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2016年03月29日

『戦争と新聞-メディアはなぜ戦争を煽るのか』鈴木健二(ちくま文庫)

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 「本書は毎日新聞連載「新聞と戦争」(一九九四年十月~一九九五年九月)と「真珠湾までの一〇〇日間」(一九九一年九月~十二月)をもとに、一九九五年、毎日新聞社より刊行され」、「文庫化にあたり、単行本未収録の連載記事五本(「日ソ紛争」~「一億玉砕」を加え、「はじめに」と終章を書下ろし」たものである。

 「終章 高揚し、そして溶けてゆく国民国家」は、著者鈴木健二自身が、20年前に書いた本書を、今日的意味で読み解くものになっている。時代の転換点での新聞について、80年前に起こったことを、20年前につぎのように書いている。「つい一年前まで軍縮論を推進していた新聞が手のひらを返すように戦争遂行に転じた原因は、販売と広告を意識した新聞界自体の内情が大きく働いていたように思えてならない。ラジオ放送の普及で、もはや活字メディアが報道の独占機関ではなく、しかも速報性では電波に劣るとの焦りもあったかもしれない」。

 これにたいして、「終章」では「国民国家を揺さぶる新メディア」の見出しを設け、「「国民国家」をつくるのに最も貢献した」新聞が、「新しいメディアの中核」となったデジタルによって、その接着剤としての機能を終わらさせられようとしていると、つぎのように説明している。「デジタルは国民国家を「横から」「上から」「下から」侵食し、攻撃している。メディアの「越境」「集中」「対抗」は、これまでのメディアの役割を逆転させ、国民国家を根底から揺さぶっている。つまりメディアのさらなる進化は、今度は逆に国民国家の共通基盤を揺るがし、時間的・空間的統合を緩め、国民の標準化・均一化を解消しようとしている。国民国家の文化的一貫性を弱め、国民国家を束ねた接着剤まで溶かしだそうとしているのだ」。

 そして、最後の見出し「新時代における新聞の役割」で、つぎのように問いかけている。「「国民国家」が溶けつつあるのだから、それを支え、一緒に発展してきた新聞の生命も消える運命にあると見放すこともできる。が、新聞が「大好きな」私個人としては、どうしても新聞に最後の踏ん張りを期待したい。では、どうすればいいのか」。この問いにたいして、つぎのように答えている。「新聞はかつて、世論の指導機関と捉える「木鐸」型、世論の反映機関とする「鏡」型、世論の形成機関と見る「広場」型と称されて、変化してきた。これからの新聞は、一言で言えば「今なにが大切な問題か」「それを、どう考えるか」の「問題設定」型として生き残るしか道はない。卑近な事象に最大限の神経を研ぎ澄まして問題点を探り当て、読者に提示する。国民国家が変容するなかで、ではどういう道があるのかを考え、国民に問うていく」。

 著者が、「最後の踏ん張りを期待したい」というのは、いま起こっていることからである。終章は、中江兆民のつぎの揶揄からはじまる。「二つの国が戦争を始めるのは、どちらも戦争が好きだからではなくて、じつは戦争を恐れているために、そうなるのです。こちらが相手を恐れ、あわてて軍備をととのえる。すると相手もまたこちらを恐れて、あわてて軍備をととのえる。双方のノイローゼは、月日とともに激しくなり、そこへまた新聞というものまであって、各国の実情とデマを無差別にならべて報道する。はなはだしいばあいには、自分じしんがノイローゼ的な文章をかき、なにか異常な色をつけて世間に広めてしまう」。

 この文章がいろあせず、いまも生き続けていることを、つぎのように昨年起こったことを例にあげている。「敗戦後、日本は絶対平和を求めて生まれ変わりを誓った。が、それはほんの一時期にすぎなかった。自衛隊はどんどん増強され平和憲法は骨抜きにされて、二〇一五年、「これだけは不可」とされてきた集団的自衛権まで国策の中心に躍り出た。その過程を新聞が最初はおずおずと、やがて当然のように追認、さらには政府と一緒になって推し進めようとしている」。

