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2014年10月28日

『「恩恵の論理」と植民地-アメリカ植民地期フィリピンの教育とその遺制』岡田泰平(法政大学出版局)

「恩恵の論理」と植民地-アメリカ植民地期フィリピンの教育とその遺制 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 植民地支配は、解放されて独立すれば終わりではない。それをもっとも如実に感じているのは、歴史研究者だろう。植民地時代を支配された側の視点で書くだけの充分な史料がないだけでなく、多くの史料が植民地支配を正当化するもので、客観的な歴史叙述をする妨げになっているからである。フィリピン人のように植民地支配を受けた者が、自分たちを主体的に描く歴史叙述に苦悩しているなかで、外国人が書くという行為を、著者岡田泰平はつぎのように「あとがき」冒頭で述べている。「外国人である私がフィリピン人を書き表すという本書の営為は、フィリピン人を傷つけるものであると感じている。あらゆる批判を受け止めていきたい」。

 本書では、「アメリカ植民地期フィリピン社会を、教育という営為を中心に描きだす」。この「二一世紀の現在に直結する課題」を考察する端的な理由を、著者は「近代植民地主義の評価が現代世界における重要な問題として浮かび上がっているから」と述べている。だが、「フィリピンにおいては、アメリカ植民地主義がフィリピンの近代に対して積極的意義を持たなかったとする根本的な批判はほとんど見られない。むしろアメリカ植民地主義は肯定的に評価される」。それにたいして、著者はつぎのように「本書を通してこの課題に応えていきたい」と述べている。「このような対照のなかで、フィリピンと他の旧植民地諸国を比べ、植民地主義批判の有無に対してどのような価値判断を加えるべきかを問うことは、あまり意味がないだろう。むしろアメリカ植民地期フィリピンの研究について問われているのは、植民地主義に対する根本的な批判を許さない歴史構築のプロセスを解明することである」。

 本書の目的は、つぎのようにまとめられている。「「市民的理念」と「恩恵の論理」が作りだした歴史を、植民地の民政地域における公立学校教育、すなわち植民地教育を考察することにより描きだすことにある。そのための作業として、越境という観点を重視しつつアメリカ史およびフィリピン史の両側面を検討する。そこで以下では、一九世紀末から二〇世紀初頭のアメリカ史、同時代の東南アジア史、そしてフィリピン史のなかにこの植民地社会を位置づける」。

 本書は、序章、全7章、終章からなる。「序章 アメリカ植民地期フィリピンと植民地教育を問い直す」では、「フィリピン植民地研究の意義」を述べた後、「アメリカ史、東南アジア史、フィリピン史のなかに、アメリカ植民地期の植民地教育を位置づけ」る。その結果、著者は、つぎの2つの大きな課題を明らかにする。「第一は植民地主義とナショナリズムのあいだに生じた価値の逆転についてであり、第二は歴史認識の対立の場としての植民地社会についてである」。

 本論前半の第1-4章では、植民地教育の「政策としての展開とその限界を論じる」。「第一章 アメリカ植民地主義と言語」では、「そもそも英語がなぜ植民地教育を担う言語となり、この初期の方針がなぜ継続したのかを問う」。「第二章 制度としての「恩恵」」では、「農村社会であったフィリピンにおける、植民地教育の制度上の限界と特徴に注目する」。「第三章 アメリカ人教員とフィリピン人教員」では、「アメリカ人教員とフィリピン人教員のあいだの差異と彼らの越境を論じる」。「第四章 フィリピン人教員層と市民教育」では、「非エリート教員の体験と教育実践から植民地教育を維持した内在的要因を考察する」。

 後半の第5-7章では、「植民地教育やこの政策に象徴される「恩恵の論理」とは矛盾してしまう事象やそのような事象とともに生じた思想の断片に注目」する。「第五章 抗争する歴史-植民地の地理・歴史教育」では、「植民地教育の内と外でのフィリピン革命理解を論じる」。「第六章 フィリピン学校ストライキ論」では、「一九三〇年にマニラで生じた事件を取り上げる」。「第七章 反フィリピン人暴動とその帰結」では、「植民地教育が持つ「恩恵」という象徴性に目を向ける」。

