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2016年12月27日

『「米中対峙」時代のASEAN-共同体への深化と対外関与の拡大』黒柳米司編著(明石書店)

「米中対峙」時代のASEAN-共同体への深化と対外関与の拡大 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、2005年に発行された『アジア地域秩序とASEANの挑戦』、2011年に発行された『ASEAN再活性化への課題』に続く「東アジア共同体とASEAN」3部作(すべて明石書店)の最終巻である。「東アジア共同体」ということばは10年ほど前にはよく聞かれたが、近年ほとんど聞かれなくなった。この変化のなかで、最終巻をどのようにまとめ、位置づけようとしているのだろうか。

 まず、編著者である黒柳米司は、「まえがき」で2005年から本書まとめ時の13年までの8年間の「文字通り地殻変動」を、つぎのようにまとめている。「もっとも重要な変化は、「中国の台頭」と、その結果もたらされた「米中対峙」という状況であろう」。「第2に、2015年12月31日を達成年度とする「ASEAN共同体」構築に向けた域内協力の進展である」。そして「第3に、8年前には日中両国を含め域内で熱く論議されていた「東アジア共同体」構想への関心の雲散霧消である」。

 このような「地殻変動」を認識したうえで、本書の目的をつぎのように述べている。「東アジアの地域・国際環境を規定する「米中対峙」状況の下で、ASEAN が一方では「共同体構築」に向けて域内協力を“深化”させ、他方では、域外諸国への関与を“拡大”し得ているか否かにつき、多様な局面から考察しようとしたものである」。

 本書は序章、3部全8章、終章からなる。第Ⅰ部「「米中対峙」という状況」では、「「米中対峙」という状況を把握するため、主要なアクターとして中国の位置づけと、米中間のパワー・シフトにともなう戦略的不透明性という大状況を論じる2論文で構成される」。第Ⅱ部「ASEANの深化局面」では、「ASEAN域内の協力の進展や民主化の促進など、いわば共同体構築に向けての「深化」の局面に焦点をあてる。第Ⅲ部「ASEANの拡大局面」では、「ASEANと域外諸国との関与という「拡大」の局面を主題とする」。

 編者である黒柳米司は、「終章 ASEANの現状と展望」の「むすび-「共同体」とは何か」で、「「ASEAN共同体」の実現とはいかなる状況を指すのか」と自問し、つぎの3つの疑問をあげている。「それは(1)何らかの制度・機構の成立か【制度】、(2)十分に統合された諸国間の接触と交流における機能・役割【機能】か、あるいは(3)域内諸国と諸国民の「われわれ意識」の拡充【認識】なのかという疑問である」。

 そして、ASEAN共同体構築をめぐる、つぎの「3つのパラドックス」を指摘している。「第1は、「ASEAN共同体」への接近はますます「脱ASEAN Way」という性格を帯びざるを得ないという現実である」。「第2に、ASEAN協同体に向けて一連の野心的な構想が提示されたが」、「それが理想的に過ぎて実現可能性が乏しくなるという陥穽である」。そして、「第3に、インドネシアの役割をめぐるパラドックスである。民主化先進国を自負するインドネシアのASEAN安全保障共同体構想提案は、おそらく二重の意味で域内諸国の賛同を得がたいものであった。1つは、いわばインドネシアの民主化先進性が、ASEAN同胞から乖離していたことであり、もう1つはインドネシアの地域大国意識への警戒心である」。

 もうひとつ編者が問題とするのは、アジア太平洋における日本の役割である。「あとがき」で、つぎのように述べている。「本書の主題は2つあった。1つはアジア太平洋地域の戦略的構造としての「米中対峙」という状況認識であり、もう1つは弱者の協議体たるASEANが主導する一連の広域対話メカニズムをめぐる「ASEANの中心性」という状況認識」である。10年さかのぼれば、「米中対峙下のASEANの中心性」という状況認識は必ずしもアジア太平洋地域を規定するものとはいいがたかったろう。では、10年後にはどうであろうか」。「第2次安倍政権は、もっぱら「日米同盟に立脚した対中牽制」に腐心しているが、そのことが米国やASEAN諸国から評価されているか否か、そして何よりも日本の国益にとって最善の戦略であるか否かは即断を許さないところである。日本の対中強硬路線と中国の反日強硬路線とが悪循環に陥っている状況は、対話による東アジアの平和と安定を模索するASEANにとっても憂慮すべき材料となっているからである」。

