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2015年09月29日

『世界を動かす海賊』竹田いさみ(ちくま新書)

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 映画のタイトルにもなるように、「海賊」ということばからロマンと冒険をイメージする人がいるかもしれない。だが、その被害に遭うと考えると、そのようなイメージは吹き飛んでしまう。海賊の被害は国益に影響し、わたしたちの生活にも響いてくる。一刻も早く「退治」しなければならないと考えるのが当然であり、本書もそのような趣旨で書かれている。それだけでいいのだろうか? 本書を読んで、考えてみたい。

 本書の要約は、表紙見返しにつぎのように書かれている。「海賊事件は遠いアフリカだけの出来事ではない。アフリカ大陸はいま資源開発で活況を呈している。資源のほとんどすべてを海外に頼る日本にとって死活問題である。海賊の出没ポイントはソマリアに限らず、重要な航路や地政学でいうチョークポイントに集中する。公海だけでなく国境をまたぐ彼らの取り締まりは一国では対処できないため、国際連携が進められている。海賊問題は、資源開発や援助、国際犯罪の取り締まりと複雑に絡み合って進行している。海賊を考えることは、日本の国益を考えることに直結するのだ」。

 本書の目的と構成は、「序章 海は日本の生命線」で、つぎのように書かれている。「本書は、わが国が依って立つ「海」の平安と繁栄を阻む、現代の「海賊」という脅威について解き明かそうとするものである。海賊問題を重層的かつ多角的に検証しながら、総括し、未来への展望を提示する」。「本書の構成は以下のとおりである」。「第一章では、世界の「海」が抱える「危険」について分析と検討を試みる」。「第二章では、海賊事件の実態を詳述し、海賊の正体をあぶりだす」。「第三章では、世界各国、および日本が取り組む海賊対策を概観し、海賊退治のための処方箋を提供していく。最後に、アフリカにおける天然ガス採掘をめぐり、海賊対策への各国のアプローチが新たな局面を迎えたことに言及したい」。

 そして、その提言とは、「具体的には水産業、流通業、天然ガス開発の三分野における起業が考えられる」、としている。第1の提言は、「ソマリア沖は世界的にみてもマグロの有数な好漁場であり、ソマリア本土をマグロ漁の水産基地にすることで、ソマリア海賊を漁師に、そして水産業者へと変身させることが可能となる」。「ソマリア海賊は遠洋航海のノウハウも持っており、マグロ水産業の振興は荒唐無稽のお伽噺(とぎはなし)ではない。ソマリア海賊の犯行の手口にみる特色は、ソマリア沖のアデン湾、紅海、さらに広大なインド洋西部、さらにアラビア海まで広域で海賊行為を働いていることである。こうした遠洋航海のノウハウを、海賊行為に使うのではなく、水産業で発揮できる雇用の機会を創出することこそが、ソマリア海賊を根絶するための有力な手段になるのではないかと考える」。

 第2の提言は、「ソマリアをアフリカ北東部における流通基地として整備し、密輸に加担してきたソマリア人に流通という就業機会を提供することである」。「ソマリアは破綻国家のため、中央政府、警察などの治安機関、軍隊、税関なども存在せず、通関という概念がない。ソマリア人からみれば、単なる商品の国際的な移動に過ぎず、「密輸」ではないということになる。ソマリア人が介在して、パキスタン周辺国から小型兵器や薬物を、アラビア半島や東アフリカ諸国などの第三国に許可なく持ち込めば、それはやはり「密輸」が成立していることになる」。「ソマリアの海賊ビジネスを消滅させていく上で、密輸に加担したソマリア人が多数存在することを踏まえ、彼らを合法的なビジネスに活用して雇用機会を創出する工夫も必要ではないだろうか」。

 第3の提言は、「ソマリア沖の海底に眠るとされる豊富な天然ガスを開発することで、海賊問題を解決する糸口が見えてくる」。「東アフリカ諸国の沖合で、海底から相次いで天然ガスが発見されたことにより、国際社会がソマリア海賊問題へ取り組む姿勢にも変化が見られるようになった。当初は洋上における海賊の軍事的な制圧に力点が置かれていたが、二〇一一年前後から、ソマリア本土における治安の回復、イスラム過激派アル・シャバブの掃討作戦、暫定政府から中央政府への移行、人道支援としての経済インフラの整備などが、俄に大きな課題となった。英国を中心としたヨーロッパ諸国、ケニアやエチオピアを軸としたアフリカ諸国、国連の専門機関がソマリア本土に関心を寄せ始め、何かが「動き」始めた」。

