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2015年02月24日

『アウンサンスーチーのビルマ-民主化と国民和解への道』根本敬(岩波現代全書)

アウンサンスーチーのビルマ-民主化と国民和解への道 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書巻末の「参考文献」の「日本語文献」だけみても、アウンサンスーチー著6冊、「アウンサンスーチー」をタイトルにした書籍5冊がある。言説だけが先行し、2012年4月に下院議員に当選してからの実際の政治的手腕に疑問をもつ内外の人びとがいるなかで、またしてもかの女を取りあげる意味はどこにあるのだろうか。そのカギは、副題の「民主化」と「国民和解」、とくに後者にありそうだ。

 著者、根本敬は、「序章」で「一部で言われてきたように「妥協を知らない理想主義者」で「頑固な女性」」ではないことを、説明するために、つぎのように述べている。「本書はメディアがとりあげることの少ない彼女の思想に注目し、その特徴について論じる。なかでも彼女の非暴力主義と、それと密接に関連する和解志向をとりあげ、彼女がいかなる方向に国民を導こうとしているのかを示す。その際、彼女の歴史に対する見方についても検証する」。

 かの女にかんする出版物や論考が多いなかで、著者が本書で力点をおくのは、「彼女の非暴力主義であり、さらにその延長線上にある和解志向の特徴を見ていくことである」。その理由は、つぎのように説明されている。「ビルマが歩んできた歴史(特に英領植民地以降の近現代の歩み)とここ数十年の政治状況から見て、この国の未来を考えたとき、彼女の思想と行動の中に見られるこれら二つの要素がきわめて重要な意味を持つと考えられるからである。現在のビルマで、国民に責任を持つ政治家として自国と自国民のあるべき未来を示しながら活動するアウンサンスーチーの意図は、その非暴力主義と和解志向の理解を抜きにして語ることは困難である」。

 「アウンサンスーチーが最も重要な課題として認識しているのは、自国の近現代の歴史に貫かれた「暴力の連鎖」を断ち切ることである。そのためには非暴力を手段にして民主化を実現させ、その過程で「法による支配」を確立し、内部で分裂や対立をする国民の相互和解を推しすすめていくことが重視される。彼女の思想を見ていく場合、この一番大切な部分を見落としたり軽視したりすることは許されない」。

 このかの女が抱く祖国の歴史理解を前提として、本書は序章、全4章、あとがきからなる。「第1章 半生を振り返る」では、「彼女の半生を振り返る。そこでは早くに父(アウンサン)を失った少女時代における母親の影響、一五歳からの外国生活(インド、英国、米国)、英人研究者マイケル・アリスとの結婚に伴う英国オクスフォードでの生活、日本での研究滞在、その間の祖国ビルマの政治的停滞と混乱、一九八八年以降の民主化運動への参加と軍政との闘い、それに伴う長期自宅軟禁、そして二〇一〇年一一月に最終的に解放されるまでの歩みがひとつひとつ叙述される」。

 「第2章 思想の骨格」では、「彼女の思想の骨格を検証する。「恐怖から自由になること」、「正しい目的」と「正しい手段」の一致、「真理の追究」という実践、「問いかける姿勢」の重要性、社会と関わる仏教(Engaged Buddhism)の大切さ、そして彼女の「開かれた」ナショナリズム観を象徴する「真理にかなった国民」という六つの骨格を示し、それをひとつずつ、できる限り彼女自身の言葉を引用しながらとりあげ、その意味するところを分析する」。

 「第3章 非暴力で「暴力の連鎖」を断つ」では、「アウンサンスーチーの行動を考えるうえで最も重要な非暴力主義について見ていく。彼女が語る「戦術としての非暴力」とはどういうものなのか、なぜそのような考えを抱くようになったのか、それらを彼女の進歩史観的な歴史認識と連関させて考える。あわせて「暴力の連鎖」として彼女が認識するビルマの近現代の歩みを知るため、この国の近現代史にあらわれた主要な暴力事象について振り返る」。

