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2016年06月28日

『石油技術者たちの太平洋戦争-戦争は石油に始まり石油に終わった』石井正紀(光人社NF文庫)

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 「油の供給の豊富なる国は光り栄え、油のなき国は自然に消滅す-。南方に徴用された石油技術者七千人、密林ふかく分け入り、石油を採掘精製して日本へ還送し、太平洋戦争を支えた石油戦士たちの知られざる戦い。石油獲得を企図として実施されたパレンバン落下傘部隊<空の神兵たち>の活躍とともに描く話題作」、と裏表紙にある。

 この「徴用」ということばの意味は、なんなのだろうか。『広辞苑 第五版』(岩波書店)によると、「①徴収して使用すること。挑発して用いること。②国家権力により強制的に動員し、一定の業務に従事させること」とある。徴用された者は、軍人でもなければ軍属(軍に所属する文官・文官待遇者など)でもない。その待遇の違いについて、「石油人」のひとりである著者、石井正紀は「あとがき」で、つぎのように書いている。

 「石油人たちは報国の気持で勇んで国を出た。戦場で武器を手にすることはなかったが、その戦場を支えたのは自分たちだという自負があった」。「その戦場では軍人との差別に泣かされた。戦後は、長い者で二年も抑留を余儀なくされ、あまっさえ、七人もの戦犯容疑者を出した。燃料廠関係の軍人からは一人だに出なかったのにである」。「そして、気がついてみたら、日本という国は、それだけ重要な働きをした石油人たちの身分をなんら認めていなかった。軍人、軍属に対しては、恩給あるいはそれに準じた形で慰労しているにもかかわらず、徴員という石油人たちは、軍人、軍属ではなかったという、たったそれだけの理由でなんら恩恵に浴せないでいる」。「戦場では軍人以上に立派に戦った石油人を遇する態度とはいえまい」。

 石油の重要性については、本書の舞台であるパレンバンを、3月1日のジャワ島上陸より早い1942年2月14日に奇襲したことからもわかるだろう。もうひとつの産油地ボルネオ島には、早くも1941年12月16日から占領している。しかし、原油生産、石油精製はうまくいっても、1944年半ばから日本への還送がうまくいかなくなった。タンカーがなくなったのである。「開戦後のタンカーの喪失をみると、昭和十七年は約四〇〇〇トンであったのが、翌年には約三九万トンと驚異的な激増となり、昭和十九年中に、実に累計七五万四〇〇〇トンのタンカーが沈められてしまった。日本の保有するほとんどすべてのタンカーが沈んだといってもよいであろう」。

 石油の不足によって、作戦、戦術の大きな変更となり、それがかえって悪い結果を招いた海軍の例を、つぎのようにあげている。「(1)燃料効率を高めるために艦船の速度を経済速度に押さえるようにした。その結果、肝心の戦闘に間に合わないという事態が起こるようになった」。「(2)タンカー不足から洋上給油を最小限にとどめるようになった。そのため、艦隊としての効率的な統合や航路選定ができず、みすみす敵方の術中に陥ることになった」。「(3)訓練用ガソリンの節約から、パイロットの練度が極端に落ち込んだ。それに加えて偵察不足、警戒不足にもなり、結果的に敗戦に結びつくようになった」。「(4)掃海にも手を抜くようになり、湾内でのタンカー損失が増大した」。「(5)燃料不足から片道飛行を強いるようになった。また、アルコールの混合燃料や低オクタン価の質の落ちるガソリンの使用により、戦闘以外の原因によって航空機が喪失するようになった」。

 著者は、「あとがき」で「今、なぜパレンバンか」と自身に問い、答えに窮している。パレンバンなどの南方石油が戦争を長引かせたことを、つぎのように述べている。「石油の消費実績という数字上だけで述べるなら、もしパレンバンを中心とする南方石油がなかったならば、先の大戦で陸軍は一年四ヵ月、海軍は一年半強で開戦時の備蓄を使い切ったことになり、大戦は昭和十八年の前半でかたがついていたことになる」。

