« 2016年04月 | メイン | 2016年06月 »

2016年05月31日

『シンガポールの基礎知識』田村慶子(めこん)

シンガポールの基礎知識 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 こういう概説書は、とてもひとりの研究者の手には負えないので、数人であるいは辞書的に細分化して数十人で分担して執筆することになることがある。それぞれの専門性が高くなり、間違いも少なくなる。ところが、一貫性がなく、重複したり欠けた部分が出たりして、全体像がよくつかめないことになったりすることもある。本書はひとりの研究者によって書かれ、著者のマクロとミクロの両方の理解力が高く、安心して読むことができた。ナショナル・スタディーズも悪くないと感じてしまった。それは、シンガポールという人口数百万、面積710平方キロで、東京23区の619平方キロより少し広いだけの小さな国で、研究も比較的すすんでいるためかもしれない。

 本書は9章とコラム「シンガポールの10人」からなる。まず最初の「1シンガポールはどんな国か」のつぎの7つの見出しで、イメージをつかむことができる:「豊かで安全な都市国家」「交通渋滞の少ない国」「外国人の多い国」「シンガポールの魅力」「英語が通じる国」「成長する経済と国土」「「移民社会」独特のおもしろさ、楽しさ」。

 この発展する近代都市国家の「影」の部分は、「8発展の「影」」「9社会の変動」で語られているが、それまでの発展は「あとがき」で、つぎのようにまとめられている。「世界特にアジア各地からやって来た移民たちの雑多でまとまりのない社会を、国家がその基本計画に基づいて創り変え、この都市国家の風景も雰囲気も大きく変貌させたからである。土地のほとんどは国有地となり、工業団地と公団、高層のオフィスビルがあちこちに建てられた。国民がどの言語を話すのか、どこに住むのか、どんな住宅を選ぶのか、誰が隣人になるのか、子どもは何人が望ましいのかまで、すべて国家が決定した。その過程には国民の意思は入っていないし、異論をとなえることもほとんど認めなかった」。「シンガポールは社会が国家を創ったのではなく、国家が社会を創ったのである」。

 そんな「強い力を持つ国家がすべてを決定するという時代は、もう終わりに近づいている」と著者は言い、つぎのように今後を展望している。「もはや国民は経済発展の恩恵を皆が等しく受けているとは思っていない。所得格差と社会階層の固定化、大量の外国人流入、少子高齢化などシンガポールが抱える数々の深刻な問題に国家は処方箋を示せず、二〇一一年総選挙では与党の得票率は史上最低となった。支持率回復のために国民の意見に耳を傾けざるをえなくなり、二〇一五年総選挙で支持を回復したものの、もし以前のような強引な政権運営を行えば、国民の指示はまたすぐに離れていくだろう」。「国家が国民の支持をつなぎとめるために試行錯誤する一方で、国家のデザインに従うのではなく、自分たちが望む社会を創ろうと活動を始めている若者もいる。社会が国家を創るという新しい動きがこの国でようやく始まっている」。

 シンガポールの新しい時代への動きは、国民国家を中心とした近代から離脱しようとしている現代社会にとって無関心ではいられない。日本も例外ではなく、とくに都市の自立性、自治という問題と大きくかかわる。地方自治の問題では、地方が取りあげられることが多いが、都市と地方のバランスの問題を考えるとき、都市の自立性のうえに地方自治を考えることが必要だろう。地方のないシンガポールは、都市の自立性を考えるひとつのモデルになる。

→紀伊國屋ウェブストアで購入

2016年05月24日

『南シナ海-アジアの覇権をめぐる闘争史』ビル・ヘイトン著、安原和見訳(河出書房新社)

南シナ海-アジアの覇権をめぐる闘争史 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 南シナ海をめぐる問題については、しばしば報道されるため、学問的にも研究がすすんでいると思っている人がいるかもしれない。だが、この問題を包括的に扱った単行本は、本書と『南シナ海 中国海洋覇権の野望』(ロバート・D・カプラン著、奥山真司訳、講談社、2014年)くらいしかない。ともに、著者はジャーナリストである。