 そして、つぎのことばで、本書を終えている。「今後はソマリア海賊対策を構想する際に、資源関連などで進出する関係国の動向を注視し、こうした関係国の政策的な意図を冷静に判断しつつ、ソマリア海賊対策を構想する必要がある」。

 なるほど、国益を考えた提言として、納得できる。ところで、「海賊」の定義であるが、序章の最後でつぎのように確認している。「国連海洋法条約(正式名称「海洋法に関する国際連合条約(United Nations Convention on the Law of the Sea)」、一九八二年採択、九四年発効、日本は九六年に承認・批准・公布)の第一〇一条「海賊行為の定義」では、「公海」(on the high seas)」や「いずれの国の管轄権にも服さない場所」において、「他の船舶若しくは航空機」に対して、「私有の船舶又は航空機の乗組員又は旅客が私的目的(private ends)のために行うすべての不法な暴力行為、抑留又は略奪行為」を、「海賊行為(piracy)と定義している」。

 海賊を不法行為と捉える前提で、本書も議論を展開しているが、本書でも「密輸」という不法行為を行為者は「不法」とは感じていないことが紹介されている。同じように、「海賊」も「海賊」自身は、不法とは感じていない。ビジネスの一形態と考えているから、利益に見合うだけの装備を充実し、投資もおこなう。「不法」と捉えなければ、理解できることも多い。つまり、不法と考える国連加盟国と、それとは無縁の地域や社会の常識で動いている集団がいて、双方の利害が対立していることから、問題になっているといえよう。ならば、強大な軍事力や経済力を背景とした前者主導で解決しようとすれば、そこには大きな歪みが生じる。後者の社会的自立を大前提とした解決を模索する必要があり、それには前者に対応できる後者の人材を育てることからはじめなければならないだろう。時間はかかるが、結局はいちばんの早道になるだろう。どちらにも忍耐が必要で、それをいかに支援していくかが課題となる。

 本書では、「国益」「資源」ということばが飛び交っている。今日の紛争のはじまりも、それがいっこうに解決しないのも、「国益」「資源」絡みではないだろうか。「国益」「資源」から離れた立場で、「海賊」を合法といわないまでも不法とは考えない発想はないのだろうか。

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2015年09月15日

『「歴史認識」とは何か-対立の構図を超えて』大沼保昭著、聞き手江川紹子(中公新書)

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 たまに電話取材が入る。自信がないので、参考文献をあげて、それを「読んでからあらためてお電話ください」と言う。たいていは、あらためて電話はかかってこない。かかってきたときは、丁寧に対応することにしている。自信がないのは、正確に覚えているのか、正確に伝えることができるのか、突然取材されて要領よく答えられないからだ。また、こちらは正確に言ったのに、とんでもない勘違いをされることがある。参考文献を読んでからだと、その勘違いも減るし、やりとりの内容も深まる。そもそも、電話をかけてきた記者の知識のなさにあきれ、これを大学の研究者に答えさせるのかというものもある。先日も大手Y新聞社の支局の記者が、「日本がフィリピンを占領したのは、いつですか」と訊いてきた。「そういう基本的なことは、自分で調べてください」と言ったら、「急いでいるので教えてください」と返ってきた。ちょうど学校の夏休み期間中だったので、お子さま電話相談室と勘違いしたのだろうか。

 わたしの自信のなさは、本書の著者、大沼保昭も同じだということが、「語り手のあとがき」の冒頭で、つぎのように述べられていた。「「歴史認識」にかかわるもろもろの問い。江川さんから次々に繰り出されるが、聞き方がうまいせいか、そのときは何とか答えたつもりでいる。でも、あとから江川さんがまとめてくれた原稿を読んでみると、疑問が次々と湧いてくる。結局、最初の答えは、よく調べてみると、まちがい、不正確、拙(つたな)い表現、といった問題だらけで、自分で読んでいて落ち込んでしまう」。かつて、この点で素晴らしいと思ったことがある。故鶴見良行さんのテープ起こしは、そのまま原稿になっていた。鶴見さんの偉大さが、そのときよくわかった。

