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2015年07月14日

『日本のコモンズ思想』秋道智彌編著(岩波書店)

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 参院選の「一票の格差」を是正する選挙制度改革で、隣り合う人口の少ない県を統合して新たな選挙区をつくる「合区」をめぐって、県連を中心に反対意見が出ている。県境越えの選挙区のどこに問題があるのだろうか。本書の「コモンズの思想」から言えば、問題どころか、障壁のひとつが取り払われることになる。近代では、生態系を無視した「自然保護」が行政単位でおこなわれるようになってきた。自然の恵みを利用する知恵を、行政の境界が邪魔をして奪ってきた面もある。「合区」になることによって、県境を越えて考えるようになれば、失われたコモンズが復活することになるかもしれない。「合区」は悪いことばかりではない。過疎化の地方を、県をこえて考えるきっかけになるかもしれない。

 本書は、平成24~25年度に実施した共同研究「日本の環境思想と地球環境問題-人文知からの未来への提言」の成果の一端である。前年の平成23年に東日本大震災が起こった。だが、本書の目的は、編著者でこの共同研究の代表者である秋道智彌が「序章 日本のコモンズ思想-新しい時代に向けて」の最後で、つぎのように語っており、帯の裏にも引用されている。「コモンズは自然を支配しようとする思想とは対峙する極に厳然とある。本書は東日本大震災からの復興を進めるうえで露呈した社会・文化・環境のさまざまな傷を修復する良薬や免疫剤を提供するための書ではない。歴史と民俗、社会学、人類学、哲学の広範な分野から考究したいのはコモンズを通して新しい思想を構築する作業を根底的なねらいとしている点である。さまざまな学問分野を貫徹する強靱な論理と発想の基盤を掘り当てる作業に共同で参画することに大きな期待をもって取り組みたい」。

 コモンズの思想は、古今東西どこにでもある。そのなかで日本で考える意味はどこにあるのか。編著者は、序章の「自然の恩恵と災禍」で、つぎのように述べている。「日本は四面を海にかこまれ、豊かな森と川をもつ国である。日本人は長い歴史を通じて自然とかかわるなかでさまざまな恩恵を享受し、同時に予期せぬ災禍を体験してきた。人びとは生態系から衣食住の必需品、燃料、薬、生活資材など人間のいとなみに直結する供給サービスをはじめ、間接・直接にせよ生態系を維持・管理するうえでのさまざまな生態系サービスを享受してきた。森から海にいたる自然の物質循環は生態系を維持するとともに、森や海のさまざまな資源を人間に提供する基盤となった。人間の側でも自然の恵みを利用する知恵や慣行を蓄積し、感謝の念をこめた豊饒儀礼を励行してきた。これは生態系のはぐくむ文化的サービスにほかならない」。

 いっぽう、「日本列島は環太平洋造山帯のベルト上にあり、火山噴火が頻発した。それとともに、南北に長い列島は四つの岩盤プレートが接触する領域にあり、地盤と引き続き発生した津波が全国各地を襲った。しかも温帯のモンスーン気候下にある日本は、冬季の豪雪と夏から秋にかけての集中豪雨と台風に見舞われてきた」。

 このような「自然から受ける恩恵と災禍の交錯する日本社会のありようについて、歴史を踏まえて考察を加えようとすれば、考古学、歴史学、哲学、宗教学などをはじめ、人類学、生態学、民俗学、地理学などの分野をふくめた研究の共同作業と情報の共有が不可欠だろう」。

 したがって、本書執筆者は、「歴史学、民俗学、人類学、法制度史、環境学、社会学、哲学、生態学、資源管理学などの多様な分野」の専門家となり、つぎのような大きな成果があったと、「終章 コモンズは日本の未来をどうかえるか」の冒頭で述べられている。「コモンズの生成と維持、コモンズのはたす便益(サービス)について学融合を踏まえた論考から、コモンズの思想が日本の歴史と社会の基層に濃淡の差こそあれ深く根付いていることをあらためて確認することができた。とりわけ、全国各地の山野河海や水田空間で展開してきた共有制度や共同利用の慣行、カミ世界との交感儀礼など、コモンズ思想を裏付ける数々の事例がその証左となっている。この点が本書の大きな成果となったことをまずもって表明しておきたい」。

