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2015年08月25日

『大分岐-中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』K. ポメランツ著、川北稔監訳(名古屋大学出版会)

大分岐-中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 帯に「ユーラシアにおける発達した市場経済は生態環境の制約に直面していた。なぜ西欧だけが分岐していったのか。グローバルヒストリーの代表作」とある。「グローバルヒストリー」ということばは、本書の原著英語版が出た2000年ころから、よく聞くようになった。「世界史」「ワールド・ヒストリー」とどう違うのか、所詮は史料が残っていてその史料に基づいた研究が多少発展している国や地域の「知の帝国主義」の産物にすぎないのではないか、といったような疑問に答えてくれるのか。まずは、本書を日本語で読むことができるようになったことにたいして、翻訳者らに感謝したい。

 本書「序章 ヨーロッパ経済発展のさまざまな比較、説明、叙述」は、つぎの文章ではじまる。「多くの近代社会科学の起源は、一九世紀後半から二〇世紀にかけてのヨーロッパ人による、西ヨーロッパの経済発展の径路を独特なものにしたのは何なのかを、理解しようとする努力にあった。しかし、それらの努力からは、何ら共通の理解がもたらされていない。大規模で、機械化された、工業化の初期局面を説明するため、大半の文献はヨーロッパに関心の的を絞ってきた。世界の他地域とのさまざまな比較をすれば、決まってつぎのような説明になった。「ヨーロッパ」-西ヨーロッパ、プロテスタント圏ヨーロッパ、あるいはたんにイングランドなどの表現がありうるが-の境界線の内側には、工業化が成功するための何らかのユニークで、自主的な要因があったか、さもなければ、何らかの障害からヨーロッパだけがまぬかれていたのだ、と」。これだけでも、本書がヨーロッパ中心史観から抜け出せない研究者にとって、衝撃的な書であったことが想像できる。

 そのヨーロッパ中心史観の「西ヨーロッパ経済には産業の変化を生み出す独自の能力があったと断定する議論は、大きく二つのグループに分けられる」という。「エリック・ジョーンズに代表される最初のグループの議論は、「前工業化」社会の表面的な類似性をもとに、一六世紀から一八世紀にかけてのヨーロッパは、物的、人的双方の資本蓄積において、すでに世界の他の地域にはるかに先行していたとする」。「第二のグループの議論は、富の水準にはあまり関心を払わないが、その代わりに、近世ヨーロッパ(ないし、その一部)では、他の地域より経済発展を導く効果が強かったとされるタイプの組織が台頭したことを強調する」。

 これらの議論にたいして、著者、ポメランツはつぎのように答えている。「本書は、こうした議論-おおかたは、各種の「制度学派」的なもの-から多くの論点を借用しているが、しかし、最終的には、まったく別の主張をするものである。第一に、資本主義の起源をどれほど遠くさかのぼれるにしても、無機質エネルギー資源の大規模使用によって、前工業化社会に共通の制約からの解放を可能にした産業資本主義は、せいぜい一八〇〇年代に勃興したにすぎない」。「第二に、ヨーロッパの工業化は少なくとも一八六〇年まではブリテン島外ではなおさらきわめて限られていた。だから、そもそも西ヨーロッパに共通の特徴に基づいて「ヨーロッパの奇跡」を唱えることは危険であるが、ましてや、西ヨーロッパに広く共有されていたものの多くは、少なくともユーラシアの他の地域にも同じように存在していたのだから、なおさらそうなのである」。

 本書は、日本語版への序文、序章、3部、各部2章の全6章、6つの補論からなる。終章やあとがきなど全体をまとめるようなものはない。本書「第Ⅰ部 驚くほど似ていた、ひとつの世界」は、「ヨーロッパが一八〇〇年以前に、それも内生的に、経済的優位を確立していたとするさまざまな主張に疑義を呈し、反対に、旧世界における人口稠密で、商業化されたいくつかの地域間には、類似性が広汎に見られたことを主張する」。「第1章 ヨーロッパはアジアより早く発展したか-人口、資本蓄積、技術」は、「物的な資本の蓄積にかんしても、ヨーロッパは、一八〇〇年以前に決定的に優位にあったわけではないこと、また、他の多くの大規模な経済と比べても、ヨーロッパがマルサス的圧力からより自由であった(したがってまた、投資の可能性がより豊かにあった)わけでもないことを、多数の地域から集めた史料によって描き出」す。「第2章 ヨーロッパとアジアにおける市場経済」は、「市場とそれに関連する制度を取り扱う。主に焦点を当てられるのは、西ヨーロッパと中国との比較である。そこに示されるのは、[フランス革命の始まる]一七八九年においてすら、ヨーロッパの土地、労働、生産物の市場は、中国の大半の地域以上に、全体として完全競争からはかけ離れたものでしかなかった」ことである。

