捕虜などの体験記である。「装備に劣るイギリス軍」というより、装備を充実させる気がなかったと考えたほうがいいだろう。日本では、著者が指摘するように、日米戦ととらえるほうが一般的で、戦後日英戦について語られることはほとんどない。そのアメリカも、はじめ「装備に劣」っていた。イギリスとの違いは、イギリスの国力の低下だけでなく、本国が本格的に戦場となっていなかったことも関係しているだろう。その気になる余裕があった。

 本書で、第一次世界大戦以降の日英のシーパワーのバランスと、開戦に至る経緯が明らかになった。日米中心史観から日英中心史観に変わることで、戦場となった東南アジアはどう変わってみえるのか、気になるところである。また、シンガポールの前に、香港がクリスマスの日に日本に占領された。そのことが、どう影響したのか。シンガポール陥落後、日本では全国各地で提灯行列など祝賀に沸いた。それが、「装備に優る英米に対して装備に劣る日本軍」という戦後の日本で一般的となったイメージとどうかかわりあうのか。「真実」の先に、いろいろなテーマが設定できそうだ。

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2017年04月18日

『欧州複合危機-苦悶するEU、揺れる世界』遠藤乾(中公新書)

欧州複合危機-苦悶するEU、揺れる世界 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 イギリスのEU離脱、アメリカ合衆国大統領選のトランプ勝利、最後は落ち着くところに落ち着くのだろうとみていたら、そうはならなかった。グローバル化やポピュリズムだけでは説明しきれない、なにかが起こっている。それはなにか、ヨーロッパを事例に考えてみたいと思って、本書をとってみた。

 本書、表紙見返しで、つぎのようにまとめられていた。「一九九三年に誕生し、単一通貨ユーロの導入などヨーロッパ統合への壮大な試行錯誤を続けてきたEU(欧州連合)。だが、たび重なるユーロ危機、大量の難民流入、続発するテロ事件、イギリスの離脱決定と、厳しい試練が続いている。なぜこのような危機に陥ったのか、EUは本当に崩壊するのか、その引き金は何か、日本や世界への影響は……。欧州が直面する複合的な危機の本質を解き明かし、世界の今後を占う」。

 本書の目的は、「危機に瀕している」ヨーロッパの危機を「複合危機」としてとらえ、「その上で歴史的な文脈に照らして検討し、政治的な要因を分析し、内的な連関をさぐってゆく。そうすることで、どんな意味で「危機」なのか、なぜそのような状態に陥ったのか、今後どうなっていくのか、日本や世界への影響はあるのかといった問いについて、一通り見当をつけられるようにしたい」ということである。

 そのためには、まず「複合」の意味を明らかにしていくことが必要で、著者はつぎのように「三重」であるとしてまとめている。「一つは、何よりも複数の危機が同時多発的に襲ってきているということ」、「二つ目は、それらの危機がお互いに連動し、相乗効果をもたらす」、「最後に、この危機は、国際、EU、加盟国、はたまた地域といった多次元で起きており、それらの縦の連関を問うことなしには本質に迫れないということである。この「多層性」は、世界的なリーマン・ショックとユーロ危機、国際化するシリア内戦と欧州難民危機などに見られるが、典型的にはユーロ危機が緊縮財政を経由して加盟国中央政府への集権化につながり、ときに富を奪われ福祉の削減を強いられたカタルーニャやスコットランドなどの地域の分離主義を刺激して、その内政危機がまたEUに跳ねかえる構図となって現れる」。「EUの危機」の「背景と構造を明らかにするのが本書の目的となる」。

 本書のもうひとつのねらいは、「EUの語られ方を考えてみることである。ともすると、統合プロジェクトがうまくいっているときは、欧州合衆国ができる(!)と盛りあげ、行きづまると「崩壊」や「解体」ということばがヘッドラインで踊る。このような乱高下の激しいジェットコースター型の言説、すなわち語られ方自体に問題があるのではないだろうか」ということである。

 そして、著者は「本書では、EUが歴史的に見て第一級の危機のなかにあり、ヨーロッパが重大な岐路にいることを明らかにしたうえで、国家にもならず単なる国際機関でもないEUが、七〇年近い統合史のなかで、なぜ、どのように、どの程度の地歩を築き、危機にあっても下げ止まる一定の論理やメカニズムを備えているのか、そしてもし仮に本当にそれが崩壊するのなら、そのボトムラインはどこにあるのか、並行して考えていきたい」という。

