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2016年07月26日

『日本の戦争と宗教 1899-1945』小川原正道(講談社選書メチエ)

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 「「殺生」を禁ずるはずの宗教が、戦争、そして戦争協力を正当化するに至った論理とは」なにか。著者、小川原正道は「あとがき」冒頭で、つぎのように述べている。「ここで扱ったおよそ半世紀の戦争と宗教の関係について、特色として挙げられるのは、宗教勢力と軍との、いわば「相互依存」の関係である。宗教勢力は中国大陸での布教権が中国政府によって認められていない以上、中国側の反対を受けずに布教するには、日本の実効支配地域で活動を展開するしかなく、その場合、「支配」している陸軍の「了解」や「便宜」が必須となる。軍の行動に追尾するようにして宗教勢力がその教線を拡大していった大きな背景が、そこにある」。

 たとえば、浄土真宗本願寺派は、1937年7月7日に盧溝橋事変が勃発すると、「本山末寺総力を挙げて、戦没者の法要を営み、慰問品を集め、時局講演をし、遺族を援護し、軍資を献納し、そこに陸海軍、そして宗教を所管する文部省が権威を与え、さらにこれを報道し批評する新聞社が世論という彩りを添え」て、総動員体制で臨み、戦争を否定できなくしていった。

 本書は、プロローグ、全5章とエピローグからなる。全体の大きな流れを、著者はつぎのようにまとめている。「叙述の対象とするのは、基本的に二十世紀に起こった満州事変以降の日中戦争、太平洋戦争期の戦争と宗教の関係であるが、日露戦争と満州事変とのあいだには、日本が関わった戦闘そのものは小規模であったものの、その後の戦争と宗教の問題を考えるうえで重要な問題をはらんでいる。第一次世界大戦(一九一四~一九一八年)が横たわっており、この戦争と宗教との関係についても論じていく。冒頭では、二十世紀の戦争と宗教の問題を考える基調となる、二十世紀前後の日本政府の宗教政策について概観する。それが日露戦争でどう変容し、さらに第一次大戦で宗教界にとってどの点が問題となり、そこで積み残された課題が、満州事変以降の戦争と宗教の関係を考えるうえで、どのようなしこりとして底流していくのか、というのが、本書の大きな潮流である」。

 本書の特徴について、著者はつぎのように3つ挙げている。「第一に、宗教横断的な研究である、ということである。これまで、主に宗教者自身や、宗教系大学の研究者がこうしたテーマに取り組んできたこともあって、その成果は宗教、宗派ごとに分かれて公にされることが多かった」。「そこで筆者は、宗教横断的な執筆のスタイルを取り、それによって、同時代において各宗教、各宗派に共通して見られるもの、あるいは異質なものなどを抽出してみたいと思う」。

 「第二に、時代連続的な研究である、という点である。戦争と宗教の問題を考えるとき、一般的に念頭に置かれるのは、満州事変以降の、いわゆる「十五年戦争」期であった。これまでの研究成果についても、圧倒的にその時期に集中している。それはその時期に展開された戦争の規模も、犠牲者の数も、戦争協力の規模も以前にくらべて圧倒的に大きく、かつ、戦後という我々の生きている時代に直結しているといった意味で、当然のことであったろう。しかし筆者は、先述したように、この時期の戦争協力の枠組みは、すでに明治期、その一部は戊辰戦争の時点で、形成されていたと考えているし、明治期の戦争と昭和期の戦争のあいだに横たわる大正期の戦争、すなわち第一次世界大戦も大きな意味を持っていると感じている。明治期に奏でられた「前奏曲」が、第一次世界大戦を経て、どう「交響曲」として展開していったのか。その時代連続的な視座をもって、二十世紀の戦争と宗教の関係をとらえていきたい」。

 「第三に、政治学的な研究である、ということが挙げられる。筆者は宗教学者でも宗教社会学者でもなく、政治と宗教との関係を考察する政治学者である。必然的に、宗教の動向はもとより、これと深く関わった日本政府、日本軍、満州国政府などの政策に、大きな関心を払うことになる。戦争協力の問題を考える場合、宗教側が「加害者」なのか、「被害者」なのか、という点が、これまで多く論議されてきた。その是非はともかく、宗教側が加担したのか、あるいは政府や軍が利用したのかといった点を明らかにするためには、政府や軍がどう宗教をとらえ、これを利用する、あるいはしない、といった選択をしていったのかを明らかにしなければならない」。

