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2016年05月24日

『南シナ海-アジアの覇権をめぐる闘争史』ビル・ヘイトン著、安原和見訳(河出書房新社)

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 南シナ海をめぐる問題については、しばしば報道されるため、学問的にも研究がすすんでいると思っている人がいるかもしれない。だが、この問題を包括的に扱った単行本は、本書と『南シナ海 中国海洋覇権の野望』(ロバート・D・カプラン著、奥山真司訳、講談社、2014年)くらいしかない。ともに、著者はジャーナリストである。

 なぜ、学問的に扱われないのか? 本書を読むと理解できるだろう。中国や日本が「固有の領土」と主張し、古文書や地図を持ち出すが、前近代に恒常的に人が住むことができない大洋の離島を支配する考えはない。また、実際にその海域を漁場や交通路として利用してきた海洋民に、排他的に領有権を主張する考えはない。法学としては、罰則をともなわない慣習法としての国際法を、批准している国ぐにさえ守らず、批准していない国ぐにもあるので、まともな議論ができない。政治学としても、国を代表しているとはとても思えない訳のわからない人びとが登場して、それがまったく無視されるわけではないので、どう扱っていいのかさっぱりわからなくなる。かみ合わない議論が延々とつづくことが目に見えているので、まともな会議さえ開けない、というのが実情である。

 著者、ビル・ヘイトンは、裏表紙見返しで、つぎのように紹介されている。「ロンドンの「BBCワールド・ニュースTV」に勤務するジャーナリスト。ベトナムでBBCのレポーターの仕事をし、2013年にミャンマーでメディア・リフォームの経験を持つ。「フォーリン・ポリシー」「サウス・チャイナ・モーニング」「ナショナル・インタレスト」「ディプロマット」などの紙誌に現在も寄稿している。最初の著書は『ベトナム-ライジング・ドラゴン』(2010)」。この最初の著書のお蔭で、ベトナムでは充分な調査ができなかった。

 本書は、「はじめに」、全9章、「エピローグ」からなる。第1章「残骸と誤解」は、先史時代からはじまる。第2章「地図と線-一五〇〇~一九四八年」第3章「危険(デンジヤー)と迷惑(ミスチーフ)-一九四六~九五年」と通史的に話はすすみ、第4章「あちらが浮かべばこちらが沈む-南シナ海と国際法」第5章「ゼロよりはまし-南シナ海の石油と天然ガス」第6章「軍鼓と象徴-ナショナリズム」第7章「蟻と象-外交」第8章「戦場の形-軍事問題」第9章「協力とさまざまな非協力-紛争の解決」とつづく。

 著者は、まず「南シナ海に関する重要な文章の多く(少なくとも英語の)は、出典をたどっていくと欧米のふたりの学者の仕事にたどり着く」ということに気づいた。ふたりは1976年と82年にそれぞれ論文と著作を書いたが、ともに1974年に中国共産党の雑誌に「中国の侵攻を正当化する目的で書かれた」3本の記事に依拠していると述べ、つぎのように本書の出版の意義を主張している。「これら初期の業績(とそれに基づく業績)に、いまだに頼っている学者や専門家が多すぎる。そのせいで、南シナ海に関するいかなる議論でも、この中国の三本の記事が事実上の前提条件になってしまっているのだ-記事が発表されて四〇年もたつというのに。その四〇年間に、南シナ海の歴史と現状に関する知識は深まっており、古くから信じられていたことを見直そうとする研究者も出てきている。しかし、そういう研究者の業績は、読まれることなく学術雑誌のなかに眠っていることがとても多い。ここでそんな業績の一部でも取り上げることで、本書が議論の枠組みを変えるのに役立てばと願っている」。

 著者は、中華人民共和国とアメリカ合衆国のあいだでは、いかに国際法が無力か、つぎのように述べている。「EEZ[排他的経済水域]に関する規則は一九八二年に採択された「海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)」に定められている。中国はこの条約を批准した一六三か国のひとつであり、アメリカは批准しなかった三〇か国(うち一六か国は内陸国である)のひとつだ。米上院が批准しようとしないのは、上院議員の過半数が国連海洋法条約はアメリカの主権を弱めると考えているからだ-政府の関連部門すべてが、そんなことはないと言っているのだが。批准していないのだから、他国がこの条約にのっとって行動しろと言ったところで、どう考えても説得力に欠ける。アメリカの歴代政権はにもかかわらず、あらゆる国がこの条約に縛られると主張してきた。いまでは「慣例的な国際法」の一部になっているからというのだ。また米国海軍のほうも、批准はしていなくてもつねに国連海洋法条約に従って行動していると言っている」。