 なぜ、学問的に扱われないのか? 本書を読むと理解できるだろう。中国や日本が「固有の領土」と主張し、古文書や地図を持ち出すが、前近代に恒常的に人が住むことができない大洋の離島を支配する考えはない。また、実際にその海域を漁場や交通路として利用してきた海洋民に、排他的に領有権を主張する考えはない。法学としては、罰則をともなわない慣習法としての国際法を、批准している国ぐにさえ守らず、批准していない国ぐにもあるので、まともな議論ができない。政治学としても、国を代表しているとはとても思えない訳のわからない人びとが登場して、それがまったく無視されるわけではないので、どう扱っていいのかさっぱりわからなくなる。かみ合わない議論が延々とつづくことが目に見えているので、まともな会議さえ開けない、というのが実情である。

 著者、ビル・ヘイトンは、裏表紙見返しで、つぎのように紹介されている。「ロンドンの「BBCワールド・ニュースTV」に勤務するジャーナリスト。ベトナムでBBCのレポーターの仕事をし、2013年にミャンマーでメディア・リフォームの経験を持つ。「フォーリン・ポリシー」「サウス・チャイナ・モーニング」「ナショナル・インタレスト」「ディプロマット」などの紙誌に現在も寄稿している。最初の著書は『ベトナム-ライジング・ドラゴン』(2010)」。この最初の著書のお蔭で、ベトナムでは充分な調査ができなかった。

 本書は、「はじめに」、全9章、「エピローグ」からなる。第1章「残骸と誤解」は、先史時代からはじまる。第2章「地図と線-一五〇〇~一九四八年」第3章「危険(デンジヤー)と迷惑(ミスチーフ)-一九四六~九五年」と通史的に話はすすみ、第4章「あちらが浮かべばこちらが沈む-南シナ海と国際法」第5章「ゼロよりはまし-南シナ海の石油と天然ガス」第6章「軍鼓と象徴-ナショナリズム」第7章「蟻と象-外交」第8章「戦場の形-軍事問題」第9章「協力とさまざまな非協力-紛争の解決」とつづく。

 著者は、まず「南シナ海に関する重要な文章の多く(少なくとも英語の)は、出典をたどっていくと欧米のふたりの学者の仕事にたどり着く」ということに気づいた。ふたりは1976年と82年にそれぞれ論文と著作を書いたが、ともに1974年に中国共産党の雑誌に「中国の侵攻を正当化する目的で書かれた」3本の記事に依拠していると述べ、つぎのように本書の出版の意義を主張している。「これら初期の業績(とそれに基づく業績)に、いまだに頼っている学者や専門家が多すぎる。そのせいで、南シナ海に関するいかなる議論でも、この中国の三本の記事が事実上の前提条件になってしまっているのだ-記事が発表されて四〇年もたつというのに。その四〇年間に、南シナ海の歴史と現状に関する知識は深まっており、古くから信じられていたことを見直そうとする研究者も出てきている。しかし、そういう研究者の業績は、読まれることなく学術雑誌のなかに眠っていることがとても多い。ここでそんな業績の一部でも取り上げることで、本書が議論の枠組みを変えるのに役立てばと願っている」。

 著者は、中華人民共和国とアメリカ合衆国のあいだでは、いかに国際法が無力か、つぎのように述べている。「EEZ[排他的経済水域]に関する規則は一九八二年に採択された「海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)」に定められている。中国はこの条約を批准した一六三か国のひとつであり、アメリカは批准しなかった三〇か国(うち一六か国は内陸国である)のひとつだ。米上院が批准しようとしないのは、上院議員の過半数が国連海洋法条約はアメリカの主権を弱めると考えているからだ-政府の関連部門すべてが、そんなことはないと言っているのだが。批准していないのだから、他国がこの条約にのっとって行動しろと言ったところで、どう考えても説得力に欠ける。アメリカの歴代政権はにもかかわらず、あらゆる国がこの条約に縛られると主張してきた。いまでは「慣例的な国際法」の一部になっているからというのだ。また米国海軍のほうも、批准はしていなくてもつねに国連海洋法条約に従って行動していると言っている」。