 著者は、「悲惨なのは国民の多くがこうした動きに鈍感で、一部ではむしろ進んで受け入れようとしている」と嘆いているが、国民だけでなく報道関係者も政府から配布される「資料」を鵜呑みにして記事を書いていることがある。その新聞記事を検証するオピニオン雑誌もすでに「死滅」状態になっていて、とくに若者には読まれていない。だが、新メディアは国境を容易に越えるという特性をもっている。新聞も国を超えて、日本の場合は国語としての日本語が大きな壁となるが、世界や地域を基本としたものにならなければならないだろう。そのとき、世界であるいは地域で戦争が起これば、新聞はなんの役割も果たせなくなる。それは、本書のなかにある、つぎの一節から明らかである。「新聞ほど戦争に弱いものはない。戦争になれば新聞は、政府によって情報源を断たれ、権力によって操作され、本務を忘却する。つまり戦争は新聞の天敵である。新聞は平和でなければ機能しない。だから機能を少しでも鈍らすものがあれば、新聞は断固戦わなければならない。平和が損なわれてからでは、もう遅い」。

 新聞存続の条件は、まず戦争にならないために闘うことである。

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2016年03月22日

『太平洋戦争と新聞』前坂俊之(講談社学術文庫)

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 2015年5月に第3次安倍内閣が閣議決定した平和安全法制は、第189回国会へ上程し、同年9月に「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」(平和安全法制整備法)と「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」(国際平和支援法)が成立した。この平和安全法制関連2法は、一般には安全保障関連法案(安保法案)、安保法制、安全保障関連法(安保法)と呼ばれた。

 これより先の2013年10月25日、第2次安倍内閣は特定秘密の保護に関する法案を閣議決定して第185回国会に提出し、同年12月6日に成立、同年12月13日に公布され、2014年12月10日に施行されている。日本の安全保障にかんする情報のうち「特に秘匿することが必要であるもの」を「特定秘密」として指定し、取扱者の適正評価の実施や漏洩した場合の罰則などを定めた。一般には、特定秘密保護法、秘密保護法、特定秘密法、秘密法などと呼ばれる。

 これら安倍政権による一連の政策にたいして、世論は戦前の日本のたどった道に似ているとして反対する意見と、時代が違い近年の国際情勢とくに中国の脅威から必要であるとして賛成する意見とに二分されている。大手新聞社も、賛成と反対の両論を併記しながらも、どちらかの意見に傾いた報道をおこなっている。

 本書を読むと、たしかに戦前の日本に似た過程をたどっているといえる。拙著『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』(岩波書店、2007年)の帯に、「いまを再び「戦前」にしないために」と書いた。この本は、大学の教養課程の学生向きに書いたもので、最初学生はこの「戦前」の意味がわからなかった。十数回の授業を終えて、この「戦前」の意味がわかれば、「合格」だった。本書を読むと、さらに「戦前」の意味がわかる。「戦前」になれば、もう戦争になることは止められない。「戦前」になる前に、どうするかが鍵になる。

 本書は、著者前坂俊之が1989年と1991年に出版した2冊の本を下敷きに、「全面的に書き直し、大幅に加筆、修正して一冊にまとめたものである」。「内容は、昭和に入って戦争に流されていく過程で、満州事変から日中戦争、太平洋戦争、敗戦に至るまでに、エポックとなった各事件を新聞はどう報道したのか、国、軍はどう検閲したのかを、特に『朝日』『毎日』の報道、論説を中心に検証したものである」。

