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2017年01月24日

『中国の海洋進出-混迷の東アジア海洋圏と各国対応-』海洋政策研究財団編(成山堂書店)

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 本書は、海洋政策研究財団が、「2010年から2012年までの3年間をかけ、国内外から海洋、軍事・安全保障、中国の政治・外交・軍事、国際法等に関わる専門家をコアメンバーとして招へいし、東アジアの海の安全保障環境を分析するとともに将来を展望するための研究を実施してきた」成果である。「ここでは、東アジアの海で生じている事案を単なる時事問題として扱ってはいない。東アジアにおける国際社会の成り立ち、シーパワーの意味、航行自由がもたらしてきた繁栄、海と陸と半島と島嶼によって織りなされる地政学なども考察の対象とし、東アジアの海の安全保障環について、現状を分析するとともに動向を見極め、その安定化の方策を見出すことに努めた」。

 「発刊にあたって」では、「東アジアの海の安全保障環境を不安定化させた発端となる要因として」、2つあげている。「1つ目は、尖閣諸島や南沙・西沙諸島などの島嶼の領有権と排他的経済水域(EEZ)や大陸棚の境界画定をめぐる紛争であり、そこには、海洋資源の取得権が絡んでいる。東シナ海と南シナ海には豊富な漁場があり、加えて、石油・天然ガスの埋蔵が確認されていることから、資源に主権的な権利が及ぶEEZや大陸棚と、その根拠となる島嶼をめぐっての紛争は、解決に糸口が見つからない現状において、国家間の武力紛争にエスカレートする危険性をはらんでいる」。

 「2つ目は、中国による急激で不透明な海軍力の増強と、他国に対する高圧的な姿勢である。中国は、南シナ海のほぼ全域を含む「U字型ライン」(中国では「9段線」と呼称」)の内側に特定の権利を有する旨を主張し、南沙諸島や西沙諸島の周辺海域に漁業監視船等を派遣して、ベトナムやフィリピンなどに威圧的な行動を繰り返している。東シナ海でも、2012年9月に日本が尖閣諸島の国有化を決定するとすぐに、中国は国家海洋局の海洋監視船「海監」や農業省に属する漁業監視船「漁政」を派遣して尖閣領海内に侵入させる等の事件を起こしている」。「この2つ目の要因、つまり、中国の覇権的とも受け取れる海洋進出は、単に東アジアの海域における海洋利用と国防の問題に止まらず、世界の安全保障に影響を与えつつある」。

 本書は、全5章と附章からなる。第1章「いま、東アジア海洋圏で何が起きているか 最大の焦点-南シナ海の係争」では、「東アジア海洋圏の紛争が凝縮した形で現れている南シナ海に焦点を当て、安全保障上の生起事象とその要因、今後の展望を追った」。第2章「東アジア海洋圏の戦略構造-その地政学的考察-」では、「東アジアにおける諸国と海洋との結びつきの歴史、安全保障環境のパラダイムシフト、日本の地政戦略的価値、などを踏まえ、東アジア海洋圏の戦略構造を明らかにした」。第3章「東アジア海洋圏をめぐるパワーゲーム」では、「第1章で示した生起事象と第2章で明らかにした戦略構造を踏まえ、東アジア海洋圏における地域諸国と域外大国のパワーゲームの現状を分析した」。第4章「海洋をめぐる中国の戦略的構造-“天下”に抱かれる海洋-」では、「第2章で明らかにした東アジア海洋圏の戦略構造に大きな影響を及ぼし、また第3章で示したパワーゲームの主要なアクターである中国の行動の源泉を探った」。第5章「新たな海洋秩序に向けて-安全保障環境の安定化のための羅針盤-」では、「混迷の東アジア海洋圏に新たな海洋秩序を構築するための方策について、執筆者の考えを提示した」。附章「古典地政学の理論と東アジア海洋圏の安全保障構造」では、「本書で頻繁に登場する地政学について、理論を解説するとともに、その理論を適用した東アジア海洋圏の安全保障構造を解説した」。