 そして、「終章 植民地主義は継続しているか-二一世紀のフィリピン社会とフィリピン人」では、「ポストコロニアル社会として現在のフィリピンを理解し、二一世紀のグローバル化から、アメリカ植民地主義の遺制を論じる」。その冒頭で、著者は、つぎの説明の後、「社会政策としての植民地教育は失敗だった」と結論している。「植民地教育は、フィリピンにおけるアメリカ植民地主義のもっとも優先度の高い政策のひとつであり、フィリピン社会の根本的な改革を目指した社会政策だった。しかし、植民地教育は、英語を広められない英語教育、十分には広がらない学校制度、民衆に市民性を植えつけられない「市民教育」、そしてアメリカ植民地主義の正当性を打ち立てられない地理・歴史教育といったものしか生みだせなかった」。また、「フィリピンのボス支配「カシキズム」の改革もなされなかった」。「つまり、「カシキズム」は、植民地初期と同様に植民地末期においても、民衆を抑圧するフィリピンの政治制度として残り続けた」。

 終章最後の見出し「歴史認識としてのアメリカ植民地主義」では、「植民地主義が持つ作為性」を明らかにしている。「植民地教育が提示したのは、革新主義時代アメリカのユートピア的な社会像だった」とし、つぎのようにまとめている。「植民地教育が人種差別的な側面を持っていたとしても、この教育が示す社会像自体は人種を越えて想定されていた。ボス支配から解放された自作農が、順法意識に満ちた市民となり、国際的に通用する英語を用いて、「知的な世論」を形成することにより政治に参加していく。このような社会像を多くの教員が共有していたと言えよう」。

 だが、著者は「教育関係者が残した文章や行政文書を時代の証言として扱い、そこから植民地教育を論じることは、結局このユートピア的社会像から植民地教育を評価してしまう。それは実態とは切り離されたものとならざるをえない」という根本問題を前提に、植民地教育を捉え直したと、つぎのように説明している。「この誤謬を避けるためには、植民地教育を、より幅広いテーマである近代植民地主義に関連づけ、アメリカ本土とフィリピンという空間的拡がりのなかで捉える必要があった。具体的には、教育が導入された戦争状況、学校の設置と維持、教員雇用制度、学校外の植民地社会、革命期にまでさかのぼるフィリピン史、教育における差別発言とそれに対する反発、反フィリピン人暴動と独立交渉といった歴史的文脈のなかに、植民地教育やそこに付随した「恩恵の論理」を位置づけなおした」。

 その結果、見えてきた作為性とは、つぎのようなものであった。「差別発言に起因した植民地教育批判は、規律を守れない生徒という文脈に置き換えられ封じ込められた。在米フィリピン人が差別や暴力を受けるなかでの独立交渉では、白人による迫害がいわゆる「帰化不能外国人」の問題にすり替えられ、アメリカ人の人種観や差別意識は問題とならなかった。アメリカ植民地主義は、植民地主義が内包した人種差別へと批判の矛先が向かないように歴史を構築するプロセスをともなっており、そのプロセスのなかで「恩恵の論理」は保ち続けられた」。だが、その作為性を論じても、「この植民地主義に対して、その歴史的意義をも否定する根本的な批判を突きつけることはできない」。

 では、アメリカ植民地主義は、どのようなフィリピン人をつくりだしたのか。著者は、つぎのように結論して、終章を閉じている。「根本的な批判の対象とはなりえない植民地主義でも、その植民地主義の歴史は差別された者の痛みをともなう。時には目を覆うような暴力事件や法治を否定するかに見える祝祭的な大衆行動を起こすとしても、ナショナリズムによって過去を美化するのではなく、過去がもたらす痛みに耐える現在のフィリピン人の姿をそこに見いだすことができる。アメリカ人を声高に糾弾するわけではないが彼らの差別意識や蔑視には敏感で、グローバル化のなかで他者に気遣いながら生きていく。アメリカ植民地期をも含むフィリピン史が作りだしたのはこのような人々であった」。

 近年、欧米によるアフリカの奴隷貿易・奴隷制や植民地支配、日本による朝鮮の植民地支配などが問われている。日本の植民地支配でいえば、朝鮮と台湾とではずいぶん違う。著者は、朝鮮人BC級戦犯者の支援運動にかかわってきたことから、韓国の動向に詳しい。だが、台湾の親日派の動向を同様に知っていれば、本書はちょっと違ったものになっていたかもしれない。アメリカ人教員のフィリピンでの人種差別は、アメリカ人宣教師の朝鮮での人種差別とも、相通ずるものがある。比較していけばきりがない問題にたいして、著者はその遺制に注目した。本書は、「引き続く過去」の重みを感じさせる良書である。その重みを感じない旧植民地宗主国の政治家がいる国の歴史研究者だから、外国人として書けるものがある。「あらゆる批判を受け止めていきたい」のであるならば、フィリピン人が読みやすいように本書を英語に翻訳する必要がある。でなければ、「書かれる対象を傷つけること」もできず、建設的な議論ははじまらない。外国人研究者にとって、ナショナル・スタディーズの壁は厚い。