 鍵となるのは、「ASEANの中心性」について、日本、中国、アメリカがどれだけ認識しているかである。かつての「弱者」と「強者」の2国間関係の寄せ集めであると考え、ASEANの存在を尊重しないような態度をとると、「弱者の協議体」はみえない抵抗をするだろう。だが、編者が疑問とするように「協議体」としてまとまった対応がとれなければ、「強者」の対峙の犠牲になるだろう。ASEANが共同体として存在感を示すことは、ASEAN各国の平和と安定にとって重要であるだけでなく、日本や中国、韓国を含む東アジアという地域にとっても重要なことになっている。そのことに、日本、中国、韓国が気づき、東南アジアの文化や社会にも目を向けて対等な関係で互いが尊重しあう信頼関係を築くことが肝要だが、いまだに東南アジアを軽視する傾向があるのは日本だけでなく中国も韓国もだろう。日中韓と東南アジアとのあいだの「溝」は、まだ大きい。

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2016年12月20日

『日本人の国際移動と太平洋世界-日系移民の近現代史』米山裕・河原典史編著(文理閣)

日本人の国際移動と太平洋世界-日系移民の近現代史 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、共同研究「日本人の国際移動に関する学際的研究」(立命館大学国際言語文化研究所プロジェクト)の成果をまとめたもので、『日系人の経験と国際移動-在外日本人・移民の近現代史』(米山裕・河原典史編、人文書院、2007年)の続編である。

 「序 日本人の国際移動と太平洋世界の形成-「大西洋史」の成果を踏まえて-」では、「分断された移殖民研究の変容」で「移動・移民体験に関する既存の研究方法・視角を概観し、特徴と問題点を指摘する」。ついで「移動の「場」に着目する」で「大西洋史の研究成果を概観したうえで太平洋史の問題点と可能性について検討する。そして、太平洋史を構築するうえでアジア人の移動の持つ意味について考える」。

 本書は、3部全11章からなる。第1部「研究の理論と枠組み」は2章からなり、まず「海外における最新の研究成果を整理し、おもにアメリカにおける日本人の国際移動研究の潮流と課題を提示する」。「序では十分に説明できなかった」「日本人以外の移民史」についても詳述している。つぎに、「アメリカ・ロサンゼルスにおいて農業だけでなく、やがて日本人は商業活動にまで進展する様子について」、「歴史社会学から読み解く」。

 第2部「国際政治の動向と日本人移民」は3章からなり、「太平洋世界において活躍した日本人(日系人)をめぐる国際政治の諸相が説かれている」。まず「大西洋史とは異なる移民史を築くに至った環太平洋地域への日本人移民について、おもに契約移民会社が果たした役割について」説明し、つぎに「日本の外地であった「南洋」へ展開する日本人について、いわゆる「知識人」の思想をひも解く」、そして「ハワイからの転航によってバンクーバーに起こった日本人排斥事例」を再考している。第3部「北米大陸と太平洋島嶼部における移動と生業」は6章からなり、「これまで移民史研究で看過されて」きた「太平洋諸島をめぐる日本人の活動も収め」ている。

 そして、「序」は、つぎのような課題を述べて締めくくっている。「太平洋世界の形成に果たした重要度からすれば、日本人の国際移動の果たした役割は、中国人に次ぐ副次的なものだったといわざるを得ない。しかし、それこそが一国史的な見方であって、アジアの各地から次々と送り出される代替可能な労働力の流れが太平洋世界を作り出したのである。今後の環太平洋地域の国際移動研究は、在外中国人、インド人の専門家との共同作業を踏まえて、全体像の構築を進めることが必要なのである」。