 本書の要約は、表紙の見返しと帯の裏にある。帯には「被害者と加害者、自虐と独善の対立を超えるには」の大きな文字の後、つぎのようにつづいている。「日中・日韓関係を極端に悪化させる歴史認識問題。なぜ過去をめぐる認識に違いが生じるのか、一致させることはできないのか。本書では、韓国併合、満洲事変から、東京裁判、日韓基本条約と日中国交正常化、慰安婦問題に至るまで、歴史的事実が歴史認識問題に転化する経緯、背景を具体的に検証。あわせて、英仏など欧米諸国が果たしていない植民地支配責任を提起し、日本の取り組みが先駆となることを指摘する」。  本書のねらいを、著者は「はじめに」でつぎのように述べている。「本書でわたしが成し遂げたいことは、すぐれたジャーナリストである江川紹子さんに聞き手の役を演じてもらうことによって、読者の方々に「歴史認識」にかかわる「見取り図」を示すことである。そして、本書の読者が、それまで自分がもっていた見取り図をすこしでも考え直し、自分と対立する考えをもつ人たちと見取り図を突きあわせるのを助けることである」。

 本書は、テーマごとの5章からなる。「取り上げるテーマは、東京裁判(第1章)、講和と国交正常化(第2章)、戦争責任・戦後責任(第3章)、「慰安婦」問題(第4章)、「歴史認識」問題の歴史と国際比較(第5章)である」。聞き手である江川さんのお勧めは「第5章から」で、著者は「どこから読んでいただいてもかまわない」である。

 本書は、著者の「フェアでありたい」思いから、「本書で扱った問題について、研究者、あるいは実務の面で取り組んできた多様な方々に、原稿を読んでいただき、誤りを指摘し、批判的見解を聞かせてくださるよう、お願いした」。その結果、「すぐれた日本の研究者の方々、中国、韓国の歴史学者と国際法学者、外務省で「歴史認識」にかかわる具体的問題に携わってきた方々、雑誌の編集者などからご意見をいただくことができた」。それだけに、著者には自信があり、「本書ができれば中国と韓国で訳されてほしいし、英訳版も出てほしいと願っている」といえるほど、よくできたテキストになっている。もはや「歴史認識」問題は、日本の国内問題でもなければ、日中韓だけの問題でもない。広く議論するために、日本語だけではだめになっている。日本の大学でも、英語で教えているクラスが珍しくなくなっている。だが、実際にこの問題を、留学生の多い英語のクラスで議論するには、英語の参考文献が少なすぎる。

 もうひとつ、問題がある。日本の大学で英語で授業する場合、東南アジアからの留学生が多くなってきている。かつてのように東南アジアからの留学生は、日本語を学んでいない。著者が原稿を読んでもらった研究者のなかに、東南アジアを専門とする者はいないし、参考文献にも東南アジアにかんするものはない。本文で、東南アジアにかんするものがすこしあげられているが、東南アジアからの留学生から見れば、本書は東南アジアを軽視していると感じてしまう。欧米の植民地化を問うためにも、欧米の植民地化と日本の占領の両方を体験した東南アジアの声は重要である。対日観で、中国・韓国の延長で東南アジアをとらえていいのかどうか、考える必要がありそうだ。

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2015年09月08日

『和解は可能か-日本政府の歴史認識を問う』内田雅敏(岩波書店)

和解は可能か-日本政府の歴史認識を問う →紀伊國屋ウェブストアで購入

 著者、内田雅敏は「まえがき」の最後で、本書の目的をつぎのように語っている。「このブックレットでは、これまでの政府の歴史認識にかかわる公的な見解を紹介し、その中身をあらためて確認しながら、アジア諸国との和解はどうすれば可能になるのかを、戦後補償裁判にながくかかわってきた私自身の経験を踏まえて、考えてみたい」。

 本書は、3章からなる。「第1章 日本政府の歴史認識の推移」では、便宜上3期(「第Ⅰ期-冷戦期 占領と独立、韓国・中国との国交正常化」「第Ⅱ期 冷戦終結から村山首相談話」「第Ⅲ期 村山談話の継承と葛藤」)にわけて、歴代日本政府の公式見解を順にみていく。すると、安倍首相の特異さがわかると、章の最後でつぎのようにまとめている。「閣議決定による武器禁輸原則の緩和(二〇一四年四月)、集団的自衛権の行使容認(二〇一四年七月)、という戦後日本の防衛政策の根幹の変更と、アジア安全保障会議での講演、そして後述する靖国神社参拝(二〇一三年一二月二六日)とを併せ見るとき、安倍政権が、歴代政権とは全く違った歴史認識を持つ異形の政権だということが理解されよう」。

