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2017年03月28日

『現代中国茶文化考』王静(思文閣出版)

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 社団法人日本茶業中央会「平成23年版 茶関係資料」によると、1人あたりのお茶の消費量が最も多い国はクウェートで2.46kg、2位はアイルランドで2.23kg、3位はイギリスで2.07kg、アジアでは台湾が9位で1.54kg、日本が17位で1.05kg、インドが23位で0.69kg、中国が24位で0.66kgである。世界的にみて東アジアの人びとがとくに多く消費しているわけではなく、この統計を意外に感じた人が多いのではないだろうか。東アジアの人びとにとって、茶は消費量以上のなにかがある。そのひとつに、本書で語られる文化にある。だが、その茶文化もなんの変遷もなく人びとに受け入れられてきたわけではない。

 「三、四十年前にはまだ多くの国民のテーブルに欠けていた茶が、今日では国家最大の祭典で演出されるまでになり、現実社会においても幅広い分野で大々的に使われるまでに繁栄を遂げている」。「いったい今日のような茶文化はどのようにして生まれてきたのであろうか」。本書の目的は、この問いに答えるとともに、「政治的・経済的な文脈には収まりきらない茶文化、ひいては茶そのものがもつ可能性について論じることにある」。

 「本書は、大きく二つの視点をもとに構成されている。一つは本書全体の枠組みともいうべきもので、文化を構築主義的な立場からとらえようとする視点である。いま一つは主に、中国および日本において積み重ねられてきた、中国茶文化を歴史的・実証的に研究することで明らかにしようとする視点であり、本研究もその流れのひとつに位置づけられる」。

 著者は、本書の意義を「序章」でつぎのようにまとめている。「中国茶文化研究がこれまで注目してこなかった新中国誕生からの三〇年ほどの時代(一般的に「新中国」と呼ばれる)こそが実は現在の茶文化の隆盛へといたる出発点であったことを指摘し、茶文化がいまだ存在していなかった時代からいかに創造され、さらには操作され、利用されてきたか、そしてその結果、茶文化がますます実体化していくことになった過程を、詳細に跡づけた点にあるといえるだろう。いまや中国のアイデンティティといってもよい茶文化の構築過程を、現代中国の政治的・経済的な文脈の中で明らかにすることによって、中国という国家が、政治や経済と並んで文化によっても形づくられていることが理解されるはずである」。

 本書は、序章「茶文化研究への視座」、全6章と終章「中国茶文化の可能性」からなり、「時系列にそって、三つの段階に分けて茶文化が創造、再構築されたプロセスを分析する」。第一章「茶葉生産と新中国の社会主義建設」では、「一九四九年の新中国の誕生から文化大革命が終焉し、改革開放政策が始まる一九七〇年代末までを、第一段階として扱う」。「ここでは、建国当初ほぼ崩壊状態にあった茶葉を、なぜ国家が建国とともにいち早く国をあげて恢復(かいふく)に取り組んできたのか、そして実際どのように生産恢復を進めてきたのか、を中心に考察していく」。

 第二章「「茶文化」の出現と経済建設」では、「第二段階として改革開放初期から一九八〇年代にかけての時代について検討する。これは経済発展を最重要とした国策が実行され、茶葉生産量も急増した時代である。同時に「茶文化」という概念が登場する時期でもある。この章では、まず、それまで生産と輸出のみにしか向けられなかった茶葉への関心が文化という側面に移った理由を、生産量の急増にたいして茶葉が出荷できないという「茶葉問題」に求める」。

 第三章「台湾茶芸の創出と中国大陸への伝播」では、「一九七〇~八〇年代における台湾での茶文化の創出および中国への影響について検討する。優雅で芸術的な茶の形式である「台湾茶芸」の誕生を、経済発展や都市化ならびに中華伝統文化の復興運動といった社会的な変革を背景とし、一九七〇年代に生じた茶葉輸出の激減による「茶葉危機」を直接な要因として論じていく」。この「台湾茶芸の伝来から今日まで、茶文化は第三段階に入っていく」。

 第四章「茶文化ナショナリズム」では、「ナショナリズムとして機能する茶文化に焦点を当てる。「台湾茶芸」の影響を受けて、茶を飲むことを儀礼化・高級化した茶芸が中国の茶文化の中心的な部分として作り上げられる」。第五章「茶文化産業」では、「産業としての茶文化という側面を主題にする。第二章で論じた茶文化が茶葉経済の一翼を担っていた状況が大きく進展し、茶文化は茶葉経済をリードして、茶文化産業を成立させる主体となっていく」。第六章「中国茶のソフトパワー」では、「ソフトパワーや文化力が重要な国力とされるようになった時代背景の中で、文化外交の領域における茶文化の力を検討する」。

 この本文全6章で、「茶を飲むという行為が文化となり、さらにナショナリズムや経済という文脈の中で「茶文化化」されてきた過程が検討される」が、著者が語りたかったことはその先にあることを、つぎのように述べている。「しかし、本書で主として用いられるような構築主義的な文化分析の手法にあっては、「茶文化化」される以前の文化的行為としての茶を飲むことや、さらにそれに先んじるであろう「茶を飲む」という行為そのものがもつ力を見落としてしまうかもしれない」。そこで、「終章では、日常生活において人と人との関係をつなぐ力を、贈り物としての茶、人と共有する茶の時間、茶を介した記憶から考察したうえで、茶を飲むことの原点に返るとともに、茶文化がもつ可能性を示す」。  そして、著者は、つぎのような結論を導きだした。「茶を飲むことは自己の内心に向き合い、自己の向上を通して社会を良くしていくことである。その行為の中で、自己と自己、自己と他者、自己と社会との間で結ばれる対話から様々な形のつながりが生まれ、反復されていく」。さらに、「「茶文化」と異なる文脈で動く「茶」をとらえ、近代的な原理がはたらく社会とは別の形の社会が切り開かれる道を、探ってみたい」と「次の研究課題」を述べて終章を結んでいる。

 著者は、「あとがき」で「そもそも、子供の頃の記憶の中にある両親にとっての茶と、いま授業の合間に口にしている私にとっての茶は、果たして同じものなのだろうか。このようなごくごく私的な出発点から、本書の研究は始まっている」と書いている。「近代的な原理がはたらく社会」のなかでの茶の位置づけを明確にした本書の出発点が、本書を書き終えてもなお「次の研究課題」の出発点になっている。「論理的・学問的」に説明するためには、それを理解・納得し、否定することからはじめなければならない。その意味で、著者はいま「次の研究課題」の出発点にようやく立ったということできるだろう。「茶文化」から「茶」へを考えるためには、「文化」を受け入れ、同時に否定しなければならない。「文化」という重い課題が、著者に乗っかかることになる。

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