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2017年02月21日

『中国が急進する中での日本の東南アジア外交-フィリピン、ラオスの現場から』桂誠(かまくら春秋社)

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 日本は、「ODAや貿易・投資の拡大を基盤として、ASEANにおいて長年にわたり積極的な外交を展開し、これら諸国の政府、国民から親日的な対応、協力を引き出すことに成功してきた」。これが、著者、桂誠のこれまでの日本のアセアン外交の見方である。著者は、「2004年9月から駐ラオス、2007年9月から駐フィリピンの特命全権大使として東南アジアに6年半あまり在勤。2011年5月に退官」した外交官である。

 著者の外交官としての役割、本書の目的は、つぎのようにまとめられている。「この地域における中国の進出は近年目ざましく、日本の影響力・プレゼンスが相対的に低下することが懸念されている。筆者は、そのような状況下で、ラオスに三年、引続きフィリピンに三年七カ月、日本の大使として在勤し、日本の影響力・プレゼンスの維持・向上のために日々努力してきたつもりであるが、日本では、フィリピン事情や日フィリピン関係に関しては否定的側面が報じられることが多く、バランスのとれた認識をもって頂くことが難しいように思えた。更に、ラオス事情や日ラオス関係については、日本国内では殆ど知られていないと思われる。また、グループとしてのASEAN全体と日本との関係もあまり知られていない」。「このような観点から、本書は、フィリピンやラオスにおける日本、中国、米国等の影響力・プレゼンスについての筆者の見方や、筆者が現地でかかわった日本の外交努力を記し、更にASEAN全体と日本との関係も解説したものである」。

 本書は、「はじめに-日本の影響力・プレゼンスの維持・向上のために」につづいて、「一、フィリピンにおける戦後の反日感情の強さと、現在の親日度の高さ」ではじまる。2011年のBBCの国際世論調査から、フィリピンで日本を肯定的に見る者84%で、評価対象となった16ヶ国のうちインドネシアの85%についで多い。フィリピンで日本より肯定的に見られたのはアメリカで、90%であった。だが、2016年6月30日に大統領に就任したロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、反米感情をむき出しにし、国民もそれに異議を唱えていない。この90%を親米の指標ととらえることができないように、日本にたいする84%をそのまま親日ととらえることはできないようだ。

 この「書評空間」でとりあげたばかりの小川忠や乗松優は、各種世論調査による親日度の高い数字を素直に喜んで受け入れていない。小川は、「気がかりなことがある。現在のインドネシア対日感情の良さが、日本社会において単純化、拡大解釈され始めているような気がするのだ。「根っからインドネシア人の日本びいき」といった言説が近頃よく聞かれる。危うい認識だ」「日本が改めて東南アジアとの結びつきを強める今こそ、原点に立ち返って、自らのありようを問う作業を怠ってはならないのである」と述べている。

 乗松は、「しかし、フィリピン人が示した好意的態度だけで、過去が既に「清算」されたと考えるのは、戦地訪問の意義を見誤らせることになるだろう。歓迎ムードの蔭には、日本政府に補償と謝罪を求める元慰安婦や、報復を恐れて身元を隠さざるを得なかった日系二世の存在がある。さらに、国民レベルで、いかにして両国関係が雪解けへの糸口を摑んだのか、そのプロセスは十分に語り尽くされてはいない」と述べている。

 本書でも、「根っからの日本びいき」でないこと、「世論を反映して政府も親日的」でないことが語られている。「一九九五年に国連安保理の非常任理事国選挙に関し日本とフィリピン両国が一議席を巡って名乗りを上げる事態となってしまった時に、日本のために立候補を辞退してくれたことがある。ラモス大統領は、その決定を国民に説明する際に「日本にはODAによりフィリピンの国造りに多大の貢献をしてもらっているから日本のために辞退するのだ」との趣旨を公言した」。著者は「ODAは強い威力を発揮することを痛感した」と述べているが、今日「経済面においては、国力が落ち目と見られており、日本の重要性に対する認識が相対的に低下していくのではないかと懸念される」とも述べている。「根っからの日本びいき」どころか、金の切れ目が縁の切れ目といった関係で、ラモス大統領の国民への説得も将来の日本にとって好ましいものではない。

