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2017年03月14日

『胎動する国境-英領ビルマの移民問題と都市統治』長田紀之(山川出版社)

胎動する国境-英領ビルマの移民問題と都市統治 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 著者は、本書の目的をつぎのように述べている。「都市住民の階級的な差異や都市内諸地区の地域性にも留意しながら、移民統制にまつわる植民地行政の日常的実践が都市の人びとの暮らしにおよぼした影響について考察する。そうすることで、都市にコスモポリタンな社会状況が存在していたにもかかわらず、大規模な人種主義的暴力の発生を導くことになった都市社会内部の構造的要因を動態的に描き出すことを試みたい」。そして、その事例として、「植民地期ラングーンにおけるビルマ州政庁の移民統制策」を検討した。

 具体的な目的として、時間的には「一九世紀末から一九二〇年代にかけての時期を主たる対象として、ラングーンに生起した社会問題と植民地権力の対応を描くことで、一九三〇年五月の出来事を準備した都市社会構造の仮説的提示を試み」、空間的にはつぎのように考えた。「本書の対象時期、ビルマ州と英領インドの残りの部分とのあいだには国境が存在しなかったが、ラングーンにおけるビルマ州政庁の移民統制は、そこに国境にも似たある種の境界を生み出すことになったと考えられる。移民統制の進展過程を地方行政体による国家形成の一環として捉え、当該時期にラングーンに生み出された特殊な境界の性質を考察する」。

 歴史圏としては、「ビルマを、南アジア、東アジア、東南アジアの三つの圏域がその周縁において薄まりながら重なり合っているような融通無碍なフロンティア空間として捉え、現在みられる国家領域は、この柔らかな空間のうえに固い境界線をともなって出現したと考える」。

 本書は、序章「境界をうむ都市」、全5章と終章「居座る境界」からなる。著者は、つぎのように全5章をまとめている。「まず、舞台となるラングーン都市社会の概要を説明する。その社会は、コスモポリタンと形容できる多様性を有しつつも、移民労働者の圧倒的な流動性に規定されていた(第一章)」。「続いて、そうした流動性の高さが都市にどのような問題をもたらし、地方的な植民地権力であるビルマ州政庁が、それにどのように対応したかを検討する。第二章と第三章、第四章と第五章は、それぞれまとまりをなしており、前者は治安維持の、後者は公衆衛生と都市計画の問題を扱う。対象時期は章ごとに少しずつ異なるが、おおむね世紀転換期から一九三〇年頃までを、各章で繰り返したどることになる」。

 そして、終章冒頭で、検討した結果、明らかになったことを、つぎのようにまとめている。「管轄区域の内と外を区別し、内側に統治を確立しようとする地方的な植民地権力の制度構築と日々の行政実践を通じて、地図上に引かれた線にすぎなかった行政区画の境界が、徐々に実体化する様である。かつて、東アジア、南アジア、東南アジアのフロンティアに位置していたこの地域は、英領インドへの組み込みを経由して、固い国境線を有する国家へと変貌してゆく」。

 だが、そこには実態とはかけ離れた現実があったことを、つぎのように記している。「面的支配と境界管理は近代的統治の両輪をなし、相補的に国家的政体としてのビルマ州の領域性を高めていった。しかしながら、面的な支配は平野部に限られ、境界管理もほとんどラングーンの一点に集中していたということは留意しておく必要がある。植民地行政は、ビルマ州を取り囲む山地部において、またその地図上の外縁をなす地続きの国境・州境において、統治を徹底させる実際的な動機も能力も持ち合わせていなかった。むしろ、イギリスの導入した平野部と山地部との分割統治は、フロンティア空間のマンダラ諸政体を平野部から切り離して固化(ママ)[固定化]させるものであったといえる。そのような行政的配置に加え、平野部における民族別議員選出制度の導入もあいまって、かつての諸王に代わる主権的存在として想像された諸民族が、それぞれに政治的主張を掲げる状況が現出した。ビルマにおける植民地近代の特殊性は、ひとつには、このようなマンダラ的状況の固定化に見出せよう。国家的な行政空間としてのビルマ州は、ラングーンに座す植民地地方権力によって措定された理念的な枠組みであり、実態として、領域の一円的支配が貫徹されたわけではない」。

 終章では、「ここまでの議論を要約してラングーンに生まれた境界の性質について考察し、独立をへて現在にいたるビルマの近現代史を理解するうえで、本書が示唆するところ」を述べている。著者には、「現在のビルマ国家のかかえる問題を考えるうえでなにがしかの貢献」をしたいという思いがあり、問題の所在をつぎのようにまとめ、今後の展望を試みている。「ビルマ国家の形成過程において、植民地主義の行政実践が国家的な領域性を醸し出したという側面に光を当て、ビルマ・ナショナリズムを相対化する視座を設けたところであろう。その視座からは、考察の対象時期を独立後にまで延長して、植民地主義とナショナリズムとの相互作用のなかで、ビルマの国民国家形成を考えるという新たな研究の展望が開けてくる。植民地主義が都市社会に刻み込んだ境界は、植民地の行政空間がビルマ・ナショナリズムに引き継がれることによって、以後も居座り続けることになるからである」。

 今日のビルマの問題として、西部のバングラデシュ国境付近のイスラーム教徒であるロヒンギャがあるが、著者は「植民地期都市社会の言論のなかから生まれてきた「土着人種」に注目し、つぎのように説明している。「土着人種の概念は、独立後のビルマ国家を規定する基本的な枠組みをなし、当地に住む人びとに多大な影響をおよぼし続けている。そもそも独立ビルマ国家はその領域に土着であるとされる主要な諸人種による連邦国家として成立した。またその憲法や市民権法では、つねに、土着人種のいずれかに属していることが国民としての成員資格を得るためのもっとも根本的な条件であるとされた。現在のところ、この土着人種は、多数派のビルマ人を含めて一三五の人種(民族)から構成されるというのが公式の見解である。インドや中国、あるいはヨーロッパなどビルマの外側に起源をもつと考えられる人びとは、原則として、この一三五の土着人種のリストには含まれない外来人種、すなわち外国人[略]の範疇に属するものとみなされる。彼らは、無条件で生得的に国民成員資格を付与される土着人種の人びととは一線を画した存在である。外来人種の人びとを選択的・段階的にビルマ国民国家へと包摂していく法的な仕組みもつくられてはきたものの、依然、外来人種とみなされる人びとはこの国で生活していくうえでさまざまな不利をこうむっている」。

 そして、著者はつぎのように結論している。「ビルマ政府は一九四八年の独立以来、土着人種を緩やかに包摂し、外来人種を厳しく排除することにより、国民統合をはかってきたようにみえる。植民地期ラングーン社会に胚胎された境界は、なぜこれほど粘り強く居座り続けるのであろうか。差し当たり、植民地期を通じた植民地主義とナショナリズムの相互作用によって、「領域に基づく国家」の像と「人種・民族に基づく国民」の像がずれを含み込みながら重なり合い、土着人種と外来人種を区別する独立ビルマの国家枠組みを形作ったと考えておきたい」。

 この境界からうまれるアイデンティティとコスモポリタニズムの問題は、グローバル化が進む今日の問題として注目されるようになってきている。ビルマで100年先取りして起こったのは、重層する空間に位置していたからだろう。本書で著者が今後検討すべき課題としたものは、今日の移民政策に通ずるものを含んでいる。

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