 いま起こっている領有権や海洋権益の問題は、それぞれの主張の根拠が違い、まずはその違いを理解する必要がある。本書が「単なる時事問題として扱ってはいない」のは、解決の糸口を見つけるためには、まず現状を整理し、分析する必要があるからである。本書は、「「東アジア海洋圏」の現状を正しく認識するとともに諸案件の考察を交えながら安定化のための方策を検討、提言」している。

 問題は、その後である。このような提言が政策だけに役立つのでは、なんとも悲しい。本書では、人びとの営みはまったくみえてこない。この海洋が漁業資源や石油ガス資源などを確保するために有用なのはわかるが、人びとの生活にどうかかわるのかよくわからない。海洋資源の消費者として、考えることも必要である。国家間の問題だけではなく、一人ひとりの問題であることに気づくことで、問題の見方はずいぶん違ってくる。

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2017年01月17日

『インドネシア イスラーム大国の変貌-躍進がもたらす新たな危機』小川忠(新潮選書)

インドネシア イスラーム大国の変貌-躍進がもたらす新たな危機 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、著者、小川忠が2011年9月~16年3月まで独立行政法人国際交流基金ジャカルタ日本文化センターに勤務したときに、「毎月日本の友人に向けて個人的に送信していた『ジャカルタ通信』」がベースになっている。「国際交流基金は日本のパブリック・ディプロマシー(広報文化外交)の一翼を担う機関として、国際文化交流事業を世界各地で展開しており、インドネシアでは、日本語教育への協力、知日層の拡充、市民青少年交流を通じた防災・災害復興、伝統文化からポップカルチャーまで幅広い日本文化の紹介とコラボレーションなどに重点的に取り組んでいる」。著者のインドネシア駐在は2度目で、本書ではしばしば1度目の1989~93年までの4年間との比較がなされている。

 本書の目的を、著者はつぎのように語っている。「日本の読者にとってなじみ薄く、かつ歪んで理解されることの多いインドネシア社会の「イスラーム化」の諸相について、二〇一一年から四年半この国で暮らし内側から観察し、学び、感じた体験から報告するとともに、「イスラーム化」するインドネシアと日本が、これからいかに未来を創っていくのか、その展望を語りたい」。

 本書は、はじめに、全6章、おわりに、からなる。著者自身が「はじめに」のおわりで、各章の要約をつぎのようにしてくれている。各章のタイトルを見ると、本書で取りあげる問題点が見えてくる。「最初にIS問題で揺れるインドネシアの現状とその背景を語るとともに、いかにテロを克服していこうとしているのか、ハードとソフト硬軟とりまぜたその模索を探る(第一章[テロリズム克服の模索])」。「続いて、より大きな視点に立ちインドネシア社会の「イスラーム化」現象について、経済・文化・教育の各方面から捉え直し、なぜ急速に経済発展し、近代的教養を身につけた中間層が拡大するこの国で宗教が復権する現象が生じているのかを考察する(第二章[加速する「イスラーム化」])」。「さらに、「イスラーム化」によってインドネシアは、本来備えていた他の宗教や価値観への寛容性を失いつつあるという指摘もある。その原因を分析するとともに、寛容の伝統を保持し続けるために重要となってくるイスラーム教義解釈力について考えてみたい(第三章[揺らぐ「寛容なイスラーム」])」。「続いて目を外に転じて、「イスラーム化」現象がインドネシア外交にどのような変化をもたらしているのか、国内イスラーム界の世論と外交との関係などを概観する(第四章[インドネシアのイスラーム外交の新潮流])」。そして、最後に「イスラーム化」のインドネシアが日本をどのように見ているのか、そうしたインドネシアと日本はこれからどのようにつきあっていくべきかを展望することで、本書のまとめとした(第五[内側から見た親日大国]、六章[イスラーム大国との新たな交流])」。