 アメリカと中国という2大国の覇権争いのなかで、さまざまな影響が出ているが、漁獲高が大幅に減少していることにたいして、なんとかしようという試みが、つぎのような経緯で失敗したことが紹介されている。「スプラトリー諸島は海洋保護公園に転換すべき」で、「大型魚の保育園ともいうべき場所が保存されることになり、その資源によって、他の場所の魚の数も回復してくるだろう」と期待し、「二〇〇一年三月、南シナ海紛争当事国すべてが立場の違いを棚上げにして、国際連合環境計画の主導による予算三二〇〇万ドルの「南シナ海・タイランド湾環境悪化傾向改善」プロジェクトに協力することに合意したのだ。このプロジェクトは、二〇〇二年から二〇〇八年までの六年間にわたって実施され、数々の成果をあげた。しかし、その最終評価報告書は無念そうにこう締めくくられている。「結局のところ、多国間協定の必要な案件、とくに国境を越えた水産資源に関する案件に関しては、中国・マレーシアを引き入れることにはまだ成功していない」」。「「あのプロジェクトに中華人民共和国が参加した時点で、スプラトリー諸島の問題が公式に取り上げられることがないのは決まっていたのです」。国連チームには、一度に複数の国のからむプロジェクトを進めることはほとんどできなかったし、係争水域でのプロジェクトはどれひとつ着手できなかった。当初の目標-魚が産卵し成長する場所を守るため、海の「退避地」を作ること-はまったく達成できなかったのだ」。

 政府の側でも、この状況をなんとかしたいと考えている者がいるが、それができない理由を中国を例に、つぎのように説明している。「中国の指導部にも、論争の枠組みを変えたいと望み、国連海洋法条約の原則に基づいて和解に到達したいと望む人々がいるのはまちがいない。しかし、威信が目的であれ利益が目的であれ、過大な要求を叫ぶ圧力団体のほうが力が強いのだ。これらの国内の利益団体、とくに軍や石油会社、沿岸のいくつかの省のとる行動は、東南アジアの食料、エネルギー、政治的安定に対する脅威になっている。中国政府の公言する「平和的台頭」という方針の信頼性もそれで損なわれているのだが、にもかかわらず中央の指導部はその手綱を引き締めるのをためらっているようだ。共産党指導部の正統性はいまのところ、国外の是認よりもむしろこれらの圧力団体の承認にかかっているからである」。

 このように数々の困難があるにもかかわらず、著者は「エピローグ」で救いのことばを、つぎのように述べている。「私がこの本を書きはじめたのは、ご多分のもれず、南シナ海やその周辺で近々なんらかの衝突が起こると考えたからだった。しかし、調査の最後の最後まで来て、その考えは変わった。兵器を用いて本物の戦争を始めたら、失うばかりで得るものはない-そのことを、中国指導部は理解していると確信が持てたからだ。もっとも、戦争以外はどんな手段も政策ツールとして使う気でいるようだから、今後数十年にわたってときどき低レベルの衝突は起こるだろう」。

 そして、著者はつぎのように提唱して本書を閉じている。「地中海的なアナロジーを提唱したい。それは、もっと豊かな未来に通じるアナロジーだ。地中海と同じく南シナ海は半閉鎖性の海であり、周辺国には共通の歴史とつながる現在(いま)があり、全体は部分の総和より大きい。地中海世界と同様に、普遍的な原理に基づいて国境を定め合意し、責任を共有して資源をできるだけ賢明に活用し、水産資源は全体の利益のために一元的に管理される海になるだろう。石油探査や国際輸送の悪影響は抑えられ、捜索救難はなにものにも阻害されずに実行される。そんな海も夢ではない-ただ、線を一本引きなおせばよいのだ」。

 問題は、圧力団体をいかにおさえるかだろう。圧力団体の利益は、それぞれの国の税金から入る。国はちょっと国民のナショナリズムを刺激すれば、その支出に文句を言う者がいないことを知っている。著者が最後の最後で気づいたように、国民がナショナリズムを超えた「南シナ海市民」になり、「失うものばかりで得るものはない」と気づいたとき、南シナ海は紛争の海からコモンズの海になり、人びとは海の豊かさを享受することになるだろう。だが、それぞれの国の圧力団体は軍事的、政治的、経済的などさまざまな利益団体で、内外の事情が複雑にからむのでおさえることは難しい。そうこうしているうちに、海洋資源も環境も取り返しがつかない状況になっていなければいいが・・・。

 著者は日本語文献を読むことができないので参照していないが、つぎの文献などで日本語だけでなく英語、中国語、フランス語などで書かれた基本的な原資料が揃っていて、利用することができる:浦野起央『南海諸島国際紛争史-研究・資料・年表』(刀水書房、1997年)、浦野起央『南シナ海の領土問題』(三和書籍、2015年)。それでも議論がすすまないので、ジャーナリステックな話題として取りあげるしかないわけだ。

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