 本書は、2004年度からいくつもの研究助成金を得て進めてきた共同研究「国際移動研究会」の成果の一部であり、すでにいろいろな機会に発表されてきたものである。本書に収録され1章となった論文の初出をみると、古いものは1995年で多くは2010年前後である。本書は、「諸般の事情によって前書に収録できなかった論文や、その後の発表をまとめた「国際移動研究会」の研究成果の第二段になる」。そして、2013年度から5年間の予定で科学研究費基盤研究(A) 「環太平洋における在外日本人の移動と生業」(代表 米山裕)が採択され、共同研究の再出発のために出版された。序の最後で指摘された課題「環太平洋地域の国際移動研究は、在外中国人、インド人の専門家との共同作業を踏まえて、全体像の構築を進めることが必要なのである」に立ち向かうためには、これまでとは次元の違う取り組みが必要となる。

 「大西洋史」研究に匹敵する成果を出すためには、まず大西洋と太平洋の違いを理解しなければならないだろう。現在、太平洋諸島諸国メラネシアには4つの国、ポリネシアには5つの国と地域、メラネシアには5つの国があり、約700万人の人びとが暮らす。これらの人びとにとって、「太平洋史」研究とはどういう意義があるのか、そこから出発するには多くの難題があるが、着実に一歩一歩踏みしめてやっていくしかないだろう。

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2016年12月13日

『入門 国境学-領土、主権、イデオロギー』岩下明裕(中公新書)

入門 国境学-領土、主権、イデオロギー →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「「領土という病」を克服できるか」と帯にある。「領土という病」については、著者岩下明裕の編著『領土という病-国境ナショナリズムへの処方箋』(北海道大学出版会、2014年)に詳しく、本書の内容をより知りたければ、著者がここ数年間に精力的に書いてきた単行本・論文を読めばいいようだ。本書は、それらをまとめてわかりやすく書いて、新しい学問である「国境学」を紹介したもので、表紙見返しにつぎのようにまとめてある。

 「北方領土、尖閣諸島、竹島という日本が抱える三つの「領土問題」。その解決のヒントになるのが国境学・境界研究(ボーダースタディーズ)である。欧州を揺るがす移民問題、国境防衛にとどまらないサイバー時代の安全保障、境界地域の経済振興など、国境学の応用範囲は幅広い。四千キロに及ぶ中露国境の踏破、北方領土問題への提言など最前線で活躍してきた著者が、欧米の動向や自身の実践を踏まえて解説する入門書」。

 「国境学」とはなにか。著者は「はしがき-「日本の領土」、何が間違っているのか」で、つぎのように説明している。「本書が国境を学として論じる際に依拠するボーダースタディーズ、つまり境界研究は、一つの空間がもつさまざまな彩りをその境界が重なりあう場所を通じて描きだすことで、単色に塗り込められた空間がそうではないこと、一つひとつの色合いをもつことを復元する。そして、その色合いはさまざまにまじりあい、交錯する。大きな空間が境界で分けられ、そして境界が消え、また折り重なる。境界は動くだけでなく、線で引かれた空間はグラデーションとして連なり、地域を構成する。これらの色合いを束ね直すことでしか、社会や国家は生まれ変われない」。

 だから、著者は「「固有の領土」など本来、存在しない」といい、「境界はいつでも変わる。境界づけられた空間、つまり領土は広がることもある。そして縮むことも」当然あると考える。したがって、「はしがき」の副題「「日本の領土」、何が間違っているのか」の答えは、つぎのようになる。「現存する境界がそのまま永久に続くと思い込み、それをただ「固有の領土」と子供たちに教えれば十分だ、といった姿勢が続くかぎり、日本の国境や領土の将来は危うい。いま求められているのは、領土とは何か、国境をどう考えるか、世界の事例を学び、日本という「くにのかたち」のあり方について身体性をもって考えてみることだ。領土や国境を「毅然として守れ」と声を荒らげることではない。学ぶべきことは、領土や国境での人々の具体的な生活であり、境界に対する関心の持ち方と涵養(かんよう)である」。