 アメリカと中国という2大国の覇権争いのなかで、さまざまな影響が出ているが、漁獲高が大幅に減少していることにたいして、なんとかしようという試みが、つぎのような経緯で失敗したことが紹介されている。「スプラトリー諸島は海洋保護公園に転換すべき」で、「大型魚の保育園ともいうべき場所が保存されることになり、その資源によって、他の場所の魚の数も回復してくるだろう」と期待し、「二〇〇一年三月、南シナ海紛争当事国すべてが立場の違いを棚上げにして、国際連合環境計画の主導による予算三二〇〇万ドルの「南シナ海・タイランド湾環境悪化傾向改善」プロジェクトに協力することに合意したのだ。このプロジェクトは、二〇〇二年から二〇〇八年までの六年間にわたって実施され、数々の成果をあげた。しかし、その最終評価報告書は無念そうにこう締めくくられている。「結局のところ、多国間協定の必要な案件、とくに国境を越えた水産資源に関する案件に関しては、中国・マレーシアを引き入れることにはまだ成功していない」」。「「あのプロジェクトに中華人民共和国が参加した時点で、スプラトリー諸島の問題が公式に取り上げられることがないのは決まっていたのです」。国連チームには、一度に複数の国のからむプロジェクトを進めることはほとんどできなかったし、係争水域でのプロジェクトはどれひとつ着手できなかった。当初の目標-魚が産卵し成長する場所を守るため、海の「退避地」を作ること-はまったく達成できなかったのだ」。

 政府の側でも、この状況をなんとかしたいと考えている者がいるが、それができない理由を中国を例に、つぎのように説明している。「中国の指導部にも、論争の枠組みを変えたいと望み、国連海洋法条約の原則に基づいて和解に到達したいと望む人々がいるのはまちがいない。しかし、威信が目的であれ利益が目的であれ、過大な要求を叫ぶ圧力団体のほうが力が強いのだ。これらの国内の利益団体、とくに軍や石油会社、沿岸のいくつかの省のとる行動は、東南アジアの食料、エネルギー、政治的安定に対する脅威になっている。中国政府の公言する「平和的台頭」という方針の信頼性もそれで損なわれているのだが、にもかかわらず中央の指導部はその手綱を引き締めるのをためらっているようだ。共産党指導部の正統性はいまのところ、国外の是認よりもむしろこれらの圧力団体の承認にかかっているからである」。

 このように数々の困難があるにもかかわらず、著者は「エピローグ」で救いのことばを、つぎのように述べている。「私がこの本を書きはじめたのは、ご多分のもれず、南シナ海やその周辺で近々なんらかの衝突が起こると考えたからだった。しかし、調査の最後の最後まで来て、その考えは変わった。兵器を用いて本物の戦争を始めたら、失うばかりで得るものはない-そのことを、中国指導部は理解していると確信が持てたからだ。もっとも、戦争以外はどんな手段も政策ツールとして使う気でいるようだから、今後数十年にわたってときどき低レベルの衝突は起こるだろう」。

 そして、著者はつぎのように提唱して本書を閉じている。「地中海的なアナロジーを提唱したい。それは、もっと豊かな未来に通じるアナロジーだ。地中海と同じく南シナ海は半閉鎖性の海であり、周辺国には共通の歴史とつながる現在(いま)があり、全体は部分の総和より大きい。地中海世界と同様に、普遍的な原理に基づいて国境を定め合意し、責任を共有して資源をできるだけ賢明に活用し、水産資源は全体の利益のために一元的に管理される海になるだろう。石油探査や国際輸送の悪影響は抑えられ、捜索救難はなにものにも阻害されずに実行される。そんな海も夢ではない-ただ、線を一本引きなおせばよいのだ」。