 「第Ⅱ部 新たな経済は新たな精神から生まれるのか-消費、投資、資本主義」は、「たんに生存することを目標とするのではなく、新しいタイプの消費需要が生まれてきたこと、それに応じて文化的・制度的な変化が生じたこと、需要の差異が生産に重要な影響を及ぼした可能性があることを、検討する」。「第3章 奢侈的消費と資本主義の勃興」では、「中国、日本、西ヨーロッパは、他の地域とはっきり区別できたが、この三地域相互間では、大きな差異がなかったことがわかるであろう」とし、「第4章 見える手-ヨーロッパとアジアにおける企業構造、社会・政治構造、「資本主義」」では、「新しい「奢侈品」-[略]-を市場にもたらした商人と製造者を考察する」。

 「第Ⅲ部 スミスとマルサスを超えて-生態環境の制約から工業の持続的な成長へ」では、「ヨーロッパの発展径路の内的要因と外的要因の関係について、新しい考察の枠組みをスケッチする」。まず、「第5章 共通の制約-西ヨーロッパと東アジアにおける生態環境の重圧」で、「ユーラシアの最も人口稠密で、市場志向的で、また、商業的に洗練されたすべての地域で、さらなる成長を阻害した深刻な生態環境的障害についての議論から始める」。ついで、「第6章 土地の制約を外す-新しいかたちの周辺としての南北アメリカ」では、「工業化進行中のヨーロッパで、土地の制約が劇的に解消された事実について考える」。

 序章の最後で、著者は、「地理的範囲についての覚え書き」を設け、つぎのように注意を促している。「本書は、活発な研究分野である「ワールド・ヒストリー」の列に加わるものだが、世界の諸地域の取り扱いには、非常に偏りがある。中国(原則的に中国東部および南東部)と西ヨーロッパについては、かなり詳細に論じるが、日本、南アジア、中国内陸部についてはそれほどでもない。東ヨーロッパ、東南アジア、南北アメリカについては、さらに言及することが少ない。アフリカについてもそうで、例外は奴隷貿易にかんしてのみである。中東、中央アジア、オセアニアには、ほとんど言及しない」。「要するに、ヨーロッパの物語に、中国や日本の例を少々貼り付けたくらいでは、「ワールド・ヒストリー」にはならないということである」。

 第Ⅰ部と第Ⅱ部には、それぞれの部のおわりに結論がある。「第Ⅰ部の結論-近代世界経済における多数の中核と共通する制約」では、「一九世紀中葉以前のヨーロッパにおいて、ヨーロッパが生産性の優位を確立したのは、内生的な要因によるものだったとするさまざまな議論を検討し、それらがすべて疑わしいという結論に到達した」。「第Ⅱ部の結論 類似点の重要性-そして相異点の重要性も」では、「一八世紀中頃になっても、西ヨーロッパだけが生産的であり、経済的にも効率的であったということはなかったように思われ」、「一八世紀末、とくに一九世紀になって、予想もしなかった大きな断絶が起こって、入手可能なエネルギーと資源の根本的な制約-すべての者の視野を限定してきた-が突破できたとき、西ヨーロッパ経済は初めて、幸運な変わり種となった」と結論した。  第Ⅲ部のおわりには、「結論」がない。第5章では、石炭の発見が重要なブレイクスルーになったことを明らかにし、第6章では「新たな種類の貿易相手」となった新世界の重要性が論じられている。そして、「大西洋貿易を自立的に拡大しつづけるユニークなものたらしめた決定的な要因は、おおかたヨーロッパ外的な、非市場的な要因であった」として、つぎのように説明している。「この貿易が利用できたからこそ、ヨーロッパ(とくにイギリス)は、強い圧力のかかった土地を救い出すことにその労働力と資本を投入し、(東アジアとは違って)農業の発展をはるかに上回る人口とプロト工業の拡大を、さらなる発展の基礎に転じることさえできた」。その結果、「市場外のさまざまな力とヨーロッパ外の諸々の複合状況こそは、ほかには何の変哲もない中核のひとつであった西ヨーロッパが、唯一、ブレイクスルーを達成し、人口を激増させながら前例のないほど高い生活水準をも実現して、一九世紀の新しい世界経済の特権的中心としての地位を固めえた最も重要な原因であった」という本書の結論を導き出している。