 本書を読んで、安全保障関連法案をめぐって賛成した者は戦前とどう違うのか、反対した者はどこがいっしょなのかを、検証する必要があるだろう。著者は、アジア太平洋戦争の原因について、つぎのように述べている。「単に軍部の暴走と軍国主義にのみ帰せられるものではない。シビリアン・コントロールできなかった政治体制の欠陥と政治家の責任も決して小さくない。戦争も平和もいずれも外交の結果とすれば、外交の失敗、過誤も見過ごせない。国家主義、ナショナリズムに国民が押し流されていった経緯や、大勢順応主義、時代ムードに弱く、戦争を支持、同調していった国民性も検証する必要がある。さらに大きいのは国民の知る権利を代行しているメディアの責任である。本来、権力のチェック機能と同時に情報操作機能を合わせ持つ新聞は戦争への道でどのような役割を果たしたのかも問わねばならない」。

 新聞は、戦前・戦中より読まれなくなった。インターネット上の情報のほうが、影響力が大きくなったかもしれない。ということは、オピニオンリーダーとして、新聞より個々人の役割、責任のほうが大きくなったといえる。著者のいう「国家主義、ナショナリズムに国民が押し流されていった経緯や、大勢順応主義、時代ムードに弱く、戦争を支持、同調していった国民性」を考える必要がある。いまを「戦前」にしない鍵は国民にあり、その国民に情報を提供する意味で、新聞の役割はまだ終わっていない。

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2016年03月08日

『アジアのなかの戦国大名-西国の群雄と経営戦略』鹿毛敏夫(吉川弘文館)

アジアのなかの戦国大名-西国の群雄と経営戦略 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、大分県出身の著者、鹿毛敏夫が2011年に出版した『アジアン戦国大名大友氏の研究』(吉川弘文館)という1万円近くする専門書、および2013年に出版した『大航海時代のアジアと大友宗麟』(海鳥社)の一般向け版である。また、ここ数年のあいだに日本の日本史研究が「日本列島の枠を飛び越えたアジア的規模の対外関係史の枠組みのなかで議論する土壌ができ」てきた成果のひとつ、ということもできる。

 「アジアン戦国大名」という造語について、著者はつぎのように説明している。「歴代大友氏のこうした一連の政策は、日本史で「守護大名」や「戦国大名」と呼称する日本国内の一地域公権力の定義の枠組みをはるかに越え、大陸に近い九州の地の利を活かして、アジア史の史的展開のなかにみずからの領国制のアイデンティティを追求しようとしていることから、「アジアン大名」と呼称するのがふさわしい」。

 著者が本書で描こうとしていることは、プロローグ「「群雄割拠から天下統一へ」は本当か」の最後で、つぎのように述べている。「本書では、これまで華やかな「天下統一」レースの陰に隠されて、その敗者の動きとして注目されることのなかった西日本の戦国大名たちによる、「アジア」を視線の先に意識した領国の為政者としての政治力学の動向を描いていきたい」。「その主人公として登場するのは、大内氏・相良氏・大友氏、松浦氏、そして島津氏。一国史のなかでは収まりきらないグローバルな活動を特徴とする彼らの動向を、アジア社会の史的展開のなかに位置づけることで、日本の戦国大名を「アジアのなかの戦国大名」に引き上げることとしよう」。

 本書で明らかになったことは、「薩摩産や豊後産の硫黄を原資とした戦国大名の遣明船貿易」がおこなわれたこと、「十六世紀の日本社会に渡来した唐人たちは、孤立・閉鎖的な外国人集団ではなく、唐人町に集住しながらも早くから日本人との雑居の形態をとり、近隣町人との交流を深め、また、日本人と通婚しながら、緩やかな華僑社会を形成していった」こと、「「天下統一」を間近にひかえた戦国末期の激化した政治軍事情勢のなかで、九州各地の大名権力は、シャムやカンボジアなどの東南アジアの国との外交交易関係の樹立に積極的に臨んでいたこと」などである。

