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2014年11月18日

『食べること考えること』藤原辰史(共和国)

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 「読者の食欲を減退させることがここでの目的ではない。目的は違うところにある。食べものは、祈りにも似た物語がなければ美味しく食べられない、という事実を確認するためだ。わたしたちは「食べもの」という幻想を食べて生きている。ただ、やっかいなのは、幻想であるがゆえに物語が肥大化することだ」。著者、藤原辰史は、「食べものとは、叩いたり刻んだり炙ったりした生きものの死骸の塊なのである」と記した後、このように書いている。勘違いしてもらっては困るのは、本書はけっして美味しく食べるための「物語」を書いたものではない。しかし、なんとなく、食べるのが楽しみに、あるいは怖く、なる本である。

 冒頭から著者の子どものときの体験が語られている。本書のところどころに、著者が生まれ育ち、生活の場となった北海道、島根、京都、ドイツ、東京での体験から「食べること」を「考えていく」ストーリーが組み込まれている。身近な「食べること」が、自分だけの問題ではなく、家族、仲間、地域、時代、社会の問題として語られる。深刻な問題もあれば、つい微笑んでしまうとるに足らない著者のこだわりが語られることもある。

 本書は、この10年間ほどのあいだに、著者がいろいろなところで書いてきたものを1冊にまとめたものである。「フードコートで考える」「農をとりまく環境史」「台所の未来」の3つに分類されているが、便宜上のものにすぎない。読者は、目次をみて、気になるキーワードをみつけて読んでいけばいいだろう。たとえば、「未来のために公衆食堂とホコテンを!」を選び、公衆食堂でどのような美味しいものを食べさせてもらえるのか、と期待したらがっかりするかもしれないが、家事の近代化が世間の常識とは逆にお母さんを忙しくさせたことがわかったりする。『おっぱいとトラクター』なるタイトルの本も紹介されている。背筋が寒くなるような、「地球にやさしい戦車」や「稲作と水爆」というのもある。

 「考えること」を、著者はひとりでできたわけではない。「あとがき」でつぎのように述べている。「本書に収められた諸論考のほとんどは、「複製技術時代」に人びとが生きものを食べたり育てたりする行為が、どのような変化を遂げ、どのような可能性を持っているかについて、貧弱な脳細胞を酷使した記録である。一方で、さまざまな人との出会い、共に食べ、共に考えた記録でもある」。なにも考えずに食べることができる時代や社会はきそうにないので、考えずにいられない、というのが結論のようだ。

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2014年11月11日

『アフリカを活用する-フランス植民地からみた第一次世界大戦』平野千果子(人文書院)

アフリカを活用する-フランス植民地からみた第一次世界大戦 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 「一八八七年、フランスはそれまで植民地省の管轄にあったコーチシナ(南部ベトナム)とカンボジア、保護国で外務省の管轄にあったトンキン(北部ベトナム)とアンナン(中部ベトナム)を一括して植民地省に移管し、インドシナ総督の下にフランス領インドシナ連邦を結成した。九九年に保護国ラオスが、一九〇〇年に清国からの広州湾の租借地が連邦に加わった」と、本書と同じシリーズ「レクチャー 第一次世界大戦を考える」の拙著『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年)に書いた。だが、同じフランス領と思って、本書を読むととんだ勘違いをすることになる。ベトナムなどフランスの植民統治下におかれた東南アジアの国や地域を研究する者が、アフリカを念頭において語られるフランス植民地主義に違和感を感じる意味がわかったような気がした。東南アジアには、フランスと対峙することができるだけの歴史と文化・社会があったということだろうか。

 著者、平野千果子は、「ヨーロッパの植民地、なかでもフランス植民地を通して第一次世界大戦を再考しよう」とした。その「フランス植民地」とは、本書では具体的にどこを指しているのだろうか。著者は、「はじめに」でつぎのように述べている。「フランス植民地のなかでも、サハラ以南アフリカに注目する。西アフリカ沿岸部には、かつて奴隷積み出しの拠点があったために、ヨーロッパとの交流の歴史は長くなるが、面的支配という観点からすれば、アフリカは一九世紀末の帝国主義の時代に獲得された新たな植民地である。地理的にフランスの真南に位置するこの地は、広大で資源も豊富であり、戦間期になって本格的な開発・活用の対象とされるのである」。