 本文で充分論じられなかったことは補論A~Fで補足し、原著が出版された2000年以降に、本書をめぐって闘わされたさまざまな議論は、「日本語版の序文」にまとめられている。見出しをあげれば、つぎの通りである:「分岐の程度-どれほどで、いつ分岐したのか」「持続的成長の開始をどう説明するか」「比較史上の近世中国」「「近代化の東アジア型径路」?」「議論の糸を寄り合わせる」。

 「地理的範囲についての覚え書き」で、本書の限界が述べられているように、「ワールド・ヒストリー」を目指しながら、その目標とはほど遠いものしか書けないことは、著者がいちばんよくわかっている。それでも、ヨーロッパ中心史観から抜け出す第一歩になったことは確かである。問題は、比較の対象とした非ヨーロッパ諸地域の研究状況である。非欧米人研究者が、欧米の留学先などで学んだ近代の価値観で研究を続けるかぎり、またそれぞれの歴史や文化を背景とした新たな歴史観を創造しないかぎり、ヨーロッパ中心史観から抜け出すことはできない。「ワールド・ヒストリー」と「グローバル・ヒストリー」とは、どこが違うのか。著者は、どのように使っているのか。論じるだけの研究蓄積はまだなく、まだまだ延々と「補論」が続くことになる。 

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2015年08月18日

『勝つまでやめない! 勝利の方程式』安藤宏基(中公文庫)

勝つまでやめない! 勝利の方程式 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 インスタントラーメンは、2012年に世界の総需要が年間1千億食を超えた。著者は、インスタントラーメンを最初に開発した創業メーカー日清食品の2代目社長である。日清食品は、国内25億食、海外110億食、計135億食、全世界の13.5%のシェアをもつ。著者は、「わずか一三・五%に過ぎない」といい、「世界市場で販売数量、金額ともにダントツの世界一」をめざしている。

 本書の裏には、つぎのような要約がある。「「カップヌードルをぶっつぶせ!」をスローガンに、徹底した自己否定のマーケティングで社内改革をつらぬいた筆者が、社長業三十年の苦闘の後にたどり着いた経営観を語る。試行錯誤の末に編み出した「安く作って安く売って儲ける」ビジネスモデルとは。「マーケティングはアートである」と喝破した上で、ブランド・マネージャーに必要なセンス七か条を説く」。

 その七か条とは、①飽くなき好奇心、②非常識な発想、③コンセプト・デザインのセンス、④先を読む予知能力、⑤勝つまでやめない情熱、⑥自己否定する勇気、⑦肌感覚を持つ、である。そして、この7つを総括して、つぎのようにまとめている。「勝つまでやめるなと言っておきながら、すぐ戻れとか、自ら破壊せよと言っている。矛盾があると思われるかもしれない。しかし、マーケティング・コンセプトを四次元モデルにデザインする場合には、一人の頭脳の中にこれくらいのフレキシビリティーが存在してもいいのではなかろうか」。「創業者・安藤百福の語録に「臨機応変、円転自在」という言葉がある」。「マーケティングは生き物であり、時間との闘い、迷いと決断の繰り返しだから、いい加減に見えるようでも、「一本芯の通った柔軟性」を持つことが大切だと思う」。