 著者も、このことを充分に認識しており、つぎのように述べている。「中国が、日本から戦前、戦中に被害を受けたアジア諸国の国民の感情に対し連携を計ろうとすることがあることに要注意である。筆者が在勤中の二〇〇九年一一月に、南京の博物館が戦時中の写真の展示会をマニラで開催する等の動きがあった。フィリピンのように甚大な被害を受けた国は多くないが、甚大な被害を受けた側は、その事実を忘れないということに、我々は留意する必要がある。日本としては、この問題に関連する謝罪、反省の念を薄めようとしているのではないかと受け取られるような措置は取らないことが肝要と思われる」。

 また、フィリピン政府の「親日」は、「弱者の論理」としての戦略であり、そのことは日本ばかりでなく中国も認識していることが、つぎの文章からわかる。「「日中関係が悪くなって『股裂き』になる事態は繰り返したくないが、逆に日中が両国関係の改善に熱心になるあまりASEANのことを忘れては困る。日中が適度にライバル関係にあることを利用して、日中それぞれから関心ないし援助を引き出すのが得策である」という意識がASEAN内にあるように思われた。この点については、筆者が在勤中に時々懇談していた中国大使も、全く同様に観察しているとして苦笑していた」。

 つまり、1995年のフィリピンの国連安保理の非常任理事国選挙にフィリピンが立候補したのは、はじめから日本のODAを引き出す手段であったと考えることもできる。小川が言うように、日本の国力が相対的に低下しているときだからこそ、「日本が改めて東南アジアとの結びつきを強める今こそ、原点に立ち返って、自らのありようを問う作業を怠ってはならない」ということが言えそうだ。著者のような経験と知識をもっている外交官が、その先頭に立つことを期待したい。

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2017年02月14日

『国際紛争を読み解く五つの視座-現代世界の「戦争の構造」』篠田英朗(講談社選書メチエ)

国際紛争を読み解く五つの視座-現代世界の「戦争の構造」 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「紛争解決とは矛盾の解消であり、平和構築とは矛盾の管理である。ゆえに矛盾の所在をつきとめる方法論が必要になる」。著者、篠田英朗は「細かな断片情報だけで、大きな流れをとらえることは」難しく、「鳥瞰(ちようかん)的な視点によってはじめて議論の俎上(そじよう)に載せることができる」ことから、「国際政治を分析するための理論的な視座が必要になる」ことを強調する。本書は、著者が「理論的な視座を駆使して、現代世界の紛争を構造的に見るためのしくみについて論じてみようとする試みである」。

 本書は、「はじめに-紛争分析は問題解決の第一歩」、全6章、「むすびに-現代世界の紛争と日本」からなる。「第一章 現代の国際秩序-主権国家と自由主義」では、「まず現代国際社会の秩序の特徴を見たうえで、国際秩序への挑戦として紛争をとらえることを論じ」、第二~六章では、「それぞれの章において、中心的な視座となる分析理論をひとつずつ設定し、その理論にもとづいて、東アジア、ヨーロッパ、中東、アフリカ、そしてアメリカの各地域の紛争状況を分析していく。したがってそれぞれの章において、分析対象とする地域と、採用する分析理論は、異なってくる。しかし共通しているのは、普遍主義的な国際制度が挑戦されている、という点である」。

 第二章「勢力均衡-東アジアの紛争と中国」では「勢力均衡」、第三章「地政学-ヨーロッパの紛争とグレート・ゲームのゆくえ」では「地政学の概念を参照しながら、東アジアとヨーロッパの情勢を分析し、普遍的な国際社会の内部にある確執の構造を見ていく」。第四章「文明の衝突-中東の紛争と対テロ戦争の帰趨」で「焦点をあてる文明の衝突をめぐる議論は、中東を中心地とする対テロ戦争の現象を読み解くための視点となる」。第五章「世界システム-アフリカの紛争と格差社会としての現代世界」では、「世界システム論の視点を導入して、アフリカを分析する」。第六章「成長の限界-アメリカの「明白な運命」と進歩主義の未来」では、「ふたたび自由主義の問題を取り上げ、その発展の限界の可能性を、ひとつの構造的な矛盾の要素として論じていく」。