 本書のキーワードは、「イスラーム化」である。それは、イスラームに改宗する人びとが増えているという意味ではない。著者は、つぎのように説明している。「日本は、西洋というフィルターを通してイスラームを理解してきたため、西洋が有するイスラームへの先入観を無自覚なまま受容してきた。このため「イスラーム化」と書くと「テロの危険性増大」とか「前近代的思考に凝り固まった人びとによる人権の侵害」といった否定的なイメージに直結しがちだ。しかし、本書において「イスラーム化」は、基本的に否定的含意を意図するものではない」。「では、インドネシア社会の「イスラーム化」とは何か。「それは、これまでイスラーム教徒でありながらもその教えをさほど強く自覚してこなかった人びとが、イスラーム的価値を「善きもの」と考えるようになり、日常生活においてイスラームの戒律を守り、敬虔なイスラーム教徒として生きていこうとしている変化を指す。そして、こうした意識の変化は、インドネシアの民主化や経済成長の担い手たる、都市部の中間層、青年層において顕著なのである」。

 このように「イスラーム化」が進むと、日本とは縁遠くなるように感じる。ところが、逆で「日本は中東よりもイスラーム的!」と語る知識人がいるのだ。たとえば、国立イスラーム大学ジャカルタ校学長は、2011年につぎのようなエッセイを書いている。「日本の社会生活は、これまで訪問した中東の国と比べても、最もイスラーム的な価値観を映しだしていた」「日本の市民は整列することに慣れており、清潔を保ち、正直で、よく他人を助け、インドネシアでも失われつつある様々なイスラームの価値観を見つけることができた」。これにたいして、著者はつぎのように述べている。「現実の日本とは異なる買い被りの日本像かも知れない。そうであったとしても、インドネシア・イスラーム社会の指導的立場にある人びとが日本との交流を通じて、寛容なイスラーム精神とは何かを考えてくれるならば、それはそれで世界の平和と相互理解に対する、一つの国際貢献と言ってもよいのかもしれない」。

 本書を読んで、実際にインドネシア人に接すれば、イスラームにたいする偏見は消えるだろう。「厳格なイスラーム支配が貫徹する」バンダ・アチェの国立第二高校を訪れたときのことを、著者はつぎのように語っている。「人懐っこく、訪問客に親切なインドネシア社会の美風をここでも、いや他の地域以上に強く感じることができた。ヴェールをまとった高校生の女の子たちの表情は日本の高校生と変わらず、精神の躍動を示すように、時に目がくりくりと動き、三人寄ればかしましいし、時に恥ずかしげに下を向く」。

 自分とは違うものを、拒否する場合と違いを楽しむ場合がある。後者は、心に余裕があるときと言っていいだろう。「イスラーム」の違いを楽しむには、日本と交流する機会の多い東南アジアのイスラーム教徒を知ることからはじめるのがいいだろう。本書は、そのためにまず薦めたい1書である。

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2017年01月10日

『「中国脅威論」とASEAN諸国-安全保障・経済をめぐる会議外交の展開』佐藤考一(勁草書房)

「中国脅威論」とASEAN諸国-安全保障・経済をめぐる会議外交の展開 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国ひとつひとつの国をとりあげると、人口数十万のブルネイ、数百万のシンガポール、ラオスから2億数千万のインドネシアまでさまざまであり、面積や国内総生産でも大きなばらつきがある。その10ヵ国が集まっても、中国は「2005年の統計で、面積で2.1倍、人口で2.37倍、国内総生産(GDP)で2.05倍、兵力で1.2倍の大国である(略)。このため、ASEAN諸国は、冷戦期からたびたび、中国との間に生じるさまざまな問題に神経を尖らせ」、ASEAN共同体を強化させてきた。ということは、この「中国脅威論」にたいしてASEANという地域協力組織が有効な働きをしてきたということだろうか。著者、佐藤考一は、副題にある「安全保障・経済をめぐる会議外交」を通して考察しようとしている。

 著者は、先行研究を整理し、「残された課題は大きく分けて2つある」としている。「第1に、ASEAN諸国の政府から提起されている諸問題から「中国脅威論」を概括し、その基本的構造を提示する必要がある。上記の先行研究業績を概観しただけでもわかるように、一口に「中国脅威論」といっても実は非常に多様な問題を含んでいる」。「第2に、「中国脅威論」に対処するためにASEAN諸国政府がとってきた政策手段とその効果について、検討する必要がある。すなわち、ASEAN側の外交政策や国防政策は、その効果を含め、どのようなものであったのか、個別の問題に対処するうえで共通点があったとすればそれは何なのか、も明らかにすることが必要である」。

