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2016年03月01日

『海洋帝国興隆史-ヨーロッパ・海・近代世界システム』玉木俊明(講談社選書メチエ)

海洋帝国興隆史-ヨーロッパ・海・近代世界システム →紀伊國屋ウェブストアで購入

 著者玉木俊明は、「本書によって歴史学が面白いと思う人が少しでも増えるなら、私のささやかな試みは無駄ではなくなる。それを期待しつつ結びとしたい」という文章で「あとがき」を終えている。その「期待」が叶えられたと願いたい。

 本書は、「なぜ「陸」ではなく「海」だったのか」という見出しではじまる。そして、つぎのような文章がつづいている。「ヨーロッパはなぜ、海上ルートで対外進出をしたのだろうか?」「このような疑問は、不思議なことに、日本の西洋史学界では、これまで出されたことがないように思われる。一五世紀半ばにはじまった大航海時代以来、ヨーロッパが海上ルートによって他地域に進出していったことは、いわば自明の前提であった。そのためもあってか、なぜ海上ルートによって対外進出していったのかということは、議論の対象になっていない」。

 今日常識と思われている歴史は、根拠なくそう信じられているものがけっこうある。著者が、そのことに気づいたことが、本書執筆の原動力になったのだろう。その常識は、日本だけということもあるのが、なんとも不思議だが、その原因はかつて大先生が書いたものを、その後だれも一次史料で検証しなかった結果ということもあり、本書でもその例が紹介されている。

 本書の概略は、裏表紙につぎのように箇条書きで示されている。「近代黎明期、困難な海上ルートを通じて、世界へと乗り出したヨーロッパ諸国が築いた海洋帝国。ポルトガル海洋帝国が形成した異文化間交易のネットワーク。商業資本主義の時代、海運国家として繁栄を謳歌したオランダ。イギリスの電信網が生んだ世界の一体化-。ウォーラーステインの「近代世界システム」を海と商人の視点から捉え直し、ヨーロッパによる世界支配の本質に迫る。まったく新しい海事史(Maritime History)入門」。

 著者が、本書で論じているのは、「ヨーロッパ人は海に乗り出し、最終的には、アフリカやアジアのかなりの部分を植民地化ないし半植民地化することになった」、「その過程と理由である」。だが、著者がより強いおもいで提示したかったことは、「あとがき」で「研究している時代の全体像である」と述べている。その背景を、つぎのように説明している。「私の専門は近世のバルト海貿易である。日本でも人気の地中海とくらべると、世界的にもずいぶんマイナーな分野であるが、この海から資本主義が誕生したと思っている。そもそも一七世紀オランダのヘゲモニーの支柱はバルト海にあったのだから、バルト海と、その西に位置する北海が地中海を呑み込んでいくことが、ヨーロッパ経済が海を媒介として拡大していく過程であり、その逆ではない。むろん、ヨーロッパ世界拡大における、大西洋貿易の重要性はいうまでもない。これらの海が一体化していくことにより、ヨーロッパ経済が強化された。そのアイデアは、私を夢中にさせた。歴史家としての喜びを感じるときである」。

 本書で取りあげた「全体像」の広がりは、この比ではないが、随所に「全体像」を捉えようとしたがゆえに見えた、従来の常識を覆す議論を楽しむことができた。だが、著者が心配した「かなり多くの地域を扱っているので、専門家からみれば、いくつものまちがいがあって不思議ではない」ということについては、わたしの専門としている海域東南アジアでもあった。しかも、著者が批判した「一次史料を読むこと」を怠ってきたことが原因である。「ポルトガルは大航海時代の最初にだけ活躍し、その後すぐに衰退したというイメージがまちがっていた」ことは、イギリス東インド会社文書を読めば、ポルトガル人私貿易商人が頻出し、その密接な関係によって現地の王様がポルトガル語を理解していたことからわかる。

 日本の大学入試センター試験にもよく出題されるアンボン事件について、本書ではつぎのように説明されている。「一六二三年、オランダ人がイギリス商館員を殺害するというアンボン(アンボイナ)事件が起こった。これ以降、イギリスは東南アジアから撤退し、インドをアジアの貿易の根拠地とするようになる」。だが、同じく東インド会社文書を読めば、イギリスが東南アジアからインドへ根拠地を移すのは、半世紀以上たってのことであり、事件後イギリスの香料の貿易量は増えていることがわかる。そして、イギリスは1667年に香料諸島の小さなルン島の領有権を認められた後、その島とオランダ領マンハッタン島(ニューヨーク)とを交換した。高校世界史教科書で常識とされている「事実」にかんする一次史料を、これまでだれも読んでいなかったのである。バルト海研究をマイナーと考えるような研究者にとって、海域東南アジアから考えるということは想像もできないことだろう。

 著者のいう「全体像と関係しない歴史研究など、どのような価値があるのか。現実に全体像を描いた叙述をすることこそ、歴史家に求められているものであるはずだ」。この意見に、わたしは賛同する。わたしが示したような指摘によって、「全体像」を示すことをためらってはいけない。著者自身も、本書でこれまで「全体像」を示した先達を批判した。「全体像」は批判しやすく、そのうえでより説得力のある「全体像」を示すことが「歴史家に求められているものであるはずだ」。そのためには、読まれていない一次史料をすこしでも多く、まんべんなく読むことだろう。まんべんなく読もうとすると、厄介なことに東南アジアのような海域世界では、文書を残すことを重視しなかったがために、そしてその後植民地支配を受けたがために、読むべき文書が限られていることに気づく。しかも、ヨーロッパ近代で重視された写実的に記録した文書ではないこともある。文書で理解しにくい社会を理解するためには、フィールドワークも必要になる。著者が言うように全体像を描くための「明確な方法論」はない。とすると、「全体像」の限界も描く必要が出てくる。けちをつけだしたら、「全体像」など書く者はいなくなる。他人の批判を謙虚にきくことは必要だが、書かない者の評論家的批判は書くための現実的なものではなく、将来の課題としてありがたくきいておこう。著者のさらなる挑戦に期待したい。

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