« 『「聖戦」の残像-知とメディアの歴史社会学』福間良明(人文書院) | メイン | 『文書史料が語る近世末期タイ-ラタナコーシン朝前期の行政文書と政治』川口洋史(風響社) »

2015年12月31日

『ASEANを知るための50章』黒柳米司・金子芳樹・吉野文雄編著(明石書店)

ASEANを知るための50章 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 今日(2015年12月31日)、ASEAN(東南アジア諸国連合 Association of Southeast Asian Nations)経済共同体(AEC, ASEAN Economic Community)が発足した。人口約6億で全世界の8%余、GDP3%弱、貿易総額7%弱、国防費2%余の地域協力機構が成立した。本書は「ASEANの生成と発展、成果と限界、評価と展望を理解する上で有益な引証基準を提供しうるものとなることを切に期待」して、出版された。全7部、50章からなり、7部のそれぞれのタイトルは、つぎのとおりである:「ASEAN生成発展の歴史」「ASEANの制度と機構」「ASEAN連帯強化と平和維持」「経済協力と地域統合」「広域地域秩序の構築」「ASEANの対外関係」「ASEANの展望と評価」。

 「混乱と紛争、貧困と後進性によって特徴づけられてきた東南アジア-より正確には海洋東南アジア-に平和と安定、そして成長と発展をもたらす契機を提供した」ASEANが、1967年に成立してから半世紀がたとうとしている。その評価は、両極端であることを、「まえがき」で、つぎのように説明している。「EU[欧州連合 European Union]とならぶ有力な地域協力機構として、今後の東南アジア、さらにはアジア太平洋地域の平和・安定・発展にきわめて重要な役割を担うとみなす見方(いわゆる「構成主義者」の論調)がある一方、地域的秩序の構築や安全保障・平和をめぐる問題が、パワーの産物である以上、ASEANの役割は結局副次的なものに過ぎないとする見解(いわゆる「現実主義者」の論調)という両極端の評価が錯綜している」。

 これにたいして、最終章「50 ASEANの評価と展望-深化と拡大の二重課題」では、「ASEANが東アジアあるいはアジア太平洋において、その国力の総和を上回る「中心性という役割」を果たしうるか否かは」、つぎの二つの前提条件を満たすかどうかにかかっていると述べている。「第一に、ASEANが「深化と拡大」の両極面において前進を遂げることができるか否かである。前者は、ASEANが「共同体」の構築を含む地域協力をさらなる高みに登ることができるか否かであり、後者は、域外大国(とりわけ米中両国)がASEANの中心性を容認し期待するか否かである」。「ASEANにとって重要なことは、一方で力によらない地域秩序の構築のために推進源となる努力を継続するとともに、他方では「ASEANの中心性」の軌道修正を試みる」ことである。「というのは、ASEAN域外の大国を巻き込みながら、広域アジアの対話において、ASEANが会議の場・議題設定・議事プロセスのすべてを独占することに固執することは、かえって非ASEAN諸国の疎外感を触発しかねないからである」。

 本書は、政治、経済を中心に語られている。もうひとつの柱であるはずの社会・文化は、「49 社会文化共同体-人々中心の共同体へのアプローチ」で述べられているにすぎない。ASEAN政治安全保障共同体(APSC, ASEAN Political Security Community)、ASEAN経済共同体とならぶASEAN社会文化共同体(ASCC, ASEAN Socio-Cultural Community)の課題はすくなくない。まず、「適切な知識と技術や経験を備えた人材および資金」が不足している。本書で社会・文化が充分に取りあげられないのは、日本人研究者の関心が薄いだけでなく、東南アジア側の研究者も少ないからである。経済共同体や政治安全保障共同体の成否にも、社会・文化の理解が重要であることはいうまでもなく、第49章はつぎのことばで締めくくられている。「経済共同体の構築に向けて市場の融合が進むなかで、ASEANが「単一の構想、単一のアイデンティティ、単一の共同体」を目指すためには、ASEAN加盟国社会の人々のつながり(connectivity)を強化することが不可欠である。そのためにASEAN諸国の人々を焦点にした地域的構想を提示し、その実現に向けた企画を立案し、その実施を監視することがASCCの重要な役割である」。

 つまり、ASEANの理解には、政治学や経済学など近代のディシプリンだけでなく、社会と文化をも含めた地域の総合的理解のための地域研究が必要であるということである。そのためには、机上の学問だけでなく、地域に密着したフィールドワークが重要になる。だが、この50年間に東南アジアでは、2大古代遺跡のあるインドネシア(スカルノからスハルトへの政権移譲の契機となった1965年の9・30事件後)とカンボジア(1973年から4年間のポル・ポト派クメール・ルージュによる)で大量虐殺がおこっている。そのような過去をふまえてのフィールドワークは、それほど簡単ではない。ところによっては、加害者と被害者の家族が同じ村に暮らしている場合さえある。過去の話をもちだすことで、「棚上げ」にしたはずの問題が再燃し、微妙なバランスで維持されてきた秩序を壊すかもしれない。共同体とは互いに理解しあうことが前提だが、そのなかには触れることに注意を払わなければならない過去があることを、忘れてはならないだろう。


 本年も、1年間、ありがとうございました。引き続き、来年もよろしくお願いいたします。

→紀伊國屋ウェブストアで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/5827