 本書は、序章、3部、全6章、終章、付録からなる。第Ⅰ部「「中国脅威論」の分析枠組」は、第1章「アジア太平洋地域における「中国脅威論」の類型」と第2章「ASEANの会議外交方式」からなる。第Ⅱ部「伝統的安全保障問題」は、第3章「歴史的問題・台湾問題とASEAN諸国」と第4章「南シナ海紛争・東南アジア非核地帯構想とARF[ASEAN地域フォーラム]・ASEAN中国首脳会議」からなる。第Ⅲ部「経済問題および非伝統的安全保障問題」は、第5章「経済問題とASEAN中国首脳会議」と第6章「非伝統的安全保障問題とASEAN中国首脳会議」からなる。これらの章では、「ASEAN諸国が「中国脅威論」の諸問題に対して自らの会議外交を用いて対応し、中国を相手にその緩和(沈静化)を目指してきたとの仮説を提示し、歴史的問題、台湾問題、南シナ海紛争、SEANWFZ[東南アジア非核地帯]構想、経済問題、非伝統的安全保障問題について、その内容を検討」している。

 そして、終章「ASEAN諸国の「中国脅威論」の行方」では、「結論を扱い、ASEAN諸国が、時期によってその構造(構成要素)と深刻さが変わる上記の「中国脅威論」の諸問題に、会議外交を中心にしてどのように対処したのか、また、その有効性はどのようなものだったのか、について全体的な評価を試み、ASEAN側の対応についての時期区分ができるかどうか検討することにしたい。同時にこの中では、全会一致制の政策決定や必要に応じた国際会議の増設といった特徴を持つASEANの会議外交を、中国側がどう理解し、利用しようとしているかも、検討することにしたい。なお、他に付録として、近年注目を集めている中国のソフト・パワーをめぐる問題についての予備的考察も収録している」。

 終章では、ASEAN諸国の「中国脅威論」の内容の移り変わりを、4つにわけて整理している。「まず、これまであまり個別に扱ってこなかった、各国の「中国脅威論」と、それに対する中国の対応を簡単に見ていく。続いて、個別の加盟国の脅威感のベクトルを合わせたASEAN全体の「中国脅威論」について、それぞれの問題の構造の変化と会議外交の展開から振り返り、「中国脅威論」の諸問題に対するASEANの会議外交の有効性の評価、および中国の対ASEAN認識の変化が、それらに与えた影響を検討し、最終的に「中国脅威論」が消滅するのかどうか、その展望を考えることにしたい」。

 まず、著者は「ASEAN諸国の「中国脅威論」の内容と主唱国の移り変わり(時期区分)」を表にして整理し、つぎのような結論に達した。「経済問題やSARS[重症急性呼吸器症候群]に代表される非伝統的安全保障問題については、ASEAN諸国は全体的に関心が強いが、交渉の中心になったのはどちらもシンガポールであった。中国との間の、ヒト、モノの交流がもっとも盛んな国だからである。いずれにしても、組織としてのASEANが問題にした「中国脅威論」、あるいは「中国への懸念」は、特定の国(複数の場合もある)が提起し、会議外交で取り上げられた場合に、議論されるのであり、常にASEANが団結して同じ問題意識で対応してきたわけではないことがわかる」。

 つぎに、「個別の「中国脅威論」の問題に対する会議外交の有効性の評価」については、「ポスト冷戦期のASEANの会議外交は、冷戦期のそれと比べて大きな違いが1つある」と指摘し、つぎのように説明している。「冷戦期の会議外交の中心はAMM[ASEAN外相会議]とAEM[ASEAN経済閣僚会議]だったのが、ポスト冷戦期の会議外交の中心は首脳会議、本書でいうならASEAN中国首脳会議になっていることである」。「これは、首脳たちの個人的関係の変化(ASEAN創設以来の関係の緊密な指導者たちの引退)や、国家間の政治経済関係の発展の結果だけでなく、中国という大国相手に噴出する「脅威論」の各種問題の、深刻さ(南シナ海紛争)や緊急性(アジア通貨危機・SARS)、複雑性(ACFTA[ASEAN中国自由貿易地域]につながった貿易投資問題)と関係があると考えられる。閣僚間の協議だけでは解決はおろか、緩和や沈静化も難しいのである。中国との関わりでいえば、AMM、AEM、ARF、ASEAN中国外相会議、ASEAN中国経済閣僚会議などは、いまやASEAN中国首脳会議で協議される諸政策の合意のための、草案を作ることが仕事になりつつある」。

