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2017年02月14日

『国際紛争を読み解く五つの視座-現代世界の「戦争の構造」』篠田英朗(講談社選書メチエ)

国際紛争を読み解く五つの視座-現代世界の「戦争の構造」 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「紛争解決とは矛盾の解消であり、平和構築とは矛盾の管理である。ゆえに矛盾の所在をつきとめる方法論が必要になる」。著者、篠田英朗は「細かな断片情報だけで、大きな流れをとらえることは」難しく、「鳥瞰(ちようかん)的な視点によってはじめて議論の俎上(そじよう)に載せることができる」ことから、「国際政治を分析するための理論的な視座が必要になる」ことを強調する。本書は、著者が「理論的な視座を駆使して、現代世界の紛争を構造的に見るためのしくみについて論じてみようとする試みである」。

 本書は、「はじめに-紛争分析は問題解決の第一歩」、全6章、「むすびに-現代世界の紛争と日本」からなる。「第一章 現代の国際秩序-主権国家と自由主義」では、「まず現代国際社会の秩序の特徴を見たうえで、国際秩序への挑戦として紛争をとらえることを論じ」、第二~六章では、「それぞれの章において、中心的な視座となる分析理論をひとつずつ設定し、その理論にもとづいて、東アジア、ヨーロッパ、中東、アフリカ、そしてアメリカの各地域の紛争状況を分析していく。したがってそれぞれの章において、分析対象とする地域と、採用する分析理論は、異なってくる。しかし共通しているのは、普遍主義的な国際制度が挑戦されている、という点である」。

 第二章「勢力均衡-東アジアの紛争と中国」では「勢力均衡」、第三章「地政学-ヨーロッパの紛争とグレート・ゲームのゆくえ」では「地政学の概念を参照しながら、東アジアとヨーロッパの情勢を分析し、普遍的な国際社会の内部にある確執の構造を見ていく」。第四章「文明の衝突-中東の紛争と対テロ戦争の帰趨」で「焦点をあてる文明の衝突をめぐる議論は、中東を中心地とする対テロ戦争の現象を読み解くための視点となる」。第五章「世界システム-アフリカの紛争と格差社会としての現代世界」では、「世界システム論の視点を導入して、アフリカを分析する」。第六章「成長の限界-アメリカの「明白な運命」と進歩主義の未来」では、「ふたたび自由主義の問題を取り上げ、その発展の限界の可能性を、ひとつの構造的な矛盾の要素として論じていく」。

 そして、第一章の最後の見出し「普遍と個別の間の矛盾をとらえる」を、つぎの文章で締めくくっている。「具体的な様相は地域によって異なる。しかし国際制度の基盤があらためて問いなおされている点では、世界各地の状況は共通している。各地域の挑戦は、最終的には、普遍的な国際制度がほんとうに普遍的なものでありうるのかという問いに通じていくはずである」。

 第二~六章では、これまでよく聞かれた命題を主題に、現代のそれぞれの地域の特色をあらわす副題が添えられている。しかし、著者が常に念頭においていたのは、日本であり、「むすびに-現代世界の紛争と日本」では、「日本における紛争分析の伝統の弱さという問題提起に立ち返り、本書の議論がどのように日本にかかわってくるのかについて」、まとめている。

 「第二章の東アジアの分析においては、超大国として台頭した中国をめぐる政治情勢を念頭に置きながら、かつては東アジア最大の大国とみなされていた国として日本を位置づけつつ、勢力均衡の観点からの検討をおこなった。同じ理論的視座から明治維新以降の日本の外交政策の性格を描き出し、さらに二十世紀後半の日米同盟を基軸にした対外政策の意味を論じた。現在の安倍政権下の日本の外交政策は、基本的に東アジアを念頭に置いた勢力均衡の視点によって説明されるものだということも示唆した」。