 問題は、圧力団体をいかにおさえるかだろう。圧力団体の利益は、それぞれの国の税金から入る。国はちょっと国民のナショナリズムを刺激すれば、その支出に文句を言う者がいないことを知っている。著者が最後の最後で気づいたように、国民がナショナリズムを超えた「南シナ海市民」になり、「失うものばかりで得るものはない」と気づいたとき、南シナ海は紛争の海からコモンズの海になり、人びとは海の豊かさを享受することになるだろう。だが、それぞれの国の圧力団体は軍事的、政治的、経済的などさまざまな利益団体で、内外の事情が複雑にからむのでおさえることは難しい。そうこうしているうちに、海洋資源も環境も取り返しがつかない状況になっていなければいいが・・・。

 著者は日本語文献を読むことができないので参照していないが、つぎの文献などで日本語だけでなく英語、中国語、フランス語などで書かれた基本的な原資料が揃っていて、利用することができる:浦野起央『南海諸島国際紛争史-研究・資料・年表』(刀水書房、1997年)、浦野起央『南シナ海の領土問題』(三和書籍、2015年)。それでも議論がすすまないので、ジャーナリステックな話題として取りあげるしかないわけだ。

→紀伊國屋ウェブストアで購入

2016年05月17日

『戦時日本の国民意識-国策グラフ誌『写真週報』とその時代』玉井清編(慶應義塾大学出版会)

戦時日本の国民意識-国策グラフ誌『写真週報』とその時代 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 ひとつの資料を題材に、共同研究をすると思わぬ成果が出てくることがある。国策グラフ誌『写真週報』を総合的に分析した本書は、従来扱いにくく「無価値な情報として一蹴することも可能」な資料の使い方を示しただけでも価値がある。扱いにくい理由を、編者の玉井清は、つぎのように述べている。「従前の研究においては、言論統制下の戦時メディア、とりわけ『写真週報』のような戦時国策グラフ誌は、政府による都合のいい情報だけが掲載されているとの理由から、加えて写真を中心とした画像情報であり文字情報ではないとの理由から、これを軽視し正面から分析対象にすることは避けられる傾向にあった」。

 そこで考えられたのが、「『写真週報』に見出される内容と実際との乖離」の「確認や補正を行なう」ために、「自由主義の立場から外交評論活動を行なった清沢洌の日記」を基底においたことである。各章に、この『暗黒日記』が引用されているということは、共同研究の考察対象として、『写真週報』のほかにこの日記があったことを示している。「清沢の日記は、時代批判の精神から戦時下の政府並びにメディアが流す情報と現実との間に生じた矛盾を衝き、それを刻銘に記した日記として知られている」。

 「清沢のように言論統制がかかりにくい外国語の放送や新聞雑誌に接する機会に恵まれ」ない「一般国民は、『写真週報』のように検閲を通過した新聞や雑誌を主たる情報源とし、それらに基づき自らの考えを形成し、各人の意識を育んでいた」。その対比を通して、「『写真週報』に描き出された内容」から「同時代の国民の生活や考え」を探求していったのが本書である。

 本書は11章からなり、その構成はつぎの通り説明されている。「第1章では、『写真週報』の沿革から、そのメディアとしての特性を位置づけるとともに、誌面構成の変化を含めた概要を明らかにしている。第2章から7章までは、『写真週報』誌上より看取できる国民が直面した国内問題に検証を加えた。第2章は、国民が生きるために必要不可欠な食糧問題について、第3章では、節約や貯蓄の奨励を通じ政府が理想とした模範的国民生活像について、第4章では、空襲に対応した民間防空体制確立に向けた啓蒙について、第5章は、軍需に対応し労働力調達のため必要とされた労務動員について取り上げた。第6章は、国家総力戦に勝ち抜くために推進された健康増進行政について、第7章は、児童、生徒、学徒の動員を中心とした戦争との関与について、各々検証を加えた」。

 「第8章では、戦局報道や兵器などの軍事情報がどのように紹介されたかについて検証を加えた上で、第9章から11章までは、対外観に焦点を当てた。第9章では、中国満洲を始め植民地を含めた東アジアについて、第10章では、敵国になる英米について、第11章では同盟国となるドイツを中心に、各々その描かれ方を考察した」。

