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2017年02月07日

『ボクシングと大東亜-東洋選手権と戦後アジア外交』乗松優(忘羊社)

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 帯の背の「堀口、白井、カーン博士、金子、エロルデ、三迫、矢尾板、勝俣(ママ)[又]、藤・・・」の名前を見て、ピンと来る人はもはやそれほど多くないだろう。だが、帯の表にある小林一三、正力松太郎、岸信介の名前と「日本テレビ史上最高視聴率96%!」を見ると、たんなるスポーツファン、ボクシングファンの趣味の領域を越えたただ事ではないことが、本書で語られていることが想像できる。

 本書の問題意識は、帯の裏に「序章」から抜き出して、つぎのようにまとめられている。「一九五〇年代に日比(日本-フィリピン)選手間で争われた東洋選手権のうち、半数以上の試合が五千人を超える観客動員数を記録している。一九五五(昭和三〇)年、日本テレビの中継による白井対ペレスの世界フライ級リターンマッチが、テレビ史上の最高視聴率九六・一%を記録したように、ボクシングは文字通り、日本国民挙げての一大関心事だった・・・戦争犯罪が裁かれ、賠償交渉が難航している最中に全盛期を迎えた東洋選手権は、時代の端境期に咲いた徒花のようであった。ただし、季節はずれの花が実を結ばないのとは違って、東洋選手権は日本政府ですら手が着けられないほど傷ついた信頼回復に、民間レベルで寄与した。・・・では一体、いかなる社会条件が重なって、アジアを舞台にしたこの国際スポーツ興行は成立したのだろうか」。

 本書は、序章「忘れられた栄光」、全7章、終章「「大東亜」の夢は実現したか」からなる。全7章の構成を著者、乗松優が述べていないのでよくわからないが、つぎのような章タイトルの下で、「復興期の日本を熱狂させたボクシング興行に、見果てぬアジアへの夢を託して集った男達の実像に迫る、もうひとつの昭和史」が語られている:「第一章 「帝国」の危機とスポーツ」「第二章 日比関係はいかにして悪化したか」「第三章 興行師たちの野望とアジア」「第四章 テレビ放送を支えた尊皇主義者」「第五章 岸外交における露払いとしての東洋チャンピオン・カーニバル」「第六章 ボクサーにとっての東洋選手権」「第七章 戦後ボクシングと大衆ナショナリズムの変容」。

 著者は、「終章」で、ボクシング東洋選手権の役割をつぎのようにまとめている。「戦争によって活躍の場を失った日本人選手が再度、大舞台に立つきっかけとなった。さらに、周辺諸国で反日感情が最も厳しい一九五〇年代から六〇年代にかけて、この大会は日本とフィリピン間における外交の膠着状態を解消する突破口となった。その意味において、東洋選手権は占領や戦争といった過去を乗り越え、未来に開かれた対話の一プロセスであったと捉えることができるかもしれない」。

 だが、反日感情の強かったフィリピン人にたいして、慎重にことを運ぶ必要があったことについて、著者はつぎのように説明している。「当然のことながら、東洋選手権において、日本以外の参加国に帝国の名残を感じさせるものはあらかじめ排除されていた。これまで述べてきたとおり、日本は戦争の当事国として、アジア諸国から恨みを買っていたからである。フィリピンを例に挙げても、一一一万人もの国民が死亡したことが何より、戦後のスポーツ交流の障壁となる可能性があった。しかし、占領地であったフィリピンのボクサーが日本人よりも圧倒的に高い技術を持っていたことは、占領時代の支配関係を転倒させるものとして人々の関心を集めたのであった。そこで、主催者はアジアの覇権を争うことの政治的意味を巧みに脱色し、「大東亜」の復活と見られない形でボクシングの「東洋」を演出して見せたのである」。

 つまり、日本・日本人はフィリピンを占領し、多くの犠牲を出したことにたいして、反省や後ろめたさなしに、日本の「戦後復興」にボクシングを利用したのである。したがって、日本・日本人にとって利用価値がなくなったとき、ボクシングを通じた関係は消滅することになる。著者は、「終章」をつぎのように締めくくっている。「やがて、日本人選手がフィリピンを王座の数で凌ぎ、アジア諸国からライバルが一掃される頃になると、「東洋一」の価値は次第に失われていく。それは、世界中に日本製品が溢れ、科学技術立国としての自負が日本社会を覆うのと時期を同じくしていた。戦後復興から高度経済成長へ。東洋選手権も、一九七七(昭和五二)年にはオーストラリアやニュージーランドを加えて、新たに「東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)へと改組されていく。敗戦後の虚無感をスポーツによって埋め合わせしようとした東洋選手権は、日本が戦争の記憶を洗い流し新たな自尊心を獲得する頃、静かにその歴史的役割を終えたのである」。

 このような過程を経ての現在の日比関係を、著者は楽観視していない。2016年1月にフィリピンを訪問した天皇皇后両陛下のフィリピン側の歓迎について、著者はつぎのように「あとがき」で感想を述べている。「大統領であるベニグノ・アキノ三世やフィリピン国民が示した歓迎ぶりは、中国や韓国との間で歴史認識の問題に揺れる日本人を安堵させた。日本が国際社会に復帰しようとする際、フィリピンから理解を取り付けることが容易ならぬ努力を要したことは、本文でも触れたとおりである。このフィリピン社会の〝変容〟は、一九七〇年代までの反日感情を知る人々にとって隔世の感すらあったに違いない」。「しかし、フィリピン人が示した好意的態度だけで、過去が既に「清算」されたと考えるのは、戦地訪問の意義を見誤らせることになるだろう。歓迎ムードの蔭には、日本政府に補償と謝罪を求める元慰安婦や、報復を恐れて身元を隠さざるを得なかった日系二世の存在がある。さらに、国民レベルで、いかにして両国関係が雪解けへの糸口を掴んだのか、そのプロセスは十分に語り尽くされてはいない」。

 スポーツが果たす役割は、近代アジアの国際関係のなかで、けっして軽視すべきではないことが、本書からわかる。本書の出版と時を同じくして、Stefan Huebner, Pan-Asian Sports and the Emergence of Modern Asia 1913-1974 (Singapore: NUS Press, 2016, 397 p.)が出版された。アジアの多くの国や地域が、帝国の植民地支配や抑圧を経験した。だが、確実にアジアの人びとは交流を深めていた。大国中心の政治や経済に翻弄されない人びとの交流がスポーツを通じておこなわれていた。戦争を忘れるために利用するだけでなく、将来の戦争を防ぐためのスポーツについても考えたい。

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