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2016年02月16日

『帝国日本の交通網-つながらなかった大東亜共栄圏』若林宣(青弓社)

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 インフラが整備されなければ、戦争も占領支配も植民支配もできないことが、本書からわかる。いっぽうで、される方はインフラを破壊し利用されないようにする。したがって、インフラを整備する部隊は、「後方で修理や兵站業務にあたる部隊ではなく、第一に歩兵とともに最前線」にあるということばには、総力戦のなんたるかが伝わってくる。日本でPKO(国際連合平和維持活動)協力法が1992年に成立したとき、日本の活動は非戦闘地域で後方支援をおこなう、と政府は説明したが、本書から最前線の活動であることがわかる。

 本書の概要は、表紙につぎのように書かれている。「東アジア・東南アジアに日本を盟主とする国際秩序建設を企図した大東亜共栄圏。しかし、その鉄道と海運・港湾、航空の交通網はズタズタで、兵站・物資流通は確保できないままだった。膨大な史料を読み解き、台湾・朝鮮・樺太・満洲という植民地と東南アジアの交通網が「張り子の虎」だった実態を描く」。

 交通インフラは、整備された後、日常生活のなかに取り込まれ、その重要性を忘れる。戦争中であっても、日常生活を維持しようとする人びとのことが、つぎの文章からわかる。「一九四二年(昭和十七年)の夏から、逓信省令に基づいて特別軍事航空郵便が開始される。これは南方戦線と内地間の私用軍事郵便を速達しようというもので、郵便の種別は第二種、すなわちハガキである。戦地から差し出す分については、郵便料金はもちろんのこと、航空料金も不要。軍人軍属に対して月二枚のハガキが支給され、適当な飛行機便で内地へと送られた。形態は、往復ハガキになっているものと、ハガキの角に三角形の返信票が印刷されたものとの二種類があるが、多くは往復ハガキの体裁をとっていた。戦地から送られてきたこのハガキを受け取った人は、往復ハガキであれば返信用の部分に返事をしたためて郵便切手を貼付し、返信票付きであれば、そこから切り取った返信票を既成のハガキに貼り付けて差し出す。つまり戦地からの手紙に対する返信が、ハガキ料金(当初二銭、後に三銭を経て最後には五銭まで値上げされた)を負担するだけで飛行機便によって送られたのである。この制度は大戦末期になっても機能し続け、四五年に南方から日本国内に送られた現物も存在する。なお、南方軍は、この特別軍事航空郵便のために重爆撃機六機(うち、予備二機)を陸軍中央に希望したが、それは却下されている」。

 本書は全6章からなり、帝国日本から朝鮮、台湾、樺太、満洲、そして周縁地域の南洋群島、内モンゴル、南方へと陸路、海路、空路が広がっていった様子がわかる。だが、「つながらなかった」ことから、「共栄圏」は破綻する。それは、日本が支配を及ぼす以前から、地域としてヒトもモノも動く共存圏が出来ていたことを示しており、帝国日本がそれを分断したことによって、機能しなくなったことを意味した。

 そこには軍事的有利から傲慢になり、ヒトとモノの交流の秩序を壊したことが、つぎのように紹介されている。「高級軍人たちは、飛行機で南方占領地に物見遊山同然の旅行をおこなっていたらしい」。あるいは、「日華事変勃発直後に公布された輸出入品等臨時措置法によって国内一般向け輸入が禁止されていた品物をも買い漁ったことをさすのだろう。たとえばドイツ製カメラの満洲および中国向け製品を、現地派遣の将校が買い求めて日本国内に持ち込むということが対米開戦前からおこなわれていた」。

 著者、若林宣は「できあがった交通網に関してではなく、交通網がどのように形成されなかったかについて、あえて書いてみたかった」といい、つぎのように結論している。「一九四一年(昭和十六年)十二月、日本の空母機動部隊は長躯ハワイを襲い、中国大陸の戦火が西太平洋からインド洋に至る広大な地域へと広がった。帝国日本は他国の植民地を奪い去り(いま植民地と書いたが、フィリピンは独立がすでに約束されていた地だった)、四二年には広大な版図を手にするが、それらの諸地域を有機的に結合する力を持たず、占領地相互間の交通ネットワークを十分に形成できないまま、敗走へと転じた。日本占領下での満足な交通機関といえば、旧宗主国時代に建設、整備された既存の鉄道や道路交通がせいぜいだった。だからインフラ整備の著しく立ち遅れていたソロモンとニューギニア方面では「道なき道」を行くような戦いとなり、また戦争前に存在した東南アジア域内の船舶によるネットワークは破壊されたままだったのである」。

 「共栄圏」では分業がすすみ、交通網の確保がきわめて重要になることが、本書から理解できる。そのことは、東日本大震災時に物流がストップし多くの産業に影響が出たことや、つい先日も傘下の工場の爆発事故でトヨタ自動車の全工場が1週間の操業停止に追い込まれたことなどからわかる。FTAやTPPなどで、今後このような事態の影響がさらに大きくなることが予想される。ひとつの事故や一地域の自然災害どころではない戦争になると、その影響力は想像がつかなくなる。戦争によるマイナス面を強調することに、しすぎることはない。本書のようなモノについて、もはや想像ができなくなるのだから、ココロへの影響については言い表すことばがない!