 これらのことから、著者は、「日本はまぎれもなくアジア世界の一員である」とし、近年の「日本の若者のアジア離れ」を憂い、つぎのように主張している。「本書で叙述した十六世紀の戦国時代のみならず、古代・中世、そして「鎖国」される近世までもの日本の歴史は、近隣の中国や朝鮮半島、東南アジア諸国との関係性のなかで紡がれてきた。そのアジアの隣国をないがしろにして自国の繁栄はありえない」。

 そして、今後の課題として、つぎの4点を挙げている。「琉球や中国、朝鮮、そして東南アジア諸国までもを[をも]視野に入れた戦国大名の領国経営策が、アジア世界の史的展開過程のなかにどう位置付けられるか」、「遣明船派遣政策が、明代中国の政治・外交政策にどのような影響をおよぼした」のか、「東南アジア諸国との善隣外交関係の構築で競合する諸大名の各政策が、シャムやカンボジアの政治動向とどう結び付く」のか、「硫黄を原資とした戦国大名の遣明船貿易が、具体的にアジア諸国の社会経済にいかなる影響をおよぼしたのか」。

 4つとも、すぐに答えられるようなものではない。一国史観を越えるということは、多角的な視野が必要だということだが、日本史研究と同じレベルの史料があり、それにもとづいた研究成果が、相手(日本以外の国や地域の研究)にあるとは限らない。「日本史研究の国際化や日本史概念のグローバル化の必要性が叫ばれて久しい」にもかかわらず、発展をみなかったのはそれなりの理由がある。本書のような視点から日本史を見直すことが、一国史観から脱却する第一歩であるが、つぎの一歩を踏み出すことは相手があることだけに容易ではない。相手にも相手なりの事情がある。その事情をふまえて、どう共同研究をして上記4つの課題に答えていくかが、つぎの課題となる。

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2016年03月01日

『海洋帝国興隆史-ヨーロッパ・海・近代世界システム』玉木俊明(講談社選書メチエ)

海洋帝国興隆史-ヨーロッパ・海・近代世界システム →紀伊國屋ウェブストアで購入

 著者玉木俊明は、「本書によって歴史学が面白いと思う人が少しでも増えるなら、私のささやかな試みは無駄ではなくなる。それを期待しつつ結びとしたい」という文章で「あとがき」を終えている。その「期待」が叶えられたと願いたい。

 本書は、「なぜ「陸」ではなく「海」だったのか」という見出しではじまる。そして、つぎのような文章がつづいている。「ヨーロッパはなぜ、海上ルートで対外進出をしたのだろうか?」「このような疑問は、不思議なことに、日本の西洋史学界では、これまで出されたことがないように思われる。一五世紀半ばにはじまった大航海時代以来、ヨーロッパが海上ルートによって他地域に進出していったことは、いわば自明の前提であった。そのためもあってか、なぜ海上ルートによって対外進出していったのかということは、議論の対象になっていない」。

 今日常識と思われている歴史は、根拠なくそう信じられているものがけっこうある。著者が、そのことに気づいたことが、本書執筆の原動力になったのだろう。その常識は、日本だけということもあるのが、なんとも不思議だが、その原因はかつて大先生が書いたものを、その後だれも一次史料で検証しなかった結果ということもあり、本書でもその例が紹介されている。

 本書の概略は、裏表紙につぎのように箇条書きで示されている。「近代黎明期、困難な海上ルートを通じて、世界へと乗り出したヨーロッパ諸国が築いた海洋帝国。ポルトガル海洋帝国が形成した異文化間交易のネットワーク。商業資本主義の時代、海運国家として繁栄を謳歌したオランダ。イギリスの電信網が生んだ世界の一体化-。ウォーラーステインの「近代世界システム」を海と商人の視点から捉え直し、ヨーロッパによる世界支配の本質に迫る。まったく新しい海事史(Maritime History)入門」。