 陸軍に徴用された石油人は約4900名、海軍は約2100名、合計7000名にのぼり、約1650名が犠牲になった。「民間人がこれほどまでに重要な役割を果たしたというのは、戦史上類をみない、稀有のことといえる」。生き残った石油人のなかには、1948年に千代田化工建設を創立した者がいる。ホームページ冒頭で、つぎのように説明している「1948年に設立された千代田化工建設は戦後日本の再建復興期に創業してから、国内の石油・ガス・化学・産業設備を数多く手掛け、1960年代には海外に進出するなど、エネルギーと環境の調和を経営理念とし、社会の持続的発展に貢献するエンジニアリング会社として成長してまいりました」。「軍人以上に立派に戦った石油人」は、いまなお日本という国家のために「戦っている」のだろうか。これらの石油人は、なんのためらいもなく、また戦時に対応し「任務」に没頭するのだろうか。軍人・軍属だけでなく、徴用される自身のことを考えると、戦争への危機をより身近に感じることができるだろう。「戦前の轍を踏むことは避けねばならない」

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2016年06月21日

『記憶の政治-ヨーロッパの歴史認識紛争』橋本伸也(岩波書店)

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 2016年5月27日にアメリカ大統領バラク・オバマが、広島を訪問した。「謝罪」こそなかったものの、多くの日本人は好感をもって受け入れた。だが、本書を読むと、日米二国間の問題では片づけられない国際的な歴史をめぐる「戦争」の実態が明らかになり、オバマ大統領の広島訪問も戦略的に位置づけられた可能性があることがわかってくる。

 著者、橋本伸也は、エピローグ「接続される歴史・記憶政治-モスクワ・北京・東京」の冒頭で、「露中共同声明と戦争記念式典」の見出しの下、2014年5月20日の露中首脳会談の場でプーチン大統領と周近平主席が、共同声明のなかでつぎのように言及したことを紹介している。「ロシアと中国は、第二次世界大戦時のヨーロッパとアジアを舞台とした軍事行動の場でのドイツ・ファシズムおよび日本軍国主義への勝利七〇周年を記念する共同の式典を挙行し、歴史を歪曲して戦後世界秩序を破壊する試みへの毅然たる対抗を継続する」。

 つづけて著者は、つぎのような説明を加えている。「そして実際、二〇一五年五月九日にはモスクワ、九月三日には北京で行われた、両国それぞれの戦勝記念式典のために両首脳が精鋭部隊を引き連れて相互訪問し、赤の広場のパレードには中国人民解放軍が、天安門前広場のそれにはロシア軍が参加した。日本ではほとんど気づかれていないことだが、赤の広場のパレードにはインド軍が参加したことにも注目しておきたい。同年二月二日のロシア・中国・インド三国外相定期協議で、第二次世界大戦勝利と国際連合七〇周年にさいして、「自由のためにファシズムと戦ったすべての人びとを正当に評価」し、国連と加盟各国が戦争終結七〇周年記念行事を行うよう求めることが合意されていたのである。インドは、北京のパレードへの参加には慎重な態度を取っており、三国間の利害や思惑には食い違いも多々存在する」。

 この露中間の歴史認識問題での合意を、東アジアの文脈で考えることは日本人にとって容易でも、ロシア側の事情についてはよくわからないだろう。著者は、同じく「エピローグ」でつぎのように説明している。「ロシアにとって「歴史の歪曲」として最初に想定されるのが、バルト諸国やポーランドなどの中東欧諸国が口火を切り、欧州国際機関をまきこんで進められた第二次世界大戦をめぐる歴史と記憶の見直しであることは、あらためて指摘するまでもない。こうしてユーラシア大陸の東西で別々に展開されてきた二つの「歴史の歪曲」との闘争は、露中間の合意を通じて相互に接続されて、より広域化された一つの対抗図式のもとにまとめあげられた」。

 このあらためて指摘するまでもないことが、本書で論じられているのである。著者は「プロローグ」で、本書の目標をつぎのようにまとめている。「歴史と記憶が政治化されて紛争化される事例の検討を通じて、そこに作動している政治的力学を捉えることである。検討の対象として取り上げるのは、エストニアとラトヴィア両国を中心とした中東欧・バルト諸国、これら諸国としばしば対立するロシア連邦、そしてロシアと中東欧・バルト、さらに西欧諸国のさまざまの政治勢力が角逐するアリーナと化した欧州国際機関である」。