 ここで問題となるのは、神道であり、靖国神社の存在である。もちろん、神道も靖国神社も認めず「殉教」した信者もいたが、多くの仏教徒やキリスト教信者は、神社参拝をし、靖国神社に祀られることを拒否しなかった。宗教とは別格の存在としたわけで、靖国神社に祀られるということが恩給の受給者になることと同義であったことも無関係ではない。戦後単立宗教法人となったが、たんなる神社ではないことは、国家間の対立の原因になっていることからも明らかである。まさに、本書のタイトルに「戦争と宗教」だけでなく「日本の」が付け加わったのは、その別格ゆえであり、「日本信仰と西洋思想との戦いである」からである。

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2016年07月19日

『大本営報道部-言論統制と戦意昂揚の実際』平櫛孝(光人社NF文庫)

大本営報道部-言論統制と戦意昂揚の実際 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書の単行本が出版されたのが、1980年。敗戦後35年間がたっている。著者平櫛孝は、「1908年、広島市に生まれる。広島陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校卒、陸軍野戦砲兵学校、陸軍砲工(科学)学校教官、陸軍省軍務局付、陸軍省(大本営)報道部員、留守第3師団参謀、第43師団参謀兼第31軍参謀兼中部太平洋艦隊参謀を経てサイパン戦に参加。陸軍中佐。1980年2月、没」。

 本書は、まず陸軍士官学校予科の教育への、つぎのような疑問からはじまる。「十八歳から十九歳の少年期を、政治的な指導も、政治的関心もなく、全員校内で起居をともにし、新聞も雑誌も、上司の許可のないものはいっさい読む機会もなく、許された新聞でさえ世論、政治の記事は切り抜かれてあり、「世論に惑わず」とか「政治にかかわらず」の金科玉条のもと、一般の世界から遠く隔絶された別世界で暮らさせられ、「世論」とはそもそもどんなものかさえ知るべくもなく、ただ、食欲のみに生甲斐を感じる世界だった。しかし、「惑わず」とか「かかわらず」ということと、それを「知らせない」「教えない」ということは違うと思う。戦争のような総合的な判断力を必要とする事件にたずさわるものの教育方法が、はたしてこれでよかったか、という疑問は、当然のこととして残る」。

 そのような教育を受けた者が報道部員になり、「大本営報道部員と陸軍省報道部員の二つの肩書きを持っていた」。部長以下12名の部員は、新聞、情報、一般軍隊の下士官兵向き旬刊新聞「つわもの」編集、月刊誌・週刊誌・単行本、内閣情報局員・用紙統制委員、音楽、絵画、演劇・映画、庶務の分担にしたがって仕事をした。

 その仕事の仕方について、つぎのように述べている。「陸軍省、参謀本部の重要会議に出席できるのは報道部長だけで、一般部員は報道部長を通じて、その重要なものについて必要な部分を聞かされるだけで、他の分野については完全に蚊帳の外におかれていて、しかもそれぞれの仕事はあまりにも多く、報道部員相互間のディスカッションの機会さえなかった。仕事の関係から退庁時間も各人まちまちで、帰りに一杯やるチャンスもなかった。こんな環境で、いわば、拡声機的存在としてしか世に認められないままに、その裏では誰に教えられるわけでもなく、同僚の助言を請うわけでもなく、ただ黙々と与えられたテーマの研究を続けた。他の部課では、その部課内で議論百出の会議を持つこともあろうが、報道部では二人以上で共通の問題を担当するということがないから、その専任事項について意見を求めるには、直接報道部長にあたるよりほかにない。大佐対少佐では勝負にならない。こうして、ひとりよがりの意見がまかり通ることになってしまう。もっとも、私なども、相当ひとりよがりの意見をのべて、報道関係者をおびやかした。言論統制に加担して、功をきそっていたのだから、国を誤った者の一人といわれてもしかたがない」。

