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2015年05月26日

『近代中国の在外領事とアジア』青山治世(名古屋大学出版会)

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 西欧を中心とした領事制度は非西欧諸国を巻き込んで世界的に発展し、今日の外交の基本となった。従来、非西欧諸国での領事制度は西欧化あるいは近代化として、研究されてきた。日本も例外ではなく、領事制度を導入した日本は、近隣アジア諸国に領事館を設置していった。だが、中国では、朝貢制度を通した近隣諸国との関係があり、また近隣諸国には多くの華僑・華人が住みついていた。このようななかでの領事制度の導入は、日本ほど単純ではなかった。

 本書の目的を、著者青山治世は、「序章 領事制度と近代中国」でつぎのように述べている。「本書は、領事制度の中国への導入過程と運用実態の分析を通して、近代中国が西洋伝来の外交・行政制度を導入する際に見られた特質と問題点を、中国の「近代」的変容過程やアジアの周辺国・地域との関係を軸に明らかにしようとするものである。その目的へのアプローチとして本書が注目するのが、①華人保護問題を契機とした南洋地域(主に東南アジア)における清朝領事の拡大論議と、②東アジア諸地域において清朝が行った(あるいは行おうとした)領事裁判の二点である。本書はこの①と②をそれぞれ第Ⅰ部と第Ⅱ部に配して構成する」。

 「第Ⅰ部「華人保護論の展開と在外領事拡大論議」では、華人保護論の広がりによって清朝において在外領事制度が曲折を経ながらも定着する一方で、清朝側・外国側の双方において在外領事の拡大が中国の内地開放問題とリンクして把握されたため、その後の在外領事の拡大は容易に進展しなかった過程を跡づける」。

 「第Ⅱ部「中国の在外領事裁判と東アジア」では、清末期の中国が日本と朝鮮において実際に領事裁判権を行使し、またベトナムにおいても行使しようとした過程と実態を、条約(または章程)上の規定の成立過程や実際の裁判事例を検討することによって明らかにする」。

 また、本書では、「条約規定上の<平等-不平等>を問うことが主だった中国大陸を中心としたこれまでの「不平等条約」研究の枠組みを離れ、近代西洋が東アジアに〝持ち込んだ〟領事制度や領事裁判というシステムが、東アジア諸国間における相互作用や西洋諸国との摩擦を経ながら、いかにして定着していったのか、領事裁判というシステムを東アジアの各国がいかに受け止め、いかなる相剋を経て、最終的に「治外法権撤廃」へと収斂していったのか、というアプローチで描き直していく」。

 「さらに、近代中国の在外領事問題は、朝鮮・ベトナムなどの属国支配の問題や国際法の受容・適用の問題とも関連していたことから、本書における考察は、近代中国における属国支配のあり方や近代国際法体系への編入過程における複線的・相互作用的な様相を、人身支配の法的構造の面から探ることにもつながるものと考えられる。近年盛んな東アジア諸国の領事裁判研究の成果もくみ取りながら、近代中国の在外領事や在外領事裁判の実態をアジアという広がりをもって整理・分析することで、近代東アジア史における領事裁判や「不平等条約」認識、さらには外交・行政制度の「近代化」の過程についても再考してみることにしたい」。

 本書の場面設定となった「アジア」について、著者は、終章「近代アジア国際関係史への新たな視座-華人保護と領事裁判権から見た「近代」的変容」の冒頭で、つぎのように説明している。「本書が扱った地域が、現在の研究者や読者から見て、地理的に「アジア」というにすぎない。本書で読み解いてきた言説の多くは、本国政府、つまり「官」の側からの視点が中心であったが、そうした「官」側の主観的な視点から見れば、南洋・ベトナム・朝鮮・日本などの地域は、客観的な地域概念としての「アジア」というよりも、むしろ中国から「周辺」「周縁」として捉えられていた地域、言い換えれば、中国(中華)を中心として放射線状に広がる「外縁」にあたる地域であった。そして、そこに〝流れ着いた〟中華の民(華民・華人)をいかに捉え、いかに扱うかが、「近代」という時代に際会し、彼らの存在を無視し得なくなった清朝において、にわかにクローズアップされることになった」。