 本書は、プロローグ、全4章とエピローグからなる。その概略を、プロローグの最後につぎのようにまとめている。「まず、第一次世界大戦とロシア革命を契機としたバルト三国の独立、第二次世界大戦期の独ソによる「占領」、一九九一年のソ連からの「独立回復」という激動の現代史を足早にたどり、その歩みのなかに地雷のように埋め込まれた歴史記憶にかかわる対立や紛争要因の所在を確認する(第一章・第二章)。ついで、エストニアとラトヴィアの独立回復時とその後のロシア語話者問題の位相と展開について紹介し、歴史と記憶が国内の住民集団間で分断され、対立させられた文脈をとらえていく(第二章)。さらに、エストニアとラトヴィアをはじめとした中東欧・バルト諸国の歴史政治とそれに対応するロシアや欧州国際機関の歴史政策の展開を追跡して、これら諸国の歴史と記憶が国際的な紛争の的として成立する様相を提示する(第三章)。それを踏まえて、「ブロンズの兵士」とともに、あるいはそれ以上に歴史・記憶紛争にまつわる問題群をくっきりと示した事例であるラトヴィアの元ソ連・パルチザン(戦線をはさんだ相手方後方で抵抗運動や破壊工作に従事する民兵などの非正規戦闘員)にたいする戦争犯罪の裁判を取り上げ、紛争が生起し展開した過程と、それがもたらした帰結と教訓を確認することとしたい(第四章)。そして最後に、中東欧・バルト諸国の経験から得られた理解をよりグローバルな視野のなかに据え直すことで、東アジアにおける歴史と記憶紛争の位相についての捉え直しを試みたい。そうした論述を通じて、歴史と記憶が国内・国際政治上の懸案としてますます重要度を増し、国内諸集団間・諸国家間の紛争の契機として動員されていく時代としてのポスト冷戦時代の様相を、ヨーロッパ東部の小さな地域の経験から見通していければと思う」。

 著者は、ロシアの「歴史・記憶政治」が新段階に入り、もはやヨーロッパ世界にとどまらず、アメリカ、そして東アジアにまで、その影響が及んでいることを、つぎのように説明している。「第二次世界大戦におけるソ連/ロシアによる多大の犠牲的な貢献に敬意を払おうともせず、もっぱら「全体主義犯罪」ばかりをあげつらう議論が流布され、主流化させられたことへのロシアの憤懣が、より大規模で対抗的な歴史外交をもたらしている。だが、プーチンの歴史政治は、もはやその域を超えているようにも見える。ニュルンベルグ原則にもかかわらず連合国側戦闘員を有罪としたコーノノフ裁判への意趣返しのごとくに、第二次世界大戦におけるアメリカの戦争犯罪を告発し、新冷戦とも呼ばれる露米間の対立構図にまで歴史・記憶政治を組み込んだからである。すでにターゲットは、バルト・中東欧諸国や欧州国際機関にとどまらず、正面切ってアメリカにまで向けられたわけである。ウクライナ政変の際のアメリカの陰謀的策動にたいしてロシアが抱いてきた怒りがその背後にはあろう。あわせて、バルト諸国やポーランドなどの「新しいヨーロッパ」が西欧諸国よりはるかに親米的な路線を取っていることも、再度想起しておかなければならない。ウクライナ問題をめぐるこれら諸国とアメリカとの連携が意識されていないはずはない」。

 そして、「歴史・記憶紛争理解の深化のために」、つぎのようにまとめて、エピローグを終えている。「いまわれわれが直面させられている歴史と記憶にかかわる紛争化は、冷戦後の時代の世界的な平和と秩序への希求と模索といういかにも重たいグローバルなアジェンダとともにあるのであり、そこでは、先進的な範型に倣って己のありさまを反省するこれまでのあり方を超えた、およそ容易ならざる解法の考案が求められるはずである。旧ソ連から独立した小国の経験を提示することを目的としたこの小著を通じて語りたかったのは、このことである」。

 「歴史認識問題に揺れる東アジアとは違い、ヨーロッパでは歴史・記憶の共有と和解が進んでいるように考えられている」が、そうではないことが本書から理解できた。しかも、いっこうに解決の兆しがみえない東アジアにも飛び火しそうな雲行きである。オバマ大統領の広島訪問も、ロシアのメディアは冷淡に扱い、中国は「南京はもっと忘れてはならない」と主張し、北朝鮮は「核犯罪者としてのアメリカの正体を覆い隠そうとするもの」だと非難し、韓国は「韓国人被爆者を誰一人平和公園内に招待せず、原爆慰霊碑から150メートルほどの距離にある韓国人慰霊碑には訪れもしなかった」と問題視し、失望した。