 「第2章 安倍政権とその周辺の歴史認識」では、安倍首相自身と首相を支える人びとの歴史認識を問い、つぎのようにまとめている。「歴史認識にかかわる、閣僚などによる数多くの問題発言が、政府の公式見解の存在にもかかわらず、日本の認識を疑わせ、和解を阻害してきた。しかし、これらの発言は、おおむね撤回や、発言者の更迭・罷免などの措置がなされてきた。しかし、安倍首相による戦後七〇年談話は、そのレベルを異にする。閣議決定を経ていようがいまいが、政府を代表する者の見解である」。キーワードを入れればいいだけのことではないことは、2004年3月1日に韓国の当時の大統領の盧武鉉が三・一独立運動の記念式典で、演説したつぎのことばに端的にあらわれている。「日本はすでに謝罪をした。従ってこれ以上、日本に謝罪を求めない。ただし、謝罪にみあう行動をすることを日本に求める」。

 「第3章 和解はどうすれば可能か」では、著者自身の経験を通して、「和解は容易なことではないにしても、不可能なことでもない、と確信している。それは、事実と責任を認め、謝罪し、和解を求めることで、必ず可能になるのである」と結論し、本書をつぎのことばで締めくくっている。「歴史問題の解決のためには、被害者の寛容と加害者の慎み、節度が必要である。加害者は忘れても、被害者は忘れない-私たちはこのことを肝に銘じて、加害の事実に向き合いつづけなければならない」。この第3章は、わずか8頁しかない。なんとなく心細くなった。

 心細くなったのは、それだけではない。これだけ理路整然と説明しても、安倍首相とその取り巻きたちには、通じないということである。そして、与党自民党から異論が出なく、野党もこの歴史認識の特異性がもたらす、もはや近隣諸国だけでなく世界に悪影響することを指摘できない。なにより、野党第1党の民主党が与党に対抗する候補者さえ立てられない状況にあり、支持率が下がったとはいえ選挙をすれば自民党が勝ち、展望が開けないことである。矛先は、政権や政治家だけでなく、このような歴史認識がまかり通る日本社会がどうしてできてしまったのか、戦後70年間にも向けなければならない。

 今年8月に放送された戦争テレビドラマなどでは、やたら被害者としての戦争の悲惨さが強調されていたように思える。リニューアルされたピースおおさか(大阪府と大阪市が出資する「大阪国際平和センター」)の展示は、大阪空襲の被害が強調されたものに変わっていた。被害者になることは、だれもがいやであることはわかりやすい。わかりにくいのは、加害者になる苦しみである。戦争という大義名分をえれば、合法的に殺人者になることができる。だが、殺人者になって戦争に勝っても、人を殺したことは死ぬまでついてまわる。自分自身が人を殺さなくても、殺したことのある者といっしょに暮らせるか、いっしょに仕事できるか、考えてみただけでもぞっとする。いまの日本の社会では、英雄として尊敬されるだろうか。被害者より、加害者になることとはどういうことかを理解することはずっと難しい。それを知ることで、戦争に勝者はいないこと、戦争責任はだれもとれず戦争をしないことが唯一戦争責任から逃れられる手段であることが、わかってくるだろう。

 植民地支配についても、当時たとえ合法的だったとしても、その影響が後世にどれだけ大きな影響をもたらすか、それを支配した側が理解し、つぎの世代に伝えることが、盧武鉉大統領が求めた「謝罪にみあう行動」のひとつであるはずであるが、いまの日本は明らかに逆行している。

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2015年09月01日

『未完に終わった国際協力-マラヤ共産党と兄弟党』原不二夫(風響社)

未完に終わった国際協力-マラヤ共産党と兄弟党 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 歴史が書けないことには、いろいろな理由がある。マラヤ共産党の歴史については、1960年の非常事態終了までの研究がほとんどで、その後1989年12月に和平協定が締結されるまで30年間近く続いた武装闘争については、ほとんど語られていない。とりわけ、中国や近隣東南アジア諸国の共産党(兄弟党)との関係をまとまったかたちで書かれたものは、まったくなかった。

 それが、書くことができるようになってきた背景を、著者、原不二夫はつぎのように説明している。「陳平(Chin Peng)書記長を中心とするマラヤ共産党幹部の多くが長らく中国に滞在していたことが和平協定締結後次第に明らかになり、今ようやく、滞在の顔ぶれ、時期、状況などを整理することで、中国や中国共産党とマラヤ共産党との関係の具体的な姿の一端を捉えることが可能になった。南タイにあったマラヤ共産党とその軍隊がタイ政府、周辺のタイ住民、タイ共産党とどのような関係を築いていたかについても、当事者側からの資料が得られるようになった。従来、太平洋戦争直後に二、三人のインドネシア共産党(Partai Komunis Indonesia. 以下、PKI)幹部がマラヤ共産党指導に当たったことくらいしか知られていなかった同党との関係や、ホー・チ・ミン主席が一九三〇年にマラヤ共産党創建会議を主宰したこと、イギリスのスパイとして送り込まれ一九三九年から一九四七年までマラヤ共産党書記長の任にあったライテク(Lai Teck)がベトナム出身でかつてインドシナ共産党員だったことくらいしか知られていなかったベトナム労働党(共産党)との関係も、一端ながら明らかになってきた」。