 「華民・華人が流れ着いた地に〝国家〟が存在するなら、中国(清朝)とそれぞれの国家との関係性の違いによって、彼らの扱い方も変わってくることになる。具体的には、中国から見て「属国」である朝鮮・ベトナム(+シャム)、「対等」となった日本、そして、かつて「藩属」であった南洋地域を統治下に置き、清朝との間では「不平等」条約を結んでいた西洋諸国など、そこに存在する〝国家〟との関係性に合わせて、清朝はそこに住む華人に対する扱い方も変えていたのである」。

 そして、つぎのような結論を得た。これら南洋華人は、「「官」が〝常駐〟することによって植民地社会の中で得られる本国政府(官)の「権威」への期待は、華人代表者らによる度重なる領事設置の請願活動となって現れていた」。「しかし、華人管理を含む植民地行政に不安を抱えていたフランスやオランダなどの本国政府や植民地当局は、領事設置によって統治下の華人社会が本国中国の「権威」を獲得することに強い警戒感を抱き、オランダ領東インドについては一九一一年まで、フランスの保護領となったベトナムでは一九三〇年代まで、中国領事の設置が実現することはなく、南洋地域における在外公館を通した「官」と華人社会との結びつきは、二〇世紀初頭においても限定的なものにとどまらざるを得なかった。こうした点が、他地域とは異なる南洋地域における「官」と華人社会との関係性の推移の特質であったと言えよう」。

 だが、著者は、つぎのような限界を認識し、「あとがき」で「本書はその現時点でのいわば中間報告である」としている。「いわゆる「一国史」の克服が叫ばれて久しい。だが、その手法や視角は様々であり、「多言語」史料の使用や「双方向」の分析視角をうたいながら、それが多くの研究者や読者を納得させるまでの成果を上げている研究は、実際にはさほど多くない。一方からだけの見方ではないことを担保するために、極めて形式的に「多言語」史料を使い、「双方向」を演出しているような研究も散見する」。「本書は領事制度や領事裁判権を事例として、そうした状況を少しでも克服しようと試みたが、いまだ前途遼遠の感は否めない。そもそも本書においても、主題はやはり「近代中国」である。近代の中国において在外領事制度が導入され定着していく過程を、海外における華人保護や裁判管轄の問題を軸に眺めることで、西洋伝来の制度を一方的に導入するだけに留まらない、中国の「近代」的変容の一側面を明らかにしたいというのが素志であった。ただ、そうした変容過程を中国のみを対象として眺めるだけでは、「近代中国」を理解することすらできないことは自明である。そこで、近代中国を主題としながらも、南洋・ベトナム・朝鮮(韓国)・日本と中国との関係や、それらの相互作用の中から、西洋から持ち込まれた諸制度の導入・定着・変容の過程を考察することで、中国の「近代」的変容のみならず、「近代アジア」のあり様についても、いま一度考えてみたいと思うようになった」。

 アジア、とくに東アジアにおいて中国の存在が大きくなってきた。中国数千年の歴史からみれば、東アジアのほかの国ぐにとの関係は、かつての「属国」「藩属」とのもので、ここ100年ほど機能していなかったにすぎないと考えることもできる。「近代中国」を主題として扱うことと、かつての「属国」「藩属」からみる歴史ではずいぶん違ってくる。アセアン統合は、東南アジア諸国の中国対応のひとつの姿かもしれない。

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2015年05月19日

『戦後責任-アジアのまなざしに応えて』内海愛子・大沼保昭・田中宏・加藤陽子(岩波書店)

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 「戦後責任」のことを考えれば、戦争をはじめることはできないはずだ。「戦後責任」は、だれもどのようなかたちであれ、とれるはずがないからだ。本書で語りあう4人は、そのことを充分にわかって議論している。

 本書は、表紙見返しに、つぎのようにまとめられている。「二一世紀の日本がアジアの人々とともに生きていくためには、今なお清算されない戦争と植民地支配の責任に向き合わなければならない。六〇年代以降、アジアの被害当事者たちの声に応えて、「戦争責任」=日本社会の不正義の問題に、市民として学者として取り組んできたパイオニア三人と気鋭の現代史家が、日本の未来をかけて語り合う」。

