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2016年04月26日

『小さな民のグローバル学-共生の思想と実践をもとめて』甲斐田万智子・佐竹眞明・長津一史・幡谷則子編著(上智大学出版)

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 本書は、「社会運動家であり、教育者であり、また研究者であった」村井吉敬が、「広い範囲に及ぶ数え切れないほどの友人・教え子に学びの道、実践の道を拓」き、実った果実のほんの一部である。本書のタイトルの「小さな民」は、村井著『小さな民からの発想-顔のない豊かさを問う』(時事通信社、1982年)からきている。

 この「小さな民」を共編者の4人は、つぎのように理解している。「強大な権力と市場、それらがもたらした価値観によって生活圏を歪められ、権力側からの差別を受けながらも、日々の生活をたくましく生きる人々とその日常を主題化するための言葉であるといえるだろう」。

 本書は、4部15章からなり、それぞれの部では「小さな民の生活世界や市民がかかわる国際協力を四つの領域、つまり「民衆生業と移住」、「人権と援助」、「モノの流れ」、「海の民と移動」」を、「欧州出自のポストモダンの思想によって解釈すること」ではなく、「小さな民の生活世界や市民の実践の中に、今日主流化しているグローバル化のパラダイム(枠組み)とは異なる新たな連帯や共生のパラダイムをみいだすことである」。

 それぞれの部は、つぎのように紹介されている。「第1部「小さな民の生き様-民衆生業と移住」では、権力も富もないごく普通の人々と、「民衆」あるいは先述した「小さな民」の暮らしや、国境を越える動き、そこに見られる変化をとりあげる。これらの人々の日常生活における変化は、近代化、工業化、都市化、開発という一連の現象とどのように関連しているのか。グローバル化が進展するなかで、国境を越えるモノの流れ、人の流れをさまざまな地域のミクロな事例を通じて検討するのが第1部の四つの論文に共通するアプローチである」。

 「第2部「人権と援助-少女・先住民・地域住民の声」は、国際開発援助が、どこまで本来「開発」の先にあるべき人々の生活向上と、その基本的条件としてあるべき人権、特に当事者の人権保障と、かれらのエンパワーメントにつながってきたかを問い直す。開発の担い手には、政府開発援助(ODA: Official Development Assistance)や国連のみならず、国際NGO、ローカルNGOや市民社会組織(CSO: Civil Society Organization)も含まれる。「小さな民」の視点に立つことは、こうしたODAの政策や事業、NGOの活動やプロジェクトにかかわる実践の場では必須である」。

 「第3部「モノからみる世界と日本-グローバル化と民衆交易」は、私たちの消費生活にかかわる「モノ・商品」を通じてグローバルとローカルのつながりを見直そうとする。日常生活において私たちがごく身近に当たり前のように接している食材や日用品の数々には、実ははるか遠くの、あるいは隣国の見知らぬ人々の命をかけた営みがかかわっている。第3部は、私たちが日常消費する商品をつくる人々の暮らしやその交易のあり方に着目する」。

 「第4部「海の民の豊かな世界-国家と国境の向こうへ」は、海民、つまり海を生活の基盤としてきた人々の自然環境とのかかわりや、国民国家にとらわれない生活実践、移動・移住のあり方を描く。アジアからアフリカ東岸に至る広い海域には、紀元前後の頃から、交易を基盤として諸地域が結びつく海民の世界が広がっていた。そうした海民の世界は、西洋諸国による植民地とその後の国民国家による海の囲い込みによってしだいに分断された。私たちの世界認識が国境線に拘束されたいびつなものになってしまったのは、そうした200年ほどの歴史の帰結にすぎない。他方、この20年ほどのあいだには、グローバル化が盛んに語られるようになった。にもかかわらず私たちは、いまも人やモノが、あるいは文化や情報が、国境を越えて、自由に、自然に往来する世界を実感することができない。第4部では、そうした国民国家中心の世界観を問い直し、日本や東南アジアの海民の世界から新たなアジア像・世界認識を展望しようとする」。

 共編者4人は、編集の過程であらためて村井吉敬の偉大さを感じたことだろう。それは、「一見、統一感を欠くようにもみえる上記のテーマ群を、この課題[小さな民の連帯に基づくもう一つのグローバル化を探る]のもとに束ね、<公正かつグローバルな>未来を構想するための問いとして次世代に向けて提示しようとした」ということばからもうかがえる。このような「一見、統一感を欠くようにもみえる」ものを「弟子たち」にわかるように表現できる者は、まずいない。その表現は、出版物や講義だけでなく、日々の言動を通して発せられたものだろう。だが、発する者が卓越していても、それを受けとめ理解できる者が寄り集まらなければ、その表現は雲散霧消してしまう。本書は、雲散霧消せずに、「真の企画者」の意図をくみ取ってかたちあるものにした成果である。すこしでも関心が違うと、そこから学ぼうとしない学生に、より広い視野のもとで学ぶことの大切さを教える術を、わたし自身が村井さんから学べなかったことがなんとも残念である。

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