 「ダントツの世界一」をめざす著者の戦略は、「公益性」と「業界全体の成長」である。「公益性」について、つぎのように説明している。「公益性を優先するならば、もはやインフラ(社会基盤)の整備を一企業の技術開発に頼る時代ではないのかもしれない。トヨタ自動車やパナソニックの事例[特許を無償提供]はCSRに通じる広義の「公益資本主義」と言えるのではなかろうか。公益資本主義とは、破綻した米国型の「金融資本主義」でも、台頭する中国型の「国家資本主義」でもない。日本が世界に貢献していくための第三の道として、原丈人(はらじようじ)氏(アライアンスフォーラム財団代表理事)が提唱する「社会全体の利益を優先する日本発の経営哲学」なのである」。このことは、創業者の「会社は野中の一本杉であるよりも、森として発展した方がよい」ということばに通じ、「業界全体の成長」の重要性をも示している。

 「業界全体の成長」については、つぎの説明がある。「二〇一四年十一月、私が会長をしている「世界ラーメン協会(WINA)」の食品安全会議をシンガポールで開催した際、「この業界はどこか一社がミスをすると、不安情報があっという間に世界中に伝わって総需要が低下する。安全性技術と栄養・健康対策の二つについては今後、〝非競争分野〟として業界全体で取り組むことにしたい」と提案した」。「だいたい競争の激しい業界では、トラブルや不祥事があるとライバルメーカーを突っついて叩こうとする。足の引っ張り合いが起こる。メディアがこぞって取り上げる。するとますます消費者の不信感を招いて、トラブルの連鎖が起こる。結果的に総需要が低下する。品質問題が発生したら力を合わせて、早く不安情報の芽を摘み取らないといけない。初動を間違ったために、社会の批判にさらされ、経営危機に陥った会社をいくつも見てきた。企業にとって技術開発やマーケティングの分野で競争することは大切だが、安全性や栄養・健康など公益にかかわる部分では、〝非競争分野〟とするのが正しい社会貢献の道だと思う」。

 「やめるな」と言いながら「すぐに戻れ」と言う。「競争」といいながら「非競争」と言う。矛盾しているようだが、創業者の「臨機応変、円転自在」のことばともども、実社会でもまれてきたから言えることばである。「公益性」や「社会貢献」がわからない者がいると、業界を守るために「遅れた」ものにあわせようとする。技術やマーケティングなど優れたものは、さらに上を目指して切磋琢磨するが、裾野が広くなければ、やがて継承者がいなくなって衰退していく。

 その継承者である3代目が、表舞台に登場した。2015年2月の新任挨拶で「Beyond Instant Foods-インスタント食品を超える!」を宣言した。その会場に、わたしもいるはずだったが、別の用事ができて出席できなかった。生で聞けなかったのが残念である。この3代目が登場するのにあわせるように、カップヌードルが変わった。ラタトゥイユ(フランスの野菜煮込み料理)やバーニャカウダ(イタリアの鍋料理)といってもわかない人もいるだろうが、食べるとカップヌードルのイメージが変わる。こうなると、カップヌードル「そうめん」も違和感がなくなる。発売順番を間違えていたら、まずダメだっただろう。

 2014年度の海外の売上高比率21%見込みを、25年には50%にし、1兆円企業にしようとしている。3年間海外戦略の強化に取り組んだ3代目に、いままでにない「楽しさ」を期待したい。

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2015年08月11日

『「からゆきさん」-海外<出稼ぎ>女性の近代』嶽本新奈(共栄書房)

「からゆきさん」-海外<出稼ぎ>女性の近代 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「本書の大きな目的のひとつは、この「からゆきさん」と呼ばれる、しかし生き様は様々であった女性たちを取り巻く言説とまなざしの変容を、時代を追って検討していくことにある」。

 さらに詳しく、同じく「序章」で、著者嶽本新奈は、つぎのように説明している。「本書で試みるものは、からゆきさんをめぐる言説がどのような社会的状況の中で発せられ、どのように受容、あるいは排除され、いかにそれが社会や彼女たちに作用したのかを検証することである。これまでの研究において、日本が近代化を成し遂げていく過程で、「遊女」あるいは「芸娼妓」とも呼称された女性たちへの差別意識は廃娼運動家たちを筆頭に内面化されていたことが明らかにされているが、それは主に「公娼」、あるいは娼婦全般に対する見方として共有されており、からゆきさんという個別カテゴリーに特化した言説の流れを追ったものは、ほとんどなかったといってよい」。