 東南アジアの各国・地域の共産党の歴史を理解するには、まず当時の冷戦構造下の国際情勢や共産党諸国間内での対立を考えなければならない。だが、それだけではすまないことは、東南アジアの歴史と社会を多少知っている者なら、容易に想像がつく。「東南アジア各国の共産党は、それぞれ独自の路線、闘争方針をもつものであったが、一九四八年に多くの党が踵を接して武装闘争に踏み切ったように、東南アジア諸党間の横の連携やソ連、中国からの「指導」を窺わせる面も併せもっていた」。中国やベトナムは、共産党(労働党)が政権を担い、インドネシアも1965年の9月30日事件まで合法政党として政権に大きな影響力をもっていた。これらの合法共産党は、非合法共産党を国家として支援した。いっぽう、非合法政党としての共産党は、公定史観のなかでまともに語られることはなかった。

 マラヤ共産党について、著者はつぎのように説明している。「マラヤ共産党は、マレーシアの正史の中では、長いこと国と国民の安全を脅かす勢力、国家への反逆者、国賊の扱いを受けてきた。党員、支持者のほとんどが華人だとされ、マレー人に敵対する組織だとも指弾されてきた。しかし、一九八九年の和平会談合意に際して政府側が「マラヤ共産党の評価は歴史の判断に任せよう」との立場を打ち出したこともあって、和平協定締結後様々な回想記の出版が認められるようになり、状況に変化が生じてきた」。

 「当事者側の資料は、かつてイギリス植民地当局によってマラヤから中国に強制送還(中国国籍でない者もいたから、送「還」は適切でないかも知れない。華語では「駆逐出境」)されたマラヤ共産党関係者が一九九二年に香港で出版した二書を手始めに、一九九〇年代末から和平協定締結後南タイの入植地に住む元幹部の回想記が香港で、二〇〇〇年代に入ってからはマレーシアに帰還した元幹部の回想記がマレーシア国内で、多数出版されるようになった。マレーシア政府が帰国を未だ認めない陳平書記長の回想記も、シンガポールで二〇〇三年に出版された」。

 さらに、華人だけでなく、マレー人も共産党に深くかかわっていたことがわかってきた。「一九八八年以来党委員長の地位にあったアブドゥラー(Abdullah C. D.)はじめマレー人最高幹部の回想記も多数出版され、党内で華人とマレー人との融和が図られていたこと、マレー人も委員長、政治局員、中央委員として重要な役割を果たしていたことなども知られるようになった。マレー人最高幹部が敬虔なイスラム教徒でもある旨を再三強調し、和平後多くがメッカに巡礼したことも、紹介されるようになった。マレー人研究者がマラヤ共産党の活動をマレー人の英雄的な長い反植民地闘争の歴史の中に位置づけた本も、出版された。マラヤ共産党が活動を止めた後、その役割を、冷静かつ公正に、客観的に位置づけようとする機運が高まっているのである」。

 このような試みは、たんにマレーシアの歴史を相対化するだけではない。近隣の兄弟党とのかかわりから、地域史としての東南アジアの歴史の理解も深まってくる。だが、東南アジアの歴史は、共産主義者の活動というひとつの側面から見ただけではわからない。海域部ではインド洋経てイスラーム教徒との結びつきがある。大陸部では上座仏教徒のつながりがある。商業活動によるもの、開発にともなう移住もある。流動性の激しい東南アジアにあって、共産主義者の活動も、国境や民族を超えておこなわれていたことが、本書を通じて明らかになった。その活動を、東南アジアの歴史と社会のなかで読み込むと、1960年からの30年弱の歴史もまた違ったものとしてみえてくるかもしれない。

  本書の帯にある「「ドミノ」実現へ動く、各地の党や中越の動きを追う。東南アジアの共産党と中国、ベトナムなどは、各国に社会主義政権を打ち建てるために、「密かな国際協力」を進めていた。知られざる歴史を史料をもとに克明にたどる」以上のものが、本書から発展して議論できる可能性が出てきた。

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