 「第一次世界大戦が現代史の出発点、あるいは世界史の転換点とみなされていることについて」、著者は「こうした基本的な見方を否定するわけではもちろんないが、本書でフランスの植民地を通して考えてみたいのは、この側面についてである」とし、「そのような認識を念頭にフランスの植民地を取り巻く状況に目を移すと、やや異なる事態が展開しているのに気づかずにはいられない」と述べている。そして、「植民地支配という視角に立って、第一次世界大戦の前後を通して連続する側面に焦点を当てて考えてみたい」としている。

 また、本書で注目するサハラ以南アフリカについては、つぎのような説明がされている。「フランス領の場合、サハラ以南アフリカはきわめて「親仏的」な様相が色濃い植民地として語られている。帝国主義時代の征服の過程では激しい抵抗も起きたが、そうした動きが抑圧されたことが、その後のフランス支配への対峙の仕方に影響した面もあると思われる。フランスの目には、とりわけアジアにおけるフランスへの抵抗が深刻に映ったようで、たとえば帝国主義時代に活躍した地理学者オネジム・ルクリュは、『アジアを放棄してアフリカを手に入れよう』という書物を一九〇四年に著している。征服にも支配の維持にも手間暇のかかる遠方のアジアよりは、身近で広大なアフリカを掌握すべきだとの立場である。その後の戦間期、アフリカとの協力関係を説いたジョルジュ・ヴァロワは「アジアを放棄してアフリカを守ろう」(一九三一年)と主張するにいたる。ヴァロワのような楽観的な見方の背後には、「親仏的」なアフリカの姿もある」。

 本書は、「はじめに」、全3章、「おわりに」からなる。まず「第1章 植民地の動員・戦争のなかの植民地」では、「第一次世界大戦に際して世界に広がるフランス植民地がどのように関与していくのか、およその全体像を人員提供の面から整理する。これは大戦期におけるフランスの植民地帝国「活用」の一面である」。つぎに「第2章 「精神の征服」」では、「アフリカに焦点を絞り、戦争中のフランスがアフリカにいかに働きかけたのか、「精神の征服」という時代のキーワードを念頭に、大戦からその後の時期にかけて刊行された、いくつかの書物を通して考える。いわば「活用」の基礎固めとも言える側面である。最後に「第3章 シトロエンのクルージング」では、「戦間期のフランスがアフリカをどのように「活用」しようとしたのかについて、政治・経済史的な側面よりも、社会・文化史的な観点から捉えるよう心がける。具体的には車会社シトロエンが行なったアフリカへの遠征を視野に入れる。これは植民地アフリカの内部を有機的につなぐという大戦期に生じた必要を母体に、数台の車を連ねてサハラ砂漠やアフリカ大陸を走破したものである。大衆の心をつかんだこの壮大な企画から、むしろ植民地へのまなざしを見て取れるのではないかと思う」。そして、「そのような作業を通して、戦前から継続する側面を大づかみにできないだろうか。それが本書のめざすところである」と、「はじめに」を結んでいる。

 全3章を通じて、著者は「第一次世界大戦の前後に連続性をみるという立場から、フランス領サハラ以南アフリカに焦点を当てて考察を進め」、「少なくともフランス領アフリカを通してみるかぎり、植民地支配の正当性が揺らいでいるという認識がフランスに生じたとは言い難い」と、「おわりに」の冒頭で結論している。そして、つぎのような文章で、「おわりに」を結んでいる。「必要なのは、第一次世界大戦が大きな時代の転換点となったことを前提して、植民地支配に関連しても、この戦争が将来の脱植民地化の起源となったのかどうかを議論することではあるまい。それよりは、アフリカがヨーロッパに短期間に支配されていく、まさにベルリン会議[1885年]前後の帝国主義時代から今日に至るまで、どのように両者は関わり合い、どのような歴史が展開されたのかというという(ママ)側面を軸にして、第一次世界大戦がアフリカの歴史に、ひいては世界の歴史にどのような意義をもつのかを問い直す姿勢が、求められるのではないだろうか。少なくともフランス領アフリカを通して考えるならば、一体化した世界の歴史を多面的に捉えるまなざしの必要性に、突き当たると思われる」。歴史学として、すごく納得させられる結論である。