 EU(ヨーロッパ連合)の成立にともなうヨーロッパ共通教科書の試みは失敗し、いま歴史をパラレルに語る試みがおこなわれている。第一次世界大戦にかんして、ドイツとフランスの双方の視点から展示する博物館も出現している。「歴史認識紛争」は二国間関係から拡大する様相を示している。国民教育のための排他的な近代の歴史観から、グローバル社会の市民のための現代の歴史観に移行するために、歴史研究者はいまなにをするべきか。本書は、そのための基礎的知識と考え方を提示している。

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2016年06月14日

『帝国日本の拡張と崩壊-「大東亜共栄圏」への歴史的展開』河西晃祐(法政大学出版局)

帝国日本の拡張と崩壊-「大東亜共栄圏」への歴史的展開 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 研究書である限り、先行研究を整理して自身の研究のオリジナリティを示さなければならないのが基本中の基本であるが、近代のディシプリンの基礎教育がない大学院生のなかには、その意味がわからない者がいる。その前に、「ディシプリン」ということばさえを知らない者がいる。そんな大学院生に、本書のように先行研究をまとめた、つぎのような記述があると説明しやすい。「明治以降から「大東亜共栄圏」期にいたる南方進出史の研究は、一九七〇年代以降に着実な進展をみせてきたことは確かである。だが経済進出の実態から、言説上の南進「論」の展開、文学作品に現われた南方表象といった展開の多面性とそこに関わったアクターの多様性、そして何よりも幾度かのブームというべき「南方進出熱」とそれへの反動といった、南方進出自体の非連続性のために、近代日本の南方進出史を通史的に捉え直すという試みは、矢野[暢]の研究以後に行なわれてこなかった」。

 本書は、序章「「大東亜共栄圏」という視点」、3部全9章、終章「「大東亜共栄圏」とは何だったのか」からなる。著者の河西晃祐は、まず第Ⅰ部「一九一〇~一九三〇年代の南方進出の展開」において、「主に南洋協会と外務省との連携を通して、一九一〇年代から一九三〇年代後半までの南方進出と対外政策の展開を分析する」。つづく第Ⅱ部「帝国秩序の再編と「大東亜共栄圏」構想」では、「一九二〇年代から一九四一年までを扱い、世界規模で進行していた帝国秩序の再編に関する情報の蓄積が、「大東亜共栄圏」構想を導いていった過程を考察」する。そして、1941年から45年を対象とする第Ⅲ部「「大東亜共栄圏」問題の諸相」では、「「大東亜共栄圏」について分析していく」。

 著者は、「本書で重視したいのは、史料のなかにみられる「声」の存在である」といい、1943年7月に「日本が許与したビルマおよびフィリピンへの「独立」」にたいして」、つぎのような問題を指摘している。「満州に居住していた「内地人」や「朝鮮族」」が、「「南方未開ノ原住民」という差別意識をもにじませながら、帝国日本に対して怨嗟に満ちた声をあげる主体の存在にほかならなかった。抑圧され、表面には出てこないはずの「抗う声」が収集され、政策決定過程上部に届いていたとすれば、フィリピン・ビルマの「独立」は帝国日本に何をもたらしていたのか、その点を分析する必要があるのではないか。本書ではこのような課題を検討していきたい」。

 終章では、各部ごとに対応した3つの課題にたいして、まとめをおこなっている。第Ⅰ部の課題については、従来「大正期南方進出は「民」が主導したと捉えられてきた」が、「官民一体というあり方が、大正期の南方進出の特徴だったのであり、その体制を踏襲したのが、「半官半民」の南洋協会だったということができる」と結論した。つぎに「「官民一体」という南方進出のあり方が一九三〇年代にどのように変容したのか」という点については、「南方進出の「官」主導体制への移行は、南方をめぐる状況の変化ではなく、総力戦体制に対応するための省庁再編をめぐる権益争いの結果であったことを明らかにした」。3つ目の課題の「大東亜共栄圏」については、つぎのような新たな課題を示している。「日本の近代史上、数十万人に及ぶ軍人・軍属らが東南アジアを体験したのは「大東亜共栄圏」が初めてのことであり、首相をはじめとした政策決定者が、直接東南アジアの政治指導者たちと会談を行なったのも、このときが初めてである。そのような体験が、東南アジアを見る「まなざし」をどのように変えていったのか。この点は、今後さらに検討しなくてはならない」。