 そして、第一章の最後の見出し「普遍と個別の間の矛盾をとらえる」を、つぎの文章で締めくくっている。「具体的な様相は地域によって異なる。しかし国際制度の基盤があらためて問いなおされている点では、世界各地の状況は共通している。各地域の挑戦は、最終的には、普遍的な国際制度がほんとうに普遍的なものでありうるのかという問いに通じていくはずである」。

 第二~六章では、これまでよく聞かれた命題を主題に、現代のそれぞれの地域の特色をあらわす副題が添えられている。しかし、著者が常に念頭においていたのは、日本であり、「むすびに-現代世界の紛争と日本」では、「日本における紛争分析の伝統の弱さという問題提起に立ち返り、本書の議論がどのように日本にかかわってくるのかについて」、まとめている。

 「第二章の東アジアの分析においては、超大国として台頭した中国をめぐる政治情勢を念頭に置きながら、かつては東アジア最大の大国とみなされていた国として日本を位置づけつつ、勢力均衡の観点からの検討をおこなった。同じ理論的視座から明治維新以降の日本の外交政策の性格を描き出し、さらに二十世紀後半の日米同盟を基軸にした対外政策の意味を論じた。現在の安倍政権下の日本の外交政策は、基本的に東アジアを念頭に置いた勢力均衡の視点によって説明されるものだということも示唆した」。

 「第三章で焦点をあてた地政学の視点は、二十世紀前半の日本において大きく着目された理論的視座であった。それは日露戦争以降に東アジアの覇権国になった日本が、世界大の国際政治においてどのように行動すべきか、という問いを検討するために、人びとが大きな関心を寄せた理論的視座だったのである」。「太平洋戦争は、「ハートランド」を制圧してユーラシア大陸を支配しようとするドイツと同盟関係を結ぶ日本が、「海洋国家」間の盟主の地位をめぐってアメリカと不可避的に雌雄を決するためにおこなわざるをえないものとして認識された。そのため二十世紀後半の日本においては地政学の議論は時代遅れであるのみならず、危険なものとしてみなされるようになった。だが、だからといって、ヨーロッパ人らの意識のなかでは、依然として地政学から発する理論的視座が大きな意味をもっていることを見失うならば、関連する紛争分析において大きな制約となってしまうだろう」。

 「第四章では、はたして中東における紛争が、文明の衝突という大きな視点によって理解できるものなのかどうかを検討した」。「原油供給地としての中東への政策的関心や、イスラム圏にたいする学問的関心の土壌は、日本における中東地域に関する研究の量を豊富にしている。詳細な現地情勢分析を施せば施すほど、文明の衝突といった大きな物語は、非常に抽象的なものとして感じられるようになってくるだろう」。「しかし現代世界の否定しがたい大きな現象として、アメリカが国威をかけて遂行する「対テロ戦争」が、とくに中東地域における紛争の構造的性格に大きな影を落としていると考えることは、的はずれではないだろう。世界的規模の戦争が起こっているからこそ、もともとはそこまで明白には対立していなかった宗派間の対立が刺激され、それらが実際の紛争の構造に組みこまれるという地域情勢も発生してくるのである」。「理論的な紛争分析とは、物事の哲学的本質を決定論的に重視することではなく、時々の現象の性格を構造的な要因を視野に入れながら把握するということである。個々の政策がもってくる正・負の効果もまた、構造的な情勢によって決まってくるのである」。

 「第五章で論じたアフリカの情勢は、日本にとっては離れた世界のできごとであると感じられる度合いが強いだろう」。「日本政府が、TICAD(アフリカ開発会議)の際などに、いくつかのアフリカ諸国が目覚ましい経済成長率を見せていることを強調して、日本企業にもアフリカに注目するようにうながし、ODAが日本の経済成長を促進する効果をアピールしたことは、新しい変化だと言えるのかもしれない。ただし、それがアフリカに積極的に進出している中国への対抗意識にもとづいて進められていることだとすれば、日本のアフリカ政策とは、つまり東アジアの情勢分析の問題だということになる」。「アフリカの経済成長は、依然として天然資源に依存している度合いが強く、強権的な政権が特定の外国と結びついて進められている場合も少なくない。アフリカという問題が、二十一世紀の国際秩序に突きつけている問題の性格を考えることは、日本が世界的規模の政治情勢分析をおこなうことに直結している」。