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2014年10月21日

『人間科学としての地球環境学-人とつながる自然・自然とつながる人』立本成文編著(京都通信社)

人間科学としての地球環境学-人とつながる自然・自然とつながる人 →紀伊國屋ウェブストアで購入

 本書は、2001年に大学共同利用機関として設立された総合地球環境学研究所(地球研)の12年目の節目(初代所長6年間を引き継いだ編著者立本成文の退任)を記念して出版された。地球研のミッションである「人間と自然の相互作用環、つながりを解明して地球環境問題の解決に資すること」を考え直し、基本的な枠組みを示すために編まれた。

 また、本書は「諸般の事情で挫折した状態」になっている総合地球環境学の教本ないし副読本をつくろうという発想を受け継ぐものでもあるという。その教本『総合地球環境学』の初期の構想のひとつが、「跋」で紹介されている。3部(「第Ⅰ部 人間社会と自然とのかかわり」「第Ⅱ部 認識科学-環境変化と環境問題」「第Ⅲ部 設計科学-価値意識と実践・制作」)全11章からなる。本書は、その第Ⅰ部の「精神を受け継ぐもの」である。「総合地球環境学」とは、「序」の最後で「地球学、環境学、人間学を総合して、人類全体が、そして一人ひとりの人間が「良く生きる」ことに収斂していくことを目的としている」と説明されている。

 本書は、「独立」した9章からなり、編著者は「独立」の意味をつぎのように説明している。「各章はそれぞれ独自の音色を奏でる別個の曲である。しかし、それぞれが他の章と微妙に響きあって和音を奏でている。その通奏低音が「つながり」である」。「もっとも、各論考が共鳴しあっているのを聴きとるのは読者の自由な主体的な想像力、構想力、創造力であることも付け加えておかねばならない」。

 本書は部構成をとっていないが、大きく3つに分かれている。最初の3章は、「人が分析の中心にある環境学である」。すべて編著者の執筆である、つぎの4章(第4-7章)は、「地域を中心に環境問題を論じたエッセーで、地域から環境問題を見る際の空間的フレームづくりの試論である」。最後の2章(第8-9章)は、「結論的な章」で、「地球システムを考察するなかで、総合地球環境学構築のための方法論と「持続可能な寄生から未来可能な相利共生」というパラダイムシフトを提示している」。

 「自由な主体的な想像力、構想力、創造力」がないからなのだろう、「通奏低音」が聞きとれなく、「つながり」がよくわからなかったが、それでも学ぶこと、確認できたことが随所にあった。たとえば、「第二章 価値を問う-「関係価値」試論」(阿部健一)の「科学あるいはディシプリンの再編について」の節では、つぎの見出しを見ただけで地球研での議論が目に浮かんでくる。「現代社会の二つのベクトルがもたらす問題群と地球環境」「学際的研究の可能性と期待」「求められる強い統合性-戦術と戦略の構築」「地球環境問題に結集する多様なディシプリン」「近代科学の限界と地球環境学」。

 そして、つぎの節「ポスト・ノーマル・サイエンス-価値判断の時代」では、つぎのような見出しがつづく。「不確実性、予測不可能性を増す社会」「予測不可能な現代の問題群を扱う「科学」」「伝統的科学論の対極にある「価値観」の誕生」「トランスディシプリナリティと価値」。

 基礎科学としての「コア・サイエンス」から応用科学としての気象学や農学、その先の「専門的コンサルタント」までは、まだわかるが、予測不可能な現代の問題群を扱う「ポスト・ノーマル・サイエンス」になると、机上の問題としてしかわからない。そのあたりが、総合地球環境学の教本ないしは副読本つくりが挫折した原因のひとつであろうとも、考えてみた。本書第4-7章で論じられている学際的研究である地域研究も、教本をつくるのがむつかしいことは、ここ20年間余の試みから明らかだろう。「文献解釈を中心とする東洋史は地域研究に近いが、日本の地域研究の同じ仲間とみなしていない」ことを明らかにするためにも、教本つくりは重要だろう。だが、「ディシプリン」ということばも知らない大学院生に、「ポスト・ノーマル・サイエンス」を理解させる教本・副読本をつくることは至難だろう。それとも、そう考えること自体、時代遅れで、「ディシプリン」ということばも知らないから、「ポスト・ノーマル・サイエンス」は受け入れやすいと考えるべきなのだろうか。いずれにせよ、「総合地球環境学」という学問が、いかに今日の社会にとって重要であるかは、本書から伝わってきた。

