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2016年09月13日

『南シナ海でなにが起きているのか-米中対立とアジア・日本』山本秀也(岩波ブックレット)

南シナ海でなにが起きているのか-米中対立とアジア・日本 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「南シナ海」の問題は、状況がわかればわかるほど、解決の糸口がつかめいないむなしさを感じる。学問的にはひじょうに扱いにくく、出版されたものもジャーナリストによるものが目立つ。本書の著者、山本秀也も「産経新聞編集委員兼論説委員」で、本書は「中国と南シナ海をめぐる問題にほぼ四半世紀かかわって」きた成果である。

 著者は、「南シナ海問題を俯瞰的に読み解」くために、「歴史的な経緯に中国、米国、それに東南アジアの視点を重ね」て考えたいという。また、「かねがね中国の指導者が「国家統一」と「領土」の保全実現に強い執念を抱くことに着目し」、「問題の根幹には「大一統」という中華帝国の伝統的な天下観が横たわっているという見解を述べ」ている。

 まず、南シナ海問題を複雑にしているのは、「二百以上ある島嶼のうち自然状態で人の居住が可能な「島」はほとんどなく、満潮時わずかに水面から頭を出す「岩」や、逆に干潮時しか頭を出さない「低潮高地」が多いという地勢」があることを指摘する。つぎに、1968年に東シナ海、翌69年に南シナ海とタイランド湾で実施された国連アジア極東経済委員会(ECAFE)がおこなった調査によって豊富な石油資源が埋蔵されている可能性が報告され、「資源争い」という新たな要素が加わり、出口のない紛争と対立に至ったと説明している。

 著者は、終章「高まる波浪と止まぬ風」で、「「大一統」vs.「法の支配」」という見出しを設け、「現在直面する南シナ海問題の本質について」、つぎのように結論している。「九段線というおよそ根拠を欠く管轄権主張の根底にある限りなく中国的な「大一統」という統治理念と、「法の支配」を普遍的に求める国際社会の法治主義の対立だと考えています。ある種の「文明の衝突」と呼べるかもしれません」。

 中国が近代法治主義を無視する理由については、つぎのように解釈している。「中国経済が減速し、国内各地で労働争議が頻発する状態でも、巨額の軍事費を費やし、外国との摩擦を招く中国の海洋進出が、政権批判の火種に転嫁されない理由は、言論統制による政府批判の封じ込めだけでは説明できません。中華帝国の衰退期に失った本来あるべき海洋権益と周辺秩序を取り戻さなければならない、という「物語」が、国民教育を通じて繰り返され、信仰に近い民族の大義として広く認知されているためだと考えれば理解は容易になります」。

 この「文明の衝突」にたいして、第3の勢力としてASEANが注目され、南シナ海情勢について「深刻な懸念」が表明されたが、「コンセンサスでしか動けないASEANの限界」を見据えて、「南シナ海問題でASEANの十カ国が一丸となって中国に対抗することがないよう手を打って」いる。「中国外交は多国間の場を警戒し、とりわけ自国の権益にかかわる事案では「当時国間で交渉」に持ち込みたがる傾向が強い」。

 本書を読んでも解決の糸口すら見つけることができないのは、つぎのように本書を締めくくっていることからもわかる。「仲裁裁判所が中国の不当性を認めたとはいえ、中国は強硬姿勢を続ける構えです。南シナ海から緊張が遠のき、法に基づいた公正な解決のプロセスが動き始める日は、まだ全く見通せない状況なのです」。

 いま南シナ海問題は、地域の問題として取りあげられている。これが地域を越えた問題になったとき、事態が変わる可能性がある。国家間の利害関係を超えた次元で、南シナ海の重要性に気づき、国家を動かすパワーが生まれたとき、糸口が見つかるかもしれない。紛争の蔭で、いま起こっていることは、環境破壊と漁業資源の枯渇という問題である。紛争のための軍事予算を、環境や資源保護に使えば、豊かな海の恩恵を皆が受けることができる。国益にもかなうはずだが・・・。

 そう考えると、期待できるのは粘り強く非公式会談を重ねて解決を模索するASEANウェイと、国益より地域や地球の利益を優先させる非政府組織の活動ということになる。そして、これらの活動を支えるのが、研究者による基礎研究である。

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