 本書で明らかになったことをまとめるのは、簡単ではない。「あとがき」には、結論にかえて、つぎのような説明がされている。「戦後のように世論調査が整備されているわけではなく、あるいは現代のようにその意識調査を行なうこともできない時期を扱うに当たり、課題となったのは、国民の意識を何により読み取るのか、その材料の選定であった。議論の中で俎上に上げられたのが、一般国民向けにわかりやすく編集された戦時国策グラフ誌『写真週報』であった。そこには、同時代の一般国民の生活を映し出す写真や挿絵等の画像が多数掲載されているため、その報道内容を検討すれば、少なくとも政府が期待する国民像や国民意識に迫ることができるのではないかとの提案がなされたのである。当然のことながら、同紙に描き出された内容は、政府が理想とした疑似空間であり現実とは異なるゆえ、果たして考察対象として的確であるか、分析結果に意味を見出すことはできるのか、ということも問題となった」。

 これらのことを意識したうえでのそれぞれの論考は、その問題の克服を目ざしたはずで、本書の論考で克服できなくとも今後の課題としたはずである。本書の執筆者は7名で、11章を書いている。複数の章を担当しただけでも、問題を複合的に捉える目をもったということができるだろう。それぞれの執筆者の今後に期待したい。

→紀伊國屋ウェブストアで購入

2016年05月10日

『戦時グラフ雑誌の宣伝戦-十五年戦争下の「日本」イメージ』井上祐子(青弓社)

戦時グラフ雑誌の宣伝戦-十五年戦争下の「日本」イメージ →紀伊國屋ウェブストアで購入

 写真報道は、戦争と災害によって大きく発展した。どちらも、あってはならないことだが、その写真報道は、どう社会に貢献してきただろうか。自然災害はともかく、戦争は人工的なもので、社会に貢献するどころか、戦意を煽り、被害者を増やすことに加担した面があったことは否定できない。写真報道のプラス面とマイナス面の両方を検証することは、戦争そのものを考えるために必要なことだが、これまで充分に研究されてこなかった。

 アジア太平洋十五年戦争下でも、「国際情勢や日本の宣伝方針も時期によって異なり、〝見せたい日本〟像も変化し、対外向けグラフ雑誌に要求される課題も変化した」。その状況を踏まえて、著者井上祐子は、つぎの2点を課題とした。「一つは、グラフ雑誌がおかれた歴史的状況をふまえながら、そのなかにあって各グラフ雑誌が〝日本〟あるいは〝日本の戦争〟をどう描きどう伝えていたのか、その足跡を追いながら各グラフ雑誌の特性を明らかにすることである。そしてもう一つは、各グラフ雑誌が写真あるいはグラフ雑誌という特性をどう生かし、あるいはその特性によってどんな制約を受けながら、国家がおこなう宣伝戦に関わっていったのかを比較検討することにより、グラフ雑誌というメディアの可能性と問題点を浮かび上がらせることである」。

 本書は、「はじめに」と7章、終章からなり、著者はつぎのように全体をまとめている。「対外向けのグラフ雑誌の分析については、「アサヒグラフ海外版」が創刊された一九三二年十二月を起点とするが、第1章[「報道写真」とグラフ雑誌の黎明]では、その前提となる三〇年代初頭までの写真の発達と各グラフ雑誌の担い手たちの写真観について概観する。満州事変期から日中全面戦争期については、内外の諸情勢の変化とそれに伴うグラフ雑誌の様相の変化に従い、それぞれ前後二期に分けて論じる。満州事変期は三四年末、日中全面戦争期は三九年半ばで区切って第一期から第四期とし、第2章から第5章[「対外向けグラフ雑誌事始め-第一期:柳条湖事件の勃発-一九三四年末」「〝新たなる日本〟の表象の模索-第二期:一九三五年-日中全面戦争勃発」「日中全面戦争の「意味」の可視化-第三期:日中全面戦争勃発-一九三九年半ば」「狭隘化する「報道写真」とブラフ雑誌」-第四期:一九三九年半ば-アジア・太平洋戦争開戦」]までを順にあてた。第五期となるアジア・太平洋戦争期については第6章[アジア・太平洋戦争と東南アジア向けグラフ雑誌-第五期:アジア・太平洋戦争開戦-敗戦]でアジア・太平洋戦争期に登場するグラフ雑誌の概要を述べ、第7章[〝東亜の盟主〟のグラフィックス-第五期:アジア・太平洋戦争開戦-敗戦]でその内容について分析する。終章[それぞれの再出発]では、各グラフ雑誌の担い手たちが戦後どのように再出発していったのかについて、彼らが戦争責任についてどう受け止めていたのかを含めて見ていきたい」。