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2016年02月09日

『インドネシアのムスリムファッション-なぜイスラームの女性たちのヴェールはカラフルになったのか』野中葉(福村出版)

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 1970年代末にフィリピンのミンダナオ島のマラウィを訪ねたとき、広々とした校庭で熱帯の強い日差しをあびて明るく戯れるピンクの制服を着た女子生徒たちがいた。文字通り、眩しかった。いっぽう、2003年に訪れたクアラ・ルンプルでは、深夜繁華街を黒ずくめでそぞろ歩きする若い女性たちになんともいえない違和感を感じた。そして、本書の表紙を飾る4人の女性のムスリムファッションの艶やかさに目を奪われた。たすきには「Finalist World Muslimah 2012」と書かれている。この違いは、時代なのか社会なのか、本書の長い副題「なぜイスラームの女性たちのヴェールはカラフルになったのか」が答えてくれそうだ。

 本書の目的を、著者野中葉は「はじめに」でつぎのようにまとめている。「本書は、インドネシアの女性たちのヴェール化を牽引してきた都市中間層の若い女性たちに焦点を当て、彼女たちがいかにイスラームと向き合い、ヴェール着用に至ったのか、女性たちのヴェール化は、インドネシア社会にいかに受け入れられ(あるいは拒絶され)、その受け止められ方はどのように変化してきたのか、また、女性たちのヴェール化の特徴と、そこから垣間見えるインドネシアのイスラームの特徴とはいかなるものかを論じるものである」。

 本書は、6章と終章からなる。終章のタイトル「クルドゥン、ジルバブ、そしてヒジャーブ」にあるように、また内表紙の次の頁にある3葉の写真にあるように(カラーでないのが残念)、ムスリムファッションを時系列的にその変遷を跡づけたものである。そして、最後にその過程で流行り、「第5章 女性向けイスラーム短編小説の広がり」でとりあげた代表的小説『ガガ兄さんが旅立つ時』を翻訳し、紹介している。

 著者は、終章でまず1980年代以降のインドネシアのムスリマたちのヴェール化現象に、つぎの大きくふたつの潮流があったことを示している。「一つは、1980年代以降、大学ダアワ運動に関わる女性たちが先導してきたジルバブの潮流であり、少なくとも2000年代初頭までは、社会に対する影響力は非常に大きかった。またもう一つは、2000年代に入って以降、ファッション業界の人々が火付け役になり、政府が積極的な支援に乗り出した、新しいヴェールとムスリムファッションの潮流であり、ヒジャーバーズという名のもとに集う若い女性たちが、その中心的担い手となった。ジルバブは、まだヴェール着用者が社会の中で圧倒的な少数だった時代、イスラームを学び実践し、広める活動に参加する中で、ムスリマにとってのヴェールの意味と必要性を知った女性たちによって、先駆的に着用されてきたものである。一方で、ヒジャーブと呼ばれるようになった新しいヴェールは、ファッション性がより重視され、経済成長が実感される社会の中で、より多くの女性たちを巻き込む大きな潮流となっていった」。

 つぎに、現代インドネシア社会におけるイスラームの特徴の一端を、つぎのようにまとめて結論としている。「現代のインドネシアは、政府がイスラームを一元管理したり、少数の宗教権威がイスラームの知を独占したりする状況ではない。特定の解釈に基づく「公定」のイスラームだけが「正しい」とされ、人々はそれに従うことを強要されたり、盲目的に従うだけ、という状況でもない。インドネシアでは、伝統的に、宗教権威は一枚岩でなく、様々な主張が受け入れられる土壌があった。現在も、その伝統は受け継がれ、ヴェールの解釈について見ても、宗教権威の多様性は、ますます広がっているように思える。また、スハルト時代には、イスラームを政府が監視し、政権の意向に沿った形のイスラームの信仰と実践を推奨されてきた。しかし、民主化後のインドネシアでは、政府がイスラームを一元的に管理することは叶わない。むしろ政府は、民間主導のムスリムファッションの発展の経済的な効果に期待し、女性たちが牽引する業界の活動を後押しする役割を担っている」。

 これらの現象を理解するキーワードとして、「商品化」や「保守化」がある。しかし、著者は、つぎのようにそれほど単純ではないと述べている。「ヴェールやムスリム服が「商品化」しているという見方は、女性たちのヴェール化のプロセスの中の一部を言い当てているに過ぎない。また、ヴェールやイスラームに対する女性たちの見方は、非常に多様かつダイナミックであり、「保守化」という言葉では、到底言い表し切ることはできない」。

 たしかにインドネシアのイスラームは、中東のイスラームとは違う印象を受けることがある。ムスリムファッションも、中東はおろか東南アジアを含むほかのイスラーム教徒の多い地域や国で受け入れられるとは限らない。だが、インドネシアにあっても、2012年のレディガガの公演中止や最近の酒販売の自粛など、政府や宗教権威とは無縁のところで、「イスラーム運動」が起こっているように思える。どこかで「社会的悪」と捉えられると、それを否定できない「社会」がある。また、聞き取り調査にもとづく本書で語られるもののなかには、ある特定の新興宗教の信者の発言であるかのようなものもある。どこまで広がりをもつものなのかという疑問は、著者も気づいており、終章の最後で今後の課題としてあげている。

 かつて社会主義圏が市場開放に動いたように、イスラーム圏でもそれが起こるのだろうか。その先鞭をつけるのは、世界でもっとも多くのイスラーム教徒人口を抱える国家であるインドネシアなのか。このイスラームの「商品化」にたいして、日本人など非イスラーム教徒はどのように向き合うのか。経済統合したアセアンは、その人口の約半数がイスラーム教徒である。本書のような見方からのインドネシア社会、イスラーム社会の考察がますます重要になってきている。

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