 「戦後責任」ということばについて、「はしがき」で3人のひとりで本書でもっとも多弁な大沼保昭がつぎのように説明している。「「戦後責任」ということばは、一九五〇年代にまず少数のキリスト者たちが、そして吉本隆明と武井昭夫が使ったものだった。しかし、それが今日一般に考えられるようなかたちで、とくに脱亜入欧信仰が強く、アジアを忘れがちな日本社会への自己反省を迫るものとして育まれ、定着したのは、アジアからの視線を受けとめ、それに応えるという意識をもって行われた一九七〇年代からの市民運動においてであった。内海、大沼、田中は具体的な学問と運動はすこしずつ異なるそれぞれの立場に立ちながら(その違いは本書にも随所にみられる)、その基本的な問題意識と姿勢を共有し、さまざまな運動を共に担うというかたちでその現場に居合わせてきた」。

 その3人の意見の違いから激しく対立したこともあったが、その違いを超えて一書にまとめることができたのは、「三人とは個人的にまったく関係のない」にもかかわらず、「司会兼インタビュアーの役割を務め」た加藤陽子の力量というしかなく、「あとがき」冒頭で本書のおもしろさを2点、つぎのようにあげている。「ひとつ目は、大沼保昭氏、内海愛子氏、田中宏氏、これら三氏の異なる個性が出会うことから生まれる討議の妙[略]。二つ目は、本書のテーマともなっている、東京裁判を含め戦争裁判がはらんでいた問題性、サンフランシスコ平和条約が戦後責任に与えたインパクト等につき、これらの主題に長く取り組んできた三氏によって問題の核心が明らかになってゆく臨場感と醍醐味にある」。

 そして、それぞれのおもしろさを、具体例をあげながら説明をしている。ひとつ目の「三様の異なる個性がぶつかる面白さ」を、「読者は、序章「なぜ、いま、戦後責任を語るのか」の冒頭から、それを体験することとなる。なぜ、いま、戦後責任を語るのかという問いに対して、大沼は日本人のアイデンティティ再構築のためであると言えば、内海は、国の内と外、国境管理の法から今こそ日本を見つめ直したい、むしろ「なぜ、いまなお、戦後責任なのか」との問いがたてられるべきなのだと言う。田中はといえば、植民地帝国日本が遂行したアジアと太平洋における戦争が、当時にあって帝国臣民とされた朝鮮人・台湾人に強いた問題について、東西冷戦構造が崩壊し、経済のグローバル化が進展した今こそ見つめ直したいと語る。戦後責任に対する問題意識からして、実に豊かで多様なのだ」。「才気煥発で喧嘩早い弟[大沼]を、穏やかだが芯の強い姉(内海)と、穏やかだが危機の局面にめっぽう強い兄(田中)が、温かく見守っているという空気が流れ」るなかで、話は進んでいった。  ふたつ目は、「東京裁判をはじめとする戦争裁判の問題性、サンフランシスコ平和条約が戦後責任に与えたインパクトにつき、これらの主題を長年追ってきた三者のみがなしうる総括に立ち会える醍醐味だ。第一章[戦争裁判と戦争責任]で、裁判研究の新しい動向に言及しつつ、それらの研究に足りない点は何かについてまずは考察されていて貴重である。国際法を自らのフィールドとする大沼と、歴史社会学を自らの立ち位置とする内海がともに、過度に傾斜した一次史料重視主義に警鐘を鳴らしていた点がわたしには印象深かった」。

