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2016年01月26日

『越境者の政治史-アジア太平洋における日本人の移民と植民』塩出浩之(名古屋大学出版会)

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 本書帯に、「北海道・樺太へ」「ハワイ・満洲・南北アメリカへ」とある。「へ」ということは、人を扱うならば出移民で、日本からみるならば日本人の出移民ということになる。前者の「北海道・樺太」は同じ地域と考えていいだろうが、後者の「ハワイ・満洲・南北アメリカ」はアジア太平洋地域として一括りするにはやや違和感がある。どうもそのあたりに、本書の特色がありそうだ。そして、このふたつの地名群のあいだに、つぎのような本書のキャッチコピーがある。「大量に送り出された日本人移民たちの政治統合は、日本およびアジア太平洋地域の秩序にどのようなインパクトをもたらしたのか。移民史・政治史の盲点を克服し、一貫した視点で新たな全体像を描き出す」。

 本書の目的は、「序章 近代アジア太平洋地域における日本人の移民と植民」「一 本書の目的」に、つぎのように明確に書かれている。「近代における日本人の移民と植民が、日本という国家、およびアジア太平洋地域の政治秩序といかなる関係を持ったかを問うことにある。近代の日本を「国民国家」と規定するにせよ「植民地帝国」と規定するにせよ、主権国家の支配領域に区切られた政治史とは異なり、本書は民族集団としての「日本人」を分析の中心に据えた政治史の試みである」。

 帯にある「移民史・政治史の盲点」とはなにか。著者、塩出浩之は、つぎのようにこれまでの研究を要約している。「戦後の長い間、日本からの「移民」に関する歴史研究と、日本の「植民地支配」に関する歴史研究とは別々に行われてきた。前者は国家間の外交上の争点か、受入国への国民統合の問題として理解され、後者は異民族支配の問題として理解されてきたのである」。「移民と植民という領域における戦前以来の研究が確立してきたのは、一九四五年まで日本が支配した地域への日本人の移住と、それ以外の地域への日本人への移住とを、ヒトの移動という共通の枠組みによって捉える視点だといえよう。しかしこのような日本人の移動が日本という国家、そしてアジア太平洋地域の政治秩序といかなる関係にあったかという問題は、十分な形では検討されてこなかった。特に必要なのは、明治維新以後の国民統合のさなかにあった日本人が新たな領域へ移住したことが、政治秩序にいかなる影響を与えたかを、全体として共通の枠組みで捉えることである」。

 このような「盲点」を理解したうえで、著者は、「近代日本の移民・植民がもたらした政治秩序の変動を考慮すべく政治史的分析」をおこなう、つぎの3つの留意点を挙げている。「第一に考慮すべきことは、移住先の地域がどのような政治権力の下に置かれ、移民がどのような政治的境遇に置かれたかという問題である」。「第二に、前述したように社会集団の新たな領域への移動が社会にもたらす変化を考える上で重要なのは、まずその集団がどれほどの規模で移住し、人口構成にいかなる変化を与えたかであり、次にどのような立場で移住したか、つまり官僚・軍人や資本家として移住したのか、農家や労働者、中小商工業者として移住したのかである」。「第三に挙げるべきことは、第一の環境・条件と密接に関わるが、アジア太平洋地域における日本および諸国家の国境・支配領域が近代を通じてたびたび変動してきたことである」。

 本書は、序章、3部全8章2補論、終章からなる。3章からなる「第Ⅰ部 主権国家・世界市場と移民・植民」では、「日本が一方では主権国家として国境画定を行い、他方では世界市場への接続とともに日本内外への活発なヒトの移動に直面した、一九世紀後半から二〇世紀初頭の移民・植民について考察する」。3章と1補論からなる「第Ⅱ部 帝国・国際秩序と移民・植民」では、「日本が東アジアで支配地域を拡大する中で、アジア太平洋地域におけるヒトの移動が重層化・多様化し、また帝国の世界支配という現実と民族自決・国民国家の理念とが拮抗する中で国際秩序が変容した二〇世紀前半の移民・植民について分析する」。2章と2補論からなる「第Ⅲ部 国民国家規範と移民・植民」では、「第二次世界大戦の経験を経て、国際社会で国民国家規範が体制化する過程における移民・植民の大変動を考察する」。