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2014年10月14日

『靖国参拝の何が問題か』内田雅敏(平凡社新書)

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 本書のタイトルの答えが、帯にある。「問題は歴史認識!」「中国・韓国の批判はただの言いがかりなのか?批判されているのは追悼行為ではない。先の戦争は正しかったという靖国の歴史観は、戦後の平和秩序をご破算にする!」。著者内田雅敏は、首相の靖国参拝は、「靖国神社が、A級戦犯合祀や遊就館の展示で端的に主張する歴史認識=「先の戦争は正しかった」とする「聖戦史観を支持し、戦後の平和秩序をご破算にする思想である」と主張している。

 著者は、靖国神社が、慰霊や追悼の施設ではなく、戦死者を天皇までが頭を下げる「英霊」(神)として祀る顕彰の場であることを問題とし、そこから生まれる聖戦思想をつぎのように説明している。「神として祀る以上、そして彼らを顕彰する以上、彼らが参加した戦争はすべて正しい戦争-聖戦-でなければならない。靖国神社はアジア・太平洋戦争を含む日本の近・現代における戦争をすべて、日本の自存・自衛のための正しい戦争であったとしており、このことは日本の敗戦後も全く変わっていない」。

 そして、この聖戦史観とA級戦犯分祀論とを、つぎのように結びつけている。「なぜ「聖戦」史観か。それは靖国神社の生命線が戦死者独占の「虚構」にあるからである。巷間、A級戦犯の分祀がなされれば靖国問題は解決するかのような言説も見られるが、事の本質はA級戦犯の合祀にあるのではなく、A級戦犯が合祀されるにふさわしい靖国神社の歴史観にある。そして靖国神社がA級戦犯を分祀することは絶対にありえない。なぜなら、分祀した瞬間に、「聖戦」史観を根幹とする靖国神社の歴史観が崩壊し、「靖国神社」ではなくなってしまうからである」。

 この靖国神社の歴史観は、同神社が国家機関としての地位を失った敗戦後も崩壊することなく存続しえた。その理由を、著者はつぎのように説明している。「靖国神社が、戦前と同じように特別な存在として生き残るためには同神社が天皇の戦争の戦死者の魂を独占しているという虚構(フイクシヨン)が維持されなければならない。靖国神社にとって幸いであったことは、敗戦後の日本国家が、戦死者の追悼のための特別な施設を設けることをせず、同神社に戦前と同様、戦死者をゆだねるかのような姿勢を示した(A級戦犯合祀前の天皇の参拝、現在でも勅使の派遣、政府高官の参拝など)ことである。厚生省作成の戦死者名簿の靖国神社への提供→同神社による合祀と戦傷病者・戦没者遺族等援護法(すべての戦争被害者についてのものではなく、天皇の軍人、軍属に対してのみの、しかも旧軍の階級に応じてその支給額が異なるという、旧軍人恩給と同じ発想によるもの)の適用が連動したこともそうである。かくして、靖国神社は、今や一宗教法人にすぎない存在になっていたにもかかわらず、戦前と同じように戦死者のための特別な存在であるかのような虚構が形成された。靖国神社の存在基盤である戦死者の魂の独占という虚構を維持するために天皇の兵士については、一人の戦死者も逃がさないことが必要となってくる。本来、死者の追悼等の宗教的行為は、死者もしくはその遺族と当該宗教団体との入信、信仰等の合意に基づいて行われるものである。にもかかわらず靖国神社が、本人、あるいはその遺族の合意を得ることもなく、無断で合祀をする理由はここにある」。

 「この《無断合祀による戦死者の魂独占の虚構》こそが、靖国神社の生命線である」。そのなかには、敗戦後日本国籍を失い「援護法」の対象とならない外国人である韓国人、台湾人の合計、約4万9000人が含まれている。これらの外国人は、「日本人」として戦犯に問われることはあっても、年金などの支給対象にはならなかった。いっぽう、遺族年金の支給は、1994年の時点で「「大将」の最高額が年間七百六十一万余円であるのに対し、一般の「兵」の最低額は百四万余円」であった。この金額の差は、生活保障ではなく、「顕彰」に値する功労に基づいていると考えていいだろう。