 「第三章で焦点をあてた地政学の視点は、二十世紀前半の日本において大きく着目された理論的視座であった。それは日露戦争以降に東アジアの覇権国になった日本が、世界大の国際政治においてどのように行動すべきか、という問いを検討するために、人びとが大きな関心を寄せた理論的視座だったのである」。「太平洋戦争は、「ハートランド」を制圧してユーラシア大陸を支配しようとするドイツと同盟関係を結ぶ日本が、「海洋国家」間の盟主の地位をめぐってアメリカと不可避的に雌雄を決するためにおこなわざるをえないものとして認識された。そのため二十世紀後半の日本においては地政学の議論は時代遅れであるのみならず、危険なものとしてみなされるようになった。だが、だからといって、ヨーロッパ人らの意識のなかでは、依然として地政学から発する理論的視座が大きな意味をもっていることを見失うならば、関連する紛争分析において大きな制約となってしまうだろう」。

 「第四章では、はたして中東における紛争が、文明の衝突という大きな視点によって理解できるものなのかどうかを検討した」。「原油供給地としての中東への政策的関心や、イスラム圏にたいする学問的関心の土壌は、日本における中東地域に関する研究の量を豊富にしている。詳細な現地情勢分析を施せば施すほど、文明の衝突といった大きな物語は、非常に抽象的なものとして感じられるようになってくるだろう」。「しかし現代世界の否定しがたい大きな現象として、アメリカが国威をかけて遂行する「対テロ戦争」が、とくに中東地域における紛争の構造的性格に大きな影を落としていると考えることは、的はずれではないだろう。世界的規模の戦争が起こっているからこそ、もともとはそこまで明白には対立していなかった宗派間の対立が刺激され、それらが実際の紛争の構造に組みこまれるという地域情勢も発生してくるのである」。「理論的な紛争分析とは、物事の哲学的本質を決定論的に重視することではなく、時々の現象の性格を構造的な要因を視野に入れながら把握するということである。個々の政策がもってくる正・負の効果もまた、構造的な情勢によって決まってくるのである」。

 「第五章で論じたアフリカの情勢は、日本にとっては離れた世界のできごとであると感じられる度合いが強いだろう」。「日本政府が、TICAD(アフリカ開発会議)の際などに、いくつかのアフリカ諸国が目覚ましい経済成長率を見せていることを強調して、日本企業にもアフリカに注目するようにうながし、ODAが日本の経済成長を促進する効果をアピールしたことは、新しい変化だと言えるのかもしれない。ただし、それがアフリカに積極的に進出している中国への対抗意識にもとづいて進められていることだとすれば、日本のアフリカ政策とは、つまり東アジアの情勢分析の問題だということになる」。「アフリカの経済成長は、依然として天然資源に依存している度合いが強く、強権的な政権が特定の外国と結びついて進められている場合も少なくない。アフリカという問題が、二十一世紀の国際秩序に突きつけている問題の性格を考えることは、日本が世界的規模の政治情勢分析をおこなうことに直結している」。

 「第六章は、自由主義陣営の内部に潜む「成長の限界」に関する悲観論が、逆にアメリカの対外的積極行動を説明することを述べた。「成長の限界」を克服するためには、たとえば既存の国際秩序の内部に存在する問題を克服してみせることに、大きな意味がある。紛争は、「成長の限界」を克服するための格闘として、もたらされてしまうかもしれない」。「もし、ほんとうに「成長の限界」が訪れるのだとしたら、それは単にアメリカという国の問題にとどまるものではなく、自由主義を基盤にした現在の国際秩序の大きな変更を要請する事態であるかもしれない。変更は容易ではなく、多くの摩擦が起こるだろう。国際秩序の安定のためには、「成長の限界」の可能性とどうつきあっていくべきかという問いに、体系的に答える準備が求められるかもしれない」。

 著者は、繰り返し「理論で地域情勢のすべてが把握できるはずがない」と述べ、その限界を充分に理解したうえで、理論にこだわっている。それは、議論の基本になるからである。いっぽうで、「理論」が妨げになることもある。基本がないことが前提になるような状況も増えているような気もする。理論と個々の実例を結びつける柔軟な思考力・判断力が重要になってきている。

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