 本書は、序章、6章、終章からなる。終章には、「各章のまとめ」がある。第1章「身売りの歴史とその思想-近世から近代に連続するもの」では、「近世までの人身売買の歴史とその意識の変化を検討した」結果、「年季を務め上げれば「通常社会」に戻る道があった当時の売春への意識と、そうした社会経済構造のなかに女性がしっかりと組み込まれていたことが浮かび上がった」。

 第2章「海を渡った女性たち-江戸から明治期」では、「まずいち早く海外に<出稼ぎ>へ出た女性たちが多く出現した長崎の歴史と地域的特殊性を描き、開国後の横浜の事例も確認した」。つぎに「女性たちが具体的にどのような状況と手段で海外渡航をしていたのかを検討し」た。その結果、「近世から連続する根強い娼妓渡世の観念を女性を取り巻く社会が内面化していたがゆえであり、同時に公権力がそうした通念を利用した」こと、「人身売買のネットワークが本来的には男性主導であった」ことがわかった。

 第3章「海外日本人娼婦と明治政府の対応」では、「開国以降の明治政府の公娼制度と、海外で問題化した日本人娼婦の対応を概観した」結果、「植民地や占領地へ次々と国内の公娼制度に準じた法令を整備していった背景には、日本人男性の移動と定住を促すためには女性の性的慰安が必要だとの認識があった」ことがわかった。

 第4章「「芸娼妓」をめぐる言説と、海外膨張政策への呼応」では、「存娼派と廃娼派の芸娼妓をめぐる言説と対外膨張政策における反応を検討し、開国以降の公娼制度をめぐって議論された存娼派と廃娼派の主張とその主張的背景を考察したが、両者が「婦人」あるいは「妻」の立場を向上させるために、芸娼妓蔑視観ともいえるイメージを共有し、本来は存娼派と廃娼派として反発しあうはずの両者の主張に親和性があったことを確認した」。

 第5章「分断される女/性-愛国婦人会芸娼妓入会をめぐって」では、「芸娼妓入会をめぐって誌面論争へと発展した愛国婦人会と「婦女新聞」の議論を取り上げ」、「「近代家族」の一員である「婦人」と娼婦に序列がつけられ、娼婦が周縁化されていく様相を呈していたことを示した。また同時に、ゆるやかに連続していたそれまでの芸娼妓と妻との境界が、入会拒絶という現実によって断絶されるという、<旧来の性意識>と近代的な性規範の相克をも露にしていたことも明らかにした」。

 最後の第6章「優生思想と海外日本人娼婦批判」では、「優生思想の流入が廃娼派たちの言説とどのように結びつき、いかなる帰結をもたらしたかを検討した。日清・日露戦争を経て膨張主義に邁進する日本で、より「科学的」に廃娼運動を支える思想として優生思想が用いられたとき、海外にいる日本人娼婦の売春相手が外国人であることがはじめて焦点化されたことを指摘した」。また、「はじめて島原、天草への調査が行われた」結果、「「低俗な」風習として取り沙汰され、こうした調査報告によって海外の日本人娼婦のイメージは一地方の習俗の問題として固定化されるに至る要因ともなった」とした。

 そして、「歴史的な経緯のなかで、国家、一夫一婦制、性規範、処女性、エスニシティ、優生思想といった概念が複雑に絡み合いながら徐々に日本人<出稼ぎ>娼婦に対するまなざしを変化させ」、「からゆきさんが徐々に周縁化されていく存在となった」と結論した。

 また、帯にある「「慰安婦」との断絶と連続」について、つぎのように説明している。「管理された女性の「身体」と「性」を日本人男性のために利用するという暴力的な思考は当時の膨張主義と相まって、後の「慰安婦」制度へと先鋭化されていった。言うまでもなく、「慰安婦」制度は何もないところから日本軍が突如出現させた制度ではない。その下地となったのは、本書で追ってきた、開国以前からの日本の伝統的な遊郭制度と、その制度を是として売春する女性の「身体」と「性」を経済の一貫として組み込んできた日本社会に加え、開国以降に醸成された、男性の慰安のために「消費」される女性を「供給」することを優先させるといった意識であった。しかも、その過程では常に人身売買的な要素は隠蔽され、女性の意志による行為とされてきた。複雑なのは、そうした意識を女性を取り囲む人々のみならず女性自身も少なからず共有していたという点だろう。植民地化の過程で、そうした意識が日本人以外の女性たちにも投影され、より構造的な暴力で巻き込むシステムとして出現したのが、「慰安婦」制度だった」。