 このようにみていくと、靖国問題は、日本という国家が敗戦処理を充分に行わなかったことが原因であることがわかってくる。「憲法9条」という画期的な敗戦処理を行いながら、なぜ国立の追悼施設をつくることができなかったのか。その原因を探ることがつぎの課題として浮かびあがってくる。また、わたしが個人的に聞いたこともある中国や韓国の有識者のいう「首相の靖国参拝が問題ではなく、首相の発言が問題なのだ」という、靖国神社同様、日本の政治家の意識の戦前から戦後への連続性の意味も考えなければならないだろう。

 本書は、数々の引用文があげ、わかりやすくなっているところもあるが、前後、とくに引用文の前に説明がないため、戸惑うことが何度かあった。「急遽の出版」とはいえ、微妙な問題を扱っているだけに、出版社の編集者ももうすこし丁寧に扱ってほしかった。折角の議論も、本筋ではないところで攻撃されかねない。

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2014年10月07日

『漁撈の民族誌-東南アジアからオセアニアへ』秋道智彌(昭和堂)

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 本書は、著者秋道智彌の40年に及ぶ東南アジア・オセアニアを中心に海や川べりを歩いた成果である。著者は、「現場で漁に参加し、獲れた魚を食べ」、つぎのように長年の調査を述懐している。「魚の獲り方や漁にかかわる人びとの知恵を聞き出す日々はじつに愉快である。ポリネシアの孤島からミクロネシアのサンゴ礁島、ニューギニアの高地周縁部や低地のスワンプ、そして赤道直下のサンゴ礁島、インドネシアの火山島や内陸湖、タイのマングローブ地帯、メコン川流域と周辺の湖や池、そして中国の雲南省からチベット高原まで、魚と漁の現場を訪れてきた。その足跡を写真と論文、そしてコラムとして構成したのが本書である」。

 本書のねらいについて、著者はつぎのように述べている。「現在、水産資源の管理と生物多様性保全を両立しながら海洋の未来像を描くうえで、広い視野から地域の漁撈活動や水産資源利用について理解しておくことは必要不可欠である。しかも、歴史と社会・文化を踏まえた議論が十分になされる必要がある。地域の生態系におうじて育まれてきた多様な漁撈文化の諸相を俯瞰(ふかん)することを通して、グローバルな問題を語るのが本書の大きなねらいである」。

 本書は、「写真構成を前面に押し出し」、3部からなる。「Ⅰ 漁撈の民の世界へ」は、「獲る」「食べる」「暮らす」の3つのテーマを設けている。「Ⅱ 漁撈民族誌素描」は、つぎの16のテーマをみるだけでカラー写真が楽しみになる。「1 奇妙な釣り漁」「2 漁毒漁」「3 柴漬け」「4 水田と池の漁」「5 中国雲南の鵜飼い」「6 海の武器」「7 ワニと人」「8 トビウオ文化」「9 魚の図像学」「10 海藻養殖の功罪」「11 マングローブと漁」「12 淡水養殖の世界」「13 ウミガメの利用と保全」「14 ジュゴンの涙」「15 アジアの巨大淡水魚」「16 空飛ぶ熱帯魚」。そして、「Ⅲ 論文 漁撈民族学」は6章からなり、それぞれ「漁撈技術」「民俗(族)知識」「食文化」「カミと儀礼」「経済と交換」「資源管理」をテーマとしている。

 著者のコモンズ論には定評があるが、それは民俗知にもとづいていることが本書からもよくわかる。たとえば、論文の「第2章 魚の民俗知」には、「魚の生態に関する民俗知と季節学」と「漁撈の空間利用に関する民俗知」という見出しがある。著者は、「漁撈民から民俗知識を探り出す」ために、「時間と場所についての情報を徹底的に収集」している。そして、人びとはつぎに述べる多様な選択肢のなかで、「どの漁法を採用すればよいかについて十分な知識を持ち合わせている」と結論している。「いつ漁をするのかについては、一日の昼夜の別、潮汐のタイミング、季節などが重要な要因となる。昼間でも干潮なのか満潮なのか、あるいは干潮から満潮への移行時、満潮から干潮への移行時、乾季と雨季によるちがいなど、漁の時間を決める要因は複数あり、しかも漁法や対象魚種により漁撈の最適タイミングは多様である」ことを探り出している。

 「どこで漁をするのか」については、「漁場の名称を通じて、その場所に特有の特徴や関連する魚の分布などの知恵を通じて人びとが漁場利用をたくみにおこなっていることが理解できる」とし、「魚やそれ以外の生き物の生態や習性、漁場の特性や潮汐の周期・季節に応じた漁民の知識は民俗知として継承されてきた」ことを得ている。

 本書では、秋道学を豊富なカラー写真を楽しみながら学ぶことできる。

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