 本書は、「はじめに」、全3部8章、終章からなる。4章からなる第Ⅰ部「危機を生きるEU」では、「二〇一〇年代に起きた複数の危機を一つ一つ追ってゆく。その発端となったユーロ危機(第1章)、欧州難民危機(第2章)、ウクライナ危機やパリ同時テロ事件といった安全保障上の危機(第3章)、そしてイギリスのEU国民投票(第4章)は、それぞれ起源や文脈、また性格を異にする危機である。それゆえ、ときに新しい資料を持ちこみながら危機ごとに検討する」。

 第Ⅱ部「複合危機の本質」の3章では、「やや突っ込んで、EUが抱える問題を政治学的に分析する」。「まず第5章では、統合の長い政治史のなかに現在の危機を位置づけなおし、その危機の大きさや特質を推しはかる」。「第6章では、現状のEU自体がいかなる意味で問題の解決ではなく、問題の一部になってしまっているかを具体的に明らかにしたい。目下の主たる課題はユーロ、シェンゲン、イギリスであり、それらを読み解くキーワードは、デモクラシー、ナショナリズム、社会連帯とアイデンティティ、そして機能(統合)であり、それらのあいだの関係が問題となる」。「第7章では、そうした問題にもかかわらず、崩壊せずにいる要因をさぐる」。「この第Ⅱ部の三章をつうじて、EUが、ちまたでささやかれる崩壊でもなく、他方で経済合理性に基づいていつも通りの統合の物語に帰っていくのでもなく、そのあいだで、統合と逆統合の綱引きを繰り返しながら、生き残るさまをリアルに見てとりたい」。

 第Ⅲ部「欧州と世界のゆくえ」は、「第8章と終章からなり、今後の危機の展開を占い、広く世界への合意を考察する」。「第8章では、EUが危機に陥ることが、日本を含む世界にとっていかなる意味をもつのか、検討してみよう」。「終章では、それまでの検討をもとに、あらためてEUの是非を論じ、それに伴いリベラリズムのゆくえを問うことになろう」。

 そして、著者はこのような議論を経て、つぎのような結論を導きだした。「長い目で見たとき、EUが一国では保全しえない平和、繁栄、権力を、国際関係や地域秩序の大幅な改編をともなう広域体の形成のなかで可能にしてきたのもまた事実である。二〇世紀前半のヨーロッパが戦争と全体主義で血塗られた「暗黒の大陸」(マゾワー)であったことにかんがみれば、その反転に寄与した一要素として、それなりの評価がなされてしかるべきだろう」。つまり、この危機に際して「改編」できれば、「欧州危機」は回避できるということである。だが、著者はこれまでも「並大抵のことではなかった」と述べ、つぎのように「終章」を結んでいる。「国から世界まで、社会秩序が肯定的な価値にしたがって改編可能とする層を根太いものにできるのか否か。EUはまごうことなく岐路に立っている。あわせてそこで問われているのは、この見立てでいけば、リベラリズムのゆくえに他ならない」。

 EU危機の根本に、国益と地域益のどちらを優先するかの問題がある。イギリスの離脱は国益を優先させた結果だと言えるが、イギリス国民は、著者のいう「長い目で見たとき、EUが一国では保全しえない平和、繁栄、権力を、国際関係や地域秩序の大幅な改編をともなう広域体の形成のなかで可能にしてきた」ことを考慮したのだろうか。国益と地域益さらに地球益は、相反するものだろうか。長い目でみたとき、地域益が国益になることがわかれば、離脱することもないだろう。なにより、離脱の実行には加盟するときより、はるかに多くの労力と時間を要することは間違いないだろう。結婚・離婚と同じように、加盟時に離脱のことを念頭におかなければならないのだろうか。

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2017年04月11日

『インドネシア国家と西カリマンタン華人-「辺境」からのナショナリズム形成』松村智雄(慶應義塾大学出版会)

インドネシア国家と西カリマンタン華人-「辺境」からのナショナリズム形成 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 表紙の写真を見るだけで、時代の変化を感じさせる。かつて、インドネシアのチャイナタウンで漢字を見ることはなかったし、このようなカラフルな情景は想像だにできなかった。国家と「辺境」が対等に向き合うことも考えられず、本書のようなタイトルも思い浮かばなかった。