 「第六章は、自由主義陣営の内部に潜む「成長の限界」に関する悲観論が、逆にアメリカの対外的積極行動を説明することを述べた。「成長の限界」を克服するためには、たとえば既存の国際秩序の内部に存在する問題を克服してみせることに、大きな意味がある。紛争は、「成長の限界」を克服するための格闘として、もたらされてしまうかもしれない」。「もし、ほんとうに「成長の限界」が訪れるのだとしたら、それは単にアメリカという国の問題にとどまるものではなく、自由主義を基盤にした現在の国際秩序の大きな変更を要請する事態であるかもしれない。変更は容易ではなく、多くの摩擦が起こるだろう。国際秩序の安定のためには、「成長の限界」の可能性とどうつきあっていくべきかという問いに、体系的に答える準備が求められるかもしれない」。

 著者は、繰り返し「理論で地域情勢のすべてが把握できるはずがない」と述べ、その限界を充分に理解したうえで、理論にこだわっている。それは、議論の基本になるからである。いっぽうで、「理論」が妨げになることもある。基本がないことが前提になるような状況も増えているような気もする。理論と個々の実例を結びつける柔軟な思考力・判断力が重要になってきている。

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2017年02月07日

『ボクシングと大東亜-東洋選手権と戦後アジア外交』乗松優(忘羊社)

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 帯の背の「堀口、白井、カーン博士、金子、エロルデ、三迫、矢尾板、勝俣(ママ)[又]、藤・・・」の名前を見て、ピンと来る人はもはやそれほど多くないだろう。だが、帯の表にある小林一三、正力松太郎、岸信介の名前と「日本テレビ史上最高視聴率96%!」を見ると、たんなるスポーツファン、ボクシングファンの趣味の領域を越えたただ事ではないことが、本書で語られていることが想像できる。

 本書の問題意識は、帯の裏に「序章」から抜き出して、つぎのようにまとめられている。「一九五〇年代に日比(日本-フィリピン)選手間で争われた東洋選手権のうち、半数以上の試合が五千人を超える観客動員数を記録している。一九五五(昭和三〇)年、日本テレビの中継による白井対ペレスの世界フライ級リターンマッチが、テレビ史上の最高視聴率九六・一%を記録したように、ボクシングは文字通り、日本国民挙げての一大関心事だった・・・戦争犯罪が裁かれ、賠償交渉が難航している最中に全盛期を迎えた東洋選手権は、時代の端境期に咲いた徒花のようであった。ただし、季節はずれの花が実を結ばないのとは違って、東洋選手権は日本政府ですら手が着けられないほど傷ついた信頼回復に、民間レベルで寄与した。・・・では一体、いかなる社会条件が重なって、アジアを舞台にしたこの国際スポーツ興行は成立したのだろうか」。

 本書は、序章「忘れられた栄光」、全7章、終章「「大東亜」の夢は実現したか」からなる。全7章の構成を著者、乗松優が述べていないのでよくわからないが、つぎのような章タイトルの下で、「復興期の日本を熱狂させたボクシング興行に、見果てぬアジアへの夢を託して集った男達の実像に迫る、もうひとつの昭和史」が語られている:「第一章 「帝国」の危機とスポーツ」「第二章 日比関係はいかにして悪化したか」「第三章 興行師たちの野望とアジア」「第四章 テレビ放送を支えた尊皇主義者」「第五章 岸外交における露払いとしての東洋チャンピオン・カーニバル」「第六章 ボクサーにとっての東洋選手権」「第七章 戦後ボクシングと大衆ナショナリズムの変容」。