 近年、「グラフ雑誌=国家宣伝のメディアという観点」に立った研究が盛んになってきており、本書も同じ観点に立ち、「「アサヒグラフ海外版」および朝日・毎日両新聞社がアジア・太平洋戦争期に発行していた対外向けグラフ雑誌を取り上げ、「NIPPON」や「FRONT」と比較検討していく」。その理由は、「対外宣伝は国家と分かちがたく結びついており、新聞社のグラフ雑誌であっても、対外向けのものは国家宣伝のメディアとしての性格がより強いと思われるからである」。

 日本が東南アジア向けに発行したグラビア雑誌は10点以上あり、多言語でたとえば毎日新聞社が発行した『フジンアジア』は日本語・中国語・英語・フランス語・タイ語・マレー語の6ヶ国語併記だった。著者は、「従来から庶民たちの各種訓練や各種団体の軍事訓練などの報道に長けていた」朝日新聞社のグラフ雑誌を、つぎのように評している。「ジャワ防衛義勇軍の記事もその系譜につながるものである。「太陽」と「ジャワ・バルー」の記事は、戦争の大義や理念をうたうのではなく、アジアの一般庶民たちが「現実」といかに対峙し、いかに生きているかを伝えるものだった。それは一方で、大東亜共栄圏構想下の〝かくあるべき姿〟を伝えるものであり、その意味では教化的だった。また、その記録性も徹底したものではなかった。しかし、たどたどしいものはたどたどしいままに、貧しいものは貧しいままに人々の生きる姿をとらえ伝えることで、国家の物語に回収されてしまわない地平を持ち続けることも確かである」。

 そして、つぎのように結論づけている。「十五年戦争のなかで、外務省や情報局、軍部などの日本の国家機関は内外に向けての宣伝、特に大衆向けの宣伝のために写真やグラフ雑誌を利用した。しかし、その活動は計画的・戦略的というより場当たり的で、海外の模倣という側面もあった。新聞社や制作者団体が各機関と結びついて国家宣伝に協力したが、実際の制作については制作者任せが多かったようである」。

 著者は、「メディアや文化の担い手たちの戦争協力には、国家による強制と彼らの自発的な参加の両面があり、その境界の判定は難しい」といい、「戦争責任の問題は複雑である。とはいえ、対外向けグラフ雑誌についても、少なくともアジア・太平洋戦争期のものについては、戦争責任の問題を考える必要があるだろう」と述べている。「境界の判定が難しい」ことこそが、責任の所在を不明確にし、戦後処理が終わらない原因となっている。「国家による強制」に抵抗できなかったことこそが、遠因ではなく戦争への流れを断ち切れなかった直接の原因である。遠因と考えているから、戦争責任の問題に決着がつかないのである。この問題を考えるには、「戦争協力」の対象となった人びと、つまり故地を戦場とされ犠牲になった人びとを主体的に考えなければ、結論がでないだろう。だが、中国や韓国のように、その負の影響をぶつけてこない東南アジアの人びとについて考察することはたやすくなく、残された「現実」を写し出している写真から考えることもひとつの有効な手段である。

→紀伊國屋ウェブストアで購入