 「はじめに」によると、本書の主題のひとつは「辺境」である西カリマンタンが、「インドネシア国家とどのような関わりも持ってきたのか」、「一九五〇年代から現代までの歴史を辿ることで追究」することであり、もうひとつの主題は「中国系住民(華人)への着目である」。

 長い47頁にもおよぶ「序章」を締めくくる「7 本書の構成」の冒頭で、著者は「本書執筆の目的」をつぎのようにまとめている。「一九五〇年代には「インドネシアの外部」に位置していた西カリマンタン華人が、インドネシアという国家に組み込まれていく過程を分析することである。彼らは受動的に組み込まれていったように見えるものの、彼らがたどったのは、国家勢力との絶え間ない交渉の中で、彼らなりの落としどころを探る過程であった。この過程を明らかにし、スハルト体制崩壊後に華人の国家政治への直接参与を生み出すまでに至った原因を歴史的に分析することを主眼とする」。

 本書は、1950年代から現代まで、時系列に4つの章で議論を展開している。第Ⅰ章「インドネシア国家との弱いつながり」では、「一九五〇年代の西カリマンタン華人社会を検討する。当時の華人社会の性質、その帰属意識が表れるメディアの状況および、華人の文化継承と思想形成に影響を与えた学校教育の諸相を分析する。しかしながら一方で、インドネシア国家との関わりは限定的であったとはいえ、西カリマンタン華人は、一九五〇年代末に生じた華人の国籍問題を経験することによって彼らの日常生活に忍び寄る国民国家の存在をかすかに感じ取るようになった」。

 第Ⅱ章「西カリマンタンの軍事化と華人」では、「西カリマンタン華人に大きな衝撃を与えた一九六七年華人追放事件に焦点を当て、当該事件の原因、経過、帰結を分析する。この事件はインドネシア国家の存在感が前面に登場した画期であった。この時代、西カリマンタン華人は、国家にとっての脅威と見なされ、国軍による監視の対象となった」。

 第Ⅲ章「スハルト体制期の華人同化政策と西カリマンタン華人」では、「スハルト体制期に発動された華人同化政策に対し、西カリマンタン華人がどのように対応したのかを考察する。当時、確かに中国起源の文化の公的な場での表出は制限を受けていた。しかし彼らはその制限があることを受け入れたうえで、国家勢力と交渉していた。これは、一九五〇年代には西カリマンタン華人がそれほど意識していなかったインドネシア国家の存在が彼らにとって前景化していく過程でもあった」。

 第Ⅳ章「「改革の時代」の西カリマンタン華人」では、「ポストスハルト期(一九九八-)に西カリマンタン華人の間、また西カリマンタンの華人とその他の民族との間で起きた変化について考える。内容は多岐に渡るが、スハルト体制期に課せられた華人に対する諸制度が撤廃されたことにより、華人の政治参加が加速したこと、またそれに伴い、その動きに不満を覚える勢力が登場し、民族間の関係が悪化したこと、さらに、華人の文化表象が西カリマンタンにおいてどのように展開したのか、についても検討する。それは、一つには、ハサン市政で登場した市政を挙げての文化表象であり、もう一つは二〇〇〇年代になって盛んに撮影されるようになったシンカワンを舞台にした映画表象である」。

 そして、「終章では、本論における議論の整理を今いちど行い、「辺境」に暮らす華人とインドネシア国家の関係の歴史からどのような知見が導き出せるのかについて考察する」。

 その終章では、「1 各章の要点整理」の後、「2「辺境」について」をつぎのようにまとめた。「西カリマンタンはインドネシアに編入された後、「辺境」の(「行き止まり」としての)役割を負わされ、一九八〇年代までの国民統合の時代にはその役割に徹することが求められた。これはちょうど、国民国家単位で東西どちらかの陣営に属することが意識化された冷戦の時期と重なる。それが終わった一九九〇年代以降、地方が注目を浴びるようになった。そのような地方分権化の時代において、グローバルにネットワークを築いていった例としても西カリマンタンは注目される。それによって、地元の発展を自分の力で達成しようというのである。「辺境」から国民国家を見渡すことで、「辺境」が国民国家によって「行き止まり」としての役割を担わされていたこと、そして辺境はまた、多くの地域がつながるゲートウェイにもなりうるという点が看取できるのである」。

