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2015年12月22日

『「聖戦」の残像-知とメディアの歴史社会学』福間良明(人文書院)

「聖戦」の残像-知とメディアの歴史社会学 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本の全体像をつかむために、わたしは、まず「序論」と「結論」を読む。そこには、著者の目的と本書全体を通しての著者自身の「総括」が、普通書かれているからである。だが、本書には、それらがみあたらない。「プロローグ」にも「エピローグ」にも、「本書」ということばがない。本書は、3部、全11章からなるが、各部「第Ⅰ部 ポピュラー文化のなかの戦争」「第Ⅱ部 焦土の思想とメディア」「第Ⅲ部 知・宣伝・ナショナリティ」の説明は一切なく、各章の多くにも「はじめに」と「おわりに」にあたるものがない。「著者一〇年間の主要論考一〇〇〇枚をここに集成」した本書は、読者にとって、読む前にも後にも、どう頭のなかを整理していいかわからない本である。本書の全体像は、帯にある「戦後七〇年、戦争を描き続ける営みの変容」ということになるのだろう。

 「プロローグ」や「エピローグ」に、本書全体の目的や「総括」がないなら、通常最初の一般読者になる出版社の編集者による本書の「まとめ」である帯をみることにしよう。帯の表には大きな文字と小さな文字がある。大きな文字には、「感涙の彼方にかすむ、戦争のリアル」「戦時と戦後は“あの戦争”に何を読み込んだのか」とある。小さな文字には、つぎのように書かれている。「『はだしのゲン』はいかにして戦争マンガの正典となったのか。『男たちの大/YAMATO』になぜ、感動が見出されるのか。広島や沖縄の「戦後」とは何だったのか。戦争表象から戦時・戦後の博覧会、民族学や日本主義の変容まで、近代日本における戦争・知・メディアの編成と力学を多様なテーマで描き出す、歴史社会学の濃密なエッセンス。著者一〇年間の主要論考一〇〇〇枚をここに集成」。

 帯の裏には、つぎのように書かれている。「マス・メディアでの言説であれ、体験者の思想や情念であれ、その戦後史を時系列的に精緻に整理し、複数の地域(戦争体験)の状況を比較対照する作業は、ある意味でようやく始まったばかりである。それらをふまえつつ、自らが指弾されない後世の価値規範に依拠せずに、いかにその時代の限界や可能性に内在的に向き合うことができるのか。「戦争の語り」の歴史社会学は、これらの検証を通して、「戦争」を語る現代のわれわれの足場の問い直しを促すものである」。

 個々の章では、優れた論考があり、たとえば、「第6章 日流同祖論の変容と沖縄アイデンティティ-「同祖」のなかの「抵抗」」や「第10章 英語学の日本主義-松田福松の戦前と戦後」などでは、本書の主題である「「聖戦」の残像」を忘れさせるような深い考察がおこなわれている。だからこそ、本書全体が見えなくなってしまう。1冊の本としてまとめるとき、ある部分は泣く泣く削除するか、削除しないならば「序論」でその位置づけを明確にする必要がある。読者の読みに任せることによって、著者の意図を超えた本になることもある。だが、多くの読者にそれを期待することには無理がある。著者なりの「総括」を示したほうが、理解しやすいだろう。

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