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2015年11月03日

『職業は売春婦』メリッサ・ジラ・グラント著、桃井緑美子訳(青土社)

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 帯に、ふたりの推薦者のことばがある。『セックスメディア30年史-欲望の革命児たち』(ちくま新書、2011年)などの著書のある評論家、荻上チキは、つぎのように世間一般の「常識」を問うている。「他の仕事が認められて、なぜ売春する権利が認められないの? 欲しいのは、憐れみではなく自由-。本書の問いかけが、あなたの「道徳観」を塗り替えるだろう」。

 もうひとり、アダルト雑誌の編集の経験をいかした『女子をこじらせて』(ポット出版、2011年)などの著書のあるフリーライター、雨宮まやは、つぎのように問題は売春婦をみる社会にあるとしている。「時には正義や善意が売春の邪魔をする。「誇りを持ってやってる」か、「やむを得ずやる被害者」か、そんな無茶な二者択一を売春婦に押し付けているのは、私たちの社会のどんな欲望なのか? この本はそれを指し示してくれる」。

 さて、著者については、「訳者あとがき」冒頭で、つぎのように紹介されている。「著者のメリッサ・ジラ・グラントはライターおよびフリーランスのジャーナリストとして、ネーション、ワイアード、アトランティック、ガーディアン、リーズンといった雑誌や新聞にセックス、政治、テクノロジーに関する記事を執筆している。元セックスワーカーであることを明らかにしており、本書ではエスコートとして働いていたことがあると述べている。本人のホームページによれば、ストリップダンサーの組合であるエキゾチックダンサーズ・ユニオンのメンバーであり、アメリカで唯一のセックスワーカーのための診療所であるセント・ジェイムズ病院のスタッフであること、また若い女性とトランスジェンダーを支援するニューヨークのサードウェーブ・ファウンデーションでジェンダー公正のために活動していることが誇りだという」。

 売春を違法としている国は多い。違法だから、法律を犯す者には人権などないかのように、なにをしてもいいという風潮がある。違法でなければ、売春婦の扱いも変わってくると考えても不思議ではない。だが、著者は、「なぜ売春が違法とさだめたのか」と問うのはもうやめ、つぎのように述べている。「私たちは『売春婦』への暴力をどこまで容認しているのか」という問いへの説明を求めたい。警察とのいざこざ、たすけを求めても無視する警察、警察による虐待-これらすべてが、おとり捜査とそのビデオが正義(と私たちが理解すべきもの)を徹底的に追求するための手段とみなされる土壌をつくっている。そしてこの場合、正義の追求とはある種の懲罰、すなわち容認されうる暴力しか意味していないのだ」。

 著者が、売春を合法化することによって、解決を図ろうとする提案にたいして「ピントはずれだ」としているのは、つぎの3つの理由からである。まず、「セックスワークを合法にしよう。それならセックスワーカーに課税できる」という提案にたいして、著者は、「セックスワーカーが所得税と消費税を払っていることを忘れている」と答えている。

 つぎに、「セックスワークを合法にしよう。それならセックスワーカーを検査できる」という提案にたいして、著者はつぎのように答えている。「収入にかかわることなので、セックスワーカーが健康の維持に気を配っているのを忘れてもらっては困る。セックスワーカーの性感染症とHIVの感染率は、何人の相手とセックスするかではなく、安全なセックス(それ自体が犯罪化によって規制されている)ができるように管理することで決まるのである。また、世界の保健衛生機関は、HIV検査を強制すると人は医療機関に行かなくなり、かえってリスクが高まると考えている。さらに国連合同エイズ計画と国際労働機関の基準は、いかなる職業に従事する人にもHIV検査を強制するのは人権侵害にあたるとさだめている」。

 3つ目の提案、「セックスワークを合法にしよう。それならセックスワーカーを登録制にできる」にたいしては、つぎのように答えている。「セックスワーカーもほかの職業と同じ手続きを受け入れてあたりまえと思われているのかもしれないが、私たちはまだセックスワークがほかの職業と同じように立派に認められているとは思わない。登録制は、セックスワーカーからすれば名前を変えた取り締まりでしかない。登録を拒否するセックスワーカーは、新しい地下経済組織をつくるだろう」。

 これらの提案にかえて、著者は「一つだけ提案がある」という。それは、「ずっと待たされていることだ。セックスワークを犯罪とするのをやめよう。そうすればセックスワーカーは自分のために、またおたがいのためにもっといろいろなことができる。なぜそれを待たなければならないのだろう?」。つづけて、つぎのように述べて、本書を閉じている。「こうした意識が変わるのを、淫売の汚名が拭われるのを、別の道も用意されるのを、なぜ待たなければならないのか。法律を改正するのでもいいし、ほかの方法でも、あるいは思いもつかなかった新しいやり方でもいいから、セックスワーカーが社会からの追放者である状況を終わらせられないだろうか。私たちが主導しなくても、セックスワーカーの幻想-想像の売春婦-にとりつかれた人々が考えをあらためてセックスワークを仕事として認め、セックスワーカーが自分の人生の完全な主体であることを受け入れてくれるのを待っていなくではならない理由がどこにあるだろう? 待っていても変わらない。要求し、知恵を働かせることで変わるのは私たちだ」。

 セックスワーカーが理解を得るために話をしないのは、違法性にあることを著者はつぎのように説明している。「ニューヨークではコンドームを売春の証拠として採用するのはごくあたりまえで、逮捕時に警官が記入する宣誓証書には容疑者のセックスワーカーから押収したコンドームの数を書き入れる欄が設けられている。これは法の執行から起こる悲劇だ。女性に対する暴力と闘う手段として警察による監視を用いるはずの制度が、もっと弱い立場の女性への暴力を生んでいる。セックスワーカーは逮捕を免れるために、アウトリーチワーカー(援助が必要でありながら、社会的孤立などのために自発的に援助を求めない人に対して支援や情報提供する者)や仲間がくれるコンドームを受けとろうとしない」。「セックスワーカーが仲間同士でさえ経験を話そうとしないのは、自分を恥じているからではなく、このようなリスクがあるからなのである」。

 著者が「セックスワークを犯罪とするのをやめよう」というのも、「犯罪」とみなされるかぎり、セックスワーカーは事実を話さないし、現実の問題がなになのかわからないからである。第一歩を踏み出すことがいかに難しいかが、本書からわかり、それは「犯罪」とみなす方の側の問題であることがわかる。

 時代や社会によって、犯罪とみなすかどうかはずいぶん違う。犯罪とみなすことによって問題が解決することもあれば、逆に問題を複雑にすることもある。犯罪として根絶することができるものはいいが、売春のように難しいものは歪んだ結果になる。ここで、最初に挙げたふたつの推薦文に戻って考えると、その歪みが理解できるだろう。

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