 最後の節「3 同化政策と西カリマンタン華人」では、つぎのように結んで本書の結論としている。「これまで、国民史中心の歴史記述の中で、華人という存在はその両義性から、「どちらかにつくのか」が疑問視され、政治的側面、文化的側面すべてが政治問題と化し、中国あるいは居住国いずれかの国家に関係がある部分だけクローズアップされて取り上げられてきたことを序章で述べた。そのような方法では汲み取れない彼らの生活世界の歴史について理解を深めることは、華人のみならず、国民史の中で忘れ去られた人々、国民史において都合のよいように語られる一方である人々の声に耳を傾けることにつながる。これは、異なる背景を持つ人々の交流がますます盛んになり、それらの人々の間の相互理解が課題となっている現在、そして未来においても、共生の知恵を生み出す源泉となると考える」。

 著者が述べるように、「辺境」は「行き止まり」ではなく、「ゲートウェイ」にもなりうる。「ゲートウェイ」になるかならないかは、国家の「辺境」になる前の関係が影響するのだろうか。「ゲートウェイ」は国家主導のものなのか、国境を跨いだ地域社会の「継続」あるいは新たな創造なのだろうか。いまグローバル化のなかで、ナショナル・アイデンティティとコスモポリタニズムの問題がグローズアップされている。そのなかで著者は、東南アジアを特徴づけるもののひとつとして、華人に注目した。ロジャース・ブルーベーカーが『グローバル化する世界と「帰属の政治」』(明石書店、2016年)のなかで展開するネーション中心のアプローチとは違うものが、西カリマンタンでは議論できるのか。本書を出発点として、今日直面しているさまざまな課題に向きあうことができる。

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2017年04月04日

『香港-中国と向き合う自由都市』倉田徹・張彧暋(岩波新書)

香港-中国と向き合う自由都市 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、「難解な書」の見出しではじまる。「難解な書」とは、香港のことを指している。著者は、つぎのように問いかける。「香港は国なのか、地域なのか、都市なのか。イギリス的なのか、中国的なのか、アジア的なのか。グローバルなのか、ローカルなのか。親中なのか、反中なのか。親日なのか、反日なのか。経済都市なのか、政治都市なのか」。著者は、「ほとんど全ての問いに対して、「イエスでもあり、ノーでもある」としか」、答えようがないという。

 香港はなぜ難解なのか、「はじめに」でつぎのように説明している。「香港が常に、ものすごいスピードで変化していることも、その一因である。香港を旅する人が一様に感じる印象は、活気、混雑、色彩、スピード感といったようなものであろう。おびただしい数の人々が、昼夜を問わず忙しく走り回る大都会-結果として、香港は常に変化し続ける。植民地から特別行政区へ、難民都市からグローベルシティへ、中継貿易港から工業基地を経て金融センターへと、香港のプロフィールは常に変わり続ける。難解な書を一冊読み終わる頃には、同じくらいの分厚い続編が出てしまっているというのが、香港という物語を読む上での宿命なのだ」。

 そのような難解な香港を読み解くために、著者たちが「たどり着いた一つの答えが「自由」で」、つぎのように述べている。「植民地期から現在まで、香港は「自由都市」であった。「自由」の意味合いは時によっても変わるし、自由への脅威も常にあった。しかし、香港の人々は、自由を存分に使い、アイデアによって商売を生み出し、知恵によって強権と向き合い、たくましく生き続けた。香港を理解するには、この「自由」の本質に迫る必要がある」。

 著者たちは、「「自由」をテーマに、この「難解な書」を解読するための、可能なかぎり新しく、わかりやすい「注釈書」を目指」した。本書は、「はじめに」、全5章、「おわりに」からなる。第1~3章は、日本人の香港政治研究者である倉田徹が「香港の政治を分析する」。第4~5章は、香港人の日本社会研究者の張彧暋が、「香港の社会と文化を論じる」。