 帯には、「「からゆきさん」研究に新たな地平を切り拓く緻密な表象史」とある。終章註(21)で、著者はつぎのように述べている。「むしろ私たちが考えるべきは、なぜ森崎[和江]の意図が看過され、山崎[朋子]の『サンダカン[八番娼館]』は社会に広く受容されたのか、だろう。また、森崎のからゆきさんの描き方に問題がないわけではない。その点については、森崎のジェンダー観もふくめて稿を改めて検討したいと考えている」。著者は、終章で「森崎と山崎の比較を通じて」、森崎が「からゆきさんに植民地主義的輻輳性を見出し、彼女たちが膨張主義の体現者となってしまったことを描いた」のにたいして、「「底辺女性史」を執筆したいと願う山崎は、からゆきさんが持つこの輻輳性と軋轢には目をむけなかった」ので、「「慰安婦」をからゆきさんと安易に重ね合わせてしまう」と指摘している。

 著者が「改めて検討したい」という稿をみないかぎり、日本の「からゆきさん」研究は、1970年代からあまり進歩していないといわざるをえない。稿を改めるに際して、世界史のなかで考えることはもちろんだが、「からゆきさん」の多くが東アジアにいたことを考えると、東アジア史のなかで考えることも必要だろう。もはや日本史やジェンダー史のなかだけで考える時代ではない。1970年代とは違った「からゆきさん」研究の今日的意味を明示しなければ、過去の研究を批判するだけで、建設的な議論に結びつかず、「からゆきさん」研究をする者もいなくなるだろう。

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2015年08月04日

『近代日本社会と公娼制度-民衆史と国際関係史の視点から-』小野沢あかね(吉川弘文館)

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 「男たちの放蕩や「家」の没落を招いた遊郭。女たちの勤倹貯蓄精神や修養意欲は、どう公娼制度批判へ発展したのか。また、東アジアに拡大した日本の公娼制度政策の特徴を国際関係史的視点から解明。慰安婦問題の歴史的前提にも言及」と裏表紙にある。

 著者、小野沢あかねは「序章 本書の課題と方法」の冒頭で、本書の課題をつぎの2点としている。「①近代日本社会における公娼制度批判の特徴を民衆史的側面から明らかにするとともに、②近代日本の公娼制度政策の特徴を国際関係史的手法で明らかにする」。

 「日本の遊郭と身売り奉公は、近世以来の長い伝統をもっていた。そして、近代日本社会においては、法的には人身売買が禁止されていたにもかかわらず、事実上は、芸娼妓などの人身売買が行われ続けた。主として芸娼妓の親権者が貸座敷などから受け取る前借金を、芸娼妓稼業を通じて返済するまで彼女たちの人身の自由は事実上奪われており、しかも前借金の返済自体が困難をきわめた」。

 こうした事実上の人身売買を、日本政府は一貫して認めようとしなかった。その理由を著者はつぎのように述べている。「この種の稼業が国家公認されていたという事実があるのであり、つまりは国家公認され、保護されていたのは、芸娼妓の人権や待遇ではなく、抱え主が芸娼妓の女性たちを人身売買する権利だったということを忘れてはならない」。

 このことを踏まえ、著者は本書の目的、第一の課題をつぎのように述べている。「本書は公娼制度批判が近代日本社会においてどのように形成されたのかを分析することを目的としている。ただしその際、本書では、通例よく対象とされる前述の日本キリスト教婦人矯風会や廓清会などの活動や思想の分析というよりはむしろ下記の点を重視する。①各時代ごとの地域社会における遊興の実態とそれが民衆生活にもたらした問題、②①に対して地域社会の諸団体(各地の教会、矯風会地方支部、禁酒会・青年団・婦人会・処女会など)がどのような公娼制度批判を展開したか、を考察することを第一の課題とする」。

