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2017年01月17日

『インドネシア イスラーム大国の変貌-躍進がもたらす新たな危機』小川忠(新潮選書)

インドネシア イスラーム大国の変貌-躍進がもたらす新たな危機 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、著者、小川忠が2011年9月~16年3月まで独立行政法人国際交流基金ジャカルタ日本文化センターに勤務したときに、「毎月日本の友人に向けて個人的に送信していた『ジャカルタ通信』」がベースになっている。「国際交流基金は日本のパブリック・ディプロマシー(広報文化外交)の一翼を担う機関として、国際文化交流事業を世界各地で展開しており、インドネシアでは、日本語教育への協力、知日層の拡充、市民青少年交流を通じた防災・災害復興、伝統文化からポップカルチャーまで幅広い日本文化の紹介とコラボレーションなどに重点的に取り組んでいる」。著者のインドネシア駐在は2度目で、本書ではしばしば1度目の1989~93年までの4年間との比較がなされている。

 本書の目的を、著者はつぎのように語っている。「日本の読者にとってなじみ薄く、かつ歪んで理解されることの多いインドネシア社会の「イスラーム化」の諸相について、二〇一一年から四年半この国で暮らし内側から観察し、学び、感じた体験から報告するとともに、「イスラーム化」するインドネシアと日本が、これからいかに未来を創っていくのか、その展望を語りたい」。

 本書は、はじめに、全6章、おわりに、からなる。著者自身が「はじめに」のおわりで、各章の要約をつぎのようにしてくれている。各章のタイトルを見ると、本書で取りあげる問題点が見えてくる。「最初にIS問題で揺れるインドネシアの現状とその背景を語るとともに、いかにテロを克服していこうとしているのか、ハードとソフト硬軟とりまぜたその模索を探る(第一章[テロリズム克服の模索])」。「続いて、より大きな視点に立ちインドネシア社会の「イスラーム化」現象について、経済・文化・教育の各方面から捉え直し、なぜ急速に経済発展し、近代的教養を身につけた中間層が拡大するこの国で宗教が復権する現象が生じているのかを考察する(第二章[加速する「イスラーム化」])」。「さらに、「イスラーム化」によってインドネシアは、本来備えていた他の宗教や価値観への寛容性を失いつつあるという指摘もある。その原因を分析するとともに、寛容の伝統を保持し続けるために重要となってくるイスラーム教義解釈力について考えてみたい(第三章[揺らぐ「寛容なイスラーム」])」。「続いて目を外に転じて、「イスラーム化」現象がインドネシア外交にどのような変化をもたらしているのか、国内イスラーム界の世論と外交との関係などを概観する(第四章[インドネシアのイスラーム外交の新潮流])」。そして、最後に「イスラーム化」のインドネシアが日本をどのように見ているのか、そうしたインドネシアと日本はこれからどのようにつきあっていくべきかを展望することで、本書のまとめとした(第五[内側から見た親日大国]、六章[イスラーム大国との新たな交流])」。

 本書のキーワードは、「イスラーム化」である。それは、イスラームに改宗する人びとが増えているという意味ではない。著者は、つぎのように説明している。「日本は、西洋というフィルターを通してイスラームを理解してきたため、西洋が有するイスラームへの先入観を無自覚なまま受容してきた。このため「イスラーム化」と書くと「テロの危険性増大」とか「前近代的思考に凝り固まった人びとによる人権の侵害」といった否定的なイメージに直結しがちだ。しかし、本書において「イスラーム化」は、基本的に否定的含意を意図するものではない」。「では、インドネシア社会の「イスラーム化」とは何か。「それは、これまでイスラーム教徒でありながらもその教えをさほど強く自覚してこなかった人びとが、イスラーム的価値を「善きもの」と考えるようになり、日常生活においてイスラームの戒律を守り、敬虔なイスラーム教徒として生きていこうとしている変化を指す。そして、こうした意識の変化は、インドネシアの民主化や経済成長の担い手たる、都市部の中間層、青年層において顕著なのである」。

 このように「イスラーム化」が進むと、日本とは縁遠くなるように感じる。ところが、逆で「日本は中東よりもイスラーム的!」と語る知識人がいるのだ。たとえば、国立イスラーム大学ジャカルタ校学長は、2011年につぎのようなエッセイを書いている。「日本の社会生活は、これまで訪問した中東の国と比べても、最もイスラーム的な価値観を映しだしていた」「日本の市民は整列することに慣れており、清潔を保ち、正直で、よく他人を助け、インドネシアでも失われつつある様々なイスラームの価値観を見つけることができた」。これにたいして、著者はつぎのように述べている。「現実の日本とは異なる買い被りの日本像かも知れない。そうであったとしても、インドネシア・イスラーム社会の指導的立場にある人びとが日本との交流を通じて、寛容なイスラーム精神とは何かを考えてくれるならば、それはそれで世界の平和と相互理解に対する、一つの国際貢献と言ってもよいのかもしれない」。

 本書を読んで、実際にインドネシア人に接すれば、イスラームにたいする偏見は消えるだろう。「厳格なイスラーム支配が貫徹する」バンダ・アチェの国立第二高校を訪れたときのことを、著者はつぎのように語っている。「人懐っこく、訪問客に親切なインドネシア社会の美風をここでも、いや他の地域以上に強く感じることができた。ヴェールをまとった高校生の女の子たちの表情は日本の高校生と変わらず、精神の躍動を示すように、時に目がくりくりと動き、三人寄ればかしましいし、時に恥ずかしげに下を向く」。

 自分とは違うものを、拒否する場合と違いを楽しむ場合がある。後者は、心に余裕があるときと言っていいだろう。「イスラーム」の違いを楽しむには、日本と交流する機会の多い東南アジアのイスラーム教徒を知ることからはじめるのがいいだろう。本書は、そのためにまず薦めたい1書である。

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