 3つめの「中国の対ASEAN認識の変化と会議外交の有効性の評価」では、つぎのように結論している。「ASEANの会議外交はそれ自体の特徴と、中国自身を含めた諸域外大国の国際環境の相互作用の結果、有効性を発揮したという評価になるだろう。会議外交は南シナ海紛争を例に取れば、「南シナ海における係争当事者間の行動宣言」などの強制力を必要としないASEAN域内レベルの政策決定においては有効だと評価できるが、ASEAN域外の大国である中国の南シナ海での軍事行動を抑制するには、強制力の裏づけがまったく必要ないとはいいきれない。ASEAN中国首脳会議以外の会議外交に参加している、軍事力などのハード・パワーを持つ他の諸域外大国の有形無形の圧力が、担保として必要である。複数の会議外交と、諸域外大国の圧力の相互作用が中国脅威論」の沈静化に必要なのである」。

 そして、最後の「「中国脅威論」は消滅するか」という問いにたいして、つぎのように答えて、終章を終えている。「ASEAN諸国にとって、「弱者の武器」である複数の会議外交と、それを通じ、「中国脅威論」に基づいて提起される「弱者の論理」は、諸域外大国の圧力との相互作用で、外交を通じた平和的な紛争解決の手段に中国を縛り、同国のもたらすASEAN諸国にとって不都合な諸問題を沈静化させるための道具であり続ける。そして、これはアメリカや日本など、ASEANの対話諸国となっているあらゆる域外大国にとっても、今後、ASEAN側が「脅威」と考える現象を引き起こした場合は、同じである。将来、中国に代わって、これら諸国に対して「脅威論」が提起される可能性もまったくないとは言い切れない。ASEANレジーム(ASEANの会議外交)の困難な挑戦は続くであろう」。

 本書では、会議外交を中心に「弱者の武器」を使って、強者の中国に立ち向かっているASEANの姿が描かれている。その会議に至るまでに、ASEANはいわゆるASEAN Wayとよばれる非公式会議を積み重ねている。その非公式会議は、ASEAN諸国内のもの、ASEANと中国以外の日本や韓国、アメリカなどの「強者」とのものも含まれる。会議と呼べないようなものも無数に存在する。「脅威論」は弱者を結束させる手段でもある。著者が、付録としてソフト・パワーを扱ったのも、「会議外交」だけでは、充分に理解しきれないものがあったからだろう。それは、本書の13の表を整理しながら気づいたことだろう。本書を読むと、ASEANの存在がアジア太平洋地域で大きくなっていることがわかる。

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2017年01月03日

『忘れられた島々-「南洋群島」の現代史』井上亮(平凡社新書)

忘れられた島々-「南洋群島」の現代史 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 外務省のホームページを見ると、つぎのようにかつての「南洋群島」に属していた国ぐにが親日であることを強調している。「このように同じ太平洋を共有し,歴史的に親日的であり,かつ国際社会において日本の立場を支持する太平洋島嶼国は,日本にとって大変重要な国々です。豊かな漁場としても知られる太平洋島嶼国は,日本の約5倍の排他的経済水域(EEZ)を有しており,日本で食されるマグロやカツオの約8割はこの水域で漁獲されています。また,銅,ニッケルなどの鉱物資源や,石油,天然ガスなどのエネルギー資源の重要な供給地であり,かつ海上輸送路にもなっています。特にミクロネシア3国(マーシャル諸島共和国,パラオ共和国,ミクロネシア連邦)では日系人の存在が大きく,ノート元マーシャル大統領,レメンゲサウ・パラオ大統領,モリ・ミクロネシア大統領など,日系人大統領も登場しています。太平洋戦争時に激戦地となった島々へは,近年でも多くの日本人が慰霊や遺骨収容のため訪れていますが,その際にも地元住民による多くの協力や支援が行われています」[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol127/index.html 2017年1月1日閲覧]。

