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2017年02月28日

『消えゆく沖縄-移住生活20年の光と影』仲村清司(光文社新書)

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 帯に「遺言」と大きく書かれている。その上に「変質してしまった、この島への」とあり、「遺言」の下には「心、文化、信仰、基地etc. この島は何を失い、どう変化したのか 素顔の沖縄を知る一冊」とある。

 本書の要旨は、表紙見返しにつぎのようにまとめられている。「「大阪生まれの沖縄人二世」である著者は、一九九六年、沖縄の那覇に移住する。同年は「沖縄ブーム」の走りの頃にあたり、その後、NHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』の影響もあって、二〇〇〇~〇五年頃をピークに、沖縄は「有史以来」といわれる空前のブームを巻き起こした。一方、その裏側では、九五年に起きた米兵による少女暴行事件をきっかけに、日米地位協定の見直しを含めて反基地運動が高まりをみせる。そして九六年、普天間基地の返還が発表され、辺野古移設へと基地問題が動いていく」。「この二十年の間に、沖縄で何が起きたのか-。「沖縄ブーム」「沖縄問題」と軌を一にし、変質していく文化や風土などに触れ続けてきた著者が、<遺言>として「中期決算的な自分の心情と素顔の沖縄」を綴る」。

 本書は、プロローグ「一九九六年の沖縄、二〇一六年の沖縄」、全6章、エピローグ「私たちは<矛盾>とどう向き合うのか」からなる。つぎの6章のタイトルから、著者の「中期決算的な自分の心情と素顔の沖縄」が見えてくる:「第一章 戸惑い-観光立県・沖縄の現在(いま)」「第二章 失われゆく風景-故郷、那覇、農連市場」「第三章 溝-移住者の揺らぎ」「第四章 葛藤-まとまる沖縄とまとまらない沖縄」「第五章 民意-沖縄の真価が問われる時代」「第六章 信仰-消える聖域と畏れ」。  第一章のつぎの見出しからは、沖縄の「変質」がみえてくる:「全島総普請中」「姿を消えた自然海岸」「ファストフード王国」「単なる商店ではなかった共同売店」「時間がゆったり流れる島?」「聞かなくなった「ウチナータイム」」「名将・我喜屋優監督の「なんくるないさ」をめぐる発言」。

 また、第五章の見出しからは、沖縄問題のいまがみえてくる:「日本で史上初の県民投票」「沖縄の新聞は「偏向」しているのか」「外国メディアの目に映る沖縄」「減らない米兵犯罪」「ある政治家の「暴論」」「土地の安全が脅かされる「安保体制」とは何か」「「五人組」と呼ばれた沖縄の辺野古容認派」「政治の潮目が変わる」「本土の自民党と沖縄の自民党」「「オール沖縄」誕生の背景」「退路なき闘い」。

 そして、第六章は「緑を失う沖縄」の見出しではじまる。沖縄市出身の著者の義母は、「東京は緑がたくさんあって綺麗だね」とよく口にするという。著者は、司馬遼太郎が『街道をゆく6 沖縄・先島への道』(朝日文庫)で、つぎのように書いていると紹介している。「人影がすくなく、雑踏というのはどこにもない。市役所の前まできた。そばや、料理屋、喫茶店、バーなどの白っぽい建物がならんでいる。琉球ふうの家屋はまったくなく、どの建物もトーチカみたいにコンクリートが、てっぺんも側面も強い太陽で炒りつけられて白い粉を吹いているような感じがするし、無神論者の納骨堂がならんでいるようでもある」。これが、1974年の石垣島市街地の風景である。

 そして、「エピローグ」最後の見出し「重くなった<沖縄>」で、著者は「いまは沖縄が重い」と言い、「僕も、この島も、いまもって出口が見えないままである」と本書を結んでいる。

 那覇の中心街、国際通りでは中国語、韓国語が飛び交い、県立図書館では裏の知事公舎から抗議の声が聞こえてくる。那覇市内を飛ぶオスプレイから、フランシス・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」のシーンが浮かんでくる。沖縄は日本の一部なのか、という疑問さえ浮かんでくる。著者は、この「遺言」で、本土の人びとに「重い」沖縄をなんとかしてくれ、と叫んでいるように思える。

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