 著者が、本書で論じているのは、「ヨーロッパ人は海に乗り出し、最終的には、アフリカやアジアのかなりの部分を植民地化ないし半植民地化することになった」、「その過程と理由である」。だが、著者がより強いおもいで提示したかったことは、「あとがき」で「研究している時代の全体像である」と述べている。その背景を、つぎのように説明している。「私の専門は近世のバルト海貿易である。日本でも人気の地中海とくらべると、世界的にもずいぶんマイナーな分野であるが、この海から資本主義が誕生したと思っている。そもそも一七世紀オランダのヘゲモニーの支柱はバルト海にあったのだから、バルト海と、その西に位置する北海が地中海を呑み込んでいくことが、ヨーロッパ経済が海を媒介として拡大していく過程であり、その逆ではない。むろん、ヨーロッパ世界拡大における、大西洋貿易の重要性はいうまでもない。これらの海が一体化していくことにより、ヨーロッパ経済が強化された。そのアイデアは、私を夢中にさせた。歴史家としての喜びを感じるときである」。

 本書で取りあげた「全体像」の広がりは、この比ではないが、随所に「全体像」を捉えようとしたがゆえに見えた、従来の常識を覆す議論を楽しむことができた。だが、著者が心配した「かなり多くの地域を扱っているので、専門家からみれば、いくつものまちがいがあって不思議ではない」ということについては、わたしの専門としている海域東南アジアでもあった。しかも、著者が批判した「一次史料を読むこと」を怠ってきたことが原因である。「ポルトガルは大航海時代の最初にだけ活躍し、その後すぐに衰退したというイメージがまちがっていた」ことは、イギリス東インド会社文書を読めば、ポルトガル人私貿易商人が頻出し、その密接な関係によって現地の王様がポルトガル語を理解していたことからわかる。

 日本の大学入試センター試験にもよく出題されるアンボン事件について、本書ではつぎのように説明されている。「一六二三年、オランダ人がイギリス商館員を殺害するというアンボン(アンボイナ)事件が起こった。これ以降、イギリスは東南アジアから撤退し、インドをアジアの貿易の根拠地とするようになる」。だが、同じく東インド会社文書を読めば、イギリスが東南アジアからインドへ根拠地を移すのは、半世紀以上たってのことであり、事件後イギリスの香料の貿易量は増えていることがわかる。そして、イギリスは1667年に香料諸島の小さなルン島の領有権を認められた後、その島とオランダ領マンハッタン島(ニューヨーク)とを交換した。高校世界史教科書で常識とされている「事実」にかんする一次史料を、これまでだれも読んでいなかったのである。バルト海研究をマイナーと考えるような研究者にとって、海域東南アジアから考えるということは想像もできないことだろう。

 著者のいう「全体像と関係しない歴史研究など、どのような価値があるのか。現実に全体像を描いた叙述をすることこそ、歴史家に求められているものであるはずだ」。この意見に、わたしは賛同する。わたしが示したような指摘によって、「全体像」を示すことをためらってはいけない。著者自身も、本書でこれまで「全体像」を示した先達を批判した。「全体像」は批判しやすく、そのうえでより説得力のある「全体像」を示すことが「歴史家に求められているものであるはずだ」。そのためには、読まれていない一次史料をすこしでも多く、まんべんなく読むことだろう。まんべんなく読もうとすると、厄介なことに東南アジアのような海域世界では、文書を残すことを重視しなかったがために、そしてその後植民地支配を受けたがために、読むべき文書が限られていることに気づく。しかも、ヨーロッパ近代で重視された写実的に記録した文書ではないこともある。文書で理解しにくい社会を理解するためには、フィールドワークも必要になる。著者が言うように全体像を描くための「明確な方法論」はない。とすると、「全体像」の限界も描く必要が出てくる。けちをつけだしたら、「全体像」など書く者はいなくなる。他人の批判を謙虚にきくことは必要だが、書かない者の評論家的批判は書くための現実的なものではなく、将来の課題としてありがたくきいておこう。著者のさらなる挑戦に期待したい。

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