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2015年09月15日

『「歴史認識」とは何か-対立の構図を超えて』大沼保昭著、聞き手江川紹子(中公新書)

「歴史認識」とは何か-対立の構図を超えて →紀伊國屋ウェブストアで購入

 たまに電話取材が入る。自信がないので、参考文献をあげて、それを「読んでからあらためてお電話ください」と言う。たいていは、あらためて電話はかかってこない。かかってきたときは、丁寧に対応することにしている。自信がないのは、正確に覚えているのか、正確に伝えることができるのか、突然取材されて要領よく答えられないからだ。また、こちらは正確に言ったのに、とんでもない勘違いをされることがある。参考文献を読んでからだと、その勘違いも減るし、やりとりの内容も深まる。そもそも、電話をかけてきた記者の知識のなさにあきれ、これを大学の研究者に答えさせるのかというものもある。先日も大手Y新聞社の支局の記者が、「日本がフィリピンを占領したのは、いつですか」と訊いてきた。「そういう基本的なことは、自分で調べてください」と言ったら、「急いでいるので教えてください」と返ってきた。ちょうど学校の夏休み期間中だったので、お子さま電話相談室と勘違いしたのだろうか。

 わたしの自信のなさは、本書の著者、大沼保昭も同じだということが、「語り手のあとがき」の冒頭で、つぎのように述べられていた。「「歴史認識」にかかわるもろもろの問い。江川さんから次々に繰り出されるが、聞き方がうまいせいか、そのときは何とか答えたつもりでいる。でも、あとから江川さんがまとめてくれた原稿を読んでみると、疑問が次々と湧いてくる。結局、最初の答えは、よく調べてみると、まちがい、不正確、拙(つたな)い表現、といった問題だらけで、自分で読んでいて落ち込んでしまう」。かつて、この点で素晴らしいと思ったことがある。故鶴見良行さんのテープ起こしは、そのまま原稿になっていた。鶴見さんの偉大さが、そのときよくわかった。

 本書の要約は、表紙の見返しと帯の裏にある。帯には「被害者と加害者、自虐と独善の対立を超えるには」の大きな文字の後、つぎのようにつづいている。「日中・日韓関係を極端に悪化させる歴史認識問題。なぜ過去をめぐる認識に違いが生じるのか、一致させることはできないのか。本書では、韓国併合、満洲事変から、東京裁判、日韓基本条約と日中国交正常化、慰安婦問題に至るまで、歴史的事実が歴史認識問題に転化する経緯、背景を具体的に検証。あわせて、英仏など欧米諸国が果たしていない植民地支配責任を提起し、日本の取り組みが先駆となることを指摘する」。  本書のねらいを、著者は「はじめに」でつぎのように述べている。「本書でわたしが成し遂げたいことは、すぐれたジャーナリストである江川紹子さんに聞き手の役を演じてもらうことによって、読者の方々に「歴史認識」にかかわる「見取り図」を示すことである。そして、本書の読者が、それまで自分がもっていた見取り図をすこしでも考え直し、自分と対立する考えをもつ人たちと見取り図を突きあわせるのを助けることである」。

 本書は、テーマごとの5章からなる。「取り上げるテーマは、東京裁判(第1章)、講和と国交正常化(第2章)、戦争責任・戦後責任(第3章)、「慰安婦」問題(第4章)、「歴史認識」問題の歴史と国際比較(第5章)である」。聞き手である江川さんのお勧めは「第5章から」で、著者は「どこから読んでいただいてもかまわない」である。

 本書は、著者の「フェアでありたい」思いから、「本書で扱った問題について、研究者、あるいは実務の面で取り組んできた多様な方々に、原稿を読んでいただき、誤りを指摘し、批判的見解を聞かせてくださるよう、お願いした」。その結果、「すぐれた日本の研究者の方々、中国、韓国の歴史学者と国際法学者、外務省で「歴史認識」にかかわる具体的問題に携わってきた方々、雑誌の編集者などからご意見をいただくことができた」。それだけに、著者には自信があり、「本書ができれば中国と韓国で訳されてほしいし、英訳版も出てほしいと願っている」といえるほど、よくできたテキストになっている。もはや「歴史認識」問題は、日本の国内問題でもなければ、日中韓だけの問題でもない。広く議論するために、日本語だけではだめになっている。日本の大学でも、英語で教えているクラスが珍しくなくなっている。だが、実際にこの問題を、留学生の多い英語のクラスで議論するには、英語の参考文献が少なすぎる。

 もうひとつ、問題がある。日本の大学で英語で授業する場合、東南アジアからの留学生が多くなってきている。かつてのように東南アジアからの留学生は、日本語を学んでいない。著者が原稿を読んでもらった研究者のなかに、東南アジアを専門とする者はいないし、参考文献にも東南アジアにかんするものはない。本文で、東南アジアにかんするものがすこしあげられているが、東南アジアからの留学生から見れば、本書は東南アジアを軽視していると感じてしまう。欧米の植民地化を問うためにも、欧米の植民地化と日本の占領の両方を体験した東南アジアの声は重要である。対日観で、中国・韓国の延長で東南アジアをとらえていいのかどうか、考える必要がありそうだ。

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