 そして、最後の「終章 移民・植民と「民族」の政治」では、「本書の分析を総括し、民族間政治という観点から、近代のアジア太平洋地域で日本人の移民・植民が政治秩序にもたらした影響を考察する」。その終章で、著者は「「越境者」たちの政治史から明らかになった」ことを、つぎのようにまとめている。「従来の政治史研究が視野の外に置いてきた「民族」が、主権国家と密接に関わりながらも、主権国家が規定する国籍や市民権の枠組みに完全には回収し得ない政治主体として、近代の日本およびアジア太平洋地域の政治秩序に一貫して影響を与え続けてきたことである」。「戦後の政治史研究の多くは規範的単位としての国民国家を過去に投影する結果、「植民地」や「移民」をその逸脱部分として処理してきた。また植民地研究や移民研究の側でも、国民国家規範の観点からそれぞれ「異民族支配」や「受入国での排除と統合」を捉えようとする傾向が強かった。しかしヒトの移動と政治秩序をめぐる本書の考察を踏まえれば、近代を通じて、国民国家が規範的単位を超える実在となったことは実際にはなかったとみるべきであろう。実在してきたのは、支配領域をたびたび変えてきた主権国家と、空間的境界を持たずに移動し変容する不定型な民族とであった」。

 本書によって、これまでの「盲点」が克服され、政治史として日本の出移民の実態が、広い視野のもとで理解できるようになった。もちろんすべての国・地域をカバーしたわけではないし、社会史としての視点、とくに政治的影響の弱い移住先の社会の一員としての日本人の存在は、考察の対象になっていない。海外在住日本人の全体像は、「表序-1 1940年時点における日本人居住人口分布」でわかるが、約3万といわれた「米領フィリピン」の人数が7,133になっている。3万のうち2万がダバオでおもにマニラ麻産業に従事し、日米戦の激戦地となったことを考えると、政治史的にも考察の対象として組み込む余地があったのではないだろうか。

 ともあれ本書は、「アジア太平洋地域の秩序」とはなにかを、「日本人の移民と植民」から考える基本書となるだろう。

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2016年01月19日

『越境するアイデンティティ-黒タイの移住の記憶をめぐって』岡田雅志(風響社)

越境するアイデンティティ-黒タイの移住の記憶をめぐって →紀伊國屋ウェブストアで購入

 近代国民国家の成立とともに、歴史は国民国家単位で語られるようになった。では、近代国民国家を形成しなかった民族の歴史は、近代国民国家のなかでどのように語られたのか(あるいは語られなかったのか)、そしてこれからどのように語られるのか、「民族のアイデンティティ」にとってきわめて重要な問題である。

 本書の目的は、「黒タイの拡散(ディアスポラ)の歴史と国境を越えたアイデンティティ(集団への帰属意識)の様相を紹介することである」。本書は、3節からなる。著者、岡田雅志は、「まず第一節[黒タイの移住史-リージョナルな移動からグローバルな拡散へ]において、現在のように世界中に黒タイのコミュニティが形成されるようになった移住の歴史をあとづける。続く第二節[仏教の国の黒タイ-タイソンダムのアイデンティティ]で、強制移住によりタイ王国に連行された黒タイの子孫とされているタイソンダム集団をとりあげ、彼らが黒タイの子孫としてのアイデンティティを形成する過程について、タイ王国の政策及びメディアの変化と関連づけながら考察する。最後の第三節[つながり合う黒タイ・コミュニティとアイデンティティのせめぎ合い]においては、グローバル化の進む一九九〇年代から現在までのタイソンダムと各地の黒タイ・コミュニティとの関係をひもとき、それにより越境するアイデンティティの諸相にせまってゆきたい」という。

 「これまで、ベトナム西北地方という一地域の歴史を深く掘り下げることに拘わってきた」著者にとって、本書は「不可欠なサイドストーリーといえるものである」。なぜなら、「現在少数民族と呼ばれている人々の歴史を研究する研究者として避けては通れない」のが、アイデンティティの問題だからである。では、なぜ外国人研究者である著者が、人口100万人にも満たないディアスポラな民族のアイデンティティを追求しなければならないのか。民族運動を起こして独立や自治を求めるわけでもないし、独自の文化を強調し誇示したいわけでもなさそうな民族のアイデンティティを問わなければならないのか。インターネットの発明とSNSという新たなメディアを使って、拡散した黒タイとしてのアイデンティティが再編されることによって、この先になにが見えるのか。著者は、つぎのように答えている。「政治領域と直接結びつかない形での語らいの在り方は、歴史認識が常に政治課題となる東アジアの現状にも示唆を与えてくれるものなのかもしれない。サイバー・スペースという新しい場を得て、今後、彼らの過去はどのように語り直され、黒タイとしてのアイデンティティが再編されてゆくのか興味深いところである」。

 国民国家の一員としてのアイデンティティを強く求められた近代とは違い、自分自身でアイデンティティを模索する時代になった。そのアイデンティティを求める旅が、インターネット上でできるようになった。その旅には、SNSを通じて語り合う「同行者」がいる。そこにフランス植民地政府やベトナム共産主義といった「異物」が混入すると、旅は中断を余儀なくされてしまう。黒タイで結びついたアイデンティティは、移ろいやすく、なにかのきっかけで雲散霧消する実体のないものかもしれない。だが、それを模索する共通の社会状況が、離散した黒タイの人びとの現在の生活にあるのだろう。その意味をディアスポラな民族から問うことで、ポスト国民国家時代の国民のあり方を考えることができるのかもしれない。