 最後の「第4章 国民和解への遠き道のり」では、「二〇一〇年一一月に延べ一五年以上にわたった自宅軟禁から解放されたあとのアウンサンスーチーの行動を追う。はじめに、軍事政権から「民政」へ姿を変え、民主化と経済改革に向けて大きく舵を切り始めた現政権の特徴と「変化」の限界を検証し、その基盤となっている二〇〇八年憲法の問題点を明らかにする。そのうえで、二〇一二年五月に下院議員に就任した彼女が推しすすめる国民和解の意味と、彼女が考えるその方法、彼女の和解観、そしてそれを阻害するいくつかの深刻な国内的要因を示す。そこでは現在のビルマにはびこる排他性を強く持ちすぎたナショナリズムの問題をとりあげ、アウンサンスーチーの支持者までがその呪縛から自由になれていない現状と、一方で彼女を支持する人々のなかに見られるアウンサンスーチー個人崇拝の問題に触れる。これらの検証を基に、現在の彼女の立ち位置と今後の課題を示し、本書の議論を終えることにする」。

 現在、反政府(反軍事政権)活動を続けている民主化要求活動家や少数民族独立・自治権獲得活動家らは、タイとの国境付近などを根拠地とし、ビルマの不安定要因のひとつになっている。これらの活動家がアウンサンスーチーをどう思っているのか、かの女の今後の活動において大きな意味をもつことは、ビルマの歴史と現状を多少知っている者なら容易に想像がつく。それにたいして、著者は、2009年3月に現地で聞き取り調査をおこない、その成果を第3章第3節で紹介している。その結果は、第4章のタイトル通り、和解への道が遠いことを示している。ベトナムなど近隣諸国でも少数民族の国民国家への統合が大きな問題であり、現在のフランスやドイツは数パーセントのイスラーム教徒の存在に苦悩している。

 容易に解決しないということは、2010年に65歳で自宅軟禁から最終的に解放されたかの女の思想が、どのようにつぎの世代へと受け継がれるのかということが問題になる。「あとがき」で2人の市民活動家が紹介されているが、本書を通じてかの女の人と人とのつながりがよくわからなかった。かの女の支持母体である国民民主連盟(NLD)とは、どういう組織なのか。「非暴力」ということでガンジーとの比較がされているが、ネルーに相当する人物が現れるのか、あるいは別の思想家やカリスマ的リーダーが現れるのか。かの女の先を考えたいと思った。いずれにせよ、多くの血が流されすぎたビルマで、これ以上、血は見たくない。

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2015年02月17日

『ナイチンゲールの末裔たち-<看護>から読みなおす第一次世界大戦』荒木映子(岩波書店)

ナイチンゲールの末裔たち-<看護>から読みなおす第一次世界大戦 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「ナイチンゲール」のタイトルに惹かれて、本書を手にとった人がいるかもしれない。「看護師と雑役婦とが判別しにくかったこの時代に、下層階級から看護を取り戻し、看護師の社会的地位を高めた」ナイチンゲール(1820-1910)の伝記を、子どものときに読んだ人びとにとってナイチンゲールは大人になっても「憧れ」の存在であろう。だが、今日の研究者の世界では、「伝記作家がナイチンゲールの業績を過大に評価し、それ以前の看護師を貶めてしまったために、ナイチンゲールが劇的に看護を変えたかのように理解されてきたが、それは今修正されつつある」という。本書は、ナイチンゲールが看護師の社会的地位を高めた後の第一次世界大戦中の「看護」から、「大戦の記憶を書き換える」試みである。

 著者、荒木映子は「大戦と看護師」をとりあげる理由を、つぎのように「序」で説明している。「これに注目したのは、イギリスでは大戦時女性たちが多数看護師となって戦場にわたり、傷病兵の看護に奮闘しているからである。しかも、訓練看護師(トレインドナース)ではなく、速成の訓練を受けただけの篤志(ヴォランタリー)の看護師の活躍が目立ち、看護現場での壮絶な体験を文学作品に著した者も多い。彼女たちは、女性版志願兵に相当し、中流以上の階級に属する教育のある女性たちであった。若くて献身的で、糊のきいた白い帽子とエプロンを身に着けてかいがいしく働く彼女たちの評判は高く、労働者階級出身者が多い訓練看護師との間で軋轢が生じることもあったという。イギリスだけでなく、フランス、ロシア等でも、貴族階級や王室関係者、あるいは女優も看護に従事している。アメリカは一九一七年四月にドイツに宣戦布告するまで中立を保っていたが、自分で旅費の工面ができる女性たちは、看護資格の有無にかかわらず、参戦する前から海を渡って連合軍を助けた。その数は二万五〇〇〇人にのぼるとされている」。

 本書は、序、全6章、結語からなる。著者は、その概略をつぎのように述べている。「近代的な看護をうちたてたと言われるナイチンゲールの以前・以後の看護の歴史の中で、大戦の看護を位置づけるという身の程知らずの試みから本書は始まる。第2、4、5章に大戦の看護師たちの書いた作品の検討を配し、第3章では、訓練看護師と篤志看護師との比較を行い、イギリスの志願兵/篤志看護師の活動の源となった歴史的背景を考察する。第6章では、日本赤十字社が政府と陸軍のお墨付きで行った「救護看護婦」(当時の正式名称である)の海外派遣について述べる。戊辰戦争で銃を持って戦い、敗戦後は同志社の創立者となる新島襄と結婚した新島八重は、日清・日露両戦争で「篤志看護婦」(略)として内地の予備病院で傷病兵の看護にあたったが、日赤救護看護婦は、英仏露へと初めて海外へ派遣された訓練看護師であった。このあまり知られていない救護活動について、英米の看護師たちの活動と比較しながら検討する」。

 「文学、看護学、文化史、軍事史にまたがり、英米、日本と壮大すぎるスケール」を扱った本書は、これまで「英文学研究の世界に閉じこもって」いた著者にとって挑戦であった。そのことを著者は、「あとがき」で、つぎのように吐露している。「長年英文学の研究論文を書いてきて思うのは、テキストの内へ内へと入り込んでいく批評、「理論」によってやたら難しくなった文学批評は、専門家でなかったらわかってもらえないだろうなということだった。対象になっている作品を読んでいない読者、文学批評を知らない読者はまず読んでくれないだろうし、読んだとしてもわからないだろう。テキストの外へ向かって、文化や歴史に解き放ってみると面白いのではないか、大学で専門を異にした友人、小・中・高の同級生、研究者でない一般の人たちに読んでもらえるような本を書きたいと常々思ってきた。それで、文学作品をとりあげる時には、読んでいない人にもわかるよう、できるだけ作者の伝記や作品の内容を面白く取り上げるようにした。取り上げた作品はいずれも日本語訳が出ていないし、英文学研究や第一次世界大戦研究でもまだあまり考察の対象にはなっていない。トレンチ・マガジンやホスピタル・ガゼットの研究は英米でも始まったばかりで、これらを少しでも組みこむことができたのは、文学研究の枠をはみ出したおかげである。もちろん文学批評的言辞を一掃したわけではない。どこまで戻って説明していいかわからないことも多かった。文学研究者から見ると作品分析が不充分であろう。一般読者にも、英文学、看護学、西欧だけでなく日本の歴史や文化の専門家にも興味を持って読んでもらえることを目指して書いた」。

 この挑戦は、少なくとも本書の編集者とわたしには成功したように思える。それは、それぞれの分野で、なかなか文章にできなかったことを、文学を通して明らかにしたということを意味する。たとえば、軍事看護の歴史はこれまでほとんど研究されてこなかったし、ましてやそれに従事した看護師の日常生活はよくわからなかった。第一次世界大戦時にヨーロッパに派遣された日赤救護看護婦のこともわからないことだらけで、著者は「あとがき」で「手記があれば、教えていただきたい」と読者に協力を求めている。社会史家は、フィクションからでもそのイメージをつかみたいと思っている。その先が、たいへんなことを知っていても・・・。

 ひとつ気になったことがある。日赤救護看護婦の「手記」など書いたものが少ないのは、かの女らが訓練看護師だったからで、それは本書で指摘しているとおりである。それにたいして、篤志看護師は職業として生活の糧にしていないからこそ、客観的に看護の現場を書くことができた。それはそれで看護の「実態」の一側面を知るための貴重な記録となったが、「手記」などのすくない訓練看護師の側から見た「実態」より重要だろうかということである。平時にも戦時にも主力となったのは訓練看護師であって、その功績は大いに認めても篤志看護師はあくまでも臨時のものである。だからこそ、著者も日赤救護看護婦の書いたものがなければ充分でないと考えたのだろう。社会史の領域に入ると、書けないものの存在がだんだん大きくなってくる。

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2015年02月03日

『日の丸が島々を席捲した日々-フィリピン人の記憶と省察』レナト・コンスタンティーノ編、水藤眞樹太訳(マニラ新聞)

日の丸が島々を席捲した日々-フィリピン人の記憶と省察 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「本書は当初、日本人読者向けの出版物として企画され」たが、1993年に英語の原文がフィリピンで出版されたままになっていた。その「序」で、編者のレナト・コンスタンティーノは、つぎのように述べている。「日本人はこの間の年月、他国を占領した自国の軍隊が犯した残虐行為と罪について知ることを故意に妨げられており、かかる歴史の意図的な歪曲ゆえに、先の戦争においては侵略者ではなく犠牲者であったという考え方が再び広まっているという点で、本書の物語は日本人が自分たちの過去と向き合うのに役立つであろう」。

 そのために「執筆者四人は、日本人占領者と直接に触れ合った体験をもつ人々が何を感じたのかを後世のために残そうと、共通の努力をした。その記述は年齢や職業、地域を網羅している」。「ここに収められた四論文は全て、公的史料では決して伝達できない暖かい人間性にまつわるフィリピン史の重要な一面を思い出させるのに役立つと言えよう。筆者たちは、語るべき経験を持っている多くの人々がそれを書き留めて残し、フィリピンの過去というタペストリーをますます豊かにしてくれるよう望んでいる」。「筆者たちはまた、日本人がこれまで用意周到に隠されてきた自国の過去の一時期について検証するよすがになることを願っている」。

 残念ながら、この20年ほどの間に、日本人が、戦争中におこなったことを海外の戦場となった人びとがどう感じ、後世に伝えようとしているのか、真摯に耳を傾ける状況はさらに悪化した。植民支配下や戦争中の混乱した状況下で、「他国を占領した自国の軍隊が犯した残虐行為と罪」を、被害者の立場で記録に残すことはひじょうに困難で、「証拠を示せ」といわれても無理な話である。だが、いまの日本では、本書に収められたような「公的史料では決して伝達できない暖かい人間性にまつわる」ような話は、充分な証拠がないとして否定される。ましてや、本書のために集められた証言の多くは、1990年前後に語られたもので、戦争の結果を知っており、戦後にステレオタイプ的に語られた言説の影響をうけている。日記など同時代史料に基づいて書かれていない、このような証言を読み解くには、高度な知識と分析能力を必要とする。本書の訳注や訳者補足はひじょうに親切であるが、学問的に「証言を否定する」人びとを説得するには充分でない。

 編者は、亡くなる1999年まで長年「フィリピンの論壇で日本の軍国主義復活に警鐘を鳴らして」きた歴史家として知られるが、その編者について「日本はそう簡単に軍国主義へ先祖がえりはしないと考えるようになったフシがありました」と、マニラ新聞社長の野口裕哉は「日本語版へのまえがき」で述べている。そして、「日本とフィリピンの関係で足りないのは相互理解」だと確信したとも述べている。本書を歴史的事実を述べたものとしてではなく、戦後40数年たって「日本人占領者と直接に触れ合った体験をもつ人々が何を感じ」、「後世のために残そう」としたのかを、いまの日本人の若者が理解するなら、「日本はそう簡単に軍国主義へ先祖がえりはしない」だろう。だが、いま本書をさらに多くの日本人読者が読めるかたちで出版しても、逆に確たる証拠もなしに「ありもしなかった自虐史」を広めたとして抗議されるかもしれない。いまの日本は、相互理解以前の状況にある。

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