 報道部を悪名高いものにした理由のひとつは、検閲にあった。その検閲について、つぎのように述べている。「検閲には、決まった担当者がいたわけではなかった。新聞社の前線特派員からの電報または写真は、いつ本社へ入ると決まっているわけではない。その中には明日の朝刊にすぐにも組み込みたい原稿がある。報道部の検閲は、午後五時までというわけにはいかぬ。少なくも朝刊の締め切り時刻まではつきあうため、若い者が順番でこれにあたった。昼間は報道部の部屋で、午後五時以降は報道部員の更衣室の片隅に机を運びこんで、検閲にあたった。新聞社に着いた写真フィルムは、ただちに現像され、印画紙の乾くのも待ち切れずに、オートバイで大本営報道部の検閲係に持ち込まれてくる。検閲はまず写真説明を読み、まだ発表してはいけない兵器(例えば戦車砲、大型発動艇の舳先の部分)が写っていないかをみて、何もなければ「検閲済」の判を、修正をすれば使ってよいものには、砲身の口径をぼかすとか、この部分を削るとか、指示をして、「検閲済」の判を捺して、「ご苦労さん」とつけ加えてかえす。このご苦労さんには、使いのオートバイの人と、この原稿を送ってきた前線特派員に対する感謝の意味をふくめているつもりであった。やむをえず保留不許可の判をおすのは未発表の新作戦の前線よりのもので、担当者個人だけでは判断できない新しい作戦や兵器について、明日その専門家の出勤を待ってから決定にいたるまでの「保留」だった」。「「保留」「不許可」の多かった日は、勤務を終わって市ヶ谷の坂をおりるとき、生死の巷で身の危険もかえりみずに写した写真を没にしてしまったことが、どこか心の奥にひっかかって、足が重かった」。

 検閲が厳しかったことは、よく知られている。しかし、実態は検閲係が一々検閲していたのではないようだ。「関係者をおびやかした」結果、自己の事前検閲が過剰に厳しくなったことが想像される。本書に書かれているように、検閲係は新しい作戦や兵器のような軍にしかわからないようなことを中心におこなっていた。この実際より、過剰に対応せざるをえないような状況に追い込まれていたこそが、問題といえよう。

 著者は、「あとがき」で、報道部員としての仕事を、つぎのように総括している。「軍人以外の社会を知らぬ者が、社会の第一線であるジャーナリズムと接触することになったのだから、うまく行くはずがなかった。ずいぶん無理なことをいって、世間の人々を困らせたのではないかと思う。若いうちに権力の座にすわると、自分でも知らぬうちに、思い上がった言動をする。おそらく、鼻もちならない軍人であったのではないか。いわば、言論統制と戦意昂揚(考えようによってはこれはデマ宣伝)の旗ふりをやっていて、罪の意識を持たなかったのだから、単純といえば単純、愚かといえば愚かの骨頂であって、慚愧にたえない。当時の軍人というものは、だいたいこの程度に頭のわるいものであったということである。頭のわるいものが一国を支配したのだから、日本が破産してしまったのもむりはない」。

 本書から「情報操作と言論弾圧の現場」はわかった。著者自身は、「自分の前半生は罪万死に値すると責めながら、敗戦後、一人でできることといえば、何かを書き残すしかないと考えてきた」。では、それを読んだ者は、なにをすればいいのか。士官学校予科も報道部も、いまはない。こういう歴史事実を検証することもなく、「秘密保護法」が成立する。われわれは、同じ過ちを繰り返すのだろうか。

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2016年07月12日

『国際テロリズムハンドブック』安部川元伸(立花書房)

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 こんな本が、日本でも出版されている。英語ではもっとたくさんの本が出版され、もっと具体的な対策が書かれている。テロリズムは、もはや日常のなかに入ってきており、その対策が日本でも求められているということなのか。

 本書は、全10章と参考資料1~5からなる。まず、「第1章 テロリズム」では、テロリズムの定義からはじまる。だが、「国際的にはテロについて合意された定義は存在しない」という。著者安部川元伸は、各国がそれぞれ個別に定義したテロにもとづく「テロ対策法や刑法等」をまとめると、概ねつぎのようなことが指摘できると述べている。