 人びとの生活を中心に考えるからこそ、ボーダースタディーズが重要になる。「ボーダースタディーズという言葉は日本ではまだあまりなじみがない。本書タイトルは『入門 国境学』と掲げてあるが、国境こそ境界(ボーダー)を考える最も重要かつ理解しやすいテーマであるのがその理由である。境界(ボーダー)という概念は、国境よりも広く深い。そして境界(ボーダー)とは何かを考えずして、国境をとらえることもできない」。

 本書は、「はしがき」に加えて「序章 世界の境界・国境を比較する」があり、全7章、終章、補論、「あとがき」からなる。「第1章 境界の現場を歩く」の最後に「本書の道案内」があり、章ごとの内容と章間の関係、章の読み方の順番などが示唆されている。以下、「第2章 ボーダースタディーズとは何か」「第3章 国境・誰がこの線を引いたのか」「第4章 領土問題の構築を解体する」「第5章 透過性と分断から地域を考える」「第6章 国際関係をボーダーから読み換える」「第7章 日本の境界地域をデザインする」「終章 国境のなかに光を見る」、「補論 新しい人文・社会系の学問をいかに創造するか」とつづく。

 そして、著者は「国境学」の意義のひとつを、つぎのようにボーダーツーリズムに見出している。「ボーダーツーリズムはまた平和創造に直結する。そもそも観光業そのものが平和産業であり、軍事対立下では一種のプロパガンダ、あるいはダークなものとしてしか成立しない。緊張下であっても平和に貢献した事例としては、パレスティナによる遺跡ツアーでイスラエルの障壁づくりを抑止した事例(略)、DMZをツーリズムで結ぶことで南北朝鮮の緊張緩和の一助とした試みがある。ボーダーが紛争と結びつきやすいかぎり、それがダークツーリズム的な側面をもつことは否定できない」。「ダークをつきぬけて、何らかの光りを見出す。ボーダーツーリズムの可能性はまだ見出されたばかりであり、今後さまざまな展望が広がっていくだろう」。

 首都中心の中央集権化された近代国家間の国際関係から、グローバル化のなかで個々に生活する人びとを中心とした社会に変わろうとするいま、辺境と考えられた国境がゲートウエイとして注目されてきていることが、本書からわかる。だが、なお国家が排他的に支配し、守ろうとする「領土という病」の現実は残っている。著者は「国境学」者として、これまでさまざまな提言をおこなっている。提言する意味がなくなったとき、「国境学」は消滅する。

 ロシア連邦のプーチン大統領が今週12月15日、16日に来日する。北方領土問題があるため、日本国と1991年に崩壊したソビエト連邦の継承国ロシア連邦とのあいだで平和条約が締結されず、日本とロシア連邦とはいまだ戦争中ということになるが、既成事実として日本国とロシア連邦は平和条約を締結した国ぐにとなんら変わりない国同士の関係にある。領土問題に固執するかぎり、人びとの生活からボーダーは消えない。だが、領土問題というものがあたかもないことのように人びとの生活を考えれば、事実上領土問題はなくなる。まずはすでに一部認められている漁業活動やビザなし渡航など、ボーダーを消すことから考えればいい。

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2016年12月06日

『サンゴ礁に生きる海人-琉球の海の生態民族学』秋道智彌(榕樹書林)

サンゴ礁に生きる海人-琉球の海の生態民族学 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、著者、秋道智彌が1971年以来、八重山諸島、糸満を中心に「海について学ぶ旅をつづけてきた」成果である。その海の学びの環境は、けっしてよくなっていないことを、著書はつぎのように「はじめに」で述べている。