 著者は、「終章」で、ボクシング東洋選手権の役割をつぎのようにまとめている。「戦争によって活躍の場を失った日本人選手が再度、大舞台に立つきっかけとなった。さらに、周辺諸国で反日感情が最も厳しい一九五〇年代から六〇年代にかけて、この大会は日本とフィリピン間における外交の膠着状態を解消する突破口となった。その意味において、東洋選手権は占領や戦争といった過去を乗り越え、未来に開かれた対話の一プロセスであったと捉えることができるかもしれない」。

 だが、反日感情の強かったフィリピン人にたいして、慎重にことを運ぶ必要があったことについて、著者はつぎのように説明している。「当然のことながら、東洋選手権において、日本以外の参加国に帝国の名残を感じさせるものはあらかじめ排除されていた。これまで述べてきたとおり、日本は戦争の当事国として、アジア諸国から恨みを買っていたからである。フィリピンを例に挙げても、一一一万人もの国民が死亡したことが何より、戦後のスポーツ交流の障壁となる可能性があった。しかし、占領地であったフィリピンのボクサーが日本人よりも圧倒的に高い技術を持っていたことは、占領時代の支配関係を転倒させるものとして人々の関心を集めたのであった。そこで、主催者はアジアの覇権を争うことの政治的意味を巧みに脱色し、「大東亜」の復活と見られない形でボクシングの「東洋」を演出して見せたのである」。

 つまり、日本・日本人はフィリピンを占領し、多くの犠牲を出したことにたいして、反省や後ろめたさなしに、日本の「戦後復興」にボクシングを利用したのである。したがって、日本・日本人にとって利用価値がなくなったとき、ボクシングを通じた関係は消滅することになる。著者は、「終章」をつぎのように締めくくっている。「やがて、日本人選手がフィリピンを王座の数で凌ぎ、アジア諸国からライバルが一掃される頃になると、「東洋一」の価値は次第に失われていく。それは、世界中に日本製品が溢れ、科学技術立国としての自負が日本社会を覆うのと時期を同じくしていた。戦後復興から高度経済成長へ。東洋選手権も、一九七七(昭和五二)年にはオーストラリアやニュージーランドを加えて、新たに「東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)へと改組されていく。敗戦後の虚無感をスポーツによって埋め合わせしようとした東洋選手権は、日本が戦争の記憶を洗い流し新たな自尊心を獲得する頃、静かにその歴史的役割を終えたのである」。

 このような過程を経ての現在の日比関係を、著者は楽観視していない。2016年1月にフィリピンを訪問した天皇皇后両陛下のフィリピン側の歓迎について、著者はつぎのように「あとがき」で感想を述べている。「大統領であるベニグノ・アキノ三世やフィリピン国民が示した歓迎ぶりは、中国や韓国との間で歴史認識の問題に揺れる日本人を安堵させた。日本が国際社会に復帰しようとする際、フィリピンから理解を取り付けることが容易ならぬ努力を要したことは、本文でも触れたとおりである。このフィリピン社会の〝変容〟は、一九七〇年代までの反日感情を知る人々にとって隔世の感すらあったに違いない」。「しかし、フィリピン人が示した好意的態度だけで、過去が既に「清算」されたと考えるのは、戦地訪問の意義を見誤らせることになるだろう。歓迎ムードの蔭には、日本政府に補償と謝罪を求める元慰安婦や、報復を恐れて身元を隠さざるを得なかった日系二世の存在がある。さらに、国民レベルで、いかにして両国関係が雪解けへの糸口を掴んだのか、そのプロセスは十分に語り尽くされてはいない」。

 スポーツが果たす役割は、近代アジアの国際関係のなかで、けっして軽視すべきではないことが、本書からわかる。本書の出版と時を同じくして、Stefan Huebner, Pan-Asian Sports and the Emergence of Modern Asia 1913-1974 (Singapore: NUS Press, 2016, 397 p.)が出版された。アジアの多くの国や地域が、帝国の植民地支配や抑圧を経験した。だが、確実にアジアの人びとは交流を深めていた。大国中心の政治や経済に翻弄されない人びとの交流がスポーツを通じておこなわれていた。戦争を忘れるために利用するだけでなく、将来の戦争を防ぐためのスポーツについても考えたい。

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