 「第1に、目的について、公衆等を威嚇することや、政府等に対して何らかの行為を行うこと又は行わないことを強要すること、更には政治、宗教上の目的遂行がテロの要素として含意されている。第2に、主体について、あらゆる組織、あらゆる個人がなり得るとしているが、政府の定義であることから基本的に非国家主体が前提とされている。第3に、客体について、政府、民間、個人、財産などの所有物、社会インフラなどの公の秩序など、非政府・非軍事を含めたあらゆるものへの侵害、影響が想定されている。第4に、行為について、原則として暴力、破壊、脅迫等といった直接公衆等に向けられた不法行為に限定され、組織のための資金獲得や徴募活動などはテロそのものとはみなされていない。ちなみに、資金や徴募などの活動については、最近、テロ対策が強化される中、テロを支援する行為として、犯罪化されるなどの処置が講じられてきている。第5に、効果について、暴力や破壊という物理的な効果はもちろんであるが、それに留まらず、恐怖や脅迫といった心理的な効果を示唆している。テロは、目的達成の手段として、実際の物理的手段の行使そのものより、心理上の効果を狙った側面が強く際立っている」。

 以下、「第2章 テロリズムと歴史」「第3章 テロリズムと組織」「第4章 テロリズムと活動」「第5章 テロリズムとテロリスト」「第6章 テロリズムと地域」「第7章 テロリズムとテロ・ゲリラ事件」「第8章 テロリズムと日本」「第9章 テロリズムと対策」「第10章 テロリズムと関連する問題」とつづく。全体を見渡して、イスラームとの関係が深いことがわかる。資本主義対社会主義という冷戦が終わり、社会主義圏での市場化が進んで、新たな市場をイスラーム圏に求めた結果ということができるだろう。また、グローバル化が進んで国民国家という枠組みが希薄化したとき、ウンマというイスラーム共同体が「新たな」枠組みとして登場したということもできるかもしれない。国家単位で議論する国際連合の役割も、相対的に低下したといわざるをえない。だが、現在もっとも有効に機能しているのが、国際連合や各国のテロ対策であることも事実だろう。

 テロ対策の類型には、アンチテロリズム(テロリズムの防止)とカウンターテロリズム(対テロ攻撃)とがある。前者は、「テロを未然に防ぐことを目的とする行動のことであり、テロリストについての情報を収集し、あらゆる手段を用いてこれに対処すること等を意味」し、該当するものに「外交、経済制裁、情報収集活動」がある。後者は、「現在進行中のテロ活動への対応、あるいは既にテロリズムが発生してしまった後の対応と解釈され」、該当するものに「物的・人的防護の強化、出入国管理の強化、対テロ作戦部隊の創設」がある。

 2006年に国連総会で全会一致で採択された「国連グローバル・テロ対策戦略」の内容は、つぎの6項目からなっている。「①あらゆる形態のテロを非難し、テロ防止関連条約の締結、包括テロ防止条約交渉の妥結、国際テロ撲滅に関する全ての総会決議及び安保理決議の履行に努める」「②テロリストの安住の地をなくすため、「テロとの闘い」に完全協力する」「③テロとの闘いのための措置は、国連憲章、国際人道法、国際人権法を始めとする国際法上の義務に従わなければならないことを認識する」「④市民及び文明間の理解の促進並びに貧困撲滅及び持続可能な開発への取組により、テロの拡散に繋がる諸条件への対処措置を講じる」「⑤国連安保理テロ対策委員会(CTC)及び関連国際機関との協力を通じ、テロリズム防止及び闘いへの措置を講じる」「⑥関連国際機関及び同盟国との協力により、各種のテロ対処能力向上措置を講じると共に、同分野の国連の役割を強化する」。

 本書は、テロ対策ハンドブックではない。著者は、「はしがき」で「テロとの戦いは、政府や軍レベルのみでなく、市民社会も含めて一致団結して取り組むべきものである」と述べている。そして、「市民の生命や社会をテロから守ることは、今後も更に重要性を増し、更に困難さを増していくと考えられる」という。では、市民としてどうすればいいのか。残念ながら、本書からその答えを引き出すことはできない。まずは、現状を理解することからはじめようということのようだ。本書は、『国際テロリズム101問』の続編で、105問からなっている。

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