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2016年01月12日

『文書史料が語る近世末期タイ-ラタナコーシン朝前期の行政文書と政治』川口洋史(風響社)

文書史料が語る近世末期タイ-ラタナコーシン朝前期の行政文書と政治 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 ある革新的なことがおこると、そのことを強調するあまり、あるいは戦略的に、それまでを「停滞」と捉えることがある。明治維新もフランス革命も、それまでの時代を「旧体制」として否定したり、過小評価したりする傾向がある。本書で取り扱うタイでは、ラーマ五世王チュラーロンコーン(在位1868-1910年)が近代化を推し進めた結果、欧米の植民支配を免れることができたと評価され、それ以前を「停滞」「衰退」と捉えられてきた。

 著者、川口洋史は、「このような歴史像は五世王などの改革当事者たちが描いたところが少なくない」とし、現在おもにタイ国立図書館に保管されている一世王時代から四世王時代(1782-1868年)までの約9000点の行政文書から、定説に疑義を唱えている。著者は、これらの行政文書から、つぎのようなことが明らかになるのではないかと期待している。「文書はその本文だけではなく、その書式や、誰が起草し、誰が決裁したのかといったことから、さまざまなことがわかる。本書はこれらの行政文書を史料として用いながら、ラタナコーシン朝前期の政治行政のあり方やその担い手たちを見て行きたい。果たして王朝前期の歴史は制度の衰退や権臣の専横として理解しておけばよいのだろうか。それとも、近年の東南アジア近世史研究が主張するように[略]、ビルマ、シャム、ベトナムの一八世紀半ばから一九世紀前半とは、国家機構が充実し、それぞれの近現代への枠組みがつくられていく時代なのだろうか」。

 これらの文書から、近世外交が見えてくる。清の論理では、シャムは朝貢国のひとつで、新王から使節が送られてくれば「暹羅(せんら)国王」に封じた。だが、「ラタナコーシン朝の論理では、両国の君主は対等であった」。国書は、清側では「臣下が皇帝に奉る上奏文へと「翻訳」され」、ラタナコーシン朝側では「まず華人の通訳が原文に比較的忠実にタイ語に訳したのち、高官立ち会いのもと、王に仕える祐筆(ゆうひつ)(略)たちがその訳をもとにしつつも、シャムの国書の書式と語調をあわせて再度「翻訳」した」。このことは、朝鮮王朝と徳川幕府とのあいだでも、対馬藩を通じておこなわれた(日光にある家光廟大猷院には、315基の灯籠がある。本殿にもっとも近い場所に御三家のものがあり、朝鮮国王からおくられたものは加賀百万石前田家の隣にある。朝鮮にとって日本とは国同士の対等な関係であっても、徳川幕府にとって違った意味づけがされていた)。また、欧米との条約を、当初シャム政府はあまり守らなかった。近世の外交は、あくまでも対内的なものであったのである。

 著者は、ラタナコーシン朝前期をつぎのようにまとめている。「王朝前期、有力な功臣の子孫のほか、三世王時代から民部省の実務官僚が大臣に就任するようになった。シースリヤウォンはその双方の系統を兼ね備えていた。彼は、もっとも力のある功臣の一族ブンナーク家の出であっただけでなく、民部省の実務をも担当した唯一の人物である。だからこそ、四世王末期に、彼は父以上の権勢を得て、五世王が即位するや、その摂政に就任しえたのである」。

 民部省実務官僚が重要になっていく背景について、つぎのように「おわりに」のはじめで説明されている。「ラタナコーシン朝は建国当初、武功を挙げた建国の功臣が政権を構成し、その政府は対外交易を重要な経済基盤としていた。しかし一八二〇年代から、国内への課税が強化されるとともに、支配圏を拡大していった。それにともなって行政文書が増加した。それら行政文書の書式や処理はパターン化しており、特に混乱は見られず、むしろ精緻化したところも見られた」。「同時に、事務量の増加によって、実務官僚が重要になっていった。特に民部省の管轄域は財政的にも軍事的にも重要であったため、この部局で文書処理を担当する役職が出世コースのひとつになっていく。三世王時代から、有力な建国功臣の子孫だけでなく、民部省の官僚が大臣に昇進するようになった。そのような実務官僚の識見にも軽視しえないものがあった」。

 日本では、「近世」「近代」で時代区分する。だが、英語では近世はearly modernで初期近代である。近世は、前近代的側面に焦点をあてるか、近代的側面に焦点をあてるかで、ずいぶん評価が違ってくる。前者を強調すれば断絶と捉えることができ、後者を強調すれば連続と捉えることができる。その作為的なものを排除するためには、残された文書をひとつひとつ丁寧にみていくしかない。本書は、それを実行した成果である。

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