 「本土復帰から四四年の現在までに、沖縄では自然、社会両面にわたる大きな変化が起こってきた。本書であつかう海の問題についていえば、ウミンチュが観察し、実感してきた海の変化にはさまざまな要因が関与している。そのなかには地球温暖化、サトウキビやパイナップル農業の発展による圃場整備がもたらした赤土の流出、海洋観光産業の発展、沿岸部の埋立と港湾整備による海岸地形の改変、韓国・中国からの漂着ゴミの増加など、地球規模から東アジア、琉球列島、沖縄県など幅広い範囲にわたる諸要因がふくまれる。これらの変化を通じて、サンゴ礁の海は悪くなることはあっても、よくなることはなかった。石垣の白保ではかつて新空港建設をめぐる反対運動が巻き起こった。新空港用地は白保からカラ岳南に移転され、二〇一三年三月七日に新しく南(はい)ぬ島石垣空港が開港した。オスプレイの沖縄配備や米軍基地の辺野古移転などいままさに動いている事態もある。尖閣列島周辺海域では中国海監によるレーダー照射などの挑発行為があったし、中国漁船の不法侵入がつづいている。東シナ海の権益と海底油田・天然ガスのエネルギー資源をめぐる中国の拡張政策は東アジアの安全をそこねかねない状況にある。二〇一三年九月一三日には尖閣列島周辺で台湾マグロはえなわ漁船と日本のマグロ一本釣り漁船(八重山漁協所属)が台湾船の不注意で衝突する事故も発生した」。

 このように海を取り巻く環境が悪化するなかで、「沖縄ではサンゴ礁の海を保全・再生する動きが活発におこなわれている」。著者は、「今後、どのようにして宝の海を守り、しかも地域住民の暮らしを向上させていくのか。琉球の海は世界が注目する場であり、その海に生きるウミンチュにこそ光をあてるべきだろう」と、人びとの生活のなかでの解決策を模索している。

 だからこそ、つぎのように時間と空間の両方の拡がりのなかで、問題を捉えようとしている。「本書では、現代に生きるウミンチュのかかえる問題を過去にさかのぼって検証する。そして、沖縄とつながる東南アジア・オセアニアの海人を見据えながら、サンゴ礁の海に生きるウミンチュの世界を活写したい」。

 本書は、全7章からなる。「第一章[琉球の海と島嶼世界]では琉球の海と島嶼世界に展開してきた交易の実態を示す。第二章[海の民俗知と言語的世界]では海の生態と民俗知に着目し、言語的なアプローチから魚名と海の地名についての具体例を検討する。そしてウミンチュによる海への認識のありかたを明らかにする。これを踏まえて第三章[琉球の漁撈文化]では、具体的な漁撈技術の実態とその変容を示す。第四章[琉球の海のなわばり]では、ウミンチュの足跡を海のなわばり論と海外出漁の歴史のなかで位置づける。第五章[海の経済と食文化]ではウミンチュの獲得した海の幸が如何なる社会関係を通じて流通し、どのような食文化を醸成してきたのかを明らかにする。さらに、第六章[海の境界と生態・民俗]では海の境界領域における生態と民俗の関わりを探り、第七章[コモンズの海の未来]では資源の管理とコモンズとしての海の位置づけを踏まえて琉球の海の未来を照射する」。

 本書に結論はない。だが、著者は最終章の第七章の最後で「沖縄の海は誰のものか」と問うて、つぎのように答えている。「サンゴ礁の海は年に一度訪れる観光客のものではない。海に生きるウミンチュの生きざまとその知恵を未来に伝えるべきではないだろうか」。

 本土復帰後の沖縄は、美しい海を求めてくる国内海外からの観光客とアメリカ軍基地に雇用と現金収入を求めてきた。その代償が、海の環境破壊と海に生きる人びとの知と文化の喪失だった。著者は、つねにそこに暮らす人びとに寄り添って、海の生態学を考えてきた。そして、「沖縄こそ日本の理想とくらしを考える試金石になるという強い思いにかられる」ようになった。基地問題を含め、沖縄の問題を本土の人びとが自分たちを含む日本の問題だと気づいたとき、「沖縄の海は誰のものか」にたいする答えをもつことができるだろう。

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