 「はじめに」の最後の見出し「自由を武器に、中国と向き合う」では、各章で論じることをまとめた後、つぎのように結んでいる。「香港は自由を享受し、自由を愛し、自由への束縛に抵抗する。自由だからこそ、何でもある。一方、自由だからこそ、日本では常識として存在する何かが、香港にはない」。「日本人は難解な書の精読を放棄して、返還後の香港を、あまりにも中国の一地方都市という視角からのみ語りすぎてはいなかったか。中国の台頭が世界を変えようとし、その荒波を真っ先にかぶる位置に暮らす日本人は、その中国をはね返し、中国を変える力すら持つ香港という小さな存在を、再度思い出す必要があるのではないだろうか」。

 そして、「おわりに 香港の自由、日本の自由」は、「進化する香港の自由」という見出しではじまり、時代とともにその意義を変えてきた「自由」について説明している。「まず、香港の人々に与えられたのは、「避難所の中の自由」であった。植民地当局はもちろん強権統治を行ったのであるが、逆説的であるが、強力な権力が存在するからこそ、放任された社会にも一定の秩序が維持され、それによって自由の空間が出現した」。「戦後、大陸の戦乱や貧困、政治的迫害を逃れ、中国語で言えば「一無所有」、即ち一文無しで、命がけで香港にたどり着いた難民は、情報の自由を用い、命を繋ぐための仕事を見つけた。彼らには、「生存する自由」が与えられた。香港の港は「避難塘(台風シェルター)として船舶に利用されてきた。難民にとっても、香港はまさに、大陸の嵐から逃れる避難所だった」。

 「次に、避難所の人々は、「儲ける自由」を使った。香港は自由貿易港であり、その歴史的な国際ネットワークは、イギリスが整えた法制度や、金融システムによって支えられ、全ての人に開かれていた。僅かな資本と才覚、そして友人・親戚などの支援があれば、人々は様々な商売を自由に行って、瞬く間に富を蓄えるチャンスがあった」。

 「それに続いて花開いたのは「文化の自由」である。大陸で「文化大革命」の嵐が吹き荒れ、階級闘争や英雄的人物を強調する「革命模範劇」しか上映を許されなかった時代、香港の文化はイデオロギー、即ち、固定された物語からの自由を享受した。中国的な伝統文化、西洋式のハイ・カルチャー、そして日本の大衆文化まで、あらゆる文化が香港に流入し、混じり合い、「パクられ」、結果として香港に独特な文化を開花させた」。

 「そして今、香港で論じられているのは、「自己決定の自由」であると筆者らは考える。生存する自由、儲ける自由、文化の自由は、いずれも強い権力の保護の下での、与えられた自由であった。それは真の自由と言えるのか。特に、返還によって、社会や経済、思想の面で、より干渉的な中国が影響力を拡大すると、若者たちは、「親」を演じる中国への反発を強めた。雨傘運動の指導者や学生たちが、演説や意見の発表などに使ったステージの背景には、「命運自主」の四文字が毛筆で大書されていた。この「命運自主」とは、読んで字のごとく、自分の運命を、自分で決める自由を表す言葉である」。

 「おわりに」のもうひとつの見出しは、「自由の使い方」である。著者は、香港と日本を比較して、つぎのようにまとめている。「香港の人々は、自由の権利の行使として、当たり前のようにデモを起こす。一方の日本では、大規模な抗議デモが発生し、世論調査で反対が多数を占めると報じられる中、安保法案は国会で可決された。香港市民から見れば、これはむしろ不思議な光景である。「民主的」な政治体制の下に住む日本人が、どれだけ「自由」だと言えるだろうか。貿易拡大のために、北海道は農業の犠牲を強いられる。安保を理由に沖縄は基地を強制される。さらに言えば、対米関係が国内世論より優先される日本に、どれほどの「自己決定の自由」があるのだろうか」。「香港式の「自由の使い方」を、日本も学ぶべきではないのだろうか?」 

 イギリスの植民地支配を全面的に否定しない、中華人民共和国の「国家統治」を否定できない、そのうえで香港の人びとは「自由」を求めて戦っている。それはだれのため、なんのためか? 「一国二制度」の期限とされる2047年まで、香港の「自由」はどう変わっているのだろうか、否、香港の人びとはどう変えていくのだろうか。それは、「その荒波を真っ先にかぶる位置に暮らす」日本人の「自由の使い方」を問うものでもある。

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