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2015年03月31日

『投資社会の勃興-財政金融革命の波及とイギリス』坂本優一郎(名古屋大学出版会)

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 本書を読みながら、現代の金融のことを考えていた。つまり、本書でおもに扱っている18世紀後半から19世紀初めのイギリスの「投資社会」が現代につながっているということである。

 本書帯には、大きく「証券投資をする人びとの誕生」とあり、その下につぎのような説明がある。「イギリスで、投資はいかにして中流の人びとや労働者層・女性にまでいきわたったのか。政治・社会・文化・経済の幅広い文脈で生じた革新の全体像を、ヨーロッパ・アメリカへの拡大も視野に捉え、投資社会化がもたらした衝撃と、今日まで続くその構造を見事に浮き彫りにした注目作」。

 本書がめざしたのは、「近世末期に誕生し現代まで拡大し続けているひとつの社会のありかたとして「(証券)投資社会」を提起し、イングランド財政金融革命論の可能性を開くこと」であった。本書のキーワード「投資社会」は、つぎのように説明されている。「簡単にいえば、証券を売買し、保有し、利子や配当を得る行為が存在する社会のことをいう。こうした行為は近代社会の形成とともに人びとのあいだに定着していくため、投資社会の勃興は近代社会にとって欠くことができない前提でもあった」。

 そして、投資社会は、つぎの6つの要素からなり、「本書では、これらの要素がすべて、あるいはその多くがみられる社会を投資社会とみなす」としている。「第一に、個人が証券投資によってモネタリな関係をとり結ぶ。第二に、こうした個人の証券への投資をもとに政治・経済・社会上の諸制度(国家・株式会社・社会的間接資本・投資組合など)が構築される。第三に、事業設計や事業への投資は、学知が正しいと認めるかぎりにおいて、誰の目にも明らかなように「客観化」されるとともに専門家から評価され、貸し手、借り手、第三者に、予測可能性が付与される。第四に、証券への投資、あるいは一定の投資の様式が、社会的に承認される(投資と投機の峻別)。第五に、社会空間の構築や制度の設計・実施リスクが、「証券」を発行し、かつ、それに投資されることにより分散する。第六に、投資家がそのリスクを引き受け、リスク引き受けの対価として金銭的な利益、すなわち、利子や配当を得る」。

 この「投資社会」論という概念を用いて、著者、坂本優一郎は、先行研究で充分に議論されていない、つぎの3つに論点を絞って考察を進める。「第一の問題は、対象となる時間の枠組みである」。「イングランド財政金融革命「完了」後の一八世紀後半から一九世紀初めにかけては、具体的な研究をみつけることさえ難しくなってしまう」が、「この時期は非常に重要な意味をもつ」。この時期が、「近世末期の国際的な政治空間の変容を促進した」だけでなく、「人びとの投資行動のみならず、国家の信用に対する見方も一変させるとともに、科学による合理的な投資を促進していく大きな契機にもなった」からである。

 「第二の問題は、空間の枠組みである」。「対象となる空間をイングランドに限定する視線」を「「ブリテン」や「帝国」に拡大しても、それは境界を変更したにすぎず問題の根本的な解決をもたらすわけではない」。「政治的な境界を前提としてその内部にイングランド財政金融革命をみるのではなく、逆にイングランド財政金融革命から政治的な境界を問うべきである」。

 「第三の問題は、研究の対象である。これまで言及してきた研究の大部分が、イギリス政府公債とそれに準じる特権会社の証券に対象を限定している」。「しかし、一八世紀後半の人びとが保有していた証券は、けっしてイギリス政府公債に限定されるものではない」。「つまり、一八世紀後半を生きていた人びとの立場でみれば、イギリス公債もその他の証券類も同じ投資対象であったのである。イギリス政府公債とこうした証券類とを、それぞれの関係を問いつつ、ひとつのパースペクティヴで同一地平線上にとらえる必要がある」。

 このような概念のもとで3つの問題点を包括的に扱い、本書が注目するのは、つぎの点である。「「国家が最も信用に足る存在である」という認識そのものが、歴史的にみればけっして与件ではなく自明なものでもない、という点である。それはあくまで、投資社会とともに歴史的に形成されてきた認識ではないだろうか。国家に対する信用認識の生成は、投資社会の勃興とその拡大に必要にして不可欠な最も重要な課題となったのである」。

 以上のことを踏まえて、本書は4部全9章から構成され、「政治的な局面、社会的な局面、文化的な局面、経済的な局面の四局面をバランスよく配置し、これらの局面が相互に連関して勃興していく投資社会の相貌を可能なかぎり多面的に叙述」する。それぞれの部のはじめに部全体を見渡す記述があり、それぞれの章には「はじめに」と「おわりに」があって、目的と結論が明確に述べられており、理解しやすい。

 「終章 投資社会とは何か」では、「政治・社会・文化・経済の各側面にそくして本書の内容をかんたんに整理したうえで、投資社会とは何か、結論を提示」している。その最初の見出しが「戦争という背景」というのは、なんともむなしいが、近代社会が戦争からはじまったことを示している。著者は、つぎのようにまとめている。「近世ヨーロッパで遊休資金への最大の需要を提供したのは、国家であり戦争であった。あくまで出資者の自由意思にもとづく戦費の借り入れが選択された結果、公信用の確率は戦費に悩む各国の政策担当者にとって最優先される事項となった。実際、イギリスとフランスが戦った第二次百年戦争において、勝敗の帰趨を分けた最重要要因のひとつが、投資社会からの資金調達能力であった。近世最末期のヨーロッパ世界において、投資社会の形成を促進し、資金の流動化をもたらしたのは戦争であった。なかでも七年戦争はその最も重要な契機となった」。

 その戦争の拡大とともに、「近代化と投資社会空間の拡大」が起こった。「投資社会は近世のイギリスやオランダをはじめとする西欧世界に豊富に存在していた遊休資金を稼働させることに成功し、まずは国家、次に社会基盤整備の主体を対象に遊休資金を自発的に流動化させることで、同時に利払いのための重税化を通じて強制的な資金の流動化をも実現する。その結果、戦争というかたちで近代的な政治秩序への再編成を促進するとともに、経済社会の近代化=工業化のための基盤整備をも促した」。「投資社会は、水平的な拡大によって各政治体を包摂し、それぞれに財政改革を促すことで政治体としての凝集性、すなわち徴税の効率化を伴う近代財政国家化を促進した。こうして、どちらかといえば静的で循環的な秩序を基調とする近世の最末期に投資社会は勃興し、自発的な個人が証券投資に参加することで遊休資金の流動化が進展した結果、投資社会は動的な秩序を基調とする近代への移行を支えた。そして投資社会は今なお、水平的・垂直的に拡大し続けているのである」。

 ここで忘れてはならないのは、この「投資社会」が鉄道建設やプランテーション開発など、帝国主義的侵略・植民地化を世界各地でおこなうことを可能にしたということである。実体経済から遊離して生み出される遊休資金によって、投資先が「つくられ」、近代化=植民地化が進んでいった。そして、今日の「援助資金」へとつながっていく。世界銀行、アジア開発銀行、さらに中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)が生まれようとしている。また、本書で明らかにしている「国家が最も信頼に足る存在」ではないなかで、政府主導の経済政策にわれわれは巻き込まれている。本書が扱った「投資社会」の勃興期から、われわれはなにを学んで、現代の「投資社会」と向きあわなければならないのか。「中間報告」の続編を期待したい。

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