 しかし、著者の井上亮は、つぎのように警告する。「旧南洋群島の人たちが日本人に笑顔を振りまいてくれるからといって、それを単純に「親日」と受け取り、過去の統治の自賛に結びつけるなら、あまりにも浅はかで独りよがりといわなければならない」。

 著者は、またその「親日」の原因のひとつをつぎのように説明している。「慰霊団が旧南洋群島を訪問し始めて間もないころは、サクラ会[島民と日本人混血児を中心として1960年代半ばに設立]の親身な活動を目の当たりにした日本人の間に「サクラ会は親日家の組織」という言説が広まった。それが「パラオは親日国」という印象につながっていった」。

 島民が「親日」となった原因のひとつに、日本の統治下で形成された階層社会があった。「パラオでは階層順位が内地日本人、パラオ人、沖縄移民だったという。パラオ人が戦後も親日傾向にあるのは、「同化政策の影響で自分たちの方が沖縄県移民より上で日本移民に近いと考えることで、実際は差別されているにも関わらず被差別意識は薄れた」ことが要因とする指摘もある」。「島民の間ではチャモロ人がカナカ人を下に見ていたが、パラオではチャモロ人が沖縄県人を「ジャパン・カナカ」と呼んで蔑視していたという」。また、「チャモロ人やカナカ人も朝鮮人移民をさげすんだ」という。

 このような同化政策のための悲劇もうまれた。「もっとも悲惨だったのは四二年七月に結成された「ポナペ決死隊」であった。「日本人になりたい一心」で募集に応じた一九歳から四三歳までのポナペ人二〇人がラバウルに向かった。そこから体調を崩した三人を除く一七人がニューギニアのブナに向かったが、原住民対策の特殊任務ではなく、日本兵と同じく戦闘に従事した。結果、全員が戦死した」。

 この階層は、戦後引き揚げにさいしてアメリカ軍がとった扱いでも同じであった。「南洋群島からの引き揚げは四五年一〇月二四日のヤップ島から始まり、四六年五月七日のテニアン島発まで続いた。総引き揚げ者は約六万人。原則は「本籍地」への帰還だった。引き揚げの際、米軍は内地の日本人、沖縄県人、朝鮮・台湾人を区別して管理した。沖縄県人は日本人とは別の被抑圧民族とみなされていた。本土ではGHQが「奄美と沖縄出身者は非日本人」として扱った」。

 「南洋群島から日本本土に引き揚げた内地出身者は約二万人、沖縄県人は約三万三〇〇〇人、朝鮮人約七七〇〇人、台湾人約五五〇人、中国人約一四〇人。南洋群島からの引き揚げ者の半数以上が沖縄に帰ったことになる」。

 南洋群島は、日本とアメリカの激戦地になり、たとえば2015年4月にパラオ・ペリリュー島の「西太平洋戦没者の碑」に献花された後、天皇皇后両陛下が拝礼した(本書帯の写真)「アンガウル島では日本軍の戦死はおおよそ一一五〇人、生還五〇人、米軍は二六〇人が戦死したが、戦傷を含めた損耗は日本の約一二〇〇人に対しアメリカは倍以上の二五五四人に上った」。当然、島民が蒙った被害は甚大で、その補償を日本とアメリカがするのは当たり前のことである。だが、1950年代に起こった現地住民の戦時補償運動にたいして、「太平洋諸島信託統治地域に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」が締結されたのは、ようやく69年のことだった。「協定の前文には日米両国が「住民の戦争中に被った苦痛に対し同情の念を表明し、住民の福祉のために自発的拠出を行う」と記された。「謝罪」ではなく「同情」であり、「賠償」ではなく「自発的拠出」を行うというのだ」。

 「「海の生命線」として戦略的に重要視されつつ、その後は忘却されてきた島々」は、冒頭の外務省のホームページにあるとおり、漁業資源、鉱物資源、エネルギー資源の供給地として、また海上輸送路として重要になってきている。「親日」として油断していると、中国が食い込んでくることは、東南アジアと同じだろう。日本の経済的影響力が低下するなか、「親日」の意味を再考する必要がある。そのための基本情報を、本書は提供してくれている。

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