 そして、つぎのようにまとめて、終章を終えている。「「大東亜共栄圏」とは、統治される地域や対象、あるいはその統治技術だけではなく、その統治をも覆そうとする、いわば「ものを言う政策主体」をふくめた、脱植民地化という潮流そのものを継承することを迫られた構想にほかならなかった。解放の成果でもなく、帝国日本の植民地支配の延長でもないものとして「大東亜共栄圏」を理解するためには、日本の指導に抗い、その建て前を逆用しながら自己の要求を提示する「亜細亜各民族」にとっての脱植民地化闘争の場として、それを理解する必要があるのである」。

 「南方」は、タイを除いて欧米の植民地支配下にあった。国際関係は当然植民地宗主国との関係になり、現地との関係は「民」でおこなわざるをえない。「官」が出ていけるのは、「民」の既得権益を守るときになる。「官民一体」への移行は、国際関係を無視したことを意味する。

 さらに、著者は「あとがき」において、「南方進出の全体像を描くためには、さらなる分析が必要である」とし、いくつかの課題をあげている。たとえば、「南洋協会関連の史料からは十分に抽出できなかった北部・南部仏印進駐については、ほとんど論じることができなかった。すでに研究の蓄積も厚い事例ではあるが、本書で明らかにした内容と、陸軍・海軍の南方進出の関わりを統合していくことで初めて、一九三〇年代の南方進出の全体像を描くことが可能になる」。また、「同時に、南方進出に関わった一個人や、「大東亜共栄圏」に動員された一兵士の南方認識といった視点についても考察していきたい」と述べている。

 著者が「序章」で整理したとおり、近代日本の南方進出史研究は、1970年代に先鞭をつけた矢野暢の研究以来、国・地域別におこなわれ、「南方」全体を通史的に捉え直すという試みをおこなってこなかった。それは、著者が「あとがき」で課題としてあげたように仏印進駐など東南アジア大陸部を、島嶼部との関連でどのように捉えるかが難しいからである。植民宗主国が自由貿易体制をとり、在留邦人が国・地域ごとに数千から数万を数えたアメリカ領フィリピン、オランダ領東インド、イギリス領マラヤと違い、保護貿易体制をとったフランス領インドシナには1940年の統計で76人、その内10年以上居住している者は28人しかいなかった。タイには566人、10年以上の居住者は154人で、島嶼部に比べ桁違いに少なかった。そのうえ、「大東亜戦争」勃発後、タイとは同盟関係になり、インドシナでは本国がドイツに占領されたフランスの植民地政府との共同統治が1945年3月までつづいた。「南方」とひと言で括れない状況をふまえて、「南方進出史」を捉え直すことは容易ではない。本書のような試みが、日本史や中国史を専門とする研究者のなかからも出てくると、「南方」の本格的な研究ができるようになるのかもしれない。

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2016年06月07日

『北極大異変』エドワード・シュトルジック著、園部哲訳(集英社インターナショナル)

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 本書表紙見返しに、つぎのような要約がある。「地球気温上昇による解氷、氷河の後退、海流の変化などの結果、北極圏の生態系は急速に変化している。さらに北極海の航行が可能になったことにより、石油や天然ガスなどの資源開発が加速度的に進み、法整備や事故対策がまったく追いついていない。著者は、異変が起きている北極圏の現場へ向かい、綿密な取材をもとに起こりうる危機を一冊にまとめた。国土に北極圏をもつカナダ人が書いた、北極のすべてがわかる唯一の書!」。最後の文は、赤字で強調されている。

 著者のシュトルジックについては、略歴がつぎのように紹介されている。「35年以上、北極圏の踏査をしているジャーナリスト。優秀な環境報道に与えられるグランサム賞を受賞したほか、カナダの最古の科学学会から科学理解への傑出した貢献を讃えて授与された創立者賞など数々の受賞歴がある。また、マサチューセッツ工科大学、トロント大学のフェローであり、北極圏加英セミナーにおいて、世界的問題のなかで北極および北方世界が占める位置に関する報告担当者に任命された。現在はカナダ、キングストン市のクイーンズ大学にある、クイーンズエネルギー・環境政策研究所、政策研究大学のフェローを務めている」。

