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2016年05月10日

『戦時グラフ雑誌の宣伝戦-十五年戦争下の「日本」イメージ』井上祐子(青弓社)

戦時グラフ雑誌の宣伝戦-十五年戦争下の「日本」イメージ →紀伊國屋ウェブストアで購入

 写真報道は、戦争と災害によって大きく発展した。どちらも、あってはならないことだが、その写真報道は、どう社会に貢献してきただろうか。自然災害はともかく、戦争は人工的なもので、社会に貢献するどころか、戦意を煽り、被害者を増やすことに加担した面があったことは否定できない。写真報道のプラス面とマイナス面の両方を検証することは、戦争そのものを考えるために必要なことだが、これまで充分に研究されてこなかった。

 アジア太平洋十五年戦争下でも、「国際情勢や日本の宣伝方針も時期によって異なり、〝見せたい日本〟像も変化し、対外向けグラフ雑誌に要求される課題も変化した」。その状況を踏まえて、著者井上祐子は、つぎの2点を課題とした。「一つは、グラフ雑誌がおかれた歴史的状況をふまえながら、そのなかにあって各グラフ雑誌が〝日本〟あるいは〝日本の戦争〟をどう描きどう伝えていたのか、その足跡を追いながら各グラフ雑誌の特性を明らかにすることである。そしてもう一つは、各グラフ雑誌が写真あるいはグラフ雑誌という特性をどう生かし、あるいはその特性によってどんな制約を受けながら、国家がおこなう宣伝戦に関わっていったのかを比較検討することにより、グラフ雑誌というメディアの可能性と問題点を浮かび上がらせることである」。

 本書は、「はじめに」と7章、終章からなり、著者はつぎのように全体をまとめている。「対外向けのグラフ雑誌の分析については、「アサヒグラフ海外版」が創刊された一九三二年十二月を起点とするが、第1章[「報道写真」とグラフ雑誌の黎明]では、その前提となる三〇年代初頭までの写真の発達と各グラフ雑誌の担い手たちの写真観について概観する。満州事変期から日中全面戦争期については、内外の諸情勢の変化とそれに伴うグラフ雑誌の様相の変化に従い、それぞれ前後二期に分けて論じる。満州事変期は三四年末、日中全面戦争期は三九年半ばで区切って第一期から第四期とし、第2章から第5章[「対外向けグラフ雑誌事始め-第一期:柳条湖事件の勃発-一九三四年末」「〝新たなる日本〟の表象の模索-第二期:一九三五年-日中全面戦争勃発」「日中全面戦争の「意味」の可視化-第三期:日中全面戦争勃発-一九三九年半ば」「狭隘化する「報道写真」とブラフ雑誌」-第四期:一九三九年半ば-アジア・太平洋戦争開戦」]までを順にあてた。第五期となるアジア・太平洋戦争期については第6章[アジア・太平洋戦争と東南アジア向けグラフ雑誌-第五期:アジア・太平洋戦争開戦-敗戦]でアジア・太平洋戦争期に登場するグラフ雑誌の概要を述べ、第7章[〝東亜の盟主〟のグラフィックス-第五期:アジア・太平洋戦争開戦-敗戦]でその内容について分析する。終章[それぞれの再出発]では、各グラフ雑誌の担い手たちが戦後どのように再出発していったのかについて、彼らが戦争責任についてどう受け止めていたのかを含めて見ていきたい」。

 近年、「グラフ雑誌=国家宣伝のメディアという観点」に立った研究が盛んになってきており、本書も同じ観点に立ち、「「アサヒグラフ海外版」および朝日・毎日両新聞社がアジア・太平洋戦争期に発行していた対外向けグラフ雑誌を取り上げ、「NIPPON」や「FRONT」と比較検討していく」。その理由は、「対外宣伝は国家と分かちがたく結びついており、新聞社のグラフ雑誌であっても、対外向けのものは国家宣伝のメディアとしての性格がより強いと思われるからである」。

 日本が東南アジア向けに発行したグラビア雑誌は10点以上あり、多言語でたとえば毎日新聞社が発行した『フジンアジア』は日本語・中国語・英語・フランス語・タイ語・マレー語の6ヶ国語併記だった。著者は、「従来から庶民たちの各種訓練や各種団体の軍事訓練などの報道に長けていた」朝日新聞社のグラフ雑誌を、つぎのように評している。「ジャワ防衛義勇軍の記事もその系譜につながるものである。「太陽」と「ジャワ・バルー」の記事は、戦争の大義や理念をうたうのではなく、アジアの一般庶民たちが「現実」といかに対峙し、いかに生きているかを伝えるものだった。それは一方で、大東亜共栄圏構想下の〝かくあるべき姿〟を伝えるものであり、その意味では教化的だった。また、その記録性も徹底したものではなかった。しかし、たどたどしいものはたどたどしいままに、貧しいものは貧しいままに人々の生きる姿をとらえ伝えることで、国家の物語に回収されてしまわない地平を持ち続けることも確かである」。

 そして、つぎのように結論づけている。「十五年戦争のなかで、外務省や情報局、軍部などの日本の国家機関は内外に向けての宣伝、特に大衆向けの宣伝のために写真やグラフ雑誌を利用した。しかし、その活動は計画的・戦略的というより場当たり的で、海外の模倣という側面もあった。新聞社や制作者団体が各機関と結びついて国家宣伝に協力したが、実際の制作については制作者任せが多かったようである」。

 著者は、「メディアや文化の担い手たちの戦争協力には、国家による強制と彼らの自発的な参加の両面があり、その境界の判定は難しい」といい、「戦争責任の問題は複雑である。とはいえ、対外向けグラフ雑誌についても、少なくともアジア・太平洋戦争期のものについては、戦争責任の問題を考える必要があるだろう」と述べている。「境界の判定が難しい」ことこそが、責任の所在を不明確にし、戦後処理が終わらない原因となっている。「国家による強制」に抵抗できなかったことこそが、遠因ではなく戦争への流れを断ち切れなかった直接の原因である。遠因と考えているから、戦争責任の問題に決着がつかないのである。この問題を考えるには、「戦争協力」の対象となった人びと、つまり故地を戦場とされ犠牲になった人びとを主体的に考えなければ、結論がでないだろう。だが、中国や韓国のように、その負の影響をぶつけてこない東南アジアの人びとについて考察することはたやすくなく、残された「現実」を写し出している写真から考えることもひとつの有効な手段である。

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