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2016年03月08日

『アジアのなかの戦国大名-西国の群雄と経営戦略』鹿毛敏夫(吉川弘文館)

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 本書は、大分県出身の著者、鹿毛敏夫が2011年に出版した『アジアン戦国大名大友氏の研究』(吉川弘文館)という1万円近くする専門書、および2013年に出版した『大航海時代のアジアと大友宗麟』(海鳥社)の一般向け版である。また、ここ数年のあいだに日本の日本史研究が「日本列島の枠を飛び越えたアジア的規模の対外関係史の枠組みのなかで議論する土壌ができ」てきた成果のひとつ、ということもできる。

 「アジアン戦国大名」という造語について、著者はつぎのように説明している。「歴代大友氏のこうした一連の政策は、日本史で「守護大名」や「戦国大名」と呼称する日本国内の一地域公権力の定義の枠組みをはるかに越え、大陸に近い九州の地の利を活かして、アジア史の史的展開のなかにみずからの領国制のアイデンティティを追求しようとしていることから、「アジアン大名」と呼称するのがふさわしい」。

 著者が本書で描こうとしていることは、プロローグ「「群雄割拠から天下統一へ」は本当か」の最後で、つぎのように述べている。「本書では、これまで華やかな「天下統一」レースの陰に隠されて、その敗者の動きとして注目されることのなかった西日本の戦国大名たちによる、「アジア」を視線の先に意識した領国の為政者としての政治力学の動向を描いていきたい」。「その主人公として登場するのは、大内氏・相良氏・大友氏、松浦氏、そして島津氏。一国史のなかでは収まりきらないグローバルな活動を特徴とする彼らの動向を、アジア社会の史的展開のなかに位置づけることで、日本の戦国大名を「アジアのなかの戦国大名」に引き上げることとしよう」。

 本書で明らかになったことは、「薩摩産や豊後産の硫黄を原資とした戦国大名の遣明船貿易」がおこなわれたこと、「十六世紀の日本社会に渡来した唐人たちは、孤立・閉鎖的な外国人集団ではなく、唐人町に集住しながらも早くから日本人との雑居の形態をとり、近隣町人との交流を深め、また、日本人と通婚しながら、緩やかな華僑社会を形成していった」こと、「「天下統一」を間近にひかえた戦国末期の激化した政治軍事情勢のなかで、九州各地の大名権力は、シャムやカンボジアなどの東南アジアの国との外交交易関係の樹立に積極的に臨んでいたこと」などである。

 これらのことから、著者は、「日本はまぎれもなくアジア世界の一員である」とし、近年の「日本の若者のアジア離れ」を憂い、つぎのように主張している。「本書で叙述した十六世紀の戦国時代のみならず、古代・中世、そして「鎖国」される近世までもの日本の歴史は、近隣の中国や朝鮮半島、東南アジア諸国との関係性のなかで紡がれてきた。そのアジアの隣国をないがしろにして自国の繁栄はありえない」。

 そして、今後の課題として、つぎの4点を挙げている。「琉球や中国、朝鮮、そして東南アジア諸国までもを[をも]視野に入れた戦国大名の領国経営策が、アジア世界の史的展開過程のなかにどう位置付けられるか」、「遣明船派遣政策が、明代中国の政治・外交政策にどのような影響をおよぼした」のか、「東南アジア諸国との善隣外交関係の構築で競合する諸大名の各政策が、シャムやカンボジアの政治動向とどう結び付く」のか、「硫黄を原資とした戦国大名の遣明船貿易が、具体的にアジア諸国の社会経済にいかなる影響をおよぼしたのか」。

 4つとも、すぐに答えられるようなものではない。一国史観を越えるということは、多角的な視野が必要だということだが、日本史研究と同じレベルの史料があり、それにもとづいた研究成果が、相手(日本以外の国や地域の研究)にあるとは限らない。「日本史研究の国際化や日本史概念のグローバル化の必要性が叫ばれて久しい」にもかかわらず、発展をみなかったのはそれなりの理由がある。本書のような視点から日本史を見直すことが、一国史観から脱却する第一歩であるが、つぎの一歩を踏み出すことは相手があることだけに容易ではない。相手にも相手なりの事情がある。その事情をふまえて、どう共同研究をして上記4つの課題に答えていくかが、つぎの課題となる。

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