 本書は、7章と「第8章 結び」からなる。それぞれの章の扉には、その章を象徴する写真とキャプションが添えられている。これらの扉の頁から本書の概略がつかめる。第1章「北極条約の必要性」のキャプションは、つぎの通りである:「このカナダ政府のベースキャンプは、高緯度北極圏のボーデン島沿岸近くにある。カナダ、米国、ロシア、ノルウェー、デンマーク各国は、現在どこにも属さない地域の領有権を主張し、北極世界の地図を書き改めようとしている」。第2章「北極海-眠れる巨人の覚醒」は、「エルズミア島のオットー・フィヨルドにて。海氷が溶け、タイヘイヨウザケや北極圏近辺の海洋哺乳動物に新たな通り道が開かれる」。

 第3章「北極の暴風-ニュー・ノーマル」は、「ロシア・チュコタの人々。衣食を北極圏の海洋哺乳動物に依存している先住民族にとって、自給のための狩猟はますます難しくなるだろう」。「ニュー・ノーマル・・・リーマンショック後の様変わりした国際経済を「新たな常態」と呼ぶ皮肉な表現」。第4章「北極のるつぼ」は、「2012年にメルヴィル島で発見されたハイイログマとホッキョクグマの雑種。その春に、三頭のハイイログマとまた別の雑種を目撃したが、それほどの高緯度でのクマの群れは前代未聞だった」。

 第5章「北極の王はもういない」は、「カナダ・ハドソン湾の北西部、ウェイジャー湾にて。海氷の融解が早まっているため、ホッキョクグマにとって、自分たちの食糧の95%に相当するアザラシ猟の期間は短くなってしまった」。第6章「岐路に立つカリブー」は、「ユーコン準州北部のポーキュパイン・カリブー。過去20年間、乱獲などさまざまな理由で、カリブーとトナカイの数が急速に減ってきている」。

 第7章「ドリル、ベイビー、ドリル」は、「マッケンジー・デルタにて。背後に見えるのは、ガスハイドレートからメタンを抽出しようとする実験設備。日本とカナダの共同作業である。かつては手の届かなかった埋蔵物、すなわちエネルギー資源が海氷の融解によって姿を現しつつある」。「ドリル、ベイビー、ドリル・・・2008年、サラ・ペイリン(元・副大統領候補)が共和党全国大会の演説で発言し、民衆に支持され、共和党のスローガンのようになった」。第8章「結び」は、「氷河学者のジャック・コーラーが、スピッツベルゲン島ニーオルスン近くのコングスヴェーゲン氷河上でドリルの準備をしている。ニーオルスンにはノルウェー人たちが管理していた国際研究センターがある」。

 本書を通じて、著者は「将来北極圏で起きることが世界全体に関係する」ことを力説し、「みんなで考えることをしてこなかった北極圏の諸問題について」解決するためには、「科学的理解が決定的に重要」だと主張している。すでにその取り組みがはじまっていることを、つぎのように紹介している。「世界気象機関と国際科学会議がスポンサーになった二〇〇七-二〇〇九年の国際極年IPYの期間に、六二カ国が数億ドルを持ち寄って、広範囲にわたる物理学、生物学、社会学の研究・調査をするために何千人もの学者を北極圏へ送り出した」。

 そして、つぎのように本書を結んでいる。「理想的には、この国際討論会[国際極一〇年]で科学者、先住民、産業界代表、政策決定者を一堂に集めて、いつしょに未来へのロードマップを描きたい。適切に組織化されれば、森林火災、ツンドラ火災、海面上昇、沿岸侵食、野生生物の個体減少、侵入種、資源開発、商業海運、原油流出など切迫した脅威に対応できる、各地方に小ぶりの先駆的取り組みを配置することもできるだろう。理屈の上では、このような各地方の先駆的取り組みで実施された解決策を吸いあげ、北極圏全体の政策立案者と分かち合うことになるだろう」。「いわゆる北極の時代はやってくる。だが、すみやかな行動が取られなければ、私たちは準備不足のまま次々に虚を衝かれることになるだろう」。

 これまで北極圏以外で起こっている問題にたいして、「世界全体に関係する」ことがわからない「産業界代表、政策決定者」によって、「科学的理解が決定的に重要」であることが無視されてきた例はいくらでもある。それでも自然科学者、社会・人文科学者は、研究成果を持ち寄り「切迫した脅威」に立ち向かわなければならない。北極圏でも、南シナ海でも起こっている問題は、人類・地球の未来を考えることで、「産業界代表、政策決定者」の個々の利害を乗り越えることができる。

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