 この大きな成果を、「日本の未来にとってのコモンズ」にどう結びつけるのか。終章は、つぎのことばで終わっている。「津波の後に出現した汽水域と塩性湿地をどのように捉えるのかは、新しいコモンズのあり方を考える試金石になる。地域と国家のはざまで常にコモンズが否定されてきた歴史を踏まえ、新たなコモンズとしての総有性の優位性を最後に提起し、終章の結びとしたい」。

 被災地を、県や市町村で区切ることはできない。日本の限界集落も、もはや市町村対応では文字どおり限界がある。自然が卓越してきた過疎地で、コモンズという考えをどういかしていくか。国家に押し切られてきた近代という時代と訣別して、地域がものを言う時代になっているはずだ。

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2015年07月07日

『海の国の記憶 五島列島:時空をこえた旅へ』杉山正明(平凡社)

海の国の記憶 五島列島:時空をこえた旅へ →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「神州極西の孤島」といえば、辺境や離島のイメージがあるかもしれない。だが、本書を読めば、五島列島は大陸、朝鮮半島とのgateway (出入口)で、日本の最先端であったことがわかる。

 五島列島を「辺境」にしてしまったのは、近代という時代であることを、著者、杉山正明は、つぎのように述べている。「領海とか排他的経済水域というのは、所詮は近代主義の産物でしかなく、人間本来の自然な感覚にはそぐわないところがあります。世界の海域を、「つなぐ海」ではなく、「へだてる海」にしているのは、異様に肥大化・巨大化した国家主義の結果でしょう。近代・現代がかしこいとは限りません」。「本当は、海のうえの国境など、あるわけもないのです」。「近代になるまでの長い時代、九州あたりから西や南の一帯、そして韓半島・中華大陸の海浜にいたるまでの巨大な海域は、広く海にかかわるさまざまな人びとが、「国籍」などとは基本的には関係なく自由闊達に往来しつつ暮らしていたのでした」。

 だが、これら海を生活・活動の場としてきた人びとは、毎年の生活リズムを守るために記録を残してきた定着農耕民と違い、臨機応変に自然や社会と立ち向かわなければならなかったために、参考にならない記録を残さなかった。そのため、海の歴史は、陸の定着農耕民が、海域に進出してきたときに残した記録しかない。そのため、海域からみれば、ずいぶん奇妙な歴史叙述が今日までまかりとっている。

 その最たるもののひとつを、著者は、つぎのように述べている。「少し考えれば「大発見の時代」とか「地理上の発見」とかいった表現は、あまりにも手前勝手、唯我独尊で西欧本位すぎるいい方でした。ところが、かねてこれを困ったことだと考えた日本のふたりの西欧史家(あえてその名は申し上げませんが、どちらも立派な方です)が、「大航海時代」という不可思議な言い方を創り出したのです。ありていにいえば、西洋史という〝業界〟の防衛のためでした。これは当の創作者から聞いた話なので、確かです。「大航海時代」をあえて英訳するならば「グレイト・マリタイム・エイジ(the Great Maritime Age)といったところでしょうが、欧米でそういってもまったく通じません。日本独自の造語というか、きわめて〝内向き〟の用語なのです」。

 それでも、近世(初期近代)では海の自律性が保たれていたが、近代になると陸の海を支配する科学技術の発達で、海の「植民地化」がはじまる。日本では、黒船の到来からで、「日本国にとっては文字どおり「太平の眠りを醒ます蒸気船(上喜撰)」でしたが、世界の軍事史・海洋史においても、まさにペリー艦隊は動力船という新しい時代の訪れを象徴するものだったのです。こののち、船はすべからく動力船となりゆき、基本的には風の有無や海流にかかわりなく、みずからの意思のままに航行できることとなり、艦隊行動と予定どおりの海上展開が成立しました。有史以来、陸上部隊がなしてきたさまざまな作戦行動を、海上部隊もまたおなじように採れることとなったわけで、ここにいたって世界の軍事史は一変したのです。その後の世界主要国の造船技術・艦隊建設の進展は、まことに目ざましいものがあり、明治維新後の日本国もまた、やはりその大きなうねりのひとつとなって参入することになるのです」。

 本書は、36年前、著者が26歳、大学院生のときに体験した「ぶらり旅」が基になっている。「著者紹介」にある「専門はモンゴル史、中央ユーラシア史、世界史」の出発点のひとつが、ここにあったことを想像させる本である。モンゴル・中央ユーラシアでは、見渡す限りの視野が広がる。故郷の沼津から見た海と違い、五島列島の海からは大陸を想像させる。著者が、五島列島をgatewayとして「時空をこえた旅へ」と誘ってくれる。

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