 本書から、アフリカに東南アジアに匹敵する歴史や文化があったかどうかわからなかったが、東南アジア、とくに大陸部にはフランスによる植民地化以前にベトナム、ビルマ、シャムなどの帝国があり、中国を含めて朝貢関係が発達していた。軍事的占領による「植民地化」も何度も経験している。フランスによる植民地化は、はじめての経験ではなかった。

 その旧フランス領インドシナを含む東南アジアでは、近年、地域研究が発達し、植民地宗主国に偏った史料などから近代史を再構成し、想像の共同体としての国民国家建設への「神話」をつくってきた。そんななかで、第一次世界大戦後のパリ講和会議で、アメリカ大統領ウィルソンが提唱した「民族自決」は、ヨーロッパを対象としただけであったが、「神話」の格好の材料とされる。歴史は過去を理解するとともに、現在、未来のために「活用」される。東南アジア研究者のフランス植民地主義の捉え方が、本書と違うのは、そのあたりに原因がありそうだ。因みに、ベトナムでは「過去にフタをして未来へ向かおう」がスローガンになっている。

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2014年11月04日

『インドネシア 創られゆく華人文化-民主化以降の表象をめぐって』北村由美(明石書店)

インドネシア 創られゆく華人文化-民主化以降の表象をめぐって →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書の目的を、著者北村由美は、「序」の最後で、つぎのように述べている。「民主化とは、公正な選挙を行い、言論の自由を保証するための制度を確立し、そして国民の平等をどのように実現していくかという試行錯誤のプロセス[で]あるといえる。そうであれば、これまで自己表象という自らの「物語」を禁じられていた華人が、ようやく語り始めた「物語」が創られる過程とそれに対応する国家側の動向を描くことは、インドネシアにおける民主化プロセスの記録の一つとなるであろう。一方で、これらの新しい「物語」は多くの場合、スハルト体制期につくられた文化のフレームを模していることから、本書は、スハルト体制が、どのように人々の意識と行動を規定していたかを検証する試みでもある。もちろん、一見同じフレームを使って発信された「物語」が、民主化後のインドネシアにおいて、新たな解釈や意味を付与されていく場合もある。そのような華人文化の変化を通して民主化を検討しようというのが本書の目的である」。

 「インドネシアでは、一九六七年以降権力を掌握したスハルトによって、同化政策の名のもとに、包括的な対華人政策が実行されていった。華人文化の表象に関して言えば、「中国的」とされる言語や儀礼などの表現を、公の場において実践することを禁じられた」。そのスハルトが、1998年5月21日に退陣した。本書は、退陣後、「インドネシアが民主化する過程で、インドネシア華人をめぐる政治的・社会的環境がどのように変化し、その中でインドネシア華人文化の表象がどのように形成されていったかを分析している」。

 著者がこのテーマに関心をもった動機は、つぎのように説明されている。「三〇年以上、すなわち一世代以上に亘って、大きな制約を受け[て]きた華人文化の表象は、はたしてどのような形で再生されていくのだろうか、もしくは、再生の名のもとに新しく創生されていくのだろうか。何が、華人文化として選択され、固定化されていくのだろうか。それらの表象が当然のものと受け止められるようになる日が来るとして、そうなる前の過程を記録していきたい」。