 本書は、序章、3部全9章、終章からなる。3章からなる「第一部 公娼制度批判の展開」では、「第一次世界大戦後の公娼制度批判の広がりについて、日本キリスト教婦人矯風会の地方支部の担い手の特徴や地方教会の動向、禁酒会・青年会・婦人会・処女会史料などからその歴史的特徴を明らかに」する。4章からなる「第二部 公娼制度をめぐる国際関係」では、「国際的婦女売買禁止の国際的潮流と日本および日本の植民地・勢力圏とにおける公娼制度との関係を国際関係史的に分析する」。2章からなる「第三部 戦時体制下の「花柳界」と純潔運動」では、まず「日中戦争以降、公娼制度下の遊郭をはじめ、「花柳界」が企業整備のどのような影響を受けたかをふまえたうえで、最後まで公娼制度は廃止されず、軍需関連成金が独占することとなった「慰安所」が残ったことを指摘する」。ついで、「企業整備にもかかわらず残存したこの種の営業に関して、純潔運動がどのような批判を展開したかを、人口政策等への言及も含めて考察し、国策と純潔運動との接点とズレに着目する」。

 「終章 近代日本社会と公娼制度」では、各部ごとにまとめ、最後に「戦後への展望」を述べている。第一部では、「本書で明らかにした、公娼制度批判の底流、つまり「家」維持のための勤倹貯蓄的実践に基づく自負心を底流として芽生えた身分的秩序への批判意識」から、「近代日本において繰り返し展開された、民力涵養運動・公私経済緊縮運動・農村経済更生運動などの官製運動と常に密接な関係をもって展開されながらも、異なっていたことにあらためて注意を喚起したい」とまとめている。

 第二部では、「戦間期日本の公娼制度政策を国際関係史的方法で考察した結果、得られた知見は、まず第一に、この時期の婦女売買禁止の国際的潮流が、日本の公娼制度廃止問題に大きな影響をもたらし、日本の内務省が公娼廃止方針を確立する決定打となったということ」、第二に「東アジアにおける日本の勢力圏都市での国際的婦女売買問題の特異性が、日本の内務省が公娼制度廃止方針をいったん樹立することになる決定打になったということである」。これらの考察を通して、戦場での慰安婦の問題も考察できることを、つぎのように説明している。「近代日本の公娼制度政策は、家族的関係に基づく人身売買という点、性病予防という点においても必ずしも欧米のそれと同一視できないのであり、そのことは、なぜほかならぬ日本軍が日中戦争以降、その占領地一帯に、稀にみる大きな規模で「慰安所」を設置することになるのか、その歴史的前提とは何か、という問いへも回答の一端を示唆するものではないかと思われる。この問題についてはもちろん、戦場における日本軍のあり方に着目することが重要だが、それだけでなく、日中戦争以前にまで遡って、近代日本社会のあり方そのもの、なかでも公娼制度との関係を考えることが重要との指摘が近年相次いでいる。ヨーロッパ廃娼国とは異なって、芸娼妓酌婦周旋業と前借金の合法性が保たれたことが、日本内地と植民地・勢力圏で婦女売買や女性の徴集を公然と行うことのできた背景としてあったこと、かつまた、娼婦の排除ではなく、娼婦の強制的性病検査への強い固執が存在したことなどについて、今後検討してみる必要があると考える」。

 第三部では、「戦時体制下の日本社会においても、公娼制度、そしていわゆる「性的慰安」は、なくしてしまうわけにはいかない存在として内務省からみなされており、存続し続けた」ことから、「戦時体制を現代化の基点として、平準化・国民化の過程としてとらえ、そういった点における戦時・戦後の連続を主張する総動員体制論は」、「一面的といわざるをえない」と結論した。「一方で、公娼制度批判のかたちも、戦前・戦時の連続性」があったと指摘している。

 本書を読むと、「従軍慰安婦」の存在と政府・軍の関与を否定することができないことがわかる。いっぽうで、それを否定し続ける政府の戦前からの連続性をみることもできる。そして、国際関係史的方法で考察をおこなった結果、政府の見解は国際的に理解されないことがわかった。現代の「従軍慰安婦」問題も、歴史的、国際的にみると、それを否定する政府や政治家がなんとも恥ずかしいことがわかってくる。

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