 加藤は「あとがき」を締めくくるにあたって、市民運動と政治家との関係をつぎのようにまとめている。「市民運動に理解があるとみられた革新政党や労働組合の方が、ある時期のある問題群に対しては、既存の考え方に手を縛られて有効な運動を展開できなかった歴史もまた、本書の中では率直に物語られている。本書には、政治家の名前もきちんと書かれている。サハリン問題解決に功のあった議員懇の五十嵐広三と原文兵衛氏。二〇〇〇年、在日の戦没者・戦傷者の補償を対象とした法律(平和条約国籍離脱者等である戦没者遺族等に対する弔慰金等の支給に関する法律)は、当時の内閣官房長官野中広務氏がいなければ実現しなかったであろうことを田中が書いている。中国人強制連行の花岡訴訟の和解に至る過程での社会党の土井たか子氏の役割も興味深い。総じて、誰が問題の解決に頑張ったのかについて、きちんと黒白をつけて書かれている。本書が、市民運動を真剣におこなおうと考えている人のための政治的「ロビーイング」の教科書たりえている点だろう」。

 そして、つぎのことばで締めくくられている。「同時代を同じように生きていても、国内政治のあり方や思潮、国際社会への眼差しや「空気」がいかなるものであったのか、それを自覚的に歴史的記憶として留めることができる人間は少数派なのだ。本書は、歴史的記憶として自らの運動と思想を語りうる三者がつどった、稀有な討議となっている」。

 本書が市民運動の「教科書」であるなら、読者が学ぶことの第1は忍耐で、第2は人との繋がり、第3はアジアとの対等なまなざし、だろう。それらがいかに難しいことかがわかったとき、三者の偉大さがわかり、敬意を払わざるをえなくなる。アジア太平洋戦争前後に生まれた三者の声は、1960年生まれの司会者に確実に伝わった。それを「戦後責任って、何ですか?」「何をいまさら。戦後もう何年経ったと思ってんの?」と言う日本社会の多数派、とくに野中広務らの声に耳を傾けようともしない政治家にどう伝えていくか。三者の闘いはつづく。

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2015年05月12日

『「戦場体験」を受け継ぐということ-ビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩いて』遠藤美幸(高文社)

「戦場体験」を受け継ぐということ-ビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩いて →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「戦場体験」を記録したもので、もっとも資料価値が高いのは、戦場で書いたものである。だが、全滅した部隊では、そのような記録は、まず期待できない。わずかな生存者が戦場でのメモをもとに、時間をおかずに捕虜収容所などで書いたものなどが、つぎに期待できるものである。その後は、時間が経つにつれて資料的価値は下がっていく。「戦場体験」を記録しようとする者は、できるだけ正確に書こうと、戦友を探し、情報を集める。そして、1970年前後に防衛研修所戦史室から戦史叢書が出版されると、「公刊戦史」として貪るように読んで参考にする。たとえ誤りがあっても、偏った記述であっても、頼らざるを得ない。このように学習した成果としての「戦記もの」は、書いた本人が満足しても、歴史研究者としては資料的価値が低いといわざるを得ない。ましてや、「戦場体験」をしていない者が聞き書きしたものは、もはや「原資料」とはよべなくなる。敗戦後70年が経ち、「戦場体験」の意味がまったく違ったものになろうとしている現在、著者、遠藤美幸は、どのように「戦場体験」を受け継ごうとしているのだろうか。

 本書では、「公刊戦史」を参考にした記述が頻出するが、アメリカ公文書館やイギリス公文書館の資料に加えて、中国側の聞き取り資料も出てくる。そのなかには、日本軍に殺害された家族の戦後の暮らしが描かれたものもある。これら複数の側からの資料をつきあわせ、検討することによって、新たな戦場観と戦後を含めた戦史を描くことができるようになる。体験者本人が、わからなかったことや気づかなかった「真実」に、迫ることができることもある。

 このブログで前回取りあげた『シンガポール戦跡ガイド』の著者、小西誠が「大虐殺の実行責任者」と書いた辻政信も、本書では違ったイメージででてくる。たとえば、ひとつは有能な参謀として、つぎのように描かれている。「戦争は起きてしまったら、参謀どころか軍司令官さえも止めることが難しいのだ。戦争という暴走車は一度走り出したら、ブレーキが効かず、決着がつくまでは止めることができない。「断作戦」を立案し指揮した辻や黍野[弘]ら軍上層部の参謀でさえも、無謀で勝算のない作戦であることを認識しつつも全滅を回避できなかった。その代償はあまりに大きかった」。

 もうひとつは、戦後の日本社会のなかで「戦前・戦中の旧日本軍上層部の金と人脈が連綿と息づいている」例として、辻と児玉誉士夫、岸信介、鳩山一郎らとの関係が描かれている。そこには、「全滅戦」に関与したことなど、まったく感じさせない戦後がある。

 それどころか、辻が自著『十五対一』(酣火社、1950年)で「美談」を捏造したことを、つぎのように紹介している。「「日本人慰安婦は晴着の和服に最後のお化粧をして青酸カリをあおり、数十名一団となって散り、朝鮮娘五名だけが生存」(一二九頁)と書いているが、実態は、彼女らは死に化粧もしていないし晴着も着ていなかった。死因も青酸カリではなかった。さらに、日本人「慰安婦」の詳細がわからないだけに、死亡した二人が日本人かどうかも不明である。つまり、青酸カリをあおり、朝鮮人「慰安婦」を逃がして、大和撫子は兵士とともに死を選んだというのは、辻の捏造した「美談」であり、事実とは異なる」。

 このような事実とは異なる「戦場体験」を含め、どう後世に伝えていくか。本書のような一般書ではなく、学問的にどのようなかたちで残していくのか、大きな課題を著者は背負っているように感じた。

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2015年05月05日

『シンガポール戦跡ガイド-「昭南島」を知っていますか?』小西誠(社会批評社)

シンガポール戦跡ガイド-「昭南島」を知っていますか? →紀伊國屋ウェブストアで購入

 著者小西誠は、「著者略歴」によると、「1949年、宮崎県生まれ。航空自衛隊生徒隊第10期生。軍事ジャーナリスト」で、『自衛隊の対テロ作戦』『ネコでもわかる?有事法制』などの時事問題のほか、『サイパン&テニアン戦跡完全ガイド』『グアム戦跡完全ガイド』など戦跡ガイドの著書がある。

 本書は、「シンガポールに残されているアジア・太平洋戦争の戦跡について、同国の戦争記念碑を参考にしながら、筆者の調査・認識をも加えて整理・紹介したものである」。本書の背景として、韓国・中国政府とだけでなく、「アジア・太平洋戦争下において日本軍の侵攻・占領下に置かれ、南京大虐殺に匹敵する住民虐殺(大検証・粛清)に遭ったシンガポール」とも、「日本政府との「歴史認識問題」も厳として存在している」ことがある。

 著者は、こういう状況のなかでの不幸をつぎのように述べ、本書の目的としている。「毎年100万人に近い日本の青年たちがシンガポールを訪れ、また、シンガポール在住の日本人も、およそ2万6千人を超えるほどの経済的繋がりがありながら、この国を訪れる(あるいは在住の)日本人たちが、かつて日本軍がこのシンガポールで何を行ったかをまったく知らないことだ。これでは、本当の意味での経済的・文化的交流が存在しないばかりか、真の友人にはなれないだろう」。「シンガポール政府は、戦後50年にあたる1995年、国内の11カ所に、日本軍の戦争と占領の記念碑を構築、あるいは、この戦争の傷跡を残すために、戦跡を同国の文化遺産として登録している」。「戦争記念碑は、たえず再発掘・再発見されるばかりか、現在もなお政府によって新しく建てられつつある。戦争の記憶を更新し、その礎の上に強固な平和を構築するという決意を感じる」。それにたいして「現在の日本では、戦後69年という長い歳月が経つにつれ、体験として戦争を知る世代が次第に失われつつある。それに伴って、戦争を賛美する「戦争を知らない政治家たち」が、国会を中心に増殖しつつある」。

 「本書では、シンガポール政府の指定する「第2次世界大戦跡地」(11カ所)、「国指定史跡」(39カ所)などの他、筆者が独自に調査したものを紹介している」。この50カ所の意味を知ることも大切だろう。また、著者は、大虐殺の責任者が戦犯を免れたことにこだわり、本書をつぎの文章で終えている。「大虐殺の実行責任者・辻政信が、GHQの妨害の中で逃亡し、戦犯を免れたことは、戦犯裁判の不徹底性はもとより、戦後の米軍支配下の占領政策の、重要な問題性を突きつけている」。

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