 本書は、序、全6章、終章からなる。「第一章 インドネシア国民文化の形成と華人」では、「スハルト体制下のインドネシアにおける国民形成と国民文化について述べた上で、同体制下において国民に含まれることのなかった、インドネシアの華人が、これまでどのように描かれてきたのかを概観する」。「第二章 インドネシアにおける華人の歴史」では、「先行研究を参考に東南アジアにおける華人の概要を踏まえた上で、インドネシア華人の歴史を紹介する」。「第三章 言語-ジャカルタ言語景観にみられる中国語使用と変化のきざし-」では、「ジャカルタにおける視覚的な言語、すなわち言語景観[に]おける変容と継続性を分析することにより、スハルト政権以降の華人の生活の一端を捉え」る。「第四章 宗教-儒教の再公認化と華人-」では、「儒教の再公認化を通して、華人と国家の交渉過程とその意義を検証する」。「第五章 表象-華人文化表象の場としての印華文化公園-」では、「インドネシアにおける華人社会団体のひとつ、印華百家姓協会による印華文化公園建設計画の考察を通して、華人文化が可視化されるプロセスと手法を明らかにする」ことを目的とする。そして、「第六章 華人文化表象のもうひとつの方向性-プラナカン概念の再浮上-」では、「プラナカンに関するコーヒー・テーブル・ブックを、マレーシアやフィリピンの同種の出版物と比較することで、ポスト・スハルト期におけるインドネシア華人の自己表象のもう一つの方向性である「プラナカン」の特徴を明らかに」する。

 これらの考察を踏まえて、著者は「終章」で「三二年間に及んだスハルト体制による華人文化への抑圧のために、私的空間で個別的に継承されてきた華人文化が一転して公的空間で発信されるようになった結果、新たに創られていった華人文化の特徴とその意義について本書の内容を」、つぎのように振り返っている。

 「まず第二章で「静的」な華人史を概観した後、第三章では、ジャカルタの言語景観を通して、歴史的な連続性とグローバル化による新しい波の中で、中国語がどのように街に表出してきているのかを検証した」。「その上で、第四章と第五章では、儒教の再公認化と印華文化公園の設立という全く違う内容でありながら、共通点の多い事例を検討した」。そして、これら2つの事例から、著者はつぎのようなことが明らかになったとしている。「いずれの事例も民主化後の動向でありながら、スハルト時代に構築された文化政策の枠組みや宗教の位置づけを重視している点である。例えば、儒教の再公認化においては、教義内容を深めたり信者数を獲得することよりも、公認宗教としての地位を回復させることが優先された。同様に印華文化公園においても、インドネシア華人文化の表象と内実を共有することよりも、タマン・ミニというスハルト時代の公定文化を体現している場所で発信することが優先された」。

 終章の「結びにかえて」では、著者は「民主化とグローバル化の帰結として、「華人性」の表象がさらに多様になっていく一方で、「華人性」というエスニシティに規定された枠組み自体が曖昧になっていく可能性を示唆」し、若い世代には、「華人であることを前提としながらも「華人性」にこだわらない形で自己表現を行う人も増えている」と結論している。そして、「本書が謳っている「華人研究」の枠組みが時代錯誤となる日が訪れる日もそう遠くないかもしれない」と結んでいる。

 歴史上、東南アジアの華人・華僑は、各国・地域で何度も迫害にあっている。1960年代後半にインドネシアでおこった華人・華僑にたいするものは、なにを意味するのだろうか。インドネシア研究だけでは、解けないものが多々ある。スハルト時代にインドネシアを旅行したことのある日本人は、中国人と間違われ、この国で中国系の者が生きていく困難さを知ったかもしれない。そして、表に自分たちらしさを出せない時代が数十年続いた後、恐る恐る出てきてみると、1966年から10年間余にわたってつづいた文化大革命の時代と違う本国、中華人民共和国との関係があった。

 もうひとつ忘れてはならないのは、インドネシアが流動性の激しい海域世界に属していることである。エスニシティが曖昧なのは、華人・華僑だけではない。その曖昧さにたいして、上からエスニシティや文化を規定し、民族文化や地方文化が生まれることさえある。インドネシアの「華人研究」も、インドネシアの1民族として考えなければならない部分があるかもしれない。

 国際関係の研究としても、東南アジアの地域研究としても、インドネシアのナショナル・スタディとしても、いろいろなアプローチが可能な本書のような研究は、地道に